相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

一瞬立体的に見えた

 現在2015年2月5日18時54分である。

 今日は、朝、雪が降っているくらい寒く、雨がやまなかったが、私は、以前からの計画を実行した。
 『計画』とは、「なぜすばる望遠鏡を作らなければならなかったか」という投稿でちょっと触れた、ポール・シニャックの絵を見に行ったのだ。

f:id:PASTORALE:20150214225957j:plain

 最近はいつもそうなのだが、今日も、5時3分には目が覚めた。だが、まだ早すぎる。それに、昨日の天気予報で、関東各地でも積雪で交通が乱れる、と言っていた。少し様子を見ようと思った。

 パソコンを立ち上げ、pocket Wi-Fi を使って、インターネットにつなぐ。
 時間があるので、久しぶりに弟のブログを見に行く。
 弟は、昨年の大晦日に山登りに行って、ゴールデンウィーク以来だったので、体がなまっていて、ひどいめに遭った、と書いていた。
 さらに、仕事で使うために、3Dプリンターを見に行ったという話の最後に、3DCADの勉強をしている、と書いていた。
 あいつは、プログラムの概念がほとんど分かってないけど、ホームページを作るソフトなどを渡してやると、すごいものを作るから、難しいところは、橋渡ししてやろう、と思って、
「ここに、CAD利用技術者補の資格を持った人間がいるぞ。」
と、コメントしてやった。


 さて、そんなことをやっているうちに、お昼になった。雪は積もらず、雨になっている。
「これなら、行ける。」
 昼食を食べた後、私は、242円とSuicaに入っているお金だけ持って、上野に向かった。
 東京都美術館
『新印象派展』
であるから、障害者手帳を持っていれば、フリー・パスである。
 だから、交通費だけ持っていれば良いのである。

 目標は、ただ1枚。シニャックの、
『髪を結う女』
である。
 なぜこの絵なのかというと、前にも書いたが、同じ新印象派のスーラが死んだ時、スーラの絵を見ていたシニャックが、
「あっ、スーラの絵の鮮やかさがあせてきている。」
と気付き、ちょうどその時、発掘された、エジプトのミイラの棺桶(かんおけ)の上のカラーの肖像画が、2000年も経っているのに鮮やかな発色をしているというので、その技法を取り入れて、この絵を描いたからなのだ。

 その技法とは、エンコースティック(encaustic)。つまり、ミツバチの巣から採った、蜜蝋(みつろう)という、固体の時は黄色や褐色だが溶かすと透明になるパルミチン酸ミリシルを主成分とする物質を、溶媒の一部として絵の具を溶かして絵を描くという、当時としては画期的な技法なのである。『蜜』とはいうが、果糖やブドウ糖を主成分とする、蜂蜜(はちみつ)とは、蜜蝋は、異なる。だから、蜜蝋画に、ゴキブリが来ることはないので、大丈夫。

 しかし、蜜蝋の融点は61~65°C であるため、溶かしてもすぐ固まってしまう。絵の具をそのまま混ぜず、キャンバスの上で、それぞれの色の点を密集させて描くことで、テレヴィの画面のように色々な色を実現させる印象派の点描画には向かない。
 筆を動かして、どんどん塗っていく普通の画法と違い、点描画は、チョンチョンと点を打っていくために、同じ面積を描くのにかかる時間が、何倍にもなる。当然、絵の具を溶かした蜜蝋が、冷えてパレットで固まってしまうのだ。
 だから、シニャックも、この絵は実験であり、生涯に、エンコースティックの絵は、他に描かなかったと、2014年11月8日の『美の巨人たち』で言っていた。この時の『美の巨人たち』では、その『実験』という肝腎の字が出てくる場面で、ブラームス交響曲第1番の第4楽章という名曲がかかっていて、雰囲気が盛り上がっていた。
 そして、生涯に1回の上に、この絵は、未来の妻への求婚の絵であり、大切な永遠の愛を描いた絵であるために、画家の家族の門外不出の絵だったという。
 日本では、まず大阪で展示され、今回2015年1月24日から、3月29日まで、東京で展示されるというのである。

 実は、この、
『新印象派展』
有名な、ジョルジュ・ピエール・スーラの、
グランド・ジャット島の日曜日の午後
が、来ていないのだ。模写が置いてあるだけである。
 だから、この展覧会は、
『髪を結う女』
のために開かれているようなものなのである。

 上野に着いた私は、電車賃が464円だったことを確認した後、美術館に向かった。
 雨の日だったのは、幸運だった。観覧客が余りいなかったのである。傘を預けた後、会場に入った。
 私の好きな、クロード・モネの絵も少しあったが、肝腎の絵、

『日傘を差す女』

日傘を差す女


がなかったので、私はその辺りは、すっ飛ばしたのだ。


 ただ、スーラとシニャックのパレットは、丁寧に見た。
 スーラの、
『アニエールの水浴』
を見て、
「光、影、色彩。この絵は完全な調和をもたらしている!」
と、感嘆したシニャックが、スーラのアトリエへ行き、
印象派のパレットには茶色や土色のような混ざった色はない」
と、アドヴァイスした、ということも、『美の巨人たち』で言っていたからだ。
 普通の人は、ここで私が、日本語を間違えていると、思うだろう。だが間違いではないのだ。
 シニャックが、スーラに、アドヴァイスしたのだ。天才とは、そういう人達のことをいう言葉なのだ。

 実際に見てみて、本当に、2人のパレットでは、色を混ぜている様子はなかった。
 絵の具を、そのまま使っているのが、私にも分かった。

 さて、1時間くらい歩いて、とうとうお目当ての絵を目にした。

 最初の印象は、
『ちょっと、がっかり。』
というものだった。
 なぜそんなことになったかというと、現代の絵画の修復技術は素晴らしいために、蜜蝋で描いた絵でなくても、十分描かれた時代の発色をしているからなのだ。
「この絵、普通だなあ。」
と、私は思った。周りにある他の絵と比べても、この絵だけ特別とは思えなかった。
 だが、私は、第一印象だけで判断しない人間なのだ。
 20分くらい待って、絵の前に誰もいなくなったのを確かめてから、絵の真ん前まで行き、20cm位の距離から、じっと見つめたのである。


 何が起こったか。


 私は、右目の視力が0.2、左目の視力が0.06くらいであるため、そのガチャ目のために、大抵のパズルみたいな立体画が、立体に見えないのである。
 ところが、この、
『髪を結う女』
を見つめていた時、一瞬、コルセットが浮き上がってきて、彼女の体がふくらみのある、立体的な体に見えたのである。


「あっ、見えた。」


 その瞬間、28歳のシニャックが、蜜蝋によって鮮やかなまま永遠に残そうとした、本当に愛していた対象を、まさに今、私は見たのだ、ということを知ったのだった。


 あとは、ざっと見て、最後に、絵葉書を、1枚110円で売っていたので、有り金はたいて、2枚買ってきた。1枚は、絵を描く母に、送るつもりである。

 その絵を、最後にもう一度お目にかけよう。

髪を結う女

 これ以上書くと、書きすぎになるので、今日はここまで。

 現在2015年2月5日20時55分である。おしまい。