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相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。

なぜすばる望遠鏡を作らなければならなかったか

 現在2015年1月18日13時38分である。

 私は、以前、「一般相対性理論を制覇しよう!」というブログを書いていた。
 そのブログはライブドアブログで、一月315円払って、アクセス解析を使えるようにしたり、アマゾンのアフィリエイトでお金を稼げるようにしたりと、色々と楽しんでいた。
 だが、私が家族のことを色々と書いたりしたこともあって家族から、消せ、と言われていた。
 その上、私が入院する直前、サイバー攻撃を受け、私としても、もう運営していくのが嫌になっていた。
 そのため私は、閉鎖宣言をして、本当にブログを終わらせた。

 だが、私のブログは、Googleで、「一般相対性理論」と検索すると、ウィキペディアの次にヒットする、一部ではものすごく有名なサイトだった。私としても、ウィキペディアに書かれていない、大切なこと、すなわち、「量子力学のはっきりするほどのミクロなレヴェルで一般相対性理論の時空の幾何学が破れている、正確に言うと、ミクロなレヴェルでは、電気的に中性でも、違う質量の物体が、同じ加速度で落下しない。ガリレオ・ガリレイピサの斜塔でやったことが、成り立っていない。」ということを指摘しているという点で、責任の重いブログなのだ、という自覚があった。だから、やっぱり復活させなければならない。

 その使命感から、私はブログをはてなに移して、きちんと保存しておいた。

 私は、ブログを移した直後、医療保護入院で、横浜市立みなと赤十字病院の精神科に入院した。初めから私は、
任意入院でもいいですよ。」
と言っていたくらいで、自分から望んで入院したのだった。入院生活は楽しかった。まずその病院というのが、地震が起こっても火事になっても使えるエレヴェーターがある、という非常に安全なところだったので、私は、寝ているときもお風呂に入っているときも、カメラで見ていてもらえる、という安心感でいっぱいだった。
 と、色々書きたいことがいっぱいあるのだが、入院中のことは、追々書くことにして差し当たって、目の見えない人に綺麗なものを見せる方法を思いついたので、それを書くことにする。このアイディアは、本当なら23年前に実現していなければならないものであった。視覚障害者の皆さん、ごめんなさい。

 さて、アイディアは、2015年1月16日に、母と、いずみ野の祖母の家に向かう電車の中で行われた対話で開花した。その日、母は、
「私、今日は図書館にこの本を返すのよ。」
と言って、「弓と禅」という本を見せてくれた。
弓と禅
 そして、母はこんな話を始めた。
弓道では7段と8段の間にものすごい開きがあるそうなのよね。7段の人で何年かかっても8段になれないっていう人がいるそうなの。この本には、その弓道の名人に教わったという哲学者のことが書いてあるのよ。」
 ここまでは、私は黙って聞いていた。ところが次に母がこんなことを言ったのである。
「その名人がね、哲学者に、夜、道場に来いって言ったのよ。」
 それで、わたくしは、
「灯りつけなくても、射れるって言ったんでしょ。」
と、とうとう口を挟んだ。すると、母は、
「それだけじゃないのよ。まず、夜行ってみると、的の側に一本線香を立ててこいって言うのよ。それから、矢をつがえて的を射るの。それが当たる。」
 ここまでは予想通り。
「その次にもう一本矢をつがえて射るの。そうすると、すごい炸裂音がして、・・・」
 もう、私としては黙っていられない。
「つまり、前に射た矢の後ろから刺さったわけね。」
 ここまでしゃべったところで、母の携帯に電話がかかってきた。しょうがないので、2人で二俣川の駅に降り、母は電話に出た。
 私は、母にどうやって説明しようか考えている。
 母の長電話が終わっても、特急の到着待ちをしていた私たちの電車は、まだ止まったままだった。私達はそれに乗り込んだのだが当然私は説明を始める。
「きっと、その話のようなことは、有名なんだと思うよ。『太陽にほえろ』っていうドラマがあったでしょう。あのドラマのなかで、ヤマさんとゴリさんはものすごく射撃が上手いことになっているんだ。だから、ゴリさんなんかは、絶対勝てるの分かっているから普段ピストルに弾をこめていないんだ。射撃をやっても必ず当たる。だけどね、あのドラマをほとんど観てると分かるんだけど、一番射撃が上手いのはボスなんだ。ボスが射撃をやると、一発目撃った穴に2発目も3発目も入っていくんだ。だから、その弓の話と同じなんだよ。ボスが、なんでそんなに上手いかというと若いときに自分が射撃が下手だったために女の子だったか誰だったかを死なせちゃったことがあったからなんだ。それで、ボスはもの凄く練習してるんだ。」
 こういうことを話していると、思わず私はその時の話を思い出して、涙ぐんでしまう。
 ところが母は、こんなことを言い出したのだ。
「でも、ボスは、明るいところでやっているんでしょう。」
 こんなことを言われたら、私は即興曲を作曲しなくてはいけない。
「太郎が京都からおかしくなって帰ってきたとき、お父さんが『お前、こんな本読んで、何考えてたの?』って言って、『心身問題と量子力学』っていう本をけなしたの覚えてる。? あの時は、太郎は答えなかったけど、あの本にはこんなことが書かれていたんだ。」
 ここで挙げた本は、次の本である。

心身問題と量子力学

心身問題と量子力学

「目の見えない人にね、まず、何度もバラの花の絵を見せるんだ。見せるって言っても見えないから、目の前に持っていってこれがバラの絵だよ、って何度も言うんだ。それから次に、他の絵も混ぜていろんな絵をその人の前に持って行くんだ、そうすると、人によっては、バラの絵が持ってこられたときだけ、『これ、バラの絵です。』って言い出すんだ。これがつまり、その弓の名人が明るくなくても的を射れた理由なんだ。」
 これが私の即興曲第1楽章である。母は、
「えっ、目が見えない人が見えるの?どうして?」
という。私は第1楽章の演奏を続ける。
「つまりね、目の前にそのものがあるだけで、そのもの独特の影響が、脳に及ぶんだよ。普通の人は電磁波つまり光で見ているけど、電磁波を眼で処理する以外の方法でも受け取れないとは言えないでしょ。信号を受け取る方法は、1つじゃないんだよ。」
 これを聞いて、母は、
「心で信号を受け取るの? つまり心眼ってことね。」
と受け取った。私は当然最後の仕上げをする。
「普通の人は、それを心眼って言うんだよ。でも、本当は科学で理解できるものなんだ。」

 電車はいずみ野駅にすべりこんだ。祖母の家に向かう。私は、第2楽章の作曲に取りかかる。
「あの本は、量子力学の本としては、どうしようもなく、レヴェルが低かったんだ。だから、お父さんが、あんなけなしかたをしたんだよ。太郎ももういらないと思って、明倫館書店に売っちゃった。でも、あの本からは、他にも得たことがあったんだよ。それは、哲学者がどんな文章の書き方をするかっていうことが分かったことなんだ。普通の文章で、『こう定義しておくことには意味があるだろう。』なんていう言い方はしないでしょ。それと、数学者にとっては二つのものが等しいということの意味として常識になっている、同値関係というものを、あの哲学者は、ものすごく大切なもののように説明して、それで、時空の2点が同一であるということの定義に使っているんだ。数学者や物理学者が読んだら笑っちゃうよ。でも、哲学者にとっては、それを理解するのに、すっごく時間がかかったんだろうね。考え方については、哲学者の方が良く知ってるだろうけど、自然科学は普通の人には難しすぎるんだね。」
 そうしゃべっているうちに、第2楽章が作曲できた。
 祖母の家について、雨戸を開けながら、私は言った。
「実はね、ベートーヴェンは楽器の音は聴こえていたっていう説があるんだ。それもさっきのと同じだね。楽器の音はベートーヴェンは何度も何度も聴いてあったから、耳が聞こえなくなっても、感じ取れたらしいんだ。ただ、人のしゃべる声は毎回違うから、聞こえなかったらしいんだ。」
 それを聞いてベートーヴェンに関しては私と刺し違えるほどの母であるから、
「だから、第九を指揮したとき、拍手が聞こえなくて、歌手の女の人が振り向かせてあげるまで気付かなかったの?」
と言った。私は、一言、
ベートーヴェンは、楽聖だからね。」
と言った後、付け加えた。
「今の説は、『本当は聞こえていたベートーヴェンの耳』っていう本に書いてあるんだよ。」
 その本は、次の本である。

本当は聞こえていたベートーヴェンの耳

 第2楽章も、完成した。

 祖母の家からの帰りの車中、母は、
「今日は、疲れたわね。」
と、言った。私は、言い忘れていたことを言おうと思った。
「あんなに、おしゃべりしていたんだもん、疲れるよ。ところでね、あの哲学者が言いたかったのは、信号を脳が受け取れるのは、そのバラの花の絵からの量子振幅を感じ取ったからだってことなんだよ。」
 だが、母はもう疲れていて、
「難しい理論はいいわ。今日は『弓と禅』の話で面白いことが聞けただけで良かったわ。」
と言った。私もそれ以上は作曲しなかった。

 さて、この時の、目の見えない人に映像を与え、耳の聞こえない人に音楽を与える、という理論をすぐにも発表しなければならないと思っていた。だが、まだ理論が熟していなかった。第3楽章はまだ作曲してなかったのである。そして、早くしなければと思いながら2日が経った。そして、2015年1月18日12時54分28秒、第3楽章が完成した。

 その日、私は土曜日だったので、今の全く収入がない状態を打開するために、父が教えてくれた収入源、つまり、朝日新聞の土曜日のbeに出ている数独を解いて、賞金稼ぎをする、ということのために、新聞を買いに行った。もちろん私は数学のプロになるための教育を受けた者だから、こんなアマチュアのための問題を解いて他の人に迷惑をかけるのは、本当は許されない。でも、現在私は障害年金以外本当に収入が全くなく、もしかしたら、このブログの記事を読んだ人が、私の紹介した本を私のブログのリンクからアマゾンに入って買ってくれれば、1%強のアフィリエイト収入があるかな? というような状態なのであるから、私が定職に就くまで大目に見てもらいたいものである。こんなことを書くと、この人自慢しているんじゃないか、とか、偉そうなこと言って本当は難しい数独の問題なんて解けないんじゃないの? と思う人が現れてきそうだが、少なくとも9×9の数独なら、私が解けないはずがない。それくらいの訓練はできているのだ。だから、卑怯なことになってしまう、と言っているのだ。
 とにかく、新聞を買いに行きながら、私は、目の見えない人に、どうやって、あの綺麗な土星を見せようか、と考えていた。何度も見えない人に土星の写真を見せて、
「これが土星ですよ。」
と言うのだ。そして、最後に天体望遠鏡で本物の土星を見せる。そうすれば、
「あっ、これ今までと違う、すっごく迫力のある土星の写真だ。」
と、目の見えなかった人が言うだろう。そうしたら、その時、
「本当に見るって、こういうことなんだよ。」
って言える。最初に1つ見えてしまえば、ヘレン・ケラーが、「水(water)」を理解した後、どんどん言葉を覚えたように、次々見えるようになるだろう。
 いや結局、土星だけしか見えなかったとしてもいいのだ。長い人生の中で、本当に見なければならないのは、土星と馬頭星雲とお父さんお母さんの顔ともし息子や娘がいるのならその子たちの顔、人間の欲なんて切りがない、本当にそれだけ見えるようになったら、それだけでも科学の勝利だ。後は理学部の私の守備範囲ではない。工学部の人に任せよう。
 じゃあ、どんな土星の写真を見せたらいいのか?
 私は、まだ入院していた1月6日、2泊だけの外泊を認められ、病院から出た。その時、私は何をしたのだったか。本当は、東京都美術館にポール・シニャックの『髪を結う女』という絵を観に行きたかった。なぜかというと、2014年11月8日の『美の巨人たち』という番組で、この絵が、科学の知識をシニャックが持っていたがゆえに、永きにわたって色褪せない発色を保っているのだと説明されていたので、絵を描くにも科学が必要ということの証明のようなこの絵の実物を、見てみたいと思ったからだった。
 しかし、この絵はまだ大阪にあり、東京に来るのは2015年1月24日からなのだった。
 じゃあ、1月7日に私は何をしていたのか。
「上野に行くなら、科学博物館にも行った方が良いわよ。」
と、母が言い出し、
「科学博物館では、今、『ヒカリ展』をやってるぞ。」
と言い添えた父の言葉につられて、私は、障害者手帳でフリー・パスになるのを良いことに、そのヒカリ展に行ったではないか。
 その時、私は何を見た?
 日本が世界中の期待を集めてハワイのマウナケア山の山頂に建設した、世界最高の光学望遠鏡、『すばる』が、建設当初のカメラとは比較にならない広視野のもの凄いカメラを搭載したという説明記事と、それを証明する写真。
 目の見えない人に土星を見せるなら、『すばる』で撮った写真をおいて他にないではないか!
「すばるというと、望遠鏡の名前じゃなくて、星の名前じゃないの?」
と、枕草子でしか知らない人や歌しか知らない人は言うだろうが、日本が、一般の人から、なぜ世界で1番じゃなきゃいけないの?などという無理解を受けながらも、やっと予算を工面して作った口径8.2mの信じられないような高い技術で成り立っている主鏡を持つ反射望遠鏡が、日本人なら誰でも知っている『すばる』という名前を与えられて、今でも稼働しているのだ。あれを作らなければならなかった理由を後から説明するなら、
「目の見えない人に土星や馬頭星雲を見せるためだった。」
と私なら言うことになった。
 あの日上野に行って良かった。
 本当に私が上野に行ったことは、次の写真が証明してくれる。カメラの原理や光学の知識はバッチリなのに、私が撮る写真は、いつもこうである。
f:id:PASTORALE:20150120185648j:plain
 願わくば、目の見えない人全員に、何度も、何度も、眼にはいるように、広告塔のようにして土星の写真を掲出し、そして、最後に実物を観るときは、天文台の大きな屈折望遠鏡反射望遠鏡で見せてもらうのが良いだろう。
「なぜ、すばるで見せてもらえないの?」
マウナケア山は標高4205mあり、普通の人が行くと、高山病になってしまうからです。」
 最後に、
「なぜ馬頭星雲?」
「あれは、宇宙にある、自然の産み出した最高の芸術作品の1つだからです。」

 耳が聞こえない人のための第4楽章は、まだ、完成していません。

 現在2015年1月20日19時06分である。おしまい。

 2015年1月21日21時24分、一部表現を改めました。