現在2008年5月9日19時08分である。
昨日、4月に誕生日のあった、私のただ一人の女性の親友と、今月誕生日のある、小学校中学校の男性の親友と3人で、横浜で飲んで、2人の誕生日を祝った。
以前この2人と飲んだときのことを、「私にも女性の親友がいる」という題で、投稿したら、男性の方から、携帯メールで、
「俺は、彼女を登場させるための前フリとしてしか扱ってもらえていない。」
と抗議のメールが来たので、今回は、2つの投稿に分けて、1人ずついっぱい書こうと思う。
まず、レイディース・ファーストということで、女性の方から。
女性の親友というのは、以前から、八重洲ブックセンターに勤めている親友と言っている人である。
私は、彼女に、
「プレゼント何が欲しい? ただし、私が1万7千円以上する『数学辞典』をもらったからって、『ビジネス大辞典』なんて買ってあげられないよ。」
と、正直に書いたので、
「じゃあ、松田君のお薦めのCDにします。クラシックでも良いよ。」
と、言ってきてくれた。
そう言われたら、私としては、伝家の宝刀を抜かねばならない。「エロイカ」である。
もちろん、指揮者の選択では迷った。今、私の中で、「エロイカ」の決定盤の候補が3つあって、
バーンスタイン(DVDになっているもの)
ミュンシュ(XRCD2になっているもの)
の3つなのだ。
ここで、バーンスタインのDVDは、現在廃盤になっているので、プレゼント出来ない。
イッセルシュテットは、1000円で、安いCDが手に入るのだが、そのCDには、交響曲第3番だけでなく第1番も含まれていて、しかも、第1番が先に入っているのだ。
私は、このCDをかけるとき、いつも、5番目の曲を選ばねばならないのを煩わしいなあ、と思っている(第1番は標準的な4楽章構成なのである)。
彼女が、私のプレゼントを持って帰って、私がこよなく愛するという、「エロイカ」とはどんな曲かな? と思って、PLAYボタンを押したとき、あの、緊迫した和音が、
ジャン、ジャン。
と鳴らなかったら、ということを想像したら、それだけでもおぞましい。
それで、イッセルシュテットは、外れた。
最後に残った、ミュンシュ。これは、最近、同じジャケット絵が描かれた廉価版の1000円のCDが出ていることは知っていた。しかし、果たせるかな、そのCDの第1曲は、「フィデリオ序曲」なのだ。交響曲第1番も入ってお買い得なのだが、これでもやはり、彼女が、
「松田君の好きな『エロイカ』を聴こう!」
と思って、PLAYボタンを押したとき、肝心の「エロイカ」が鳴らなかったのでは、私が、伝家の宝刀を抜いた意味がない。
残る手段はただ一つ。
これ。
- アーティスト: シャルル・ミュンシュ,ベートーヴェン,ボストン交響楽団
- 出版社/メーカー: 日本ビクター
- 発売日: 2002/07/25
- メディア: CD
- クリック: 1回
- この商品を含むブログを見る
彼女の家のオーディオセットが、普通のマスタリングのCDと、わざわざ工場が休みで、工場のモーターが反転するときなどの電源コンセントからの電気的なノイズの入りにくい、土曜日・日曜日に休日出勤して、選びに選んだケーブルを初め、あらゆる点で、現在のPCM方式として最高のものを追求して得られた機器を動かしてマスタリングされた、XRCD(エックスアールシーディー)との違いを再現できるかどうかは疑問だった。
だが、少なくとも私は、目隠しされていても、家が静かなら、まったく同じ曲の同じ演奏のCDとXRCDを聴き分けられるので、こちらの方が良いのは確かだ。ということで、3465円であり、バックハウスの1000円のピアノ・ソナタのCDの男性の方と差が出てしまうが、それは説明することにして、これを買うことにした。
ところが、横浜中探しても見つからなかったのだ。秋葉原まで行けば、絶対あることは分かっていたが、その時は、Suicaに余りチャージできる状態ではなく、SOGOまで回って疲れながら、仕方なくポルタのSHINSEIDOで、これが廃盤になっているかどうか、尋ねた。
そうしたら、その店員が、このCDをパソコンで見つけられなかったのだ。
病むなく、駅の反対側のHMVまで、もう1度戻り、
「これを注文したいんですけど。」
と言ったら、
「ビクターという会社は大きいのですが、XRCDだけは、特別に2週間に1回の入荷の時にしか来ないんです。」
と言うのだ。これは、賭けだった。5月8日までに入荷されることを祈り、注文した。
しかし、6日になっても電話はかかってこない。
仕方なく私は、もう1度そのHMVまで行った。そうしたら、ピカピカのこれが、以前探したときはなかった棚に並んでいるではないか。その日、入荷されたらしい。
それで、
「これが届いているなら下さい。」
と言って、店員に、そのピカピカの封のしてある品を持ってきてもらって、買ってきた。
そういうプレゼントを持ち、さらに、彼女が、
「私、中島みゆきは、CD全部持ってるのよ。」
なんて言うので、こりゃあ、中島みゆきに関して大討論会が出来るな、ということで、いつも聴いている、
「いまのきもち」
「I Love You.答えてくれ」
「心守歌」
「大銀幕」
「大吟醸」
「中島みゆきライブ」
「LOVE OR NOTHING」
「転生」
「ララバイSINGER」
「短篇集」
「恋文」
「私の声が聞こえますか」
「時代 - Time goes around -」
「愛していると云ってくれ」
「寒水魚」
「Singles 2000」
などはもちろん聴いた。ここに挙げたのは、上に行くほど、聴く頻度が高いことを表す。
そして、さらに、彼女が好きな曲。「霧に走る」が入っている、滅多に聴かない、
「Singles」(3枚組)
「Singles Ⅱ」(2枚組)
も聴いて、予習を完璧にして、お誕生会に臨んだ。実を言うと、私は中島みゆきのCDを全部持っているわけではなく、また、1番嫌いな、
「おとぎばなし」
は聴かなかったので、全然完璧ではなかったのだが・・・
5月8日の日、ねくすとが終わった後、ねくすとで最初に「たろちゃん」と呼んでくれた友人と、15時頃までしゃべっていて、それから横浜駅に向かった。
男性の親友はいつものごとく早めから来ていて、彼女は、女の人のたしなみとして、1分遅くやってきて、お店に向かった。
そして、乾杯した後、プレゼントの「エロイカ」のどれくらい凄いかを、
「音の粒が違う。」
と表現して、渡した。
「エロイカ」という曲の説明は、私のブログの2005年10月13日の投稿に書いてあるので、それを参照するように、あらかじめ言っておいた。だから、その場では、曲の説明はしなかった。
ただ、じゃあなんで、ミュンシュなのか、という説明をしなかったので、ここに書いておこう。
まず、この演奏は、3拍子揃っているのだ。
1.冒頭の和音に、イッセルシュテット顔負けの緊迫感がある。
2.第1楽章のソナタ形式の主題提示部の繰り返しをしない。
3.全曲を通して、音質が良い。
これだけ揃った、「エロイカ」の名演は滅多にない。
フルトヴェングラーは、冒頭の和音が、緊迫感がなく、「ただの和音です」という主張しかして来ないしバーンスタインは、提示部の繰り返しをするし、カラヤンは冒頭の和音が、ちょっとだらしないし、素晴らしい残響音のある冒頭の和音を持つ若杉弘は、提示部の繰り返しをしてしまうし・・・
ワルター、ショルティ、朝比奈隆、ヤルヴィ、宇野功芳、など、それなりに良いところのある演奏は多いが、ミュンシュほど、完璧に揃ったものは、なかなか無い。
後はこれが、DSDレコーディングという21世紀の デジタル技術で録音されていないことのみが残念なだけだ。
ここで補足しておくと、20世紀の1965年頃か ら、PCM方式というデジタル録音の技術はあったらし い。ミュンシュのは、1957年なので、アナログ録音なのだが、そのPCM方式というのは、現在のCDで使われているデジタルの方式である。
これに対し、21世紀に近づいた1999年頃からま ったく新しい概念に基づく、DSD方式のデジタル録音の技術による録音が始まった。音質は比較にならない。DSD方式の方が、圧倒的に音が素晴らしいのである。ただ、それを録音してあるのは、SuperAudioCDであり、CD-Rのように焼こうと思ったら、DVD±RWなどを用いないとならない。だが、本当に目の前で演奏してもらっているような空気感まで伝わってくる繊細な音は21世紀のデジタル録音はこれでなければ、と思わせられる。
ミュンシュのXRCDは、そのDSD方式ほどの音ではないが、アナログ録音であるにも係わらず、PCM方式のデジタル録音かと思うほどに音質が素晴らしいのである。
まあ、そういう由来があって、これが伝家の宝刀にな ったのである。
さて、プレゼントを渡した後、彼女の白馬に乗った王子様の話(彼女は私の天使と表現したが)、つまり、彼女の結婚の馴れ初めの話を聞いた。そこでも、音楽の話が基調になっていた。歌を聴くとき、メロディーを聴くか、歌詞を聞くか、という話などをしたのだ。
そして、彼女は、
「私は絶対、歌詞を聞く。どんなに、メロディーが良くても、歌詞が駄目だったら、聴かない。」
と主張した。
私はこれの逆である。少々歌詞が悪くても、メロディ一に惹かれた歌は、何度でも聴く。その一番良い例が、篠原涼子の
「恋しさと せつなさと 心強さと」
である。だが、これを例に挙げるのは、大人げないかなと思い、
「だってさ、モーツァルトのエクスルターテ・ユビラーテのラテン語が分かる?」
と切り返してみた。
これには実は理由がある。
私が、歌詞を聞かず、メロディーを聴くようになったのは、ある意味、小さい頃の経験が影響していると思う。私は、以前にも書いたが、鈴木メソードでヴァイオリンを習っていた。それで、母が、鈴木先生が名曲を選んで特別に作らせていたレコードを何枚も買って聴かせてくれていたのだ。
その中に、当然のことながら、ヘンデルのメサイアの中の「ハレルヤ」もあった。
それを何度も聴かされていたある日、幼稚園生の私は母に、
「『講堂のがくていの先生が』って言ってるね。」
と言ったのだ。もちろん、メサイアの第2部の第23曲のあのハレルヤコーラスで、歌手達が、最初から数えて10回「ハレルヤ」と連呼した後、英語が始まる部分を私は言っていたのだ。
具体的に書けば
♪ for the Lord God omnipotent reigneth
と言っている。(いやー、インターネットの時代っていうのは良いねえ。こんな歌詞だって、検索すれば引っ掛かるのだもの。)
その時の母の反応が面白かった。
「そう言っているように聞こえたの? でもね、これはお前のまだ知らない、英語で歌われている歌だから、『先生』って言ってるわけじゃないのよ。えーと、ラテン語じゃないわよねえ、ああそうだ。キング オブ キング って言っているから英語だわ。」
と言ったのだ。
さらに私を混乱させたのは、その頃、父がめずらしく、会社の部下何人かを家に招待したとき、ビールを飲んでほろ酔い加減になった1人が、
「たろう君。好きな歌はなんかあるかい?」
と言ったのだ。それに対し、私は、
「ハレルヤ」 と、答えたのだ。そうしたら、
「ああ、晴れるや、曇るや、か。」
と、ダジャレで応酬してくれたのだが、何も知らない私は、
「ハレルヤって、晴れるってことなの?」
と、その場にいた母に尋ねた。母は苦笑することしかできなかった。
後で、
「あれは、まったくのウソよ。」
と、注意してくれたが、私は歌の歌詞というものを真面目に聞くことは意味がないように、段々と思えていったのだ。
また、鈴木メソードというのが、楽譜を使わず、耳で聴いて、弾けるようになれ!
というのをスローガンにしているので、歌詞とか楽譜を見るという習慣が付かなかったのである。
もちろん、当時流行っていた「宇宙戦艦ヤマト」などは、レコードについていた歌詞を見て覚えた記憶があるが、私は小さい頃から、耳に心地よければ敢えてそれ以上追求しない、ということが多くなったのである。
脱線しすぎたが、私が、モーツァルトのモテットK.165 エクスルターテ・ユビラーテ 即ち、「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」を例に引いたのも、ラテン語の歌詞なんて全然分からなくたって、このモーツァルト17歳の大傑作を理解することは出来るからなのだった。
さて、私がここでラテン語を引っ張り出したために、 大討論が始まった。彼女の天使は、中島みゆきが、札幌藤女子大学国文科を1974年3月に卒業して、歌手活動を始めてからしばらくの、あくまでも日本語で表現していた姿に惚れ込んだのだそうなのだ。英語を歌の中に持ち込んだりしない、美しい日本語を紡ぐ中島みゆきが、好きだったのだ。だから、最新のアルバム
「I Love You, 答えてくれ」
なんて論外で、もっと前から、例えば、「with」な んていう歌からして、許せなかったそうなのだ。
「with」の話が出たので書くと、短大の国文科卒の私の妹が、中島みゆきの言葉遣いに感心して言うには、この歌の中の
♪ with・・・淋しさと虚しさと疑いとのかわりに
というところで、「淋しさ」と「虚しさ」の次に、「疑い」を持って来れないよね普通!?、と言うのだ。
それを聞いていたので、
「彼女の夫君が、国文科卒並だったら、例えwithな んていう英語を持ち込んだ歌だったとしても、日本語として、アクロバットをやっていることを見抜けたはずなんだけどな。」
と、私はある意味失望を感じないでもなかった。
「まあ、彼女の話では、それ以前から、天使は、「ファイト!」という名曲を生命保険会社のCMソングに使うために作曲する中島みゆきを許せなかったそうだから、 私に言わせれば、彼は、中島みゆきのシンガー・ソング・ライターとしての才能を理解していなかったのだ。
或いは、芸術家に人間性も求めてしまうのか?
そんな人間は、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」なんて、絶対聴けないのだろうな。
例えば、ベートーヴェンは、「ドン・ジョヴァンニ」を許せず、自分はただ一つのオペラ「フィデリオ」しか書けなくて、苦しんだのだが、しかし、モーツァルトの品行のだらしなさをどんなに知っても、ベートーヴェンの音楽の才能はモーツァルトの作曲家としての才能を理解出来過ぎるくらい理解できたのである。
私の見る限り、音楽の世界において、漢詩の世界での李白と杜甫に相当するのは、モーツァルトとベートーヴェンであり、この2人の前にも後にもこれ程の作曲家は、1人として現れていないと思う。ヨハン・セバスティアン・バッハも私は認めているが、この2人にはかなわないと思う。
聞くところによると、もっと前に、モンテヴェルディという、素晴らしい作曲家がいたらしいが、私は、まだ彼の曲は聴いたことがないので、評価できない。
また脱線が過ぎたが、歌詞かメロディーか、というのでかなり討論した。そしてその時、私にしては、本邦初公開だったのだが、島田歌穂が、テレヴィドラマ「ホテル」のエンディングテーマとして歌った、「ステップ・ バイ・ステップ」「FRIENDS」「約束」という、3曲の歌の話をした。
それぞれの曲は、2年位ずつ、順番に使われていったので、順番に編曲・作詞されたのだろう。
ここであえて、編曲と書いたのは、「ステップ・バ イ・ステップ」は、元は「ワーキング・ガール」という映画の主題歌で、アカデミー賞の主題歌賞を取っているからである。
私は、音楽としては、「ステップ・バイ・ステップ」が、一番好きで、妹が、結婚式のクライマックスでかける歌を、
「島田歌穂の『ウェディング・ロード』なんて、結婚式の歌でいいかなあ」
と言ったとき、
「島田歌穂をかけるんなら、絶対『ステップ・バイ・ステップ』だよ。それしか考えられない。」
と主張した。
妹は、私を尊敬しているので、本当に、自らの人生の大舞台で、それをバックの音楽に選んだのだった。これは、私と妹だけが知っていたことだったが、今年の6月、その妹たちも結婚7年になることだし、そろそろ公開しても良いだろう。
さて、その「ステップ・バイ・ステップ」だが、本当にどこまでも広がるのではないかというような、目の覚めるような出だしは、
「これだけで、この曲を認める。」
と言いたくなるほど良い。だが私は、本当は、
「歌詞が全部日本語だったらよいのになあ。」
と、感じなくもなかったのだ。英語の部分が難しすぎるのだ。
そして、次の「FRIENDS」でも、歌詞に英語があった。
だが、3曲目の「約束」に至って島田歌穂は、日本語 だけの歌詞による歌を歌ったのだ。
この時、私は弟に、
「島田歌穂は、『約束』まで来て、やっと日本語だけで感情を表現できるようになったんだね。」
と、私らしくない発言をした。弟は笑いながら、
「そんなこと考えるのは、たろちゃんだけだよ。頭、ちょっとおかしいからね。」
の一言の下に、切って捨てたが、私は、それを今回初めて弟以外の人の前に、公開したのだった。
これには、男性の親友の方も彼なりの例を出して、同調してきたりした。
さて、
「彼女とその夫君がそんなに歌詞を読んでいるのなら少し試してやれ。」
と思った私は、
「最近気付いたんだけどさあ。『誘惑』っていう歌があるじゃない。」
と、振った。案の定彼女は、
「♪ あなた 髪を解いて
♪ 私 髪を 解いて」
と、歌ったのだ。こここそ私が、網を張っていたところだった。
「それなんだけどさ、本当は、
♪ あなた 鍵を 置いて
♪ 私 髪を 解いて
なんだよね。だから、2人はホテルに入ったところなんだよね。」
まったく会心の一撃であった。もちろん、どっちが網を張っていたかは、ファインマンのような見解もあるか ら、私が罠に落ちたのかも知れない(この部分を理解したい人は、「ご冗談でしょうファインマンさん」という今では岩波現代文庫に入っている本の下巻の「パリではがれた化けの皮」という章の254ページから255ペ ージに書いてある、『女を出し抜こうと男はいつも考えているが、女の方が分かっているものだ。』というようなことを書いてある節を参照)。
それに対し、彼女は、
「エッ、カギ? 鍵ってことは、ホテルかしら。」
と来た。初めは、かまぼこは魚かと聞いているのかとも思ったが、彼女はその後、
「そんなこと言ってぇ、松田君、ラブ・ホテルなんて入 ったことないくせに。」
なんて、私をからかいだしたので、かまぼこ云々ではなく、本当に、歌詞を間違えて覚えていたようだった。天使にも聞いてみると言っていたから、帰ってから、聞いたことだろう。
私は、恐らく天使の方は、ホテルの情景を思い浮かべ ながら、今までも聴いていただろうと思う。「誘惑」と いえば、1982年の歌だから、私が初めて「E.T.」を見た年、つまり、小学校4年生だった時だ。だから、天使が中島みゆきを嫌いになり出すよりも前の歌のはずである。だったら、じっくり歌詞を読んだはずだ。中学生の頃好きになったのだったら、一番そういうことに敏感な頃だから、気付かないはずがない。
恐らく私が、中学時代に中島みゆきを好きになっていたら、アンテナにビンビン反応があったはずである。
もっとも、私の場合、以前の投稿に書いたとおり、平行線の公理が成り立たない幾何学を知らなかった頃のことだから、ホテルというものの意味を間違って捉えていたわけだが・・・
まったく、ビニールというのが、保健体育の教科書に書いてあるように哺乳びんの口のように、厚ぼったいゴムで出来ているんだと思ったまま、高校を卒業してしまう人間なんて・・・。彼女の天使が、化石というほど今時珍しい天使なら、私は、さしずめ、未来から来た悪魔とでも言っていいんじゃないか?
さて、次に私は、中島みゆきの戦争を歌った歌を話題にしたかった。それで、
「中島みゆきの歌で、戦争を歌った歌がいくつかあるよね。」
と振った。そうしたら、意外な答えが返ってきた。
「私、戦争を歌っている『サニーさん』っていう歌、ふざけてると思うのよね。」
と、彼女は来たのだ。私の予習の中に、「サニーさん」という歌はなかったので、慌ててしまった。ここで、彼女に効果を奪われた。
私は持って行っていた、中島みゆきの歌が全部載っているリストで、調べ始めたが、いくら探しても、見つからない。しびれを切らした彼女が、リストを覗き込む。
「あっ『4.2.3.』だ!」
ここで私は、今までの人生で何度もやってきている、
・ある固定観念にとらわれて、まったく別な答えを予想していたために、いつまでたっても問題の主旨が捉えられず、他の人には想像できないほどの長い時間を費やしてしまう。
という過ちの具体例を、また1つ作ってしまった。
こんな時間の浪費をしていながら、1年浪人しただけで京都大学に入れたというのは、やっぱり才能があったからだと思う。こんなにぼんくらなところがあったら、普通の人なら絶対落ちこぼれになっている。
それが、浪人中に、一回だけ模擬試験で、理系の中で 日本全国10番。広島県で1番になれたんだから、カール・フリードリッヒ・ガウスとは、さすがに最近では豪語し辛いが、歴史上に1つくらいは自分の名前の付いた公式か定理を残せるだけの才能があったと言っても許されるんじゃないかな、と思う。
だが良いんだ。私は、新しい公式も定理も見つけられなくとも、素晴らしい専門書を書くのだから。
それは、ガウスの「整数論」やランダウの「教程」ではなく、アーベルの「自然な着想が流露していて、読みやすい」専門書なのである。
脱線が過ぎたが、私が、中島みゆきの戦争を歌った歌として用意していっていたのは、
「ひまわりSUNWARD」
「with」
「我が祖国は風の彼方」
「樹高千丈 落葉帰根」
「阿檀の木の下で」
であった。
「4.2.3.」
は、伏兵だった。
だが、題名を正確に覚えていなかったので、彼女は一 本は取れなかった。
さてその日最後に、私はやっぱり、
「中島みゆきの歌の中でどれが一番好き?」
と尋ねた。
「松田君から」
というので、
「かなり長いこと、“いまのきもち”に入っている、 「歌姫」って言ってきたんだけど、最近中島みゆきの歌を全部眺め渡したとき、『誕生』いいなあと、思ってね。その間で揺れている。2番目に好きなのは、『二隻の舟』なんだけどね。」
と答えた。
だが、彼女は最後まで、自分の最高を言わなかった。
「振られ歌を歌っていた、みゆきさんが好きだったの。 私。」
って、言っていたから、触れられたくない失恋の思い出があったのかも知れない。
弟から、
「中島みゆきは、“ねくら”だよ。“ねあか”とは言えないな。」
と、指摘されたことがあって、その時、なるほどなあ、と思ったのだが、中島みゆきの歌は“ねあか”の人間の歌ではない。
「だったら、“ねあか”の人間は、どういう歌を歌うんだ。」と、突っ込まれたときのために、究極の1曲を用意してある。シンガー・ソング・ライターの歌でないのだけが難点だが、島谷ひとみの
「亜麻色の髪の乙女」
である。
ここで、クラシックファンのために、注が必要だろう。この歌は、ドビュッシーの同名の可憐なヴァイオリン曲とは、まったく関係がない。曲想も違うし、描かれて いる女性像もまったく異なる。
「同じ名前を使って(-_-メ)」
と、怒るクラシックファンもいるだろうが、私はこの島谷ひとみの歌が、結構好きなのである。それは、私が、 この歌に歌われているような、もの凄い“ねあか”な人間だからなのだろう。
私を直に知った人は皆、このギャップに驚く。
浪人していたとき、同じ高校から代々木ゼミナールへ行ったために、高校時代、私を噂だけで聞いていた人が、私と知り合って、
「コイツが、こんなに面白いヤツだとは思わなかった。」
と、衆目の中で言ったのを、「面白い」という言葉には、どこまでを含めていたのだろうという疑問と共に、 今でも記憶の中に留めている。
そもそも、私は、「みゆきさん」なんて言う呼び方をしない。
というのが、私の主義である。そういう意味でも、あの女性の親友と、好きな歌が重ならないのかも知れない。
最後くらい彼女に華を持たせてあげようよね。
私は彼女が、慶應義塾大学文学部だ、というのを広島にいた時年賀状で読んで以来、彼女は国文科か英文科なのだと思いこんでいた。文学少女というイメージから行くとそうなったのだ。そうしたら、今になって、教育心理学科だということが分かった。
「『子供は一人一人違うんですよ。だから、一人一人違う育て方をしなければいけないんですよ。』と、教わったのよ。」
と言う彼女を見ていて、私は脱帽であった。
「小学生に物理が教えられる。」
とか、豪語していた私なんかより、彼女の方が、小学生を教えることに関して、オーソリティだったのである。
私はかつて好きだった人について、あの人からはあれをもらった、これをもらった、と投稿にも書いてきたが、
「目の前にいる、親友から大いに学ぶべきことがあるではないか。彼女とこれからも、大切に付き合っていかねば。」
その思いを新たにしたのであった。
天使からは、私が何か得られるものはないのかなあ、とまで考えるのは、図々しいというわけで、天使はあくまで彼女のもの。きっと、素敵なご主人なんだろうね。
というわけで、女性の親友の方はここまで。推敲していたら、もう17時間も経ってしまった。
現在2008年5月10日12時29分である。おしまい。
本日(2018年9月9日)、印刷してあったものから、復活させた。
ほぼ同じようになっているが、女性の親友が、私を呼ぶとき、本当は、『松田君』と、呼んでいた。この投稿を書いた2008年の頃は、ブログ上で私の名字を名乗っていなかったので、やむなく、『太郎君』と書き換えていた。
今回の復活に合わせて、彼女の言葉通り、『松田君』と表記した。それ以外は、以前と同じである。
現在2018年9月9日17時39分である。復活終了。