相対性理論を学びたい人のために

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社会を良くするにはどうすれば良いのか

 現在2017年2月4日20時31分である。

 本当は、私のもうひとつのブログ、『女の人のところへ来たドラえもん』の中の『太宰治も役に立つ』という記事で書くつもりだったことなので、そちらのブログに書いた方が、私のガールフレンドの麻友さん以外の人は見ないし、穏やかに進むのかも知れない。

 だが、自分のアイディアをまったく言わない、というのは、本当は余り良くない。

 このブログは、1日100人以上が見ている。そこに書こう。


 2017年2月3日11時23分、日本で初めての『多様な価値観を持った色々な意味でのリーダーになれる人間を育てることを目的とした高校『ISAK(アイザック)』』を設立したことで知られる小林りんさんが、次のツイートをした。



View of Japan Alps on my way to Fukuoka. 雄大な自然に恵まれた美しい日本と、その不透明な未来に思いを馳せつつ、福岡へ。九州経営フォーラムで登壇します。今回のテーマは、混迷の時代にこそ問われる日本的経営の良さと、破壊的創造(と理解してます)。

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 これを見て、ハッとした。

 もちろん、小林りんさんの言っているのは、トランプ大統領の国策などのことで、私の主張とは、関係ない。

 だが、思い出すまでもなく、トランプは、アメリカの2億人以上の人達から、選挙で選ばれたのだ。

 国民の意思の表れであると、言えないか?

 ところが、ここに、きちんとした反例がある。


 ドイツのアドルフ・ヒトラーである。

 ヒトラーも、合法的な選挙で選ばれ、その後、独裁者になり、多くの人間を苦しめるまでになった。

 全然、国民の意思と違うことをしている。

 トランプも、同じではないかと。


 だが、私には、もうひとつ、気になることがあるのだ。

 それは、ヒトラーのときと違い、世界中が、ほんの一部を除き、非常に平和だということ。

 トランプに反対する人も、トランプを暗殺したりしない。

 皆、すごく大人になってきているのだ。


 これは、社会をドラスティックに良くする、絶好のチャンスではないか?


 では、どんな世界が、もっとも望ましいのか?

 まず、私は、子供なので、親の気持ちが分かってあげられないのだが、結婚という当たり前の常識を、なくしたらどうかと思う。

『おまえは、いつも暖かい家庭に育った。と、自慢しているじゃないか』

と、反論する人もいるだろう。

 だが、私は、正直に書く。

 小学校入学前後まで、父が一緒に遊んでくれたのは、本当だ。

 また、母が専業主婦だったのも、本当だ。

 だが、私は、小学校2年生の頃から、いつもズボンにひもを付けられていて、それには家の鍵が、結ばれていた。つまり、鍵っ子だったのだ。

 なぜ、母が、家にいなかったか、というと、専業主婦で家事が嫌いな人は、分かるだろうが、母も、そのとき、そのときで、色んなことをやっていたのだ。

 結果として、私は、夕方帰って来た母に、その日の話をすることも、よくあった。

 父に関しては、本当に、寝る寸前まで、帰ってこないので、ほとんど、会話はなかった。

 私が、言いたいのは、父は、愛情を注いでくれた。でも、父が目の前にはっきりいなくても、私には、どうでも良かったということ。


 結論をまとめると、小学校3年生くらいまでは、親が優しくしてくれることがものすごく重要だが、それ以降は、父親はひと月に一回会えれば良いだけだし、母親も、母親の役目をしてくれる人がいれば、他の人でも、結構なんとかなる。

 何を言いたいか、分からない人のために、強調すると、実の親(要するに血のつながった親=遺伝子上の親=腹を痛めて産んでくれた親)が誰か、というのは、これからの新しい世界では、問わないことにしよう。というのだ。


 むしろ、不幸せな家庭に育った人の方が、

『親がいたほうが良い』

と、言うかも知れず、

『お前は、幸せすぎて、親のありがたみが分かってない』

と言うかも知れないけど、そういう意味での、

『理性ではどうにもならない、親のありがたみ』

というのは、実は、それを望んでる人の考え出したものだと思う。

 私は、ひとりで家にいるとき、母が恋しくて、電話することなんてない。

 以前は、薬を飲むことの証明のために、電話していた。

 病気が回復したので、今は、電話していない。

 でも、母のことを思い出したり、母にパソコンの修理を頼まれたときは、喜んで引き受ける。

 それは、実の親だからではなく、小さいときから、いつも一緒だった、あの母だからである。

 父に対しても、そうなのだ。


 これは、女の人は、違うのだろうか?

 確かに妹は、今でもしょっちゅう、母に電話しているそうである。


 そういうことを、勘案した上で、私が、提案するのは、


・まず、子供は、社会に取っての子供ということにする。

・お金という考え方をなくし、自分の子供だけを、伸ばそうなんて、考えないような社会をつくり、人間をそれに慣れさせる。

・結婚という概念をなくし、家族という単位で、ものを考えるのを、やめる。


 これは、アイディアとしては、結構面白い。

 だが、重要な欠陥がある。

 自分の子供を他の家の子より伸ばそうとか、欲しいものを買うためにお金を稼ごうとか、他の人よりも良いものを持って優越感に浸ろうとか、少しでも美人と結婚しようとか、とにかくそういう競争がないと、人間は、頑張らないものなのである。

 それを、最もよく表したのが、ソビエト連邦の崩壊だった。

 社会主義国として、競争しなくても、食べて行かれるようにした。

 その結果、多くの人はやる気をそがれ、いつの間にか、共産党独裁のために、権力が腐敗した。

 ゴルバチョフが現れ、馬鹿な冷戦を終結させ、ソビエト連邦を崩壊させた。


 おっ、いきなり核心に触れた。

 トランプは、上手くすると、第二のゴルバチョフになる。


 私が思うに、ほとんどの職業に、それをやりたい、という人がいるのだ。

 そういうやりたい人に、その職業をやってもらう。

 お金というものは、もうないのだ。

 インターネットの世の中では、こういうことが、ほとんど可能だ。


 しかし、そういうことになればなるほど、ライフラインやインターネットの安全性が、求められる。

 誰かがそれを、やらねばならぬ。いや、そういう時代は、終わった。

 誰でも、できるようにすべきなのだ。

 要するに、インターネットが、故障したら、自分で治せるようになれば良いのだ。

 そうすれば、他の誰かがウィルスをつくっても、皆が自分で治せるのだから、もう誰も、コンピューターウィルスなんて、つくらなくなる。

 それが、最も、望ましい解決ではないかい?


 問題があるとき、それを正面から受けて立つ場合、大抵問題は、いつまでも、なくならない。

 戦争の悲劇しかり、離婚の悲劇しかり、原子力発電所の悲劇しかり、ストーカーの悲劇しかり。

 だが、まったく違う方向から、解いてみたら?


 誘拐犯に小さい娘を殺された、父母が、犯人を殺人罪にしようと、何十年も裁判をする。

 その父親と母親が、娘を生き返らせようと、努力したか?

『人間を生き返らせるなんて、できもしないことを言うあなたは、殺人犯と同じだ』

と、言われるかも知れないけど、私は、言える。

 20年間、片時もその娘を忘れず、生き返らせようと、大学の理学部へ行き、物理学科の素粒子論をちゃんと博士課程まで出て、次に医学部に入って、6年やって卒業し、それでも医者にならず、研究を続けるということをあなたはしましたか?

 それで、20年経ってまだ、人間は生き返らせられません。というのなら、私も、帽子を取ろう。


 私は、高校3年生の卒業文集で、

『生まれかわったら何になりたい?』

という問いに、

『カメ,数学者,社会の矛盾に立ち向かう人』

と書いた。

『生まれかわったら』だったけど、私は自分では、この人生で、実行するつもりだった。

 今やっと、社会の矛盾に対し、自分は誠実に、ひとつの答えを、出せたなと思う。

 やっぱり、23年も経たないと、問題って、解決できないのだな、と思う。


『お金をちゃんと稼いだこともないような人間だから、お金をなくそうなんて言うんだ』

と、批判されるかも知れないけど、お金を稼ぐことの大変さは、父の発病後の行動によって、すり込まれた。

 結局、父の会社を辞めてまでの苦労は、私に、働くことの大変さを教えるために、また、周りの人間が、

『太郎君は、働くことの苦労を味わってるよ』

と言ってくれるようになるために、必用だったのかも知れない。


 問題が解けた。当然嬉しい。

 でも、それで、終わりじゃないんだよね。

 山を一つ越えると、次に山脈が、見えるんだよね。


 シベリウスは、91歳まで生きてるけど、幸せになった58歳頃を境に、作曲しなくなってるんだよね。

 でも、モーツァルトは35歳、ベートーヴェンは、56歳で、死んでるけど、もし90歳まで生きてたら、もっと、どんどん、良い曲を作曲したと思うな。

 私も、モーツァルトベートーヴェンのようでありたい。

 今日はここまで。

 現在2017年2月5日1時16分である。おしまい。