現在2016年5月26日1時26分である。
また、麻友さんとの会話形式にする。
「今日は、病院でどうだったの?」
今日は、話したいことが、ややこしかったので、前の晩に、紙に書いて持って行ったんだ。
「口で説明できないの?」
私、人としゃべるとき、言語障害があると言うほどではないけど、説明が下手で、相手が、疲れてしまうときがあるんだ。
「確かに、太郎さんのブログ、内容の量の割に、長いわよね。頭脳は明晰かも知れないけど、明晰な文章ではないわ。」
これは、高校の頃もそうだったから、病気のせいばかりではないんだ。
「高校の頃から?」
うん。高校2年のとき、
『人を殺すのは悪いことだ。』
と、証明しようと思って、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んで、感想文を書いたんだ。
「すごいこと考えるのね。それでどうなったの?」
結局、結論の、
『ひとを殺すのはいけないことじゃないけど、殺すべきではない。』
というのを、最初に書けば良かったんだけど、なぜ殺すべきではないか、というのを説明していて、400字詰め原稿用紙10枚になってしまった。
夏休みの読書感想文の課題は、原稿用紙5枚以内だったから、困ったあげく、『罪と罰』を紹介する文章を、5枚で書いて、10枚のと5枚のと、両方提出した。
一応、学校内では、佳作になったけど、私自身、自分に取ってだけ意味のあるものだと、分かっていたんだ。
「文章が、長くなるのは、どうしてなのかしらね。」
数学の証明を、いずれ見ることになるから、分かるだろうけど、私の証明って、まず外堀から埋めていくわけ。
そして、アリの這い出る隙間もないくらい、目の細かい網で獲物を捕らえようとするかのように、決定的な一打を加えるまでに全部用意しておこうとするわけ。
だから、決定的な一打が加わって、証明が完成したとき、達成感はあるけど、大抵の人は、それまでに疲れる。
こういうことなんだよ。数学で例を作ると。
「太郎さんが、分かり易い本を書きたいのなら、そこを徹底的にブラッシュアップしなきゃね。」
言われてみれば、そうだね。
ただ、この遠回りなやり方だったのが、私がその定理や証明を良く理解するにつれて、劇的にすっきりするんだ。
「つまり、理解が深いものは、上手く説明できるってこと?」
当たり前なことなんだけどね。
難しいことをどんどん勉強したり研究したりしていくのが一番、今の課題に役立つんだよね。
「私、もうしばらく、誰とも交際しない身でいるから、その間に、最先端まで行ってよ。」
そうだね。今日病院で、私の病気のことも聞いてきたから。
「そうよ。何を書いた紙を渡したの?」
こんなことを書いたんだ。
『5月13日に、前の晩からブログを書いていて、寝る前の薬を飲まずにいたら、私が寝ないのを見て、周囲の人(この周囲の人というのは鶴見の人というわけでなく、地球上のすべての人という意味)が、『太郎君が、やっと普通の人(この普通の人という言葉が、どういう人を指すのか、実は私自身、分かっていないのだが)になれそうだ。普通の人になる瞬間を見よう、というので、ヘリコプターで中継しようと、アパートの上にヘリコプターを飛ばしているように思え、実際その時、アパートの上にヘリコプターがうるさく飛んでいるのが聞こえました。
しかし、思い出してみると、私には、少なくとも過去2回、やはり私が、何か発見したのではないかと、テレヴィ局が中継するために、ヘリコプターを飛ばしてきて、私が、『本当に、私は、今、何か発見できるのかな?』と、変な思いをしたことがありました。
振り返ってみると、あのときのものも、今回も、幻聴のように思えます。
幻聴というのは、こんなに大きな音が聞こえることもあるのでしょうか?』
「それにしても、一文が、長いわね。」
注釈までつけるから、余計長くなる。
「それで、先生はなんておっしゃったの?」
『これが、5月13日だから、ずっと続いてないので良いですけど、これが2日,3日と続いたら、また入院ですね。』
って、言ってた。
「それって、深刻よ。私が、太郎さんと、結婚式、挙げられなくなるじゃない。」
重要なことだから、丁寧に書いてる。
「そんなヘリコプターの音くらい大きな幻聴ってあるの?」
先生の関心は、幻聴ではなくて、文章の前半で書いている誇大妄想的なことに向いているんだ。
「確かに変なこと書いてるわよねえ。『地球上のすべての人』とか、『瞬間を見よう』とか、お正月のカウントダウンでもあるかのように書いてるものね。」
有名人でもないのに、そんなことを思ってしまうのが、病気の表れだっていうんだよね。
「そうよ。太郎さん、おかしいのよ。そもそも、私とメッセージやり取りしてるなんて、有り得ないのよ。」
私が、麻友さんに、最初にツイートしたときの気持ちを話そうか。
「随分、前ね。」
でも、このブログの目次にちゃんと並べてある。
「それで、何が言いたいの?」
私、麻友さんとは、可能性
『1000万分の1』
から、近付こうと思ったんだ。
「いっせんまんぶんのいち!?」
私は、確率ゼロではないと思った。
「どうして?」
麻友さんは、2014年の選抜総選挙で、15万9854票獲得していた。熱烈なファンが一人で10票入れるのなんてざらだろうから、麻友さんに投票してくれたファンは、1万人くらいだろうと思った。
しかし、投票はしなくても、ファンを自認している人は大勢いるはずだ。
そこで、麻友さんのファンは、最大100万人くらいだろうと思った。
少なくとも、私と結婚を争うのは、100万人だろう。
でも、私は、さらに慎重になった。年齢差22歳の恋愛が、成就するか?
そこで、さらに10分の1にすることにした。
それが、上で言った、1000万分の1という、確率なんだ。
「数字の意味は分かったけど、そんなのゼロに等しいじゃない。」
麻友さん。ジャンボ宝くじの1等が当たる確率って知ってる?
「あれ、6ケタだったかしらね?」
とんでもない。
000000 から 999999
まで、100万通りある上に、
0組 から 99組
まで100組あるんだよ。
だから、100通り かける 100万通り イコール
1億通り 券 があるんだ。
全部揃わないと、1等にならないから、ジャンボ宝くじで1等が当たる確率は、
1億分の1なんだよ。
「エッ、そんなに。」
「あ、でも、騙されないわよ。」
「宝くじは、1枚でなく何枚も買うことができる。1等が当たる確率は、もっと高いはずよ。」
そこで、一発で、倒されないのは、さすがAKB48のエースだけれども、麻友さん思い出してよ。
私は、麻友さんに、1回しかアプローチかけなかった?
「うっ、そういうことか。」
妄想ではない、ということを確認しながら、今まで来たんだものね。麻友さん。
「私も、奪われるばかりじゃないんだから。」
うん。気付いたよ。
『CROW’S BLOOD』
というドラマの、
『再生医療が目覚ましい発展を遂げ“命の再生”という神の領域にも手が届こうとしている現在において、愛する人を失ったときその肉体や命を再生することは許されるのか』
というの、私の気違い数学者の話と同じものを、麻友さんが演じてくれるんだものね。
「気付いちゃった?」
今日というか昨日、病院から帰ってきて、Googleに『渡辺麻友』って入れて、ニュースを読んでたとき、
『あれっ?これ、まさにあれじゃん。』
って、思った。
「サプライズにするつもりだったのに。」
いや、十分、びっくりしたよ。麻友さんの前で、じゃなかっただけ。
「病気、ちゃんと治してね。」
結婚式、挙げるためだからね。
「どうして、いつも、結婚式にこだわるの?結婚じゃ駄目なの?」
私、結婚という制度に疑問を持っているんだ。
「どういう?」
何度か、結婚は話題にしているけど、結婚に躊躇している一番の理由は、
『結婚して、得るものがあるのは、私だけ。』
というもの。
「私だって、結婚しなければ、太郎さんと一緒になれない。」
『内縁の妻』なんていう言葉は古いけど、事実婚しても、一緒になれる。
ただ、例えば、麻友さんが、ロケのために飛行機に乗っていて、ヒマラヤ山脈で、飛行機が落ちたとする。
『全員、絶望。』
となった場合、もし結婚してると、麻友さんの何千万円もの資産が、私のものになっちゃうんだよ。
「いいわよ。もし、私が死んだのなら、太郎さんに使ってもらっていいわ。」
じゃあ、逆の場合を考えてみよう。
私が、ヒマラヤ山脈で、事故に遭った。
その場合、私の財産なんてないから、麻友さんには、一銭も入らない。
これ、どう考えても、不公平でしょう。
「結婚してなかったら、どうなるの?」
多分、麻友さんのお父さまやお母さまのところへ、行くんじゃないかな。
「そんな!年上の人は、いいのよ。これから、生きていく人に、お金を渡さなきゃ。」
そうだね。
だったら、子供を授かったら、婚姻届だそう。
「はっ、結婚できるのね。(安心)」
幸せそうな顔しちゃって。
「私は、AB型だから、3分で、気持ちが変わるのよ。」
「私の心が変わらないうちに、ブログを閉じなさい。」
おやすみ、麻友さん。
「おやすみ、太郎さん。」
現在2016年5月26日4時11分である。おしまい。