相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

エイブラハム&マールスデン&ラティウに到達している

 現在2015年3月30日23時14分である。

 私の、9年前の予想は、良い方向に、裏切られた。
 今から、9年前の2006年の4月、そして5月に、私は既に、ランダウの本を読もうとしかけていた。その時の、私の言葉が、次の2つの投稿にある。


世界標準を目指す覚悟


世界標準を目指す覚悟 その2


 その時、私は、

「恐らく今から10年たっても、この本はまだ読めていないだろう。」

と、書いている。

『この本』

とは、次の本である。

エイブラハム&マールスデン&ラティウ著『力学の基礎』

 私の持っているのは、こちらのバージョンだが、中身は同じである。

 私は、愛読書ナンバー1として、『ホーキング&エリス』を挙げているが、私の物理学を救ったからだ。


 私は、愛読書ナンバー2の『数学基礎概説』のレヴューで、「この本で私は、人生を救われました。」と、書いている。

 ある意味、私が、今、生きていられるのは、『数学基礎概説』のお陰である。

 この本に出会っていなかったら、私は、自分の数学を危機から救い出すことが出来ず、生きていく力が尽きていたと、今でも思う。この本に出会ったお陰で、私は、数学が、きちんと0から築き上げられるものだと実感でき、数学に絶対の信頼をおけるようになった。

 だから、この本が、愛読書ナンバー2なのだ。

 なぜ、ナンバー2であって、ナンバー1でないのか?

 それは、私の人生の目標に関係している。

 私は、小学校2年生の時、父に相対性理論の本を読んでもらい、「こんなものは、間違いだ。僕が将来、正しい理論を作ってやろう。」と、志して以来、「大学へ行ったら、一般相対性理論を勉強しよう。」と思い続けてきた。それは、大学に入ってからも、変わらなかった。以前は小学校1年生の時と言っていたのだが、本の刊行日から2年生の可能性が高くなった。ここで、訂正する。

 いずれにせよ、私の人生は、相対性理論へのアタックを、目標の1つにしていた。

 私は、大学入学以来、努力した。だが、当時の日本語の一般相対性理論の本をほとんどすべて開いたが、私には、理解できなかった。

 もう、人生の目標を達成することが、不可能だと思えて、小さい頃からの夢だった、物理学者になる、ということがついえようとしていた。

 その時、私に一般相対性理論を理解させたのが、『ホーキング&エリス』なのだ。

 厳密に言うと、計量テンソルは、『多様体の基礎』で、理解していた。



 私を救ったというのは、既に『多様体論』で知っていた、『接続』という概念を、私にとっては初めて、物理学の本の中で、実際に使っていたのが、『ホーキング&エリス』だった、ということを指すのだ。




 さらに精密に言うと、アフィン接続の、コーディネート・フリーな定義を書いてあった、最初の本だったのだ。

 現在では、物理学の本でも、そういうことが書いてある本が増えたが、1992年の当時は、珍しかった。

 結局、『数学基礎概説』によって、人生を救われ、『ホーキング&エリス』によって、人生の目標を取り戻したのだ。

 生きていられるようにしてくれた本と、生きる目的を取り戻してくれた本と、どちらも大切だが、私は、数学が恋人、物理学が正妻と言っているように、物理学で食べていくつもりなのだ。だから、やっぱり、『ホーキング&エリス』が、ナンバー1になる。


 さて、最初の本に、話を戻すが、1992年11月2日に、衝動買いのようにして『ホーキング&エリス』を買った私は、1992年の暮れ、友人達と行っていた、一般相対性理論のゼミで、微分幾何の講義をして、等価原理の数学的表現まで、皆に話した。

 この段階で、私は、接続を『ホーキング&エリス』に書いてある以上には、上手く説明できなかった。私は、このように、接続を理解したのであり、これ以外に説明のしようがなかった。

 だが、友達のほとんどは、非常に理解に苦しんだ。

 私が、初めに内山龍雄の『一般相対性理論』で、粗っぽい接続の扱い方を見て、その後『ホーキング&エリス』で、エレガントな接続の扱い方を見たのと異なり、最初からエレガントな方を見てしまったので、すぐには、取っ付けなかったのだ。



 友達の諸君には、申し訳なかったと思っている。

 その気持ちのために、私は、さらに微分幾何の勉強を続け、

大森英樹『力学的な微分幾何』(日本評論社

という本に出会った。この本には、リーマン達が歩んだように、後にレヴィ・チヴィタ接続と呼ばれることになる、ユークリッド空間内の内積から導かれる平行移動から得られる接続を、易しく説明してあった。この説明を皆の前でした時、「最初から、それをやってくれれば良かったのに。」と言われたが、「僕は、こういう理解をしなかったんだよ。」としか答えられなかった。

 そして、この本の参考文献には、まだ、この本が書かれた当時、出版されたばかりだった、最初に挙げたエイブラハム&マールスデン&ラティウの『力学の基礎』が素晴らしい、と書いてあったのだ。ラティウは、表紙には名前がないが、著者の一人であることは、奥付を見れば分かる。

 私は、2回生なので、まだ入ってはいけなかった、物理学科の図書室で、その『力学の基礎』の第1版を見た。証明はほとんどされていないが、きちんと微分幾何を使って書かれている。

「素晴らしい。」

と思った。だが、それで終わりではなかった。『力学的な微分幾何』には、第2版が出ていると書いてあった。私は、その図書室の4階に上がり、遂にその本を見つけた。

 その時には、もう、1985年のアップデートが行われていた。

 見ていて、手が震えるほど、感動した。

 正直言って、『読める。』という段階に達していなかった。ただ、『眺めて』いた。

 それでも、その日のうちに、書籍部へ行って、アメリカへ注文した。


 その図書室は、色々な思い出がある。そもそも、京都大学というところは、本当に自由なので、1回生や2回生などの教養部の学生にも、ちゃんと教養部の図書館と附属図書館という2つの図書館があてがわれているので、物理学科の学部の図書館は、教養部の学生は使ってはいけないことになっているが、私が入っても、怒られたりしなかったのである。

 それをいいことに、2回生の時は、有名なホーキングのブラックホールのホーキング効果を計算した論文を探しに行き、雑誌のその部分だけ、灰色になっているのを見つけ出し、コピーするわけにいかなかったので、ルーズリーフに、書き写した。

 3回生になった時、新入生の中に、一般相対性理論を理解している学生を見つけ、その人にとっては入ってはいけなかったが、「大丈夫だから。」といって、図書室へ連れて行き、『グラビテーション』と、『力学の基礎』と、萩原雄祐『天体力学』(もちろん洋書の方)、を見せて、「読みたくなったらここへ来るといいよ。」と言った。

 だが、本人は、それらの本のレヴェルの高さに、圧倒されてしまったようだ。

 その人は、結局、物理学の研究者には、ならなかった。

 だが、その人は、優秀な人だった。今でも覚えているのだが、4回生の時、私の症状が大分悪化してきた頃会ったとき、

「これ、どうやって計算するんですか、実際にやってもらえませんか。?」

と言って、量子力学の、ブラとケットを組み合わせたものを書いた。

 私はすぐ、私を試そうというのだな、と分かった。

 なぜかというと、その人は、そんな低レヴェルの質問をするような人ではなかったからだ。

 易しいことだったが、私には、計算出来なかった。

 私は、シュレディンガー方程式というものを一度も解いたことが、なかったからだ。

 いや、今でも、まだ、シュレディンガー方程式というものを解いたことはない。

 実は、これは、自慢なのだ。

 私は、そんなに、量子力学の計算をしていないのに、放送大学で、量子力学の授業は、100点満点だった。

 一般の大学の理学部などの学生と、京都大学の理学部のトップグループの学生では、これ程までに差があるのだ。

 一般の大学の学生が、やっと解くような問題を、京都大学の理学部のトップグループの学生は、計算練習のようにして解いてしまう。

 頭の働き方が、全然違う。

 やっぱり、それくらいまで、訓練しなければ、ノーベル賞を取らせる、なんてことは、できない。

 物理学を本気でやろうという人は、家が貧しいなら、奨学金をもらうなど、どんな方法を使っても良い、またもし家が裕福なら、私のように浪人させてもらっても良いから、京都大学東京大学へ来い。周りの友達も、先生も、全然違うから。

 待っているよ。

 さて、その量子力学の問題に私は、当たり前の積分を書き、

「良く知らないけど、こうやるんじゃない。」

と、答えた。

 その人は、

「・・・あっ、分かりました。」

と言って去って行った。

 私は、いつか、あの計算が完璧にできるようになった時、また、あの人に会いたいものだ、と思ったのだった。その時は、まだ、来ていない。


 『力学の基礎』は、それを行うために、私にとっては通過しなければならない本である。

 普通の人にとって、量子力学を理解するのに、ファイバーバンドルの知識なんて、必要ない。

 だから、普通の人が、私を見て、あの人どうして量子力学が、分からないのだろう、と思う気持ちは分かる。

 だが、私は、量子力学に革命をもたらそうと思っている人間なのだ。そう簡単に、量子力学を分かるわけにはいかない。




 確か2月頃に注文した『力学の基礎』は、日本に在庫があったのか、1993年3月4日に到着した。

 読めないけど、私にとって、物理学を数学的に理解する上で、この本は大切だった。

 友達の中で、物理の才能のある人には、どんどん紹介した。

 1人、物理のかなりできる人が、

アブラハム、僕も買ったよ。」

と言ったので、

「あの本はいいよ。ただ、志賀浩二の『多様体論』を読み終えるくらいの微分幾何の知識がないと、読めないよ。」

と話したら、

「えー、そんなに難しい本なの、読めないよ。」

と、言われてしまった。

 私自身、なんとかして読もうと、必死で努力していた。



 あれから、21年経つ。なぜ、まだ読んでいないのか。

 実は、私には、苦い経験があるのだ。

 1993年度末、私の成績が悪いのを知った父母は、

「ちゃんと、勉強しろ。」

と、言い出した。私だって、卒業できないのは嫌だ。だから、単位は取るつもりだった。

 だが、なんとしても、物理学で成果を上げて、大学院に合格できるだけのものを持たなければならない。

 そのため、私は、3回生の終わり頃、『力学の基礎』を読み始めたのだ。

 そんなある日、父が電話してきて、

「どうして、単位がそんなに足りないんだ。」

と、言い出した。

 京都大学というところは、卒業できないということは、まずない大学だから、大丈夫だ、ということの分かっていた私は、余りにしつこいので、電話を切った。

 そうしたら、

「自分で払え。」

と言って、学費の振り込み用紙を送ってきた。

 私は、そんなもの放っておいて、『力学の基礎』をどんどん読み進めた。第2章の第4節の115ページまで読んだことが、分かる。

 その日、母が電話してきて、

「振り込み用紙は、どうしたの。?」

と聞いた。

 もちろん私は、振り込み用紙がどこにあるか、分かっていたが、腹が立つので、

「えっと、どこやったかなあ。」

と答えた。

 それに対し母は、

「あんな大切なもの、どっかやっちゃった、なんて、おまえ、これからどうするつもりなの。」

と言って、広島から京都なのに、2時間もずっとしゃべり続けてしまった。

 この2時間が、過ぎた後、私の頭は朦朧として、それまで、115ページ読んで築き上げたものが、全部ガラガラと、音を立てて崩れてしまった。

 私自身は、母が悪かったのではないことが、分かっていた。

 私が、数学的に完璧に読んで行っていなかったから、崩れてしまったのだ、というのは、火を見るより明らかだった。

 それ以来、私は、この本を参照することはあっても、読まなかったのだ。


 そして、今年の2月1日から、ランダウをまた読み始めた。そして、一昨日(2015年3月29)日の夜、はっと気付いたのだ。

 今なら、『力学の基礎』が読める。

 私は、大切な本なので、3月18日にいずみ野へ本を取りに行ったとき、ちゃんと、持ってきてあった。

 本を開いて、すぐ分かった。

「読める。」

 そして、もっと驚いたのは、

ランダウが、時代遅れになっている。」

ということだった。

 以前は、微分形式を使っていることだけが、新しいことだな、と思っていたのが、無限次元のことがいっぱい書いてある、と気付かされたのだ。

 そうなのだ。場の量子論をやるためには、自由度が有限では駄目なのだ。

 有限次元の解析力学なんて、おもちゃのように扱えなくては、ならないのだ。

 昨日は、ほぼ1日かかって、ランダウの『力学』と、エイブラハム&マールスデン&ラティウの『力学の基礎』の違いをあぶり出すのに費やされた。

 とうとう、私は、ランダウの『力学』を書き換えられるところまで来た。

 今まで、努力してきて、良かった。

 今までの、21年間の努力の上に、今日の成果がある。

 私がもし、将来、天才だったと言われるほどになったとするなら、それは、私の才能は必ず花開くと信じて、努力し続けたからなのだ。

 どんな天才だって、周りの人が感じる何倍も努力している。

 私が、親友が言ったように、中学の時から神童だった、とか、小学校1年生の時、転校した先の学校で、漢字の書き取りで、クラスでただ一人、1問も間違えなかった、というほど、工夫すれば素晴らしい記憶力を発揮するとか、幼稚園に入る前から、女の人を好きになるほど、早熟だった、などのことはあったが、周りの人は、私が、京都から帰ってきた段階で、私に期待しなくなっていた。

 父母も、私に技術者になってくれ、と言った。


 ただ一人、私だけが、物理学者になるんだ、と言い続けたのだ。


 なぜ、そこまで、自分の才能を信じられたのか。


 理由があった。


 私の統合失調症の妄想が、ものすごい妄想を作ったのだ。


 どういうものだったか、公開しよう。


 私は、英語の辞書で the facts of life という成句を引いたことがあった。今でも辞書を引くと、「(親が子に話す)人生の現実」と、訳が書いてあって、「性の営み・出産など」と、注釈が付いている。

 これを、私がどう取ったか。

 今回、横浜市立みなと赤十字病院に入院したときは、ヘアヌードの写真のある雑誌があったことは、ハグされちゃった、という投稿で書いた。だが、それまで、私は、ヘアヌードの写真は、見たことがなかった。

 母が裸でいるのを見たことがあるから、こういう妄想を持つのを、不思議に思う人もいるかも知れないが、私は、余りにも深く物理学を学んであるので、そこにあるものが有っても、無いように、脳に伝える、ということが可能であることを、知っているのだ。

 段々分かってきたと思うので、さらに解明する。

 私が京都で、クロイツェル・ソナタの女の人に振られて戻ってきた頃、私の高校での担任だった先生が私にこんなことを言った。

森鷗外の文章にはウソがあるよ。夏目漱石の文章は、誠実に悩んだ人の文章だと思う。」

 これを、私は常にはかりにかけていた。

 このウソというのが、森鷗外が、『ウィタセクスアリス』で、一度だけ自慰をしたことがあるが、それ以来、一度も自慰をしたことがない、と書いていることなのか、それとも、友達の女の子に着物の裾をまくらせて、確かにないと確認したと書いていることなのかと。

 普通の人が考えたら、若い時1回だけ、自慰をして、それ以来、一度もしたことない、なんていうのは、絶対ウソだ、と言って、私を笑うだろう。

 だが、私はそう取らなかったのだ。『ウィタセクスアリス』で、鷗外があれ以来1回も自慰をしてないと書いているのを読んで、鷗外は女の人に恵まれたから、自慰をする必要がなかったのだな、と私は思ったのだった。

 これは、半分ウソだが、半分は本当なのだ。だから、ずっとはかりにかけていたのだ。

 私自身、確か8ヶ月くらい、高校生の頃、自慰をしなかったことがあった。これは、恋をして、新聞などで、望まない妊娠をして苦しんだ女の人などの記事を気になって読んでいた頃で、余りにも生々しくなるので、自慰をする気が失せていたというのも、一因だった。

 だから、自慰をしなくても、人間は生きていられることも、知っていた。

 その一方で、科学的にも調べたので、今回入院していた時、

「尿は、ちゃんと出ていますか。?」

と看護婦さんに聞かれたとき、

「はい、出ています。精子は、混じっていません。」

と応え、

「そんなこと、聞いていませんよ。」

と言われた時、

「こういう集団生活をしていて、自慰をしないでいると、尿に精子が混じるでしょう。まだ、そうなってませんよ、ということを伝えたかったんです。」

と答えたりもした。

 精子がたまってくると、ある程度は分解されるけれども、尿に混じり出す、というのは、神父様か何かになるために、修行する人のために書いてあるものかなにかで、読みかじった知識だった。


 そんな知識もあるものだから、本当は人間には、男の人と女の人の区別はないんじゃないか。それを、あるように書いていた部分が、鷗外のウソなのではないか。


 などという妄想が生まれる。

 これは、どう発展するかというと、初体験をして現実に目覚め大人になっていくという男の人の話を、初体験をしようとして、今まで女の人だと思っていた人が、実は、自分と同じように、大きな外性器のある人だったと知って、この世界は歓びのない世界だ、と気付いて、とぼとぼと生きていくことになる。これが、初体験の結果であり、 the facts of life の内容なんだ。



 どうだ、妄想もここまで来ると、新しいものを産んだことに、あっけにとられるだろう。


 そうなのだ。私を天才にするほどに、努力させた原動力は、最初は、これだったのだ。いや、途中かも知れない。

 最初は、父と母の教育だった。そして、今は、多くの人から寄せられている期待が、私が努力する原動力になっている。



 男の人と女の人の区別がない、なんてことはないことは分かっている。だが、私は余りにも物理学の知識があるために、

「なぜ、ファインマンが陽子の話をしたのが、あんなに女の人に受けたのだろう。」

などと考え始めるのだ。

 この考えの行き着く先は、女の人は、時間を逆行する素粒子からなっているのではないか、というものになる。要するに、反粒子だ。

 でも、そんなことを解明しても、何も新しいものが見つかるわけではないことは分かっている。


 私が、本当に天才ならば、それでいい。


 だが、もし、天才でなかったら・・・


 私を入院させ、無理矢理、牧師になれるほど修行を積んだ人を連れてきたりして、私を守ったのは、私が自殺しないようにするためだったのではないか。


 この場合、なぜ、私が自殺するのを止めなければならないかを書かなければならない。

 その理由があるのだ。

 私が、これまでの投稿で書いてきたように、人は死なない。心は残る。

 これを、素粒子物理学の言葉で言うと、私の心を担っている素粒子が、ある瞬間生成した後、消滅するまで、心は続くということだ。

 じゃあ、自殺したらどう困るかというと、私の心は残っているのに、体が失われてしまう。

 要するに、私の心だけが遊離した状態になる。


 一度も女の人を知らなかったのに、そのまま、体から離れてしまったら、そりゃ、やっぱりかわいそうだ。

 自分の人生は、これで、満足、といえるところまで、生かしてあげよう。


 横浜市立みなと赤十字病院に、医療保護入院させたのは、私が、他の人達はもっと、性の楽しみを味わっているのに、自分は、味わい損ねたな、と悔しく思うのを、止めたかったからなのでは、ないだろうか。


 なぜ、こんなことを書くかというと、どうも、普通の人にとって、性の楽しみを得る、ということがそのまま、自立した人間になる、ということに結びつくらしいと、思えるからなのだ。

 私が、横浜市立みなと赤十字病院に入院する日、私は、

『自立証明書』

というものに、ハンコウを押してもらった。

 何からの自立なのか、きちんと書いてなかった。

 少なくとも、私が意味を読み取れるようには書いてなかった。

 普通の人にとって、『自立』と言ったら、簡単に分かることなのかも知れないが、私の場合、

『自立支援法』

というものにもお世話になっているので、一体何からの自立なんだか、混乱してしまうのだ。


 あーっ、本当に分からない。

 結局、一番良いのは、私が、天才になることなんでしょ。

 私にとっても、メデタシ、メデタシ、だし、世界中の人にとっても、人間を生き返らせる技術を生み出してもらえれば、人類を、戦争の惨禍から救ってもらえる、やっぱり、メデタシ、メデタシだ。


 動き出した歯車は止まらないよ。私の歯車はもう、動き出してる。

 ランダウを越えて、理論物理学の新しい世紀を創ろう。

 今日はここまで。

 現在2015年3月31日4時37分である。おしまい。