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相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。

ベートーヴェン交響曲第2番

 現在2015年6月24日12時55分である。

 一昨日(6月22日)と、昨日(6月23日)、まゆゆ、に、数学と物理学のことで、真面目すぎることをツイートしたら、まゆゆ、が、いつもの、

「お肉おいしい。いえーい。」

というようなツイートができなくなってしまったのか、黙ってしまったので、少し、音楽のデートに誘うことにする。

 5月4日に、交響曲第1番については、語った。今日は、第2回である。

 ベートーヴェン交響曲は、9曲あるが、その演奏される回数を、比べた場合、恐らく最も少ないのが、第2番である。

 圧倒的に多い、3,5,6,7,8,9番に比べ、1,2,4番は日陰の身である。

 その少ない中で、第4番は、『英雄』の後に作曲されたものであり、カルロス・クライバーという指揮者が、決定的な名演奏を残したこともあり、結構、聴いてくれる人達がいるのだ。

 そして、第1番は、ベートーヴェンの最初の交響曲だから、ということで、コンサートで取り上げられることも多い。

 結局、第2番だけが、取り残されるのである。

 その珍しい交響曲第2番を、今日は、取り上げるのだが、最近、私が、どの指揮者の演奏で、この曲を聴いているか、という話から、始めよう。

 この家に引っ越してくるとき、CDを全部、持っては来られなかったので、まず大好きな、『英雄』を持ってきた後、次に『田園』を持ってきた。

『田園』

の演奏では、ものすごい名盤がある。

ブルーノ・ワルター指揮/コロンビア交響楽団

ベートーヴェン : 交響曲第2番、第6番「田園」

ベートーヴェン : 交響曲第2番、第6番「田園」

というものであり、クラシックを聴く人の間では、知らぬもののない、超の付く名盤である。

 ブルーノ・ワルターという名前は、交響曲第1番の話をしたときも、モーツァルト交響曲第41番を1回聴いただけで、これは半端でなくすごい曲だと思ったのは、ブルーノ・ワルター指揮のレコードだったからかも知れない、というかたちで、登場している。

 恐らく、20世紀中頃の指揮者として、ウィルヘルム・フルトヴェングラーブルーノ・ワルターは、双璧である。

 感情の激しい爆発が、そのまま演奏にも表れるフルトヴェングラーに対し、ブルーノ・ワルターは、温厚な人柄であり、演奏にも、それが、にじみ出していた。

 ワルターは、常に、曲の全体としての流れを大切にしていて、録音するときも、細切れに録音したりせず、1楽章を通して録音していたらしい。そのためか、ベートーヴェン交響曲第8番の録音には、管楽器が間違って吹いたのも、そのまま入っている。

 ところが、そんな温厚なイメージを持っていたのに、私は、ワルターの『英雄』を、初めて聴いたとき、耳を疑った。

 あの冒頭の2つの和音が、すさまじい緊張感のある、ものすごいものだったのだ。

「あの温厚なワルターが、こんな音を出せるのか?」

と、私は、疑問だった。

 この謎が解けたのは、その演奏を聴いてから、10年以上経った、去年(2014年)の入院していたときのことだった。

 入院していた患者の中に、本当は、精神を病んでいるのではなく、手が動かないんだ、と言っている芸術家の人がいて、その人が、

「学生のとき、ニュース映画でフルトヴェングラーが指揮しているのを見たことがある。」

なんていう、クラシックファンだったのだ。

 そして、その人が、

「戦後アメリカに渡っていた、ワルターの芸術を残すために、結成された、コロンビア交響楽団は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団なんかからも、人を借りていたそうだよ。」

と教えてくれたのだ。

 私は、

「人間達は、芸術を残すために、なんと賢いことをしているのだろう。」

と、感動したと同時に、

「あの『英雄』の和音は、ウィーン・フィルの楽団員が出していたのか。」

と、分かったのだった。

 あの音は、

ハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ベートーヴェン:交響曲第1番/第3番「英雄」

ベートーヴェン:交響曲第1番/第3番「英雄」

の『英雄』の緊張感のある音なのだった。


 さて、ワルターの説明が長くなったが、上に上げたワルターの『田園』のCDには、交響曲第2番も入っている。

『田園』

を聴くために、このCDを入れるのだが、その前に第2番があるので、それが始まってしまう。

 曲が始まっているのに、それを止めるのは、音楽が好きな私には耐えられないので、そのまま聴いてしまう。

 そんなわけで、第2番も、聴いているのである。


 曲について言うと、この曲は1802年、つまり、私の最も尊敬する数学者アーベルの生まれた年に作曲されており、この年は、ベートーヴェンの耳の病が進行し、もうほとんど聴こえなくなっており、作曲家になる夢がついえたかに見えたベートーヴェンが、

『ハイリゲンシュタットの遺書』

として知られる、遺書を書いて、死のうかと思った年でもある。

 じゃあ、暗い曲なのかというと、そんな遺書などというイメージとは、ほど遠い。

 結構、楽しい曲なのである。

 まゆゆ、の、

「いえーい」

というノリである。

 恐らく、自殺を乗り越えたベートーヴェンの精神が、こんな明るい曲を作らせたのだろう。

 まゆゆ、例えどんなことがあっても、死なないでね。

「そんなこといわれても、今は、本当に辛くて、死にたいの。」

ということが、人生では、何回か訪れるけど、それでも、死なないで。

「あのとき、死んでおけば良かった。」

と思うことも、人間にはあるものだけど、生きていて、年取ったとき、

「今まで生きてきて良かった。」

と思う日が、必ず来る。

 周りに迷惑をかけようが、辛かろうが、恥ずかしい思いをしようが、生きてるって、本当に大切なことだよ。

 大変な1日を、くだらないことやって、発散するのも良いし、ファンを焦らしたり、煙に巻くのも、それはそれで、アイドルの魅力だ。

 私は、よく他人から、

「真面目ですね。」

と言われると、きっとなって、

「それ、どういう意味で言っているんですか?『誠実』という意味なら良いですけど、そうでなかったら、私は褒められたとは思いませんよ。」

と言い返すんだけど、まゆゆ、が、『正統派アイドル』として進んでいって、どこかで行き詰まりを見せたら、

「どうすることが、人間として、誠実な道だろう。」

という基本に戻って、自分の人生をチェックしてね。

 これが、人生で失敗しない方法の1つだよ。

 ベートーヴェンは、音楽の神様に対して、誠実であり続けるのは、耳が聴こえなくなっても、作曲し続けることだ、と悟って、生き続けたんだね。

 今日の交響曲第2番は、その記念すべき曲だったのでした。

 どの指揮者で聴いても、そんなに違いは無いと思うよ。

 今日は、ここまで。バイバイ。

 現在2015年6月24日17時46分である。おしまい。