相対性理論を学びたい人のために

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地震が起こっても火事になっても使えるエレヴェーター?

 現在2015年1月21日21時38分である。(この投稿は、ほぼ5673文字)

 さて、今日は、昨日書いたことで、1つ謝らなければならないことがあるので、それから始めよう。
 昨日の投稿で、私は、視覚障害者の人には、土星が見えるだけでも贅沢だ、というようなことを書いてしまった。あんなことを書くべきではなかった。もし科学というものが、あらゆる人から支持を得られるものであろうとするなら、目の見えない人に目の見える人と同等以上の映像を届けられなければならないではないか。
 自然科学の良心を標榜する私が、なんという軽はずみなことを書いたことだろう。視覚障害者の皆さん。ごめんなさい。必ず3次元の映像をお届けします。医学の進歩を待って下さい。

 さて、今日は、入院していた病院のことを書こう。
 昨日の投稿で、私の入院していた、横浜市立みなと赤十字病院というところは、地震が起こっても火事になっても使えるエレヴェーターがある、ものすごく安全な病院だった、と書いた。
 あれを読んだ人は、東日本大震災で、福島第一原発が想定外の津波に襲われて、放射能をまき散らしたことを思い出し、多くの犠牲者を出したことをどう思うのか、と私に問いたくなったことだろう。
 本当に想定外の大きな直下型地震が来たりしたら、やっぱりそのエレヴェーターも止まるんじゃないか、とか、『タワーリング・インフェルノ』という映画にあったような大規模な火災が起こったら、煙が充満して、肺がやられてしまうんじゃないか、と思ったのではないだろうか。
 私も、避難経路を地図で確かめていて、「非常用エレヴェーター」というのを見つけた時は、初め、疑った。
 だが、看護師さんに
「この、非常用エレヴェーターって火事や地震になった時、使えるんですか。?」
と質問したところ、
「そのエレヴェーターは、大丈夫なんです。」
と言ったので、
「ははあ、何か大丈夫と言える理由があるのだな。」
と思って、来る看護師さん、来る看護師さんに、次々と
「本当に大丈夫なんですか。?」
と聞いた。
 だが、全員、
「大丈夫です。」
と答えた。それで、私は確信を持った。
「この病院は、あのエレヴェーターが壊れるような、大きな地震には遭わないようになっているのだ。」
と。
 こんなことを書くと、
理論物理学者ともあろうものが、迷信みたいなものを信じているな。」
と、私を疑う人もあらわれてくるだろう。
 だが、そんなことはないのだ。
 真の理論物理学者というのは、そういう、普通の人が信じられないようなことを信じられるのだ。


 私は、入院中、ちょうど小惑星探査機の「はやぶさ2」が打ち上げられると言うことで、多くの人の関心を集めるために、初代の「はやぶさ」が、小惑星イトカワ」まで行って帰ってくるまでのことを、実話にもとづいて脚色も加えて映画化したものが放送されたので、テレヴィで見た。
 その中で、印象に残った場面があった。
 はやぶさイトカワに着陸しようとした時、
「高度3m、2m、1m。」
の後、
「高度0m、-1m、-2m。」
となるのだ。
 その時、日本から見守っていた宇宙航空研究開発機構のもの凄い秀才たちの中で、一番優秀な若者が、
「ちょっと、考えさせて下さい。」
と言って、一人になるのだ。
 それを見て、私は、思わず、
「この人でも、考えることがあるんだ。」
と、つぶやいた。
 私は、この人のことだから、今までの地球からの軌道計算にわずかな誤差があったのだと気付き、打ち上げからの位置情報を再計算するのではないか、と思った。
 だが、その人はそんな計算をしていては、間に合わないことを知っていたのだ。
 その人がやったのは、こういうことだったのだ。
 探査機が今、どんな状態になっているかを想像したのだ。
 地球から光の速さで信号を送っても時間がかかるイトカワで、もしはやぶさがどうかなっていたら、計算している間に間に合わなくなる。だから、遙か彼方で起こっている状況を、思い浮かべたのだ。
 その人は、直ちに、はやぶさは傾いているのだ、と気付き、
「今すぐ、離脱させて下さい。」
と皆のところへ来て言った。
 その秀才の言うことだから、反対しかけた人もいたが、多くの人がその直観を信じ、はやぶさイトカワから離脱させた。
 結果的にはそれで良かった。
 もし、あなたが注意深い科学者で、この話が本当かなあ、と思ってウィキペディアで調べたら、このエピソードは創作らしい、ということに気付くだろうが、宇宙探査などという予測のつかない冒険では、こういう話はいくらでもあるのである。


 さて、私が言いたいのはどういうことかというと、真の物理学者というのは、目に見えないものを信じられる、ということなのだ。


 信じられない人のために、もう一つだけ例を挙げる。
 ヨーロッパのある研究所で、ある時どうしても実験が理論と一致しないことがあった。アインシュタインファインマンランダウなどと並べても決して見劣りしないような、超一流の研究者たちが考えても、謎が解けない。
 なぜだろう。
 皆が悩んでいた時、ある若手の科学者が入ってきて、
「今、パウリが、列車ですぐ近くの駅を通ったそうです。」
と、言ったという。
 それで、全員が、
「なーんだ、それが原因だったのか。」
と納得したというのであった。
 私もプロフィールに書いているように、ウォルフガング・エルンスト・パウリというのは、「物理学の良心」と言われていた、すさまじい理論物理学者で、その業績の中で辞書にも載っているのは、「パウリの排他原理」と呼ばれるものである。どんな辞書にでも載っているし、インターネットで調べてもらっても良いのだが、やっぱり親切に書いておくべきだろう。排他原理というのは高校で化学を習った時水素の価電子は1で、酸素の価電子は6で、と言って、Hのそばに点を1つ書き、Oの周りに点を6つ書くのを思い出してもらうと分かる。高校に行っていない人のために中学レヴェルで書くと、水素と酸素が化合して水になる時、水素原子2つと酸素原子1つで水分子になると教わる。でも、なぜそうなるのかは教わらない。実は、その理由を説明するのが、パウリが提唱した仮説「排他原理(はいたげんり)」なのだ。
 高校では、水素のHの方は、

    H・


酸素のOの周りには、

    ..
   ・O・
    ..

のように点を打ちなさいと、習っただろう。そして、水素と酸素がくっつくのは、

      ..
    H:O:H
      ..

のように、2個ずつ電子がまとまるからだと習う。
 共有結合が、3重結合の場合、間に6個点が打たれるが、その場合も1本の結合は、2個の点で表されている。
 なぜ、2個ずつなの? 3個ずつや4個ずつじゃダメなの? と思った人はいなかったかな?
「2個ずつじゃなきゃダメ。」
という仮説が、パウリの貴重な提案なのだ。
 パウリが言ったことを正確に書くと、粒子には、2種類ずつ存在できる状態がある。それを、上向きスピン、下向きスピンと呼ぶ。そして、粒子は自分と同じ状態に他の粒子が入るのを、禁止する。すなわち、排斥する、というのだ。だから、排他原理。
 この仮説は、2個じゃなくても大丈夫な、ボーズ粒子というものがあるので、破れているように見えるが、物理学者がフェルミ粒子と呼ぶ、多くの粒子についてあてはまり、物理学の基本法則として認められている。
 少なくとも、電子はフェルミ粒子なので、高校で習う化学は全部、これで説明できるのである。化学というのは、電子のやり取りで、説明できるものだからね。電子の個数を表す、原子番号などというものが、重要な役割を果たすところに、それが現れているでしょ。長年の謎が解けた人は、良かったね。
 さて、そのパウリ。もの凄い理論物理学者だったのだけど実験は下手だった。同じくもの凄い理論物理学者だったヴェルナー・ハイゼンベルグと学生時代一緒に実験していて、失敗ばかりしていた。それで、パウリが実験装置に近づくと、実験が失敗する、という噂が広まってしまった。
 さっきの、
「なーんだ、それが原因だったのか。」
というのは、そのことだったのである。
「超一流の研究者が、そんな迷信みたいなもの、信じるの?」
と一般の人は思うだろうが、量子力学を深く学んだ人なら、そういうことを信じられるのである。

「パウリが『物理学の良心』と呼ばれるようになったのはなぜ?」
という人のために書いておくと、量子化学の本には最初に書いてある、ハイトラー=ロンドン法というシュレディンガー方程式の解を近似的に求める簡単な方法がある。とは言うものの、私はまだこの方法で、水素分子を解いたことはないのだが・・・。とにかくハイトラーとロンドンがその理論を最初に発表した時、その場に居合わせたパウリはただちに演壇に駆け上がり、
「こんな、遠い距離では成り立たず、近い距離でも成り立たず、中ぐらいの距離でだけ成り立つ、なんていう理論が、物理理論として許されると思っているのかー!」
と言って、ハイトラーをにらみつけたという話がある。
 物理学の理論として中途半端だったのは確かだが、この計算法は、初心者にも分かりやすく、化学での水素分子の構造を計算するのに大変役に立つので、今でも、量子化学では、最初に教わる重要な理論なのである。
 ただ、完璧主義のパウリの良心が、それを許さなかったのだった。
 では、パウリはなんでもかんでも批判したのかというと、そうではない。
 ロシア(当時はソ連)のランダウが、一般の人誰でも、1つ電話すればそれだけで、いいですよ、と言って弟子になる試験を受けさせてあげ、来た人がどんな人でも、その場ですぐ問題を出し、それを解くとただちに次の問題を出す、というようにして10問ほど問題を出し、お眼鏡にかなえば、弟子として手帳に名前を書き取る、という理論ミニマムというボランティアをやっていたことなんかは、
「あれは、見上げた心懸けだ。」
と言っていたのである。
 ただ、ランダウのはミニマムと言いながら、普通の人のマキシマムを遙かに越えていたというから、パウリが評価したのは当然だった。ミニマムに1回の試験で合格したのはリフシッツだけだったらしいと、『ランダウの素顔』という本で読んだように覚えている。
 この本である。

 そういう、超一流の物理学者パウリくらいになると、実験装置に影響を与える、普通の人ならオーラか、というようなものをまとっている。
 理論物理学者は、それを信じるのである。

 これで、最初の話題に戻れる。
 私が、地震が起こっても火事になっても使えるエレヴェーターがあると聞いて、真っ先に感じたのは、
「この病院、地震に遭わないんだ。」
ということだったのである。
 だが、私は理論物理学者である。ちゃんと確かめた。
 一人で病院内を歩けることが認められてから(1月半ほど経ってからだが)、他のエレヴェーターにはすべて、
地震や火事の場合は、エレヴェーターを使用しないで下さい。」
というプレートが貼ってあるのに、そのエレヴェーターだけは、同じ場所に
「非常用エレヴェーター」
とのみ表示されているのを確認したのである。

 もちろん私は、そのエレヴェーターの構造をきちんと設計図で確かめたわけではないから、火事の場合本当に大丈夫という保証はない。だから私は、もし大規模な出火があった場合に備え、病棟の各部屋に何人、人がいるかと、この病棟の(私は閉鎖病棟にいた)となりの、隔離病棟がどういう構造になっているかを何度もチェックし、頭に入れていた。
 なんでそんなことをしたのかというと、大規模な火災になった場合、煙が立ちこめ、地図が読めなくなる。私は、以前から書いているように、ものすごく方向感覚が良い。駅から3km離れていて、バスで行ったことしかなかった、従妹の家へ、夜タクシーが拾えなくて歩いて行ったこともあった。その時、一度として迷ったりはしなかった。そういう私であるから、煙が視界を遮ったって平気だ。だから、逃げ遅れた患者がいないかどうか確かめる役目を担おうと思っていたのだ。
 そして、万が一、その患者が動けなかったら、私が、消防士が来てくれるまで、側にいてあげるつもりだった。
 一緒に死んであげる、なんていう悲観的な考え方は私はしない。
 私がそこにいれば、消防士や場合によっては自衛隊の人が、私だけは死なせてはいけないと、命懸けで助けに来てくれると、確信を持っているのだ。
 私は、まだランダウほど立派な業績を挙げていないが、ランダウが1962年に交通事故に遭った時、世界中の物理学者が、ランダウだけは死なせてはいけないと、冷戦のさなかであったにもかかわらず、西側からヘリコプターで、輸血用の血液か何かを運んだということだから、恐らく私のことも見殺しには出来ないだろう。
「私のそばにいれば、結構安全なんだよ。」
なんて言って、信じる人間が何人いるか、まだ分からないが・・・

 これで、私がいた病院が、非常に安全な病院だったのだよ、という話はちょんである。

 下手に「ちょん」などと書くと、良く分かっていない人は、朝鮮の人を差別している言葉だ、なんて言い出すから、きちんと書いておくと、芝居の幕切れに拍子木を打つことから、「おしまい」という時、「ちょん」と言うのである。敵を作りたくない私としては、誤解は避けたい。

 この話はここまで。現在2015年1月22日11時36分である。おしまい。


 2015年2月13日22時52分、分かりにくい部分を補足しました。