相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

ベートーヴェン交響曲第6番『田園』

 現在2016年10月19日19時27分である。

「デートに誘ってくれるのね。」

 今日は、6番の『田園』だ。

交響曲第6番ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団

 ちょっと音は小さめだけど、これをバックにかけておいて。

「4番のデートあたりから、月に1回のペースにしたの?」

 ブログは、まったく気まぐれで書いてるから、今後どうなるかは、分からない。

「余計な話は、よしましょうね。『田園』交響曲は、題名も有名だし、出だしの旋律も、有名よね。」

 その通りだね。

 ところで、麻友さん。『田園』は、いくつの部分から成るだろうか?

「いくつの部分?」

 つまり、この曲の途中で、何回、オーケストラは、止まるだろうか?

「ウフフ。4回止まるのよね。5つの部分から成ってる。」

「私、コンサートのプログラムに目を通したのよ。そうしたら、普通、交響曲は第4楽章までなのに、『田園』は第5楽章まであるのね。」

 予習をしたのは、特待生らしいけど、実際にCDを、聴いてみるべきだったな。

「私、何か間違えた?」

 聴いてみると分かるけど、『田園』の第4楽章は、嵐を描いていて、第3楽章から切れ目なく突入し、嵐が去った後の情景の第5楽章へそのまま移るんだ。

 だから、オーケストラは、2回しか止まらず、全体は3つの部分から成る。

「謀ったわね。覚えてらっしゃい。」

 さあ、コンサートが、始まる。

「静かにしなきゃね。」


♪~


「パチ、パチ、パチ。」

 いい演奏だったね。

「こんなに、素敵な曲だったなんて、知らなかったわ。」

 私は、この曲の終楽章が、こんなにも美しいことを、横浜翠嵐高校図書室の、ある本で読むまで知らなかった。

「終楽章も良かったけど、第2楽章の小鳥のさえずりも良かったわ。」

 そこに、着眼したのは、さすが、特待生だねぇ。

「どういうこと?」

 ベートーヴェンは、病気を患ってたよね。

「えっと、あ、耳が聞こえないのよね。」

 そう。『田園』が完成したのは、1808年。ベートーヴェン38歳の時だ。

 当然もう耳は聞こえてない。

「じゃあ、かつて聴いた小鳥のさえずりを、音符にしたのね。」

 それが、ロマン・ロランの言ったことだと伝えられている。

ロマン・ロランって、どんな人?」

 代表作は、ベートーヴェンをモデルにして書いた、『ジャン・クリストフ』だろう。

ジャン・クリストフ 1 (新潮文庫 ロ 2-1)

ジャン・クリストフ 1 (新潮文庫 ロ 2-1)

ジャン・クリストフ 2 (新潮文庫 ロ 2-2)

ジャン・クリストフ 2 (新潮文庫 ロ 2-2)

ジャン・クリストフ 3 (新潮文庫 ロ 2-3)

ジャン・クリストフ 3 (新潮文庫 ロ 2-3)

ジャン・クリストフ 4 (新潮文庫 ロ 2-4)

ジャン・クリストフ 4 (新潮文庫 ロ 2-4)

「全部で4冊あるの?」

 しかも、1冊1冊が、600ページくらいある。

青空文庫で買って、ちょっとずつ切り崩そうかしら。」

 それは、やめた方が良い。

「どうして?」

 青空文庫になっているのは、豊島与志雄(とよしま よしお)訳のものだ。

「誰の訳でも、日本語に変わりはないでしょ。」

 いや、これくらいの、長編小説となると、

『これが、同じ小説か?』

というほど違ってくるんだ。

 読むなら、上に上げた、新潮文庫の新庄嘉章(しんじょう よしあきら)訳で、読んだ方が良い。

「でも、こっちの方が、絶対いいって言うからには、両方全部、読んだの?」

 私が高校生になった時、父が、

『『ジャン・クリストフ』を読むと良いぞ。』

と言って、ボロボロの文庫本を貸してくれたんだ。

 でも、こんな長い退屈な小説初めてで、1巻の4分の1で、挫折した。

 私が、大学落ちて浪人したとき、父が、また、

『『ジャン・クリストフ』いいぞ。新しいの買っても良いから、読め。』

と言ったので、岩波文庫から豊島与志雄(とよしま よしお)訳の4冊を買って、2年かけて、読んだ。

 その訳の中には、1箇所、良く意味が分からない部分があった。

 なぜ分からないのか、私には、分からなかった。

 ある日、京都から広島へ帰省していた日、父が、その岩波文庫の本をぱらぱらっとめくって、

『あっ、これは、俺が、訳が良くないから読まなかった方だな。』

と言ったんだ。

 その瞬間、海外文学が、訳者によって違う訳されかたをする、ということを、思い知ったんだよね。

 でも、大学も忙しく、リベンジは、果たせなかった。

 1992年から月日は経ち、1998年7月8日、家から電車で2時間かかる会社に父のお陰で勤め始めた。

「私が、生まれた後ね。」

 そう。ものすごい時間が経っている。

 通勤時間を利用して、色々な本を読んだ。

ルーシー・モード・モンゴメリ村岡花子訳『赤毛のアン』(新潮文庫)10巻全巻

ヴェルナー・ハイゼンベルグ/山崎和夫訳『部分と全体』(みすず書房

など。

「通勤時間2時間って、往復で?」

 いや、片道で、2時間だよ。

「それは、時間あるわねー。」

 父ともめたことがきっかけで、1999年11月28日、会社から歩いて5分のところへ、引っ越した。

 通勤時間は、なくなったが、読みたい本は、一杯あった。

「太郎さんの本好きは、一貫してるわね。」

 通勤しなくて良くなったので、数学の勉強(当時は勉強だった)が、はかどり、1999年12月6日ついに1冊の数学書を読み終える。

安井邦夫『現代論理学』(世界思想社

現代論理学

現代論理学

である。

「私が、5歳の12月ね。まだ、小学校にも入ってない。幼稚園のお遊戯会で、オウム役になっちゃった頃かしら。」

 こういう風に、麻友さんの人生と、組み合わせていくと、見えなかったものが、見えてくるね。

「私は、2000年3月26日、6歳になる。だから、4月に小学校へ。」

 本当に、早生まれの人って、人生が、慌ただしいね。

「慣れちゃえば、何でもないわよ。背伸びができるという良さもあるし。」

 小学校に入った頃から、絵を描き始めるんだったね。

「もっと前から、絵を描くのは好きだったけど、『絵を描こう。』と思って、描くようになったのは、小学校1年生ね。」

 漫画家を目指していたんだよね。

「うん。私の絵を、周りの人たちが、上手いって言ってくれるのが、嬉しかった。」

 ここで、今まで黙ってたんだけど、重要な告白。

「えっ、今さら何よ?」

 私の母も、絵を描くんだ。

「ちょっと、そんな話、なかったわよ。」

 麻友さんにとって、絵って、ちゃんと漫画家デビューもしてるし、必殺の切り札だと思うのね。

 母が、音楽の才能があるからって、麻友さんをしごいた上に、今度は、絵でもしごくのかって、気持ちだよね。

「私、ちょっと、立ち直れないかも。」

 画家で食べていける程じゃないんだけどね、日本水彩画会で、会友のひとりになっている。

「太郎さん。私、もう、無理。太郎さんのお母さまには、かなわない。どうやっても、勝てないわ。」

 そう言って、嘆くだろうと思って、時期を待ってたんだ。

「私、結婚できないわ。そんな、なんでもできるお母さまに育てられた、太郎さんという人を、引き受けられない。」

 そう言うだろうと、思ってた。

「なぜ、今、別れなきゃ、ならないの?」

 別れが、辛い?

「辛いなんてもんじゃないわ。」

 だったら、少し、考慮時間をあげる。

「えっ?」

 取り敢えず、今日のデートは、継続しよう。

「デート中だったのね。」

 麻友さんが、小学校2年生になった、2001年11月9日。私は、リベンジを始める。

「リベンジって?」

 『ジャン・クリストフ』のリベンジだよ。

「えっ10年経って?」

 私が、執念深いということが、これから分かってしまうね。

「じゃあ、新潮文庫のシリーズを読み始めたの?」

 その通り。

「この前、分からなかったところは?」

 分かった。

「そんなことが、あるの?」

 それだけじゃない。こちらの訳と、岩波文庫の訳では、結論の辺りが、肝腎なところで、違っている。

「それじゃ、翻訳じゃないじゃない。」

 でも、例えば、源氏物語の、谷崎潤一郎訳と、与謝野晶子訳って、随分違うそうじゃない。

「そういう、高校に通っていない、私を、遠ざけるようなこと言うのね。」

 今日のデートは、二人にとって永遠に忘れられないものに、なりそうだな。

「太郎さんが、『ジャン・クリストフ』なんていう小説を持ち出して、いじめたのよ。」

 そんなに自信のないのが、5日後に写真集出す、超売れっ子の大アイドルかい?


「なんで、『ジャン・クリストフ』の話になったんだっけ?」

 麻友さんが、

『じゃあ、かつて聴いた小鳥のさえずりを、音符にしたのね。』

って、ロマン・ロランみたいなことを、言ったからだよ。

「その言葉が、『ジャン・クリストフ』の中にあるの?」

 いや、この中にはない。

 そもそも、そのことを知ってるのは、

宇野功芳宇野功芳のクラシック名曲名盤総集版』(講談社

宇野功芳のクラシック名曲名盤総集版 (講談社SOPHIA BOOKS)

宇野功芳のクラシック名曲名盤総集版 (講談社SOPHIA BOOKS)

の、『田園』の項に書いてあったからだ。


「太郎さんは、この本を参考にしているのか。」

「そういえば、うの、うっ、なんて読むの?」

 それは、うの こうほう、という人なんだ。

「太郎さん。今までの5回のデート、かなりこの本頼ってるわね。フルトヴェングラーとか、ワルターとか、クライバーとか。」

 その人から、大きな影響を受けてるのは、認める。

「ウフッ、逆転できるかも。」

 エッ、どういうこと?

「太郎さん。田園の終楽章が美しいって言ってたわよね。」

 うん。

「どれくらい、美しいの?」

 こんな曲を、作れるなんて、この1曲だけで、ベートーヴェンは、天才だよ。

 こんな曲が1曲でも作れたら、それだけで、人生全部かけてもいい。

 聴くたびにそう思うね。

「太郎さんには、美しい田園交響曲があるのよ。もう、美人を欲しがる必要はないわ。」

 そういう問題では・・・。

「デートは、6回目で、おしまいね。」


 これが、すなわち、考慮時間に入ったということなのだった。

 現在2016年10月20日2時21分である。おしまい。