相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。

SONY許せぬと書きたかったが1

 現在2015年1月24日13時12分である。

 今日書くことは、普通の人が読んだら、背筋の凍るようなことだろう。だが、私はこれくらいのことでびっくりしない人間なのである。

 私が去年の初め、新しいパソコンを買ったことは記事にした。

 新しいパソコンを買った

 さて、色々あってやっと買ったパソコンだったのだが、2014年1月23日に買ったのに2月28日までかかった。私が、どうしてもタッチパネルにとこだわったからなのだが、まあ仕方ないか、と諦めて待っていたのだった。
 それまでは、例のシャープのパソコンを使っていたので、なんとか困ることはなかった。
 そしてやっとパソコンは来た。オーナーメイドということで、ちゃんとTaroと、刻印されたキーボードだった。
 だが、私はすぐに、そのパソコンのタッチパネルが動作しないことに気付いた。普通の人ならすぐ電話するだろうが、そんな軽はずみなことを私はしない。まず、インターネットにつなぎ、VAIOアップデートなどの考えられる対処を行う。だが、ダメ。
 それでは、ということで、システムの画面で、ディスプレイの性能を見る。すると、
「このディスプレイは、タッチパネルにはなりません。」
と、表示が出ている。これでは、ハードが間違えて装着されてる。しょうがないので、3月1日の15時に、ソニーに電話した。
「私の名前が刻印されているので、新品に交換ではなく、修理して下さい。」
と言ったのもあって、3月3日に引き取りに来た。

 1月以上待たせたのに、タッチパネルにならなかったことを怒っているのではない。許せないと思ったのは、この後である。
 3月16日にソニーから電話があり、
「パネルは、壊れていませんでした。」
と、言ってきたのである。私が、
「だって、システムがタッチパネルになっていないと言ってきたんですよ。」
と言うと、
「多分、アプリケーションが最新じゃなかったんだと思います。もう治りましたので、お届けします。」
などとふざけたことを言う。だが、持ってきてもらわなければ使えないから、3月19日に持ってきてもらった。見ると、確かに刻印があるから、キーボードは変えてない。だが、ディスプレイだけ交換することは可能だ。
 今度は、ちゃんとタッチパネルになるから、壊れてはいない。だが、私は、
「SONY許せぬ。」
という投稿をしてやろうと思っていた。
 上に上げた去年の投稿にコメントしてきた人に私が返答しているのを見れば分かるように、VAIOにはそれまでも腹が立っていたのだ。

 だが、私はその投稿をしなかった。
 なぜか?
 私はSONYの技術者をけなしたくなかったのだ。実は、書こうかどうしようかと思っているうちに、こんなことがあったのだ。
 私は2014年6月22日夜、母が携帯の電源を切ってしまって、私が薬を飲む時の、いつものテレヴィ電話での会話を行わなかったために、寝る前の薬を飲むのを怠ってしまったのだ。正確に言うと、私は、まだ薬は飲むのはいいだろう、と思って伸ばしているうちに夜が明けてしまい、その間中ずっと、ブルーレイ・レコーダーのハードディスクに保存されている映像を、ブルーレイ・ディスクにコピーするのに、夢中になっていたのだ。
 段々私の統合失調症の症状が現れてきて、私は、妄想にとらわれだした。窓の外を歩く小学生達が今日も無事に学校へ行けるだろうかと心配し、変質者に出会わないように、見えなくなるまでずっと見守っていたり、赤ちゃんの泣き声がしたのを、親に虐待されているのではないか、と思ったり、若い女の人が通ったので、会社へ行くまでに時間があれば、こちらで、お茶を飲んでいきませんか、と呼びかけようと思ったり。そして、私の薬が切れたときの副作用でよだれが止まらなくなり、動かしていたVAIOのキーボードにたらしてしまい、Windous 8 のパソコンにしては珍しく暴走したようになってしまった。私は、やっとの思いでパソコンをシャットダウンさせた。
「このパソコン、修理に出さなきゃダメだな。」
と思った。
「やっと治ってきたのにまた修理か。」
などと憂鬱で、その気分のまま、ブルーレイ・レコーダーを、また動かし続けた。
 その間中ずっと動いていたものがあった。それは何か?
 SONYのヴォイス・レコ-ダーだったのである。
 私は、自分が時々おかしくなってしまったとき、手が震えて字が書けなくなり携帯でメールを打つことも出来なくなるので、ヴォイス・レコーダーを買ったのだった。普通の人だったら、操作のしやすさで選んだことだろう。だが、私は、音質で選んだのだ。CDの音質を全く落とさずに受け取れること。つまり、mp3やwmaだけでなく、44.1kHz/16ビットの信号をそのまま再生できるヴォイス・レコーダー。そういう基準で私は選んだのである。
 普通、もっとレヴェルの低い音質で使うヴォイス・レコーダーに、そんな高音質なんて必要ない。だが、私は、いつ必要になるか分からないから、という思いで、それを選んだのだ。そんなハイレートが必要だったからこそ、4GByteの容量のものを買ったのだった。いつもの、大切なものに関しては自分の手にはいる最高のものを買う、という私の主義を貫いたのだ。
 薬を飲み忘れた晩から始まって、その翌日、私がお風呂場に行き、ガスがつきっぱなしになっていて、口火の熱でお湯が沸いているのに気付き、ガスの元栓を閉め、その時湧いた妄想で、
「このお風呂の水がもし抜けたら、ちゃんと安全装置が作動してガスは止まるのかなあ。」
と思い、本当にお風呂の栓を抜き、ザーザーとお湯が流れ、それを見ているうちに前の晩から寝てなかったために気が遠くなり、お風呂場で眠り込んでしまったときも、そのヴォイス・レコーダーはずっと、録音し続けていた。4GByteの容量があったからこそそんなことが出来たのであり、その容量はまだ役目を果たした。
 薬を飲み忘れた晩の次の日、眠りから覚めた私は、お風呂場で立ち上がろうとした。だが、どうやっても体を45度以上持ち上げられなかった。
 私は、そういえばヴォイス・レコーダーを動かしっぱなしだったと思い出した。
「あれには、eneloopというSANYOの充電式バッテリーが入っている。充電式バッテリーというものは、ほんのちょっとずつ電流を放電し続けると、最終的に電圧が0Vまで落ちてしまい、もう充電できなくなる。その前に止めなくては。」
と思ったのだが、どうしても動けない。
 右腕に力が入らなくなってきて、1回だけ、お風呂場で見つけた一見樹脂のように見えるが、本当は水垢などの堆積物の固まったものだったワッペンのようなものを、隣の部屋に大切なもののように思って放り込んだところまでで力尽き、うつぶせに倒れてしまった。隣の部屋の電気は点いていたので、夜も暗くはなかったが、目をつぶるとフェラーリの親友が、
「結局、お前が生きている、ということが大切なんだろうな。」
と言っている言葉が聞こえた。腰に赤い万歩計をつけていて、それを小さな女の子のように感じ、女の子を誘拐したから、こんなに右腕が痛いんじゃないか、などという妄想も生まれた。
 そして、薬を飲まなかった晩から2日目、母と弟が、電話に出ないので、心配して様子を見に来た。弟は、私が死んでいるかも知れないと、思ったそうである。
「たろちゃん。」
という問いかけに、私が目を開けたので、生きていると分かり、
「こりゃ、救急車だろう。」
と言って電話してくれた。
 私は、京都の時以来また、弟に助けられたのだった。
 救急車で運ばれて、戸塚共立第一病院というところに入院した。2014年6月24日のことだった。病名は、
『誤嚥性肺炎』。
 私が洗面所のホコリをたくさん吸い込んでいたからだった。
 入院中、私は厚遇された。ナース・ステーションのすぐ隣の部屋だったので、看護婦さんがいつも見ていてくれて、困ったことは1つもなかった。ただ、私の体は弱っていて、もう歩けなかった。右腕も動かなかった。
 私は、もうこの体では、動けないだろう、と思っていた。だが、ある日看護婦さんが、
「車椅子に乗って、シャワー浴びに行きますか。」
と言った。
「どうせ、無理だけど、『行きますか?』って聞く方が悪いんだから、『行きます。』って言っちゃえ。」
と思って、
「はい、行きます。」
と、答えた。そうしたら、その看護婦さんは本当に車椅子を持ってきて、私を乗せてしまった。
「これは、驚いた。人間って自分が出来ないと思うことも、出来ちゃうんだ。」
と思った。
 その時から私は、色々なことに積極的に挑戦するようになった。そして、7月11日、とうとう自分で一度病院の床に寝そべって、そこから起きられるかやってみた。出来た。それで、7月13日、私は、退院できた。
 弟が車を借りて母と共に迎えに来てくれて、いずみ野の家に送ってくれた。私はやっと歩けるという状態だったので、それからは結構大変だった。右手も動かないので、働きに行くことも出来なかった。働かなくてもいいからと、逗子のトントンへ一度だけ行ったが、職員の人としゃべっただけで帰ってきた。
 その病院へは2回、キャンディやチョコレートを持って、遊びに行った。
「ここまで、元気になりました。」
と報告した。
「もう大丈夫だ。」
 そう思った。
 さて、家にあったパソコンとヴォイス・レコーダーは?
「当然どちらも修理に出さなければならないだろう。」
と思っていた。
「もうソニーはダメだ。今度こそ、『ソニー許さぬ』という記事を書いてやろう。」
と思っていた。
 ところがどうしたことか。ヴォイス・レコーダーには、メモリの容量がつきるまで音声が録音されており、中に入れていたグローバル出荷本数2億本達成モデルの1本1本色の違うeneloopは、充電するとまた使えた。そして、よだれをたらしたパソコンは、そのまま使えたのである。
「わっ、スゴい。!」
「やっぱりソニーにしておいて良かった。」
嬉しかった。
 普通の美談は、ここまでである。だが、ソニーの話には続きがある。
 一応書いておくと、エネループは、現在パナソニックから発売されていて、EVOLTAという文字の下に、小さくeneloopと書かれていたのもなくなり、完全にPanasonicの充電式EVOLTAとなったようである。SANYOは、素晴らしい製品を生み出したものだ。名前を残しておいて欲しかったと思うのは、私だけだろうか。



eneloop




 さて、私は、新しいパソコンはあったが、ほとんど使えなかった。右手が動かないからである。ブログもサイバー攻撃が始まっており、段々嫌になってきた。サイバー攻撃などと言うと、オーバーな、と皆取り合わないだろうが、本当なのである。それを示すために、私はある時から、どんどん付けられる意味不明のコメントを削除しなくなった。今でもこのブログのあちらこちらに付いている、本文と関係のない英字のコメントに、諸君は気付くだろう。日付はほとんど集中している。ウソではないのである。

 さて、2014年9月2日、私は、薬を飲まなかったために、禁断症状が出て、体中が震えて止まらなくなった。ゴミを出しに行ったのにゴミ収集車がもう行ってしまったのに気付いたら、そのゴミをどうしたら良いか、分からなくなった。隣の家の人が気付いてくれて、
「救急車を呼びましょうか。」
と言ってくれたが、
「その必要はありません。」
と応えた。だが、震えは止まらなかった。仕方なく母に電話したが、通じない。妹に電話したら、
「すぐ行ってあげる。」
と応えてくれた。これが真相なのだが、実は私は間違って現実をとってしまっていたのだ。私は、妹の家に母が手伝いに行っていて、電話に出たのは母であり、すぐ来てくれるのは、母なのだと思っていたのだ。
 結局、妹は何時間もかけて、私の家へ来て、知らせを聞いた父と母も駆けつけたのだった。
 私は混乱して、要領の得ない受け答えをするし、父も母も、妹が小学生の姪や甥をほったらかして来たことに動揺してしまってなんとか妹を早く帰らせようとする。そして、母は、
「なんとか精神病院を見つけて入院させよう。」
と言って、市役所や区役所に電話した。
 だが、精神病院というものは、なかなかないのだ。結局その日は見つけられず、私に睡眠薬を飲ませて、父も母も帰った。姪と甥は、ご主人が機転を利かせて行動してくれたので、無事だった。もし、あの2人に、何かあったら、私はただでは済まなかった。
 その晩、私は、結局眠れなかった。夜中に起き出し、ベッドから降りたら、もうベッドに上がれなくなった。携帯も手が届かず、そのまま倒れていた。
 翌日、また、母と弟が様子を見に来て、私を起こそうとしたが、私は、
「頭をうったみたい。頭が重いんだ。」
と答えたので、救急車を呼んだのだった。
 今回は、救急車の救急隊員が6つくらいの病院に電話してくれたが、どこも、
統合失調症の患者は入院させられません。」
と言い、戸塚共立第二病院だけが、
「入院させられませんが、病状だけなら診てあげます。」
と言ってくれた。だが、母は、
「入院できなければ、困ります。」
と言った。救急隊員は、
「かなり、遠いですが。」
と言って、横浜市立みなと赤十字病院に電話した。
「前日から倒れていて、意識はあります。統合失調症で通院しています。現在、泉区にいます。」
と言ったが、OKが出た。
 40分かけて、病院に着いた。
 今回は、
『肺炎』
ということで、救急病棟に入院した。
 前回のように厚遇されることはなかった。とにかく、救急病棟だから、看護婦さんも看護士さんも忙しい。その上、私が、なんとか、今の居心地の悪さを伝えようと、ナース・コールを押すのに、看護婦さんが来て、
「どうしてほしいんですか?」
と言っても、
「ワタシが、してほしいことは、・・・」
まで答えたところで力つき、しゃべるのをやめてしまうので、
「あの患者は、頭がおかしい。」
ということになってしまったのだった。
 なぜあの時、私がしゃべれなかったのかというと、実は、その病院で私に居心地を良くするためにどんな設備があるのか知らなかったからなのだった。私は、自分でも知らないものを求めて、ナース・コールを押していたのだった。
 それからしばらくして、ある准看護婦さんが、
「本、持ってきてあげましょうか。」
と言ったので、そういう方法もあったのかと思って、
「持ってきて下さい。」
と、やっと言えたのだった。
 だが残念なことに、私の右手が動かなかったために、それを読むことは出来なかったのだった。
「この病院は、清潔だけど、人間の温かみのない病院だ。」
と感じられた。だから、母が、
「この病院の先生に主治医を変えたら、若い先生だし、家にも近くて良いわよね。」
と言い出したとき、
「差し当たって、母の言うとおりにしておいて、退院したら、今までの主治医の先生に別な病院を紹介してもらおう。」
と思って、とりあえず、
「じゃあ、あの先生に紹介状を書いてもらおう。」
と応えておいた。
 だが、この入院は私の人生を大きく変えた。
 私は、肺炎だったので、最初の5日間くらい何も食べさせてもらえなかった。水も飲めなかった。
 とにかく、口にものを入れたら、それが、肺に行ってしまう、というのだ。
 私は、
「水が飲みたい。」
「何か食べたい。」
と言い続けていた。
 そして、
「今日も飲めませんか。」
と言ったある日、
「ゼリーなら、いいでしょう。」
と言われた。そして、先生が長い時間かけて、飲むゼリーを持ってきた。
「いっぺんにたくさん口に入れちゃいけませんよ。」
と言って渡してくる。
「どうやれば、いっぺんにたくさん入らないように出来るんですか?」
と聞きたかったが、飲みたくてたまらない。すぐ口に持って行った。
 吸い始めてどんどんゼリーが入ってくる。
「これを止めるにはどうしよう。差し当たって我流だが、舌で止めちゃえ。」
と思って、ゼリーを舌で抑えた。
 結果的にそれで、ゼリーの流入は止まった。
 先生は、
「どうやって、いっぺんに入らないようにしたんですか?」
とも聞かず、
「今、全部飲んじゃうと、今晩は、これだけですよ。」
などと言ってくる。
 私は、
「医学とはそういうものなのか。」
と、その時初めて知った。
 医学では、手段はどうでも良いのだ。とにかく、患者が自分で自分のことを痛い思いから遠ざけられるのなら、それがどういう方法だったかなんて問わないのだ。とにかく、死にかけている人を救うのが医学である以上、人の命が救えれば、それで良いのだ。次の患者に取りかかる。
 もし数学者なら、ある問題を解くために証明しているとき、まず証明するのを至上命題とするが、証明できたら、次は、少しでもエレガントな証明を求める。
 歴史上、数学者が完敗したのは、4色問題。
 人間にはどうしても証明できず、コンピューターで全部の場合をしらみつぶしに調べ上げて証明してもらった。こんなのは、数学者にとって、いまいましい話。
 フェルマーの最終定理の場合は、コンピューターでかなりのところまで調べたが反例がなく、最終的に、アンドリュー・ワイルズが、証明した。こちらはなんとか人間の勝利。
 だが、医学の目からすると、どちらも勝利に変わりはない。そういうことなのだ。
 そして、私は同時に重要なことに気付いた。
 車椅子のホーキングが、病に冒されながらも、どんどん色んなことが出来るのは、周りが彼を救おうと良い医療を施しているのもさることながら、彼自身が次々と新しいものを使う彼なりの方法を見つけ出すからなのだ。
「誰でもが、車椅子に座ったまま、物理の本を書けるわけではないのだ。彼が新しいことを学習するからあんなことが出来る。」
と、私はその時気付いたのだった。


 これが、その時入院して良かったことだった。これは、後でさらに実を結ぶ。


 今日は、これ以上ないと言われても、私は全部飲みたかった。それで、何度も舌で止めながら、ゼリーを飲みきった。
「次は、明日ね。」
と、言われても、かまわなかった。
 翌日のお昼には、もうビビンバ丼を食べるまでになった。
 だが、その病院のひどい扱いは続いた。
 食べられるようになった私は、次は、
「もっと、食べたい。」
と言ったのだ。
「私は、普段1合半、ご飯を食べている人間なんです。」
と言うと、
「そんなにやせているのに、ずいぶん食べるんですね。」
と言って、量を一日1800kcalから、2000kcalに増やしてくれた。だが、それでも足りなかったのだ。
「もっと増やせませんか。」
と言ったら、
「これ以上は増やせません。間食してもらえませんか。」
と簡単に言われてしまった。
 私は呆れかえった。
「病院が、おやつを食べろだって? とんでもない病院だ! こんな病院は殺される前に退院するに限る。」
 そう思ったのだが、私はさらに絶望に突き落とされた。
「退院したら、もう一回、ブルバキを読み始めよう。」
と、思っていた。
「私の人生に唯一目標を与えてくれるのが数学だ。」
と感じられていた。もうそれしか生きる目標がなかったのである。だが、
「現代数学は、ツォルンの補題の上に築かれている。つまり、選択公理がなかったら成り立たない。だが、選択公理を認めるということは、バナッハ・タルスキのパラドックスを認めるわけであり、ルベーグ積分不可能な関数の存在を認めることになる。だが一方、ルベーグ積分不可能な関数はないという公理を置いても矛盾は生じない。結局、現代数学は、ツォルンの補題を信じる数学者達だけの偶像なのではないか。宗教みたいに、信じる人だけに美しいのであって、もし、信じられなくなったら、ブルバキ全巻、真理の書ではなくなってしまう。」
 さらにそれに、物理学が追い討ちをかけた。
アインシュタイン方程式には、宇宙の構造を決めることが求められている。ホーキングの特異点定理もそれを前提にしている。でも、あれは水星の近日点移動や宇宙の膨張を予言できただけの近似式であり、今後の宇宙の膨張を見ながら、パラメーターを(要するに宇宙項Λを)その都度調整してその時その時の最良の近似法則を導くだけの暫定的なものなのじゃないのか。結局、有限の観測時間では宇宙項の厳密値は求められない。ということは、これから先、理論物理学がどんなに進歩しても、不確定性原理の予想する不確定さを内部に含んだまま、宇宙最初から今までの発展を計算し尽くすことは、全然出来ない。あの綺麗なオリオン座の馬頭星雲が現在地球から見えるのは、量子宇宙論でちゃんと導けると信じて、今まで一般相対性理論量子力学を勉強してきたけど、無理だったのか。」
 私は、絶望した。これから、何を信じたらいいんだ。


 何度も話題に上っている馬頭星雲とはこれだ。

馬頭星雲

 絶望して、光が見えないまま、体だけは少し回復し、9月22日、退院した。
 私は、もうどうでも良くなり、母が、この病院に変えようと言うのに、反対する気力もなかった。
 さらに家族は、私が、いずみ野に一人でいたから死にかけたのだと言い、私を実家のそばに転居させた。数学の本も物理の本も一冊もなかった。
 9月25日、私は、いずみ野の家に置かれたままになっているオーディオを持ち込むことも出来ず、小さなラジオ付きCDプレーヤーで、中島みゆきの『誕生』を聴いていて、
「♪リメンバー、けれどもしも、思い出せないなら、わたし、いつでも、あなたに言う、生まれてくれて、ウェルカム。」
という歌詞にうたれた。
「そう、私も、ウェルカムって言って欲しい。」
 私は母に、
「いつでもあなたに生まれてきてウェルカムと言ってあげる、という歌詞にそう言ってくれる人が太郎にもいたらと、深い感銘を受けました。」
と、メールを打った。母からは、
「おばあちゃんや、家族のみんなも、そう思っているよ。元気を出して下さい。」
と、返事があったが、私を救うことは出来なかった。
 10月4日に弟が来たとき、私は話した。
「『誕生』のウェルカムは、『ようこそ』だけじゃなくて、『あなたに期待します。』なんだよね。でも、このおじさんの太郎に、みんながウェルカムって言ってくれても、誰も、今後の太郎が立派なことをするって、期待してないんだよね。それが、悲しかったんだ。大抵の人はみんな、自分はすごいことは出来ないって、高校生くらいで気付くんだろうけど、42歳で、やっと分かったんだよね。」
 弟は、
「やっとたろちゃんも普通になったじゃない。結構なことです。これから、新しい人生だよ。」
と、いつもの暖かい言葉をくれた。
 リハビリを一応やりながらも、お医者さんに、
「腕が上まで上がるのは、難しいと思って下さい。」
と、言われていたので、もう私に光はなかった。
「私の残りの人生は、誰かの役に立つのではなく、自分のためだけに生きていくんだ。」
というのは、つらい現実であった。
 10月21日の晩、またしても薬を飲むのを忘れて、テレヴィのアンテナをつないで、テレヴィを映るようにしようと夢中になっていた私は、段々自分の人生をリセット出来たらと思い出した。
「もう一度やり直したい。人間には、パソコンのように、リセットボタンはないのか。昔から、子供にファミコン・ゲームをやらせ過ぎると、何か犯罪を犯したとき、その子は、『僕のリセット・ボタンは?』って言い出すぞ、と思ってきたけど、今、私も、リセット・ボタンが欲しい。」
と思い、
「それだったら、日本にも尊厳死を認めさせて、私は死のう。それで、いいんじゃないか。」
こう思った。
 自分では、徹夜しながら、いつの間にか、頭の中の霧が晴れていくのに気付いていた。
「薬を飲んでいないからか。?」
と思っていたが、後でそうでないことが分かった。この時私は、2回目の試練に遭っていたのだった。

 私が死のうと思ったのは、高校3年生の12月、失恋して、自分が多くの人を傷つけたことを強く感じ、自分が生きているのが許せなくなったとき以来だった。その時は、人の温かさに気付き、
「やっぱり私には数学と物理学がある。」
と思って、死ななかったのだった。
 今回、私がその時死ななかったのは、この家に私の荷物を運ぶのに手を尽くしてくれ、また、大学4回生で発病して以来、私のために非常な迷惑を被りながらも、家族としてずっと支えてくれている、父、母、妹、弟、がいたからだった。もちろん、私は、4人の顔を思い出したわけではない。ただ、私の中に、
「ここで死ぬのはなんとなくおかしい。」
と、漠然と考えさせたのが、4人の今までの振る舞いだったのである。
「あの人のことを思って自殺しなかった。」
なんていう人もいるが、人間が生きるのなんて、もっと当たり前の理由なんじゃないかと思う。
 私は2回とも、死ななかったきっかけは、
「死ぬほどのことには、思えない。」
と感じられ、積極的に死ねなかったというものだった。私は、幸せな人間なのだ。


「私ってやっぱり幸せな人間なんだよな。」
と思った瞬間、夜じゅうつなごうとしても、ソケットに繋がらなかったアンテナ線のプラグを、
「アースみたいだけど、隣のプラグの上にのせてみたら。」
と思い付いた。
 テレヴィに画面が映った。
「あっ、そうか。電波なんだから、アンテナ線を繋がなくっても、映るんだ。」
 当たり前のことだった。ケーブルで繋ぐのは、信号をノイズから守るためだ。ディジタルテレヴィはノイズに強いから、プラグを差し込み口のプラスチックの上にのっけるだけで映る。電気的に繋がってなくっても良い。これは、アースじゃなくて、もう一つのアンテナの引き込み線だったのだ。


 私はただちに、薬を飲んだ。もう、自殺したいとは思わなかった。
 この日から、私は変わり始めた。


 10月26日、私は起きてすぐ、
土星って輪があったんだ~人の命がかかっていることの重さ~』
という短編ノンフィクションを書こうと思い立った。多くの人が読めるためには、長くてはダメだ。カフカの『変身』のように、100ページに収めよう。そして、
「人間にとって最も大切なのは、生きていることであり、他の人の命を救うことだと書き、それを行うためにどうすれば良いかというと、子供が小さいときから科学を教え、そして、科学はどこまでも進まなければならないのだ。」
と伝えようと思ったのだった。

 アイディアを書きためていた私は、11月3日にこう思った。
「原爆などの恐ろしいものも出来てしまうから、技術は抑止力が働かなければならない。だが、科学は、どこまでも進まなければならない。例え地球1つを消滅させる方法を見つけることになったとしても、科学を本当に人間が理解したら、消滅させた地球を再生させる方法も手にするだろう。それが、真の科学だ。そういう科学を伝承してきたからこそ、人類はここまで生きてこられた。アドルフ・ヒットラーが、ユダヤ人を人体実験に使ったお陰で、その後の医学が飛躍的に進歩したのなんかは、私は許さないが、もっと安全な方法で、科学はどこまででも進歩できると、すべての人に理解してもらわなくてはならない。そのためにはどうしたらいいのだろう。」
 そう思った私は、図書館へ行った。手元に1冊も本がなかったからである。
 鶴見図書館で、
吉村仁著、石森愛彦絵『素数ゼミの謎』(文芸春秋
素数ゼミの謎
という本を見つけ、小学生に難しいことを教える方法をいくつか習得させてもらった。
 それから、
横山雅彦著『高校生のための論理思考トレーニング』(ちくま新書)
高校生のための論理思考トレーニング (ちくま新書)
という本で、
『論証責任』と『誠実な文章』
というものについて学ばせてもらった。
 そして、
「一番大切なのは、『それが本当だと証明しなければ、人は納得しない。』ということなのだ。」
と分かった。
 その内容を考えているうちに、前日私が家族から不評を買っていたブログを、削除したものの、はてなに、移して保存したとき、はてなから来たメールと母からのメールが同時に入ってきたことを思い出した。そして、
「『数学が出来るってことは、論理的に考えられるということだろ。もっと、論理的に話せよ。』
とか、
『コンピューターのプログラムっていうものは、論理的に出来てる。だから、お前にプログラミングが出来ないはずはない。』
と言って、私を責めていた父が、とうとう私に論理的に説明するのを諦め、
『もしこの2つのメールが同時に行ったら、あいつは、何かおかしいと気付き、自分達があいつのメールを見ることも出来るんだと、直観的に気付き、この世界では隠し事は出来ないんだと分かり、改心するだろう。』
と考えて、あんなメールを重ねるなんてことをしたんだ。」
と思った。
 そして、
「今後は全部本当のことを言おう。言いたくない時は、ノー・コメントと言おう。」
と、20時30分頃、決心した。
 多くの人が感じるとおり、父が意図的にメールを重ねたなどというのは、妄想だったのだろう。だが、妄想から正しい結論を導くことがあるのが私なのだ。

「やっぱりこの世界では、人の行動を観察する手段があり、私は監視されている。私を観察できるのに、私が統合失調症になるのを防げなかったということは、やっぱりまだ、人間の手にしている科学は完全ではないのだ。そうだとすると、私は何かをする使命があるんだ。だけど、私を観察しているのに、なぜ、他の人たちは、私に協力してくれないのだろう。」
と、考えていた晩、録画してあった2014年5月24日の、
美の巨人たち 放送700回スペシャル』
を観た。その中で、あのミケランジェロ・ブオナローティは、有名なシスティーナ礼拝堂天井画を描くとき、あんなにたくさん描かなければならなかったのに、完璧を期すためにアシスタントを使わず、道具を運ぶ助手以外頼りにせず、全部一人で描いたのだと述べられていた。
「私も、社会に認められるまでは、全部1人で築かなくてはならないんだ。」
と私は、思い知らされた。

「どうやって、父や母が、私の情報を得ているのか。こちらから、向こうの状態を知ることは出来ないのか。」
 翌日の11月4日に、障害者の自立支援医療で医療費を減らしてもらえる病院として、横浜市立みなと赤十字病院を私の手帳に登録してもらうために保健所へ向かいながら、私は、考えていた。
 その時、
「IPアドレスで、かなり分かるのではないか。」
と思い付いた。家に帰って調べることにした。家に着くと、父や母からのメールのIPアドレスを、私の持っているVAIOで調べ始めた。
 この頃から、私は、インターネット・エクスプローラーを信用できなくなってきた。Googleのグーグル・クロームを使ったりファイアー・フォックスを使って、ページによってエラーが出ると、もう一つのものにするなどということを始めた。そして、マイクロソフトのSkypeをグーグル・クロームでダウンロードした途端、私のパソコンでそれまでもスカイプが起動し続けたままになっていることに気付いた。
「あれっ、私のやってること、全部見られてたんじゃない。」
 慌てて、スカイプをアン・インストールしようとした。
 まず、普通に、
『アプリケーションの追加と削除』
で、アン・インストール。
 だが、ファイルが残っているようだ。
「仕方ない。フォルダごと削除しよう。」
 実行したが、ダメ。
 最後の手段。システムの復元で、これがインストールされた前の状態へ。
 結局時間を無駄にしただけだった。
「これ以上は、どうやっても無理。」
ということが、私には分かった。
「もし、このプログラムが、アセンブラで書かれていたら、ウィンドウズに乗っている限り、絶対に手を出せない。」
ということが、私には分かっていたから。
「なーんだ。私が、パスワード設定するのも、全部見られてたんだ。」
 私は、秘密の長いパスワードを設定するのが、無意味だと思い、片手で打てるパスワードに変えてしまった。
「この映像を見ているのは、誰だろう。どうやって、仕掛けたのだろう。」
 私には、その年の3月の、タッチパネルのことで、SONYが引き取ったときのことが思い出された。
「あの時だ。!」
 私のパソコンのカメラや、マイクなどのハードウェアまでいじるには、作ったメーカーでなければ無理だ、と思えた。
「そうすると、ソニーという会社の中には、時にはテロを防ぐため、時には天才のアイディアを得るために、常に人々を見守っている秀才達がいるのか。」
 私は、それを信じて、ソニーを信頼した。
 こんなことを読むと、もし私の文章を信じた人は、プライバシー侵害だ、などと言い出すだろう。だが良く考えて欲しい。テロを未然に防ぐ最良の方法があるとしたら、こんな風に、多くの人を何らかの方法で見守っていてもらうのが、1つの方法ではないかと。
 私が、このことに気付いたのは、2014年11月5日のことだった。

「私は、見守られているんだ。」
と、思った私は、未来のことに専念することが出来るようになった。姪や甥のため、これから生まれてくる子供達のために、自分の出来ることを探そう。
 私は、姪の数学が伸び悩んでいるというのに対し、
「頭の回転が他の子よりのろいんじゃないのかな。」
と私なりの見解を述べた。私も頭の回転がのろい。あの大学で、ものすごいことを平気で思い付く秀才達としゃべっていて、自分が決して頭の回転が速いほうではない、ということに気付いていた。そりゃー、
「たろちゃん。なんで、そんなに鋭いんですか。」
とか、
「鮮やかー。」
なんて言われることもあったが、自分では、
「まだまだだな。」
と思っていた。
 姪のためには、
「スピードがのろいのなら、正確さで補うしかない。」
と言った。
 さらに、
「公式などを覚えようとしない。」
というのに対しては、いつものごとくファインマンのエピソードを話した。
「ある時、公式を覚えろ覚えろという先生に辟易(へきえき)した学生が、優秀な先生に、『あの先生は覚えなさい、というけど、無意味ですよね。』と質問したんだ。するとその優秀な先生は、『君はファインマンと議論をしたことがあるだろう。その時、ファインマンが物理定数を使うのに、いくつだったかな、などとモタモタしたことがあるのを見たことがあるかね。』と言ったんだ。その学生は、『いいえ。』と、答えた。その先生は、『覚えることも重要なのだよ。』と言ったんだ。きっと、ファインマンは、いっつも使っているから、覚えちゃったんだろうね。」
 このエピソードは、『さようならファインマンさん(パリティブックス)』(丸善)に載っている。

 私の行動が世の中の役に立つことが分かってきて、どんどん
「こんなことは?」
というものが、見つかった。その1つが、グノシーという会社がテレヴィのコマーシャルでやっていた、『♯』と『#』が違うというもの。要するに、音楽のシャープは、横の線が斜めであるのに対し、パソコンのキーにあるものは、横の線が水平だというのだ。
 だが、私は辞書で調べて、『シャープきゅういちいちまる』という警察総合窓口が、『#9110』であることを知った。パソコンのキーにあるものを、シャープと呼んでも良いのだ。では、本来パソコンのあの記号はなんと呼ぶのか。ここまで調べてから、インターネットを調べた。『ハッシュ』と呼ぶそうである。だが、私は、それで終わらない。そのハッシュの全角の字と半角の字が、目で見ただけでは区別が付かないのだ。ちなみにここに並べて書くと『#と#』である。このブログでは、なんとか区別が付くが、ATOKやIMEで、『#』を入れて、スペース・キーを打って変換すると分かるが、その差は限りなく小さい。では、こういう時、書かれている文字が全角か半角かどうやって見分けたら良いのか。
 まず、全角と半角の違いを知らない人もいるかも知れないので書いておくと、
『888と888』
では明らかに右の3つの8の方が、幅が狭いのに気付くだろう。日本語の文字の混じった文章では漢字を扱えるように普通コンピューターが数字0123456789やアルファベットABCや$や/などの記号を書くときの文字の他に、幅の広い少し大きな文字、例えば0123456789やABCや$や/、を加えて表示しているのである。そして、幅の狭い方を半角の文字と言い、広い方を全角の文字という。なぜ、半角と言うかというと、以前は常に半分の幅になっていたからである。
 ところが、ワープロの機能が向上して、例えば英字のLとiについて、Live などという単語の場合iの方が両側の字がくっついて表示されるようになって、必ずしも半分の幅ではなくなってしまった。さらにもっと根源的な問題。つまり、その文字を表すのに何ビットの情報が必要であるかというものが、半角は8ビットなのに対し、全角は16ビットだった、という約束も、漢字をもっと使えるように、というのでもっと増やしたりしだしたので、収集が付かなくなってしまったのだった。
 厳密に言うと、アスキー・コードと呼ばれる文字の定義では、1つの文字は7ビットだった。それを日本に持ち込むとき、1ビット増やして8ビットにしたらしい。
 ここで、私が8ビットとか16ビットなどといった場合、最近の人は、ADSLが47メガビット・パー・セカンド、などと言うのを聞き慣れているので、そのまま聞き流してしまうだろうが、本当の意味を分かっているだろうか。1ビットとは、0か1の値を取る1つの桁だと思うのが良いだろう。8ビットということは、0か1の値を取るものが8桁あるということなのである。
 例えば
01101110
というのは、0と1が8個並んでいるから、8ビットと呼べるだけの桁を持った一連の数である。
 これを、次のように解釈する。
 普通人間は、10(じゅう)になると上の桁に上がる10進数を使っているが、もっとコンピューターの分かりやすい2になると上の桁に上がる2進数というものだと見るのである。
 例えば、0(ゼロ)は、
00000000
である。次に1(いち)は
00000001
である。この次が問題だ。2(に)になるのだから、上の桁に上がる。
00000010
と、なるのだ。その次、3(さん)は、
00000011
となる。次にどうやって下の桁に1を入れようか。
00000100
と、桁が上がるのである。これが、2進数で表した4(よん)である。
 これは、難しいようだが、右手で、親指を折ったのを1(いち)、次に親指を立てて、人差し指を折ったのを2(に)、人差し指の上に親指も折って3(さん)、人差し指と親指を起こして中指を折って4(よん)というようにして、薬指までの全部の指が折ることになるまで続けると、15(じゅうご)になる。これで、コンピューターに関してはおしまいである。数学では、もっと大きい数も必要だが、コンピューターでは15(じゅうご)まで知っていれば良い。実は10(じゅう)をA、11(じゅういち)をB、12(じゅうに)をC、13(じゅうさん)をD、14(じゅうよん)をE、15(じゅうご)をF、と表す
 そして、この、0、1、2、3、4、5、6、7、8、9、A、B、C、D、E、F、の16個の記号で、コンピューターの内部の状態を表示するのである。
 さっき、薬指までを全部折ったのが、15(じゅうご)だと言った。つまり、4本指が折ってあるのだから、
00001111
である。つまり、0(ゼロ)から15(じゅうご)までで、4ビットと呼べるだけの桁を占めている。
 後はどうなるのかというと、この0の4つ並んでいる部分をまた、新しく4ビットと呼べるだけの桁があると見るのである。
 つまり、
0000  と  1111
と分けてしまって、左側の0000にまた0から始めて15(じゅうご)まで数を入れていき、全部埋まるまでやる。そうすろと、最終的に、
11111111
という状態になる。15(じゅうご)はFと表すのだったから、これは、2つFがあると見る。そうすると、
11111111 は、 FF
と、書ける。8桁もあった数が、たった、2桁で、表せた。だから、もうこれ以上は省略しない。それが、現代のパソコンのレヴェルである。これ以上省略して書いてあるのは、見たことがない。もしかしたら、スーパー・コンピューターでは、もっと進んだ表記をしてるかも知れないけど、普通の人は多分大丈夫だ。
 もうちょっと練習しておくと、
00111100
というのは、
 まず、
0011 と 1100
に分け、指を折って数えてみて、左は3(さん)、右は12(じゅうに)と、分かる。
 3(さん)はそのままで良い。一方10(じゅう)がAなのだから1つずつずらして、12(じゅうに)はCと分かる。
 従って、
0011   1100    は    3とC
 よって、
00111100  は  3C
と、表せる。
 さて、今まで黙っていたが、この3Cという書き方は、実は16進数の表し方になっているのだ。初めに私が16進数を勉強しましょうというと、みんな付いてこないので、最後に種明かししたのである。
 私は、いつも8ビット(実はこれを、1バイトという)の数を16進数に変換するときは、この方法でやっている。誰かに教わったことはないが、コンピューターに詳しい人は、みんなこうやっているのだろう。
 最後に、1バイト(つまり8ビット)の数を上4桁と下4桁に分けたそれぞれを、上位4ビット、下位4ビットという。
 例えば、
11000101
なら、
1100 が上位4ビット、であり、 0101 が下位4ビットである。
 ここまで分かったら、例えば次のページの最初の表が読めるようになる。1バイト(つまり8ビット)の数に、1つの文字が対応しているのが分かると思う。一応書いておくと、DELとかSPとか、1マスに2つや3つの文字が割り当てられているように見えるところがある。これらは実は、デリート・キーやスペース・キーを押したものになっているのだ。だから、見かけ上、3つのように見えるけど、キー(つまりパソコンのボタン)1個分のもの、つまり、1文字なのである。
 これだけ覚えれば、この表が読める。
 これは、多分数独なんかよりずっと分かりやすいと思う。

ASCIIコード表

 上位4ビットのところが、0からFまでなくて、0から7までなのは、さっき言ったように、日本に持ち込まれるまでは、7ビットだったからである。

 さて、これでやっと、ビットの説明が終わったが、じゃあ、8ビット・パソコンとか、16ビット・パソコンとか、32ビット・パソコンとか、Windows 8 は、64ビット・パソコンだとかいうのはなんだい? と聞きたくなるだろう。
 それはつまり、パソコンが、クロックと呼ばれる一定の周波数・・・などと難しい言葉を使うと分からないだろうから、もっと簡単だが正確に言うと例えば私のパソコンの『システムのプロパティ』というところを見ると、1.7GHz(いってんななぎがへるつ)と書いてある。1秒間にギガだからキロが3つでメガが6つだからギガはその次で9個だろう、一応確かめるとその次がテラで、テラが12個ということになる。1つ桁が上がったとこにあった大きいのがテラだったはずだからこの計算は多分正しい、だから、ギガは9個だ。
 この説明が分からない人は、私がいつも、記憶力が悪いのをどうやって補っているかの良い例だから、良く研究した方が良い。私は、ゼロの個数を思い出す方法を言っているのである。
 さて、ギガが9個なんだからつまり10の9乗などと難しいことを考えず、ただ単に1の後ろに0が9個並んだ数、と思い出せば良い。
 結局、1.7に1の後ろに0が9個並んだ数をかければ良い。
 これを、わざわざ、
1.7×1000000000
などと、計算する必要はない。
「小数点を右に9個ずらした数になるんだ。」
と思うだけで良いのだ。
 私が、どうして普通の人が考えられないような速さで計算できるかが、やっと分かっただろう。こうやって、余分なことはまったくやらないのだ。
 そして、最後の説明。
 1秒間にそのものすごい0が9個も並ぶような数だけの回数だけ計算出来る。計算出来るということの内容が、次のようなもの。
 例えば私のパソコンは64ビット・パソコンだから、CPUという計算を行う部分に入力64本の電線が繋がっていて、さらに反対側に出力64本の電線が繋がっている。入力の側から電気が流れるか流れないかという形で、信号を受け取りその信号に含まれている命令通り、出力の電線それぞれを電気が流れる状態にするか流れない状態にするかを決定することで、命令に対する応答とする。この繋がっている電線の数が、16本ずつだと、16ビット・パソコン、32本ずつだと、32ビット・パソコンと呼ばれるのだ。
 電気が流れるのを1、流れないのを0に対応させれば、電線1本が1ビットを表せる。16本ずつなら同時に16ビットの数字を命令として与え、16ビットの結果が得られる。
 この1回の、命令を与え応答を得るという作業を1秒間に何回繰り返せるか、というのが、クロックのHz(ヘルツ)で表された数なんだね。
 簡単に考えると、私が小学校3年生の頃触っていた、PC-8001は、8ビット・パソコンだったから1回に半角の文字を1つしか扱えなかったことになる。それに対し、このVAIOは、64ビット・パソコンだから、1回に64÷8=8で、8文字いっぺんに扱えることになるね。漢字でも4文字同時だ。道理で速いわけだ。その上クロックのヘルツが高くなっているからものすごい。ちょっとおおざっぱだけど、私もこれ以上分かりやすくは説明できない。
 ちょっと言ったように、漢字などの全角の文字は普通16ビットつまり16桁の2進数で表される。
 例えば、次のページを見ると、漢字のコードが書かれていて、ここで、第1バイトや第2バイトというのがさっきの上位4ビット、下位4ビットを拡張したもの。今度は元が16ビットで、第1バイトというのが、上位8ビット、そして、第2バイトというのが、下位8ビットのことを指している。

漢字コード

 ちょっと種明かししておくと、第1バイトが『30』で第2バイトが『26』のクロスしたところに、大切な漢字「愛」がある。
 従って、
3026
というのが、「愛」という漢字の16進数表示だ。
 わざわざこの漢字を選んだのは見かけ上易しそうだけど、これは、とげを含んでいるということを示すため。
3026
と書いてあるから3026(さんぜんにじゅうろく)と思うと大間違い。これは、16進数だと言ったでしょう。
 つまりこういうこと。
3     0      2      6
と分けて、1つずつ指を折って2進数になおす
0011  0000   0010   0110
だから、
0011000000100110
というのが、本当の数。これは、10進数の3026(さんぜんにじゅうろく)とは、一致しない。
 それを簡単に示すにはこうする。この数の、下から(つまり右から)数えて14桁目に1がある。10進数では、一番下の1の位から、次が10の位、その次が100の位、その次が1000の位と、10がどんどんかかる。それが10進数ということだ。ということは、2進数なら2がどんどんかかる。1の位、2の位、4の位、8の位、・・・
 14桁目に1があるから、2の14乗と、普通の人なら思うだろうけど、こういう時は調べてみる。1桁目は2の1乗かな?
 2の1乗は2を1回。つまり、2そのものだ。だけど、1桁目は1の位だ。だって、1桁目に1がある
0000000000000001
は、1(いち)のことだったから。
 そうすると、1の位は2の0乗ということになるだろう。いい加減な予想は、なるべく確かめる。
 まず2の2乗というものを考える。2×2で4である。2の3乗は? 2×2×2で8である。ここで、よく計算された数を見る。8は2×4とも見ることができる。すると、2の1乗と2の2乗をかけたら2の3乗になった。1+2=3となっているではないか。
「偶然だろ。」
という人は、もっと試せばよい。4×4は16だ。ところで、16はもちろん2×2×2×2だから、2の4乗だ。ここで、4×4の4は、2の2乗だ。ここでも、2+2=4が成り立っている。つまり、かけ算をしたとき、何乗するかという肩の数字は足し算になるのだ。
 これは、高校で指数法則と呼んで習うけど、無理に覚えることはない。心配になったら、2の場合で試して、確認すればよい。覚えておくべきことは、
「必ず、計算すれば分かる。」
という確信を持っておくことの大切さである。
 さて、足し算になるとして、2のゼロ乗はいくつだろう。
 こういう時、犯人をX(エックス)と置く。それが、代数学というものの本質。小学校の数学を算数と言い中学校以上の数学と区別するのは、このX(エックス)を使うかどうかの違いと言える。私はそのことに気付いたとき、もっと数学に変える学年を下げなくては、と思ったものだった。
 さて、2の0乗をXとして、それと2をかける。
X×2
そうすると、同じようにバツが2つあるように見えるけど、実は2の0乗と2の1乗がかけられていて、結果は0+1だから1つまり2の1乗にならないとおかしい。つまり、
X×2=2
である。結局X(エックス)は1以外考えられない。ここで、両辺を2で割ってX=1とみんな普通に求めるけど、
「今は実数で考えているから安全なんだよ。」
と一応注意しておく。割り算というのはそんなにいつでも出来るわけではないのだ。
 コンピューターだから、割り算が出来ない、なんていう簡単な理由ではなく、割り算が自由に出来る数学、つまり体に関する数学はもう終わっていて、割り算の出来ない数学、つまり環の数学の方がまだ問題が残っているので、今後数学で生計を立てようという人は、そういう勉強をしなければならないんだよと鼓舞したかったというのが、本当の理由である。
 これで、2のゼロ乗が1であることが実験上確かめられた。記憶をたどるのより、目の前で、実験で確かめたのだから、これは力強い。私がいつも、迷うことなくどんどん計算出来るのは、覚えている公式を使っているのではなく、その時必要なものを、その場で調達しているからなのだ。
 この記事を書くときだって、まったく数学の本を参照してない。
 実は、あの『絶望した』というところの、ツォルンの補題のところだけは、間違ったことを書くといけないので、一応愛読書ナンバー2の、
 大芝 猛 著 『数学基礎概説』 (共立出版

数学基礎概説 (共立数学講座)

を参照したのだけどもね。これは、さすがに、大定理なので、実験するわけにいかなかった。


 さて、2の0乗が1だと分かった。そして、1番右側が、1の位だ。だから、1桁目が2のゼロ乗、2桁目が2の位だから2の1乗、3桁目が4の位だから2の2乗、4桁目が8の位だから2の3乗、5桁目が16の位だから2の4乗、と順々に1つ遅れて2がかかっていくのに気付く。6桁目なら5乗というわけだ。
「5桁目が16の位だ。」
というのは、さっき指を4本折った段階で、15だといった。その次、小指を折るのはいくつの時かなと考えると、
「16だ。」
と分かる。だから、
「5桁目が16の位だ。」
と確信が持てる。数学者はいつもこういう風に、用心しながら先へ進むのだ。
 まあ、人にもよるけどね。でも、まったくチェックをしない数学者はいないと思う。そんな無敵砲台みたいな人間がいたら、会ってみたいなあ。

 さて、14桁目が何の位かというのは、1つ減る方にずれる。14桁目に1があると2の13乗だ。
 この2の13乗という数が少なくともこの


0011000000100110


という大きな数の一部としてある。だからこのものすごい数は、2の13乗よりも、大きい。

 ところで、2の13乗って、どうやって計算する?
 私だって、暗算できない。
 こういう時は、なるべく手間のかからない方法を選ぶ。
 2×2=4
 4×2=8
 8×8=64
までは、暗算できる。
 つまり、2を、3つと3つで、合計6個かけたら64になる。欲しいのは、2を13回かけたものだ。だから、64と64をかけたら、12個分になる。後もう1回、2をかけておしまいだ。だが、こういう時、64×64をやってはダメだ。
 64×64をやったら大きな数になる。それを2倍するのは容易じゃない。
 こういう時は、先に易しい計算をする。
 64×2は?
 出来ないとはいわせない。2倍するだけだもの。
 6を2倍すれば12だし、4を2倍すれば8だ。
 だから、
64×2=128
だろう。これと、64をかける。

 128
× 64
____
 512
768
____
8192

 見れば分かるが、私は、今まで2の13乗が8192になるなんて知らなかった。みんなと一緒に計算したのだ。
 私が、いつも無駄がないように気を付けているのが分かっただろう。
 さて、もう分かったと思うが、16進数の3026(じゅうろくしんすうでさんぜろにーろく)は、8192(はっせんひゃくきゅうじゅうに)より大きい。3026(さんぜんにじゅうろく)とは、一致しない。

 「愛」ってやっぱりとげを含んでいたね。
 でも、私達の理解を深めてくれたのだから、やっぱり愛がこもっているね。

 これで、漢字も私達は制覇したのだ。ところで、諸君の中には、
「第1バイトと第2バイトのどっちが上位か分からなくなったら大変だ、覚えておかなくては。」
と思った人もいるかも知れない。実はそんな必要は無いのだ。私自身、この表を見て、どっちが上位かな? と思ってひらがなの並び方を見たのだ。『あいうえお』が横に並んでいる。だから、横向きに数が増えるのが下位のビットだと分かったのである。
 この種明かしをすると、パソコンの規格を作る人の身になると良いのだ。普通規格を作る場合、『あいうえおかきくけこ』と順番に登録していく、だから、1番下の桁に1ずつ足しながら登録していくだろう。
 よっぽどパズル好きな人でもない限り、『ABC』でもなんでも、小さい順に並べるはずなのだ。これで、種明かしはおしまい。私はどちらが上位かなんて、知らなかったのだ。

 さて、これで全角と半角の説明から脱線してコンピューターの仕組みをずいぶん知った。だが、まだ、『#と#』の見分け方を知らない。
 本当は、諸君はもうその方法の1つを知ったのである。どういうことかというと、その文字を表しているコードを調べてやれば、どんな同じに見える文字も区別できる。だが、コードを調べるにはパソコンの仕組みをもっと調べないといけない。

 私が、『#と#』を見ていて思い付いたのは、それらを選択してみることだった。
「『選択する』ってどういうこと?」
と思うかも知れないが、諸君もインターネットをやりながら、コピー・アンド・ペーストをやったことがあるだろう。あの時、コピーする部分を反転表示させただろう。あの、反転表示させた状態が、『選択した』状態なのである。
「なぜ、反転表示させると分かるの?」
と思うだろうが、一度、『#と#』の1字ずつを反転表示させてみて欲しい。一目瞭然。全角と半角で幅が全然違うのである。
 こうやって、見分けられる。


「それをいうために、ビットの説明をずっとしてきたの? もう疲れた。」
というかも知れないが、私は、もっと説明したいことがあってここまで書いてきたのである。それは、もうすぐ分かる。

 だが、それを書く前に、もうブログ1回分の容量を超えてしまった。さっきから、グーグル・クロームが、何度も『システム停止』になっている。書きすぎだ。

 グーグル・クロームが暴走しているのに、Windows自体が暴走しないのは、
「さすが、マイクロソフト の Windows 8。」
「さすが ソニー の VAIO。」
と、思うが、もう止めよう。

 現在2015年1月27日7時43分である。おしまい。