現在2015年6月12日22時29分である。
昨日(6月11日)の投稿で書いたように、まゆゆ、の、『出逢いの続き』というシングルが、届いた。4種類あるバージョンの中の、写真が一番たくさん入っているものを、注文したのだった。
同じ曲を発表するときに、色々なバージョンを出して、すべてのカップリング曲を聴くためには、全種類買わなければならないようにするのは、卑怯なように思っていたが、今回これを買ってみて、謎が解けた。
このCDには、まゆゆ、の、ミニライブの抽選券が付いているのだ。インターネットで、シリアルナンバーを入力して、応募するのだ。
当然、絶対当てたい人は、何枚も買うことになる。
だが、まったく同じCDを5枚も6枚も買っても、捨てる以外しようがない。
ところが、4種類あれば、4枚までなら、捨てずに済むのだ。
良く出来たシステムだと感心した。
さて、私も、応募することにした。
まゆゆ、に直接、私の顔が見えるイベントは、避けようと思った。
以前も書いたように、まゆゆ、を、びっくりさせては、まずい。
そこで、2000人規模の、コンサートを選ぶことにした。
A 12時から
『キスのソナー音』『最初のジャック』『いつでも そばにいてあげる』
B 15時半から
『マユユロイド』『太陽と散歩』『制服アイデンティティー』
C 18時半から
『小指の微笑み』『トライアングラー』『サヨナラの橋』
の3つから、1つ選ぶようになっていた。
私は、迷わず、Aを選んだ。
なぜって、後になればなるほど、まゆゆ、が、疲れる。
もしかしたら、1曲歌っただけで、バタッと倒れるかも知れない。
最初の回にしておけば、まゆゆ、の、疲れていない声が聴けると思ったのだった。
さて、昨日、渋谷に行ってきて、そのことをツイートしたので、疲れて、応募したことなどとっくに忘れていた。
今日は、ブルー・レイ・レコーダーに、『出逢いの続き』の3曲を取り込んで、かけながら、解析力学の研究をしていた。
今年になってから、私は、数学や物理学のノートに、
『読者の言葉』
や、
『読者注』
などと書いていたのを改め、
『研究者の言葉』
や、
『研究者注』
と、書くようになった。
心構えを、変えたのである。もう勉強ではないと。
さて、夕食を実家に食べに行ってきて、帰ってきてパソコンを開いたら、
『当選通知』
というメールが来ていた。
「『戦う!書店ガール』のDVDが、当たったのかなあ。」
と思って、開いたら、まゆゆ、の、コンサートが、当たっていた。
プロダクション尾木の誰かが、私のブログを見ていて、
「このおじさん、面白いこと書くから、まゆゆ、の、歌を聴かせて、また何か書いてもらおう。」
と、思ってくれたのだろうか。
それとも、まゆゆ、自身が、私に、歌を聴かせてくれるのだろうか。
メールには、ちゃんと厳選なる抽選の結果、と書いてあるから、こういう時は、コソコソと、まゆゆ、に、メッセージだけ送るなどということをせず、堂々と、当選したと公表しよう。
はっきり言って、小林よしのりさんも、ご自身のブログで書かれているが、まゆゆ、は、正々堂々と生きているアイドルなのだ。
完璧主義者である、というのも、それに拍車をかけている。
だから、まゆゆ、とつき合う男の人は、こっそり会っているところを、週刊誌に写されるなんていうことの起こるような、だらしない男の人ではだめなのだ。
まゆゆ、に、そんなことは起こらないだろうし、まゆゆ、とつき合う男の人は、まゆゆ、に、そんなことをさせてはいけない。
その代わり、まゆゆ、は、将来、絶対、幸せにする。
コンサートでは、安全のために、持ち物を持って行ってはいけないそうなので、携帯と、障害者手帳と、抽選の応募券だけ持って行くことになる。
とにかく、まゆゆ、の、顔を、初めて、裸眼で見ることになるのだから、本当に嬉しい。
そして、マイクを通してだが、唇の動きと共に、まゆゆ、の歌声が聴けるのだから、本当に良かった。
なんと、小林よしのりさんも、『夕暮れと星空の間』を、気に入ったようなので、私の、
『まゆゆ、アルト説』
は、支持され始めているようだ。
『出逢いの続き』に、
「愛とは自然淘汰」
という歌詞があるが、私は、自然淘汰ではないと思う。
自然淘汰とは、残ったものが正しい、という消極的な、選択。
進化論において、残ったものが正しかったように見える。
だが、残るものには、常に必然があるように私は感じる。
残ったから正しい、残ったから真実となった、みんなそう思っている。
『勝てば官軍』の発想だ。
だが、私は、科学の進歩において、数々の例外を見ている。
一つ例を上げるなら、
「平行線は交わらない。」
という定理は、2000年間残ってきたから、正しかったか。
まゆゆ、に、この例は、今は、難しすぎるから、いつか、丁寧に、説明してあげよう。
結論から言うと、
「平行線は交わらない。」
という定理は、正しいとは言えなかった。
2000年、残る愛が、真実の愛だ、なんてこと言えるか?
2000年、残っても、真実でなかったものも、あるんだよ。
やっぱり、愛とは、真実とは、自分の美的センスで、選び取るものだ。
自分のセンスを、大切にしろ。まゆゆ。
今日は、ここまで。バイバイ。
現在2015年6月13日0時03分である。おしまい。