相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

吉野弘さん亡くなってたのか

 現在2017年10月7日1時58分である。

「あらっ、太郎さん、こんな時間に起きてるなんて、珍しいわね」

 ああ、やっぱり、バレたな。実は、まだ、薬を飲んでないんだ。

「だめよ。太郎さんが、発病するようなことになったら、私達、結婚できなくなるわよ」

 もちろん、それは、困るんだけどね、時々このブログ書かないと、麻友さんへの通信が途絶しちゃうんだよ。

「通信が途絶なんて、タイタニック号の時代じゃあるまいし」

 でも、麻友さん、私のこと、忘れかけてたでしょ。

「うん。あっ、いや、うーん、どうかな」

 ほら、ほら。

「薬を飲まない太郎さんは、嫌いよ」

 それは、どうしようもないな。


 ところで、もし今日の題名に、

『またか』

みたいに思えたのなら、この投稿は、しばらく読まない方が良いかも。

「どうして?」

 麻友さんの頃の教科書に載っていたかどうか分からないけど、吉野弘(よしの ひろし)さんという詩人の『夕焼け』という素敵な詩を紹介しようと思っているから。

「亡くなっているって、いつ亡くなったの?」

 私が、最初に入院した年だな。2014年1月15日に亡くなっていると、Wikipediaではなっている。

「太郎さんが、1月15日に退院したのは?」

 それは、2015年の1月15日に退院したんだ。麻友さんに出会ったのは、その後の、2015年4月4日。

「そして、今日は、2017年10月7日」

 まさに、『ときはゴウゴウと流れる』だ。

「えっ、なぜ、それを、妙に節を付けて言うの?」

 これは、弟との会話で、よく言うんだけど、あいつ結構さいきん物忘れひどいから、忘れてるかもな。

「弟さんとのこと?」

 元は、ドラえもんなんだよ。あの話の中に、時間を無駄遣いするな、という教訓の回があるんだ。

「あーっ!分かった!ドラえもんが、灯籠をつけて、のび太を脅かす話でしょ。アニメは、随分見たわ~」


 というわけで、時間を無駄遣いするわけにはいかないので、吉野弘さんの話に戻ろう。

「『夕焼け』って、どんな詩なの?」

 私が、説明すると台無しになるから、まず、そのものを持ってこよう。

「長いの?」

 教科書4ページくらい。



 夕焼け
           吉野弘

いつものことだが

電車は満員だった。

そして

いつものことだが

若者と娘が腰をおろし

としよりが立っていた。

うつむいていた娘が立って

としよりに席をゆずった。

そそくさととしよりが坐った。

礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。

娘は坐った。

別のとしよりが娘の前に

横あいから押されてきた。

娘はうつむいた。

しかし

又立って

席を

そのとしよりにゆずった。

としよりは次の駅で礼を言って降りた。

娘は坐った。

二度あることは と言うとおり

別のとしよりが娘の前に

押し出された。

可哀想に

娘はうつむいて

そして今度は席を立たなかった。

次の駅も

次の駅も

下唇をキュッと噛んで

身体をこわばらせて――。

僕は電車を降りた。

固くなってうつむいて

娘はどこまで行ったろう。

やさしい心の持主は

いつでもどこでも

われにもあらず受難者となる。

何故って

やさしい心の持主は

他人のつらさを自分のつらさのように

感じるから。

やさしい心に責められながら

娘はどこまでゆけるだろう。

下唇を噛んで

つらい気持で

美しい夕焼けも見ないで。







『教科書でおぼえた名詩』

教科書でおぼえた名詩 (文春文庫PLUS)

教科書でおぼえた名詩 (文春文庫PLUS)


より。一部、誤植と思われる

○としより

×とりよし

を訂正した。

「太郎さん、なぜ、この詩を教えてくれたの?」

 何か、感じなかった?

「うーん。言葉にするのは、難しいわね」

 それで、いいんだよ。

「えっ」

 中学校の頃なのかなあ、小学校の気もするけど、小さいとき、この詩を読んで、すっごく女の子の気持ちが色々想像されて、色々思い浮かぶのに、言葉にしようと思っても、日本語にできなかったの。

 その時、

『これが、詩ってものなんだなあ』

って、気付いたの。

『言葉で書けるんなら、詩で書く必要ないものな』

ってね。

「何でも分析したがる太郎さんに取って、詩とは、普通の日本語で書けないものが、書いてあるものと、分類されたのね」

 アハハ、麻友さんも、分析好きになったかな。


「でも、どうして、今晩は、薬を飲まないで、許されてるの?」

 許されてるっていうか、今晩、実家へ夕食に行ったとき、私も忘れてたし、父母もうっかり忘れてて、薬を飲まずに帰って来ちゃったんだ。

「そうは言っても、寝てなかったら、今日、お父さまやお母さまのところへ行けないじゃない」

 そこは偶然というか、父母は、今日、明日、旅行に行くことになってるんだ。

「やっと、カラクリが分かったわ。そういうことなのね」

 父母が旅行に行ったのは、途絶しかけていた通信を回復させるための神様からのおはからいがあったからなのじゃないかな。

「どうして、普通の日の昼間に、ブログ書けないの?」

 そんなことが可能なら、こんな通信途絶なんてことになってないよ。

「昼間にブログ書けないのはなぜ?」

 じゃあ、説明すると、前から話している、アメリカに持ち込めない眠り薬であるフルニトラゼパム半減期は24時間なんだ。

 それを、以前は、ブログを書いたり、数学や物理学をやった後、飲んでいた。

 3時とか4時とかだ。

 ところが、今年の5月20日21日に安曇野に行ってきてから一気にハイになり、躁状態で、数学も物理学も進んだ。

 ハイになった原因は、3つある。

 私が、『鬱状態がひどいのですが』、と言って、お医者さんが、薬を1錠減らしたこと。

 旅行で、快適で、気持ちが晴れたこと。

 旅行から帰ってきた後、『人を生き返らせるアイディアを思い付いた』というので、ノートにどんどん書いていて、眠ったり薬を飲んだりが、おろそかになったこと。

 連続して2日以上薬を飲まないと、私は、おかしくなるようだ。

「自分でも、分かってるんじゃない」

 そうだけれどもね、今も言ったように、フルニトラゼパム半減期は24時間なんだ。

 だから、20時頃に、母の前で、睡眠薬を飲んじゃうと、その後、1時間で、ぐっすりになるのだから、数学は、できない。

「昼間にできないの?」

 麻友さんも、計算できるんだから分かるように、20時に飲んで、ぐっすりとなって、翌朝スッキリ、ならいいけど、半減期が24時間なんだから、翌朝、いや実際には翌日の13時頃まで、うつらうつらという状態なんだ。

 13時に起きるということは、それから朝食、朝の薬、・・・。

 『ときはゴウゴウと流れる』じゃないけど、19時に夕食に呼ばれるまで、使える時間は4時間くらい。

 その4時間で、全部をやらなければならないんだ。

 もちろん、ブログ書きたいから、材料集めて、今までも書いてきた。

 でも、私だって、ホーキングの仕事をもらったのだから、やりたい。

 実際、やらなければいけない部分を、ほとんど白紙のまま残している。

 時間って、4時間あったらまるごと4時間、ひとつのことに使えるってものじゃないんだ。

「太郎さん。分かったわ。太郎さんは、悪くなかったわ。太郎さんを邪魔しているのは、私よ。私へ、ブログ書こうとするから、時間がなくなっちゃうのよ」

 普通、こういう場合、仕事に引き裂かれちゃったわ、ということになるのかも知れないけど、麻友さんと私に、そういう結末はない。

「うっ、逃がしてくれない?」

 実は、この絶体絶命のような状況にも、脱出できる道があることはあるんだ。

「どんな?」

 私が、麻友さんに会ったばかり頃のような躁状態になること。

「そんなの空想しても・・・」


 こうやって、フルニトラゼパムを一昨晩の20時頃に飲んでから、29時間くらいたつと、効き目が薄れてきて、私の頭が働き出す。私の頭は、壊れてないんだよ。

「太郎さんの頭が壊れてない?」

 私、麻友さんに会ったばっかりの頃、どんどん新しいことが浮かんで、絶好調だったんだ。

「確かに、太郎さんすごかったわね。だから、私、太郎さんを好きになっちゃったんじゃない」

 そうだ。

 あの状態に戻そう。

「方法があるの? 寝不足?」

 寝不足じゃない。あの頃、ちゃんと寝てた。

「じゃあ、どうやって?」

 方法は、薬しかない。

「勝手に薬減らしちゃだめよ」

 分かってる。お医者さんと相談して、ちょっとずつ減らす。

「どれくらい時間かかるかしらね?」

 実際には、リスパダールという薬の1mgの錠剤を、4錠から3錠へ、1錠減らすだけで、あの状態になると思う。

「どうして分かるの?」

 安曇野に行く前、1錠減らしたんだ。そうしたら、一気に躁状態になったでしょう。あの時の躁状態でも、『人を生き返らせられるアイディア』を思いつけたんだから、十分だよ。

「『人を生き返らせられるアイディア』って言ってるけど、あの時のDVDの話は、完成はしていなかったわ」

 時間はかかるかも知れないけど、あの方法を使えば、ほぼ確実に可能なのだから、アイディアとしては、ひとつ見つけたことに変わりはない。貶すのに時間をかけるよりは、あのアイディアを研ぎ澄ますことに努力すべきだ。

「次に、お医者様のところへ行くのは、いつなの?」

 11月1日だ。

「あれっ、最近行ったんじゃない?」

 10月4日に行った。

「これが、3日前だったら・・・」(これは、本当は、4日前となるのかな?)

 いや、冴えているときの私は、そうは考えない。

「どう考えるの?」

 これからの1月、先生が薬を減らしてもいいと思うよう、生活のリズムを整えようと思う。

「太郎さん、統合失調症になってなければ、その前向き姿勢で、どれだけ偉大なことができたか・・・」

 その場合、麻友さんのために、売れ残ってなかっただろうね。笑。

「どっちが、どっちのために、結婚するのか分からないけど、幸せになりましょうね」


 私の母は、前から不思議なことを言ってるんだよ。

「どんなこと?」

『太郎の好きな子って、色んな顔するから、どうも覚えられないわ』

って、言うんだ。

「つまり、色んな場面で、私を見かけて、知ってるってこと?」

『『まゆゆ』って女の子を好きだって聞いたから、AKB48が出てきたとき、見てるんだけど、どの子も若い子で、見分けがつかない』

ということかも知れない。

「いずれにしても、私を、何度も見てなきゃ、そういう発言にならないわね。私達、ウェディング・ロードを歩んでるのよ」


 じゃあ、情報を渡しておこう。

 母は、前から言ってるように、音楽が好きだ。

 だが、好みがうるさい。

 例えば、

ビートルズの曲は好きだが、『イエスタデイ』や、『レット・イット・ビー』は、オリジナルのは、好きじゃない。他の歌手が歌った方が良いことが多い』

などと、とんでもないことを言う。

 それから、中島みゆきは大好きだが、いわゆるみゆきファンが好む、振られ歌は、好きではない。

 例を上げると、中島みゆきのベストアルバムである、『大吟醸』の中で、『悪女』『あした』『浅い眠り』『ルージュ』『わかれうた』『ひとり上手』『狼になりたい』『慟哭』などは、ほとんど聴いてないと思う。

「ちょっと待って、どうしてそんなに、ピンポイントで、お母さまの好みが分かるの?」

 それはね、私が、オリジナルのディスクを持ってて、それをしばらく貸してあげて、5枚くらい貸したところで、

『コピーしてあげるよ』

って、言ったら、

『これだけでいい』

って、言ってきたのが、その『大吟醸』では、そこにないこれ以外の残りのものだったからなんだ。

「じゃあ、ベスト盤のベスト盤しか聴いてないのか」


 それから、中島みゆきなんだけど、取り扱い注意、というものがある。

『ローリング』

という歌は、母も好きなのだが、これは、かけるのは、細心の注意を払わなければならない。

「どうして?」

 そこには、幸せな家庭に育った私が、その後の不幸に直面し、選んだ道ゆえの恐ろしい世界が垣間見える。

「もったいぶって、何よ!」

 私が、高価なオーディオセットを持っていることは、前から話している。

 どうして、定価231,000円のアンプが買えたのか、麻友さんは、知っていると思う。

「太郎さんが、働いていたからよね」

 そうだ。2005年11月12日のことだ。

 また、スピーカーは、2本で、定価178,500円だが、これも2006年2月25日に買っている。

「それだって、太郎さんが買ったんでしょ」

 そう。

 そして、もう一つ大きな買い物は、ブルバキ

「120,000円よね。これはいつ?」

 オーディオより前の、2005年2月12日だ。

「こんなもの並べて、何がしたいの?」

 これから、『悪銭身につかず』ということわざを、証明してみせよう。

「えっ、すごいこと考えてるのね。どうやるの?」


 私は、父と同じ会社で働いていたと言ったね。

「そうだったわね」

 私としては、不本意だったのだが、お金は、母が、管理していた。

 私には、生活費として、ひと月7万円渡してもらうことになっていた。

「ひと月7万円!? 今、3日で2000円で、ひと月2万円じゃなかった? ああ、そうか。悪銭身につかずで、稼いでるときに7万円ずつ使ってたらお金がなくなって、今2万円になっちゃった、という話の展開か」

 そんな、たやすい話じゃない。

 そもそも、それでは、母のCDとも、結びつかない。

 そして、ここに書いてある、231,000円とか、178,500円とか、120,000円などのものすごい額に、ひとつずつ日付がついていることは、意味があるのだ。

「ギョッ、どうなるの?」

「まさか、私のAKB合格と関係あるの?」

 そういえば、2005年のAKB48のデビューから2006年12月3日の麻友さんのAKB48のオーディション合格の頃に、近いといえば近いなあ。

 もしかして、このオーディオセットって、麻友さんの声を美しく再現することを目指していたのかな。

 というような、いつもの寄り道は、カットして、違うよ!

 ここで、ボタンをかけ間違えたら、この文章から、迷路に落ち込みかねないよ。

「えっ、だって、私の声が綺麗に出たらいいじゃない」

 麻友さんに、歌ってもらった方が、もっといいに、決まってるじゃん!

「だったら、太郎さん、寝なきゃ」

 あっ、そうか。

 とにかく、最後まで書いちゃうよ。


 私の出納帳で、

2006年4月1日に、20,000円 『太郎の封筒から』

とある。

「何? やな予感」

 最後に分かる。でも少なくとも、麻友さんの合格には、まったく関係なく進んでいたことだよ。

「そう」

 2006年5月12日に、50,000円 『太郎の封筒より』

 2006年8月6日に 50,000円 『MATSUDAの箱から』

 2006年8月12日 30,000円 『MATSUDAの箱から』

 2006年8月15日 30,000円 『MATSUDAの箱から』

 2006年11月23日 100,000円 『Taroの箱から』

「ちょっと待って、すごい額。分かった、太郎さん、盗ってるんでしょ。家のお金を」

 そう。良く分かったね。

「7万円も、もらってるんじゃない。それに、ここの金額全部、日付は、オーディオセット買った後のことじゃない。なんで、そんなにお金必要だったの?」

「もしかして、借金して、オーディオセット買ってたの?」

 麻友さん相手だから、正直に書くけど、借金はしてない。

 それから、オーディオセットの最後のスピーカーを買うより前には、こういう金額はない。

「えっ、じゃあ、どうして、オーディオセット買えたの?」

 母にウソをついたことにはなるんだけど、放送大学の学費と言って、ひと月に、5万円くらいかすめていたので、ちょっと買うCDや本をがまんすれば、貯められたんだ。

「少なくとも、明示的に盗んでないと?」

 この部分は、母も、知らないんだ。母は、盗んだお金で買ったのだろうと、疑ってるのかもしれないが、実は、買ってあるオーディオセットは、全部、お金を盗む前に、買ったものだ。

「じゃあ、盗んだお金で、何を買ったの? 私は、計算できるわよ、2+5+5+3+3+10は、28。28万円よ。これだけあれば、かなりなものが買えるんじゃない?」

 そう。確かに、28万円入ってきてる。私は、スピーカーをさらに後ろに2本置いて、サラウンドにしようとしていたんだ。

「スピーカーは、178,500円のはずね。100,000円おつりが来るはずじゃない」

 そう。そこまで試算して、私は、盗んだお金を遣うのが、嫌になって、父から盗んだものを113,500円そろえて、2006年12月24日に、父に謝って返したんだ。

「えっ、その113,500円というのは、どこから、出てくるの?」

 上の盗んだお金のリストのうち、『太郎の封筒から』とか、『Taroの箱から』となっているのは、母が、私から受け取ったお給料を入れていたところのものなんだ。一方、『MATSUDAの箱から』というのは、父のお金から盗んだものなんだ。

「でも、3,500円余分じゃない?」

 この3,500円が、何か分からなくて、父も、私の言葉を信じられず、困ったのかも知れない。

「これは、なんなの?」

 麻友さんの家ではどうか知らないけど、私の家って、かなりお金にいい加減なとこもあって、ちょっと新聞屋さんが来たとき、払えるくらいの額を、お皿に並べて置いていたりするんだ。

「えっ、じゃあ、太郎さんの下宿で、お父さまが、その辺に置いていたお金にまで、手を出していたというの?」

 実際には、2006年の4月1日は、実家にいて、上で書いた、

 2006年4月1日に、20,000円  『太郎の封筒から』

の行の上に、

 2006年4月1日に、   500円  『母の小銭から』

 2006年4月1日に、 3,000円  『千円札の封筒から』

と、明記してある。

「『千円札の封筒』というのが、お父さまのお皿のお金なの?」

 実は、そうじゃない。

 私は、出納帳で、計算するとき、細かく、400円とか、500円と、盗んでいるのを、全部、見つけ出すのに疲れ果て、目の前にあった、3500円だけ、110,000円に加えて、返したんだ。

「その400円や、500円の、時期は?」

 やっぱり、麻友さんは、素晴らしい。

 そう。その追求だよ。

 これから生きて行くとき、私も付いてるけど、私がいないときには、それくらい厳しく生きて行かなきゃだめだよ。

「その400円や、500円は、いつからあるの?」

 転居初期から。

「いつから?」

 2002年3月24日 400円 『父の箱から』

とあるのが最初。

「はー。アンプ買うより前からなのね」

 でも、合計しても、2000円くらいだと思う。

「どうして、そんなことを、請け合えるの?」

 私は、父のところから借りたとき、次に父が来るまでに返しておくようにしてたから。

「あー。太郎さん、温かい家庭に育ったって・・・」

「そうだ。これで、終わりにできないんだった」

「それで、28万円から、お父さまに返した113,500円を引いた、166,500円は、どうなったの?」

 そうなんだよ。父も母も、私がまだ返していないお金があるんじゃないかと、疑ってたのかも知れないけど、ここで、16万円ものお金が消えてるんだ。

「消えてるじゃなくて、太郎さんには、分かってるんでしょ」

 うん。分かってる。

 でも、その結末は、余りにもあっけないんだ。

「あっけない? だって、16万でしょ。もう1台アンプが買えそうなくらいの額じゃない」

 そう。だけど、この16万円は、いつもよりちょっとリッチな食事をしたり、ちょっと豪華な映画のDVDのセットを買ったりということに、消えたんだ。あと、本かな。

「えー、何も、残ってないの?」

 その時買った本は、出納帳を見れば、ピックアップできるけど、もうQEDだよ。

「何が、キューイーディーなの?」

 『悪銭身につかず』証明終わりだよ。

「あっ、そうか。太郎さん、自分のお給料で買ったものは、アンプやスピーカーやブルバキになってるのに、盗んだお金では、ほとんど何も買えなかったのね」

 その通りだよ。完璧な証明だよ。


 しかも、私には、将来、これに近いことが起こるような気がしてたんだ。あの2006年の頃。

「どういうこと?」

『あの時、あのアンプ、買って良かった。スピーカーも、あれで、良かった。他に、スピーカー、買わなくて、良かった』

と、今、2017年に、思ってるってこと。

「今でも、あんな無茶な買い物して、良かったなんて、思ってるの?」

 それも、理由を話そう。


 私は、あのとき、YAMAHAのNS-1000Mというスピーカーを、本当は、買いたかったんだ。

「もっと高かったの?」

 売られてなかったんだ。

「まだ発売になってなかったの?」

 いや、製造中止になってたんだ。

「悪い部分が見つかったのかしら?」

 そうじゃないんだ。ベリリウムという環境に優しくない金属が使われてたので、製造中止命令が出てしまったんだ。

ベリリウム、じゃなきゃいけないの?」

 スピーカーは、音が命でしょう。その音が伝わる速さ、音速が、ベリリウムは最高なんだ。

「どれくらい?」

 理科年表によると、12,890m/sとある。

「普通の音速は?」

 340m/sくらい。

「ざっと、マッハ40。それは、速いわな」


 でも、このスピーカーが欲しかったのは、別な理由からでもあったんだ。

「音以外に、太郎さんが大切にするもの?」

 私の実家には、大きなSONYのスピーカーが2つある。

 今でも覚えている。渋谷の社宅にいたとき、大きな荷物が運ばれてきた。

 若いお兄さんが、階段を1段ずつ、持ち上げて、2階へ運んでくれた。

 家に着いて、開けてみたら、冷蔵庫みたいなスピーカーだった。

 それが、なぜSONYなのか、私は、知らなかった。

 幼稚園から、13年経ち、私は、下宿に住むことになった。

  父に、

「スピーカーを欲しいから、選ぶの手伝って」

と言って、一緒に買いに行ってもらったのに、全然選んでくれなかった。

 なぜ父が、気もそぞろなのか、私には、さっぱり分からなかった。

 私が、

『これくらいしか買えないよな』

と思うのを、

『そんなんで、いいよ』

くらいで、買ってきた。

 私は、腹を立てていた。

『なんで、あんな素晴らしいSONYのスピーカーを買ったりする父が、私のスピーカーを選んでくれないんだ』

ってね。

 でも、それから、ちょっとして、分かったんだ。

「えっ、お父さま、なんでだったの?」

 広島の実家にいたとき父が、YAMAHAのカタログを見せながら、つぶやいたんだ。

『あのSONYのスピーカー買うとき、これとどっちにしようか迷ったんだよな。SONYの方、もうとっくにあのスピーカー作らなくなったな』

 私は、その時まだ、知らなかった。YAMAHAに、1974年に製造開始して以来、1997年、麻友さん3歳の時まで、23年間作り続け、売れ続けることになる、伝説のスピーカ-、NS-1000Mという名機があったということを。

「エーッ、お父さま、太郎さんが幼稚園の時、つまり、1976年頃に、それを、買ってたかもしれないの?」

 そう。

 でも、それだけじゃ、なかったんだ。

 父は、こう言ったんだ。

『あのスピーカーは、由美子が選んだんだよな』

と。

「由美子さんって、えっ、3歳じゃない。どうやって、選ばせるの?」

 私も、試されたことあるんだ。

 スポンジだけのヘッドフォンと、耳をがっちりガードしたヘッドフォンと、かわりばんこにかぶせられて、

『どっちが、音が良いと思う?』

って、聴かれた。

 私は、どっちも良さそうだったけど、見た目ががっちり耳をおおっているから、こっちの方が、音が逃げないだろうなと思った。でも、今でも覚えているけど、スポンジだけのヘッドフォンも、音は良かったんだ。

「どんな音楽だったか、今でも頭に流れるの?」

 母なら、そんなこともできるかも知れないけど、私の頭に音楽は流れない。だから、CDを買うんだ。好きな曲を頭に流したいときいつでも流せるように。選挙のために買ったなんて、あれは、どうかしてるって、これくらいのジャブ耐えられるよね。

「大丈夫。太郎さんが、同じCD2枚以上買ったのは、会いに来てくれるために、『シュートサイン』2枚買った時だけだって、知ってるからって、太郎さんこそ、それだけしか貢がないで、AKB48の私を、嫁がせようって、神経疑うわ?」

 うん、大丈夫だね。さっきのヘッドフォンの話に戻るけど、私の頭に音楽は流れない。ただ、あの父から聞かれたときの瞬間に、

『こんなスポンジだけなのに、こんなに、音、良いんだ!』

と、ビックリしたのを、はっきり覚えているんだ。

 きちんと書くと、スポンジだけのヘッドフォンの方が軽くって、軽快に振る舞えそうだった。今後は、こんなタイプのヘッドフォンが、のしてくるのかな?っと思った。

 だけど、音を大事そうに扱っているがっちりタイプの力の入れようを見て、耳をガードした方を、

『こっちの方が、いいと思う』

と、答えたんだ。

 でも、まだ迷っている気持ちを示そうと思って、

『そっち、もう一回、聴かせて』

と言った。

 でも、父は、がっちりの方を買って、一緒に帰って来た。

「ちょっと待って、それ太郎さんも、幼稚園くらいなんでしょ。どうしてそんなに色んなこと、分かってるの?」

 麻友さんは、覚えてないのかなあ。子供って、すっごく小さいときから、考えてるんだよ。

「そうだったかしら」

 でも、それを、知らなかったのが、父なんだよ。

「えっ、モルモットにしたってこと?」

 そう。小さい子供だから、メーカーが良いとか、新しい技術を使っているとか、分からないで、本当に音の良いと感じた方を、

『こっちが、いい!』

と、指し示すだろうと思って、

『最終的に、どっちにするか迷ったな』

という場面で、私や妹を利用してたんだ。

「でも、太郎さんは、本当にどっちが音が良かったか、で、選んでないし、だとすると妹さんの選んだのも、根拠は、分からないわね」

 そう。だから、分かるでしょ。

「何が?」

 1991年。私の大学入学時に京都で、父が本当に買いたかったスピーカーは、どれだったか?なぜ、気もそぞろだったか?

「うそっ、NS-1000M!」

 そうだったんだよ。

 妹に、あのSONYのスピーカー2台と、NS-1000M2台とを並べて、恐らくヴィヴァルディの『四季』か何かをかけて、

『どっちの方が、音がいいかな?』

って、聞くのを、老後の楽しみに取っておこう。そのために、太郎にここらで、これ買わせておきたいな。

 父は、そんなことばっかり頭にあるから、大学入学し立てで、

『5万くらいのスピーカーでいいんだ』

なんて言ってる私の声は、聞こえてなかったんだ。


「そんな、老後の楽しみのことまで考えているっていうけど、太郎さんが二十歳なら、お父さま50歳よ。まだ、そこまで人生設計できるとは、思えないけど」

 いや、そういう人なんだよ、父って。

「エーッ、本当に? どうして、そんな人だと思うの?」


 父、今まで、どんなことやって来たと思う?

 キリスト教というものを調べると言って、調べてたこともある。

キリスト教徒になったの?」

 ならない、ならない。

 その後、こんなことを言い出したんだ。

『天に富を積む(てんにとみをつむ)』

「どういう意味?」

 天というのは、宇宙というか、死後の世界。富というのは、自分にとって良くなるもの。積むとは、この世界で、生きている間に、少しでも良いことをして、神様に認められて、死後の世界にその分生きているうちから蓄えを作っておこう、ということなの。

「えっ、だって、死んだら、何も持って行かれないじゃない」

 それが、普通の人だよね。

 でも、私、今でも覚えてる。父が、あのマンション買ったときのこと。

「横浜に、マンションを買ったのだから、渋谷にいたのよね。やっぱり6歳の頃だわ。本当に覚えてるの?」

 ああ、この時のために、あの惨事はあったのか。

「惨事?何があったの?」

 家にいたとき、母が、

『今度、引っ越すのよ。これが、そのマンション』

と、興奮気味に、大きな絵を広げて見せてくれた。

「大きいって、どれくらい?」

 うーん。後で、惨事が起こったことも考えると、そんなに大きくない。A3くらいかなあ。

 母は、この5階の真ん中の家だという。

 5階には、3軒あって、どうみても両側の2軒の方が、部屋数も多く、広そうなのに、真ん中の家は、細長くて、小さい。

 だが、そこで、

『もっと広い家がいい』

などと、私は、言わない。

 どうして、言わないんだと思う?

「こういう時、『太郎さんが、賢いから』なんて答えても、良い点数はもらえないのよね」

 麻友さん、分かってる、分かってる。賢いからじゃないんだ。

『こういう時には、聞いていれば、母が全部説明してくれる』

と、当時もう知っているからなんだよ。

 つまり、母は、それだけ十分に、私の相手をしてくれていたんだね。

「まさか、太郎さん。妹さんの弁護、始めるつもり?」

 そういうつもりはなかったんだけど、この一文からも、私が、母親の愛情をまっすぐ受けられたのに、妹は、1歳半の私と母親の取り合いになったのは、うかがえるね。

「太郎さんと妹さんでは、扱いが、全然違う。生まれてすぐから妹さん、競争にさらされてた。それが、暴力なんてことになったんじゃ、ないかしら?」

 今日は、投稿しなければならないな、このことも書いたのだし。

「えっ?、何か言った?」

 私って、あっちこっちで、こんなつぶやきをしている。それにしても、なんとかしなきゃ。

「お母さまが、どう説明してくれたの?」

 あっ、そうだった。

『1号室は、女の子の一人っ子のうちが、入りそうなの。太郎は、由美子もいるし、これから赤ちゃんが産まれて、3人兄弟になるから、お金がたくさん必要だから、こんな大きな・・・』

 これ以上、丁寧に、書き切れない。


 何千万もの家でなく、無理して高い家にこだわらなかった。

 父が、将来のことを、何事もきちんと計画して、進める人だった。

 だから、妹の耳のチェックを、老後の楽しみにしている、なんてのも、有り得ることなんだ。


「それを、書きたかったの?」


 私は、178,500円のスピーカーを2005年に吟味してたとき、そんな老後ことまで、知らなかったけど、父が欲しかった、NS-1000Mを、本当は、欲しかったので、YAMAHAのスピーカーを選ぶとき、あまり無理しなかった。

 そもそも、私は、『NS-1000M』という名前も、スピーカーを選んでたとき、知らなかった。

「その、おじいちゃんが言ってた、『あれ』、みたいな、つかみ所のないものを、探すとき、太郎さん、どうやってるの?」

 普通の人と、そんなに、違わないよ。ただ、私の武器は、自分の記憶をかなり当てにしていい、という自信を持っていることだな。

「その自信は、どうして身についたの?」

 これね、なぜ、今年、どうしても、電子辞書、買わなければ、ダメだ!っと、とうとう買ったかの理由のひとつで、私、小さい頃、小学校入る前から、辞書をひくことを、覚えて、意味を知りたいとき、辞書をひくのは、当たり前。それだけでなく、『あれ、本当は、どうだったんだっけ』と、思ったら、そばに辞書があれば、必ずひく。これ、私の人生で、『必ず』の反例探す方が、大変なはずだよ。

「えっ、太郎さんの小さい時って、電子辞書なんてなかったはずよ」

 そうだよ、紙の辞書、ひいてたんだよ。

「それで、太郎さんは、今までの人生で、そばに辞書があるのに、『まっ、いいか』と、目をつぶったことは、ほぼないと言えるほど、自分に厳しく、生きてきたって言うの?」

 それは、かなり、信じてもらっていい。

「ああ、太郎さんの、自分の記憶を当てにしてもらっていい、という自信は、ここに、源泉があったのね」

 それだけじゃなく、私が、覚えてると、『スゴイ』『スゴイ』と、褒められるので、おだてられて、調子に乗った、というのも、十分に真実ですよ。


「私、恐いこと、知っちゃった。この間、2017年7月18日に亡くなられた、日野原重明先生。どうして、あんな高齢まで、最後までボケなかったか、太郎さんが、秘密知ってたなんて」

 私、知らないよ。

「ウソ、今言ったじゃない。きっと、日野原重明先生も、辞書をまめにひく人だったのね」

 ゲッ、ここでは、アイディア湧いた気がしてないぞ。

「そうね、太郎さんのアイディアじゃないんだわね」

 ただ、私が、改めて提案したいのは、紙にこだわる必要は、ないんじゃないか、ということなんだ。

「そんなこと、改めて言わなくても、技術は、進歩します」

 分かってるのか。

「知りたいのは、おじいちゃんの、『あれ』、みたいな、つかみ所のないものを、見つける方法です」

 そうだ、じゃあ、自分の記憶に自信があると、どうして、『あれ』みたいな状態から、それを特定して、きちんと、見つけ出せるか、やって見せよう。

 まず、あの当時、つまりスピーカーを吟味していた2005年頃、インターネットはあった。だって、麻友さんが、AKB48を、見つけてるもの。

「私、初めて、太郎さんのブログで、仕事したみたい」

 これで、千秋楽みたいに、盛り上げても、しょうがないんだけど。

「ただの、端役か」

 今は、待ってろ。

 私は、2006年2月にスピーカーを買うのに向けて、インターネットで、最初は普通に、『スピーカー』とか入れながら、調べ始めた。

「そこでは、まだ、記憶の自信は、関係しないの?」

 いや、関係してるんだ。

 多分、麻友さんの方が、インターネットに触った年齢が低いから、分かるだろうけど、パソコンって、日本語だけじゃないよね。

「それは、分かる。いわゆる、エラーメッセージが、英語なのよね」

 麻友さん、どうしてた。

「止まると、お母さんや、お姉ちゃんに、聞いてたけど、段々操作を覚えて、そのうち、なんとかできるようになった」

 それまでって、長くなかった?

「でも、小学生だもん、時間は、いくらでも、あったのよ」

 麻友さんは、そうやってクリアしてたのか。

 ただね、パソコン初心者には、そこまでが、大変なの。

「ところで、太郎さん。太郎さんは、どうだったかを、聞きたいわ?」

 そこなんだよ。私は、最初から、英語のエラーメッセージ読んで、理解できて、困らないくらいだったんだよ。

「えっ、そういうのアリ?」

 受験英語だって、エラーメッセージだって、英語には、違いない。1991年に、後期ではあるが、京都大学理学部に受かっている力と、1994年に、退学してからも、気になったら、そばの辞書をひくことを、やめなかった努力は、決して、裏切られなかった。

「あっ、そうか。太郎さん、パソコン使えたところに、後から、インターネット、来てるんだ。絶妙な、順番じゃん!」

 そうだよね~。いきなり初心者に、パソコン渡して、インターネットやらせるって、ハードル高すぎるよね。

 という話で、盛り上がりたかったわけでは、ないんだ。

 インターネットでは、小学生の知らない漢字も、いっぱいあるよね、という話を、したかったのだ。

「それは、確かに、漢字もいっぱいあったけど、もっと絵文字なんかもあった」

 そこで、話をそらさないで。その漢字をどうやって、読んでた?

「最初は、読まないようにしたりもしてたけど、途中から、『この音(おん)を、当てて、良さそう』というのが、勘で分かってきて、どんどん読むようになった」

 それで、普通の人は、正常だと思うよ。

「太郎さん、何を言いたいの?」

 私には、通常、インターネットなどをしてるとき、どこを読んでも、読めない字なんて、ないんだ。

 これが、おじいちゃんの『あれ』、みたいな、つかみ所のないものを 見つける上で、実は、重要だと思うんだ。

と、書きたいんだけど、要点だけ書くと、

 私は、見たものを、大抵、読めてしまう。だから、読んだものを、意味もしっかり理解していることが、多い。だから、私の記憶は、正確なことが多いし、また、間違ってても、修正されることも、ある。そうやって、どんどん良くなって行ってる。そして、それが、実感されているので、自分の記憶の自信は、どんどん深まることに、なるんだ。

 自信が、深まったのは、インターネットをやったから、みたいに見えるけど、本当は、インターネットとは、関係ないよね。インターネットは、1995年のWindows95の頃、始まったけど、私が、辞書をひき続けていたのは、1991年に、大学合格してるんだから、それよりずっと前から。きちんと言うなら、小学校の1年生になった、1978年からなんだもの。

「そうか、1978年から、太郎さんは、辞書ひいてたんだ。私、今さら、無理ね」

 そういう話をしてるんじゃない。おじいちゃんの『あれ』、みたいな、つかみ所のないものを、見つける例として、『NS-1000M』を、どうやって見つけたか、説明してたんだ。

「どうやって、見つけたか、チョンチョンと、かいつまんで、言えない?」

 2005年頃のある日、いつものように、Yahoo! JAPANとか、立ち上げたとき、Yahoo!のニュースに、『ヤマハ』みたいな文字が、見えたんだ。

「そう、ニュースの見出しって、短いものね。YAMAHAより、ヤマハの方が、三文字」

 ここから、ドパ-ッっと、インターネットの世界が、広がった。

「そのヤマハ、クリックしたんだ」

 ところが、当時のパソコンだとフリーズしたり、余り長い時間つないでると、通信料が高くなるからだめ、とか、邪魔も入った。

 そこで、毎日めげず、何度も同じようなサイトを、同じような一連の操作して、見れたのは、私の記憶力が、確かだったからなんだよ。

「そこでも、記憶に、自信持ってると、良かったんだ。って、ちょっと、先生、『めげず』なんて言葉あるんですか?」

 麻友さんに、先生と呼ばれたら、私が、応じるのだよね。

 はい。『めげず』なんて、辞書にもありません。日本語じゃありません。でも、『めげない』と、辞書を引くと、ジーニアス英和大辞典に、確かにヒットするのです。cheerfulの訳語、一番下の5番目に、

5<人が>〔よくない事について〕のんきな,めげない〔about〕

と、あるのです。確かに、市民権、獲得してるのです。この『めげない』の『ない』が、『ず』になったら、想像できますよね。『めげず』となる。そう思うと、日本人の感覚として、『めげず』は、日本語として、使っていいんじゃない? こんな、答えで、どう?

「太郎さん。そこにある〔about〕っての何よ。この『めげない』というのは、意味がフワフワしてますよ、って言う目印か何かじゃない?」

 そうだった。この電子辞書は、凡例(はんれい)付いてないんだった。そうか、電子辞書になって、軽くなって良かったと思ってたけど、紙でなくしただけじゃなかったんだ。あの最初の数ページに書いてあったこと、実は、重要だった。

 今さら、紙に戻れないけど、あの5ページくらいだけ、取り戻したい!

「何、前世紀のようなこと、言ってるのよ。インターネットで、『ジーニアス英和大辞典の凡例』って、ググれば、他の人がもう質問してて、解答も付いてるのよ。喜んでいいわ。太郎さんのその電子辞書、凡例も内蔵されてる。いつも、使ってないキー、たまには使ってあげなさい。それから、〔about〕調べるのは、やめた方がいい。頭、冷やして、英和辞典調べていた頃の勘がもどれば、『めげない〔about〕』とあったら、aboutに、めげない、という意味あるんだよ、という辞書のいつもの、サービスだなって、気付いてたはずじゃん。太郎さんみたいに、アバウトな人間だから、いつまでたってもめげないで、やってこれたのよ。めげないと、アバウトって、重要な、関係があったのよ。めげないで、生きて行くには、大雑把で、いい。これを、落ちにする?いや、そういう展開では、なかったけど、太郎さん大丈夫?」


 私は、次に続けることを考えてたんだ。


「もう、その行、持ってきちゃいなさい」


 そうするか。


「ああ、そうやって、『NS-1000M』だと、特定したの、でもこのスピーカーの話は、まだ、出てくるの?」

 そう、それをこれから説明するところに、あの時、将来こんなことが起こるんじゃないかな、と思ったという、根拠がある。

「『スピーカーも、あれで良かった』とか、『他に、スピーカー、買わなくて、良かった』とか、変なこと言ってたわね」

 あの時。つまり、麻友さんが、AKB48に、見ほれた、2005年の初め頃、具体的には、2005年2月12日に私が、ブルバキを12万円で買った頃から、始まって、2005年11月12日にアンプを買い、2005年12月8日にAKB48は、初公演。そして、麻友さんの注目が集まって、AKB48の公演に行き始める2006年の2月頃かな?私は、2006年の2月25日に、スピーカーを買ってる。そのスピーカーを買った時が重要なんだけど、その時、私の頭にあったのは、

『今から5年くらいして、YAMAHAが、新しい、NS-1000Mよりも、もっと音の良いスピーカーを、出すんじゃないか?』

という懸念だった。

 実際、YAMAHAは、当時、新しいスピーカーを出そうとしていた。

 そして、私は、値段もチェックした。

 2本で、40万円だった。

「買えなかったのね」

 違う。

「40万円って、そんなお金、どうすれば、出せるの?」

 私は、そのスピーカー、音も聴いてないけど、見ただけで、『ダメだ』と、分かった。

「却下したの? いつもの科学者が、実験もせず!」

 もちろん、私も、科学者を標榜する人間だ。実験を一回もせず、そのために間違ったら、とんでもない笑いものだということは、重々承知だ。だから、一度だけ、予備実験をした。

「えっ?、どうやって、実験したの?」

 今は、石丸電気、全然ダメだけど、当時、秋葉原に、レフィーネ・アネーロという、本当に、

『一桁か二桁、値段間違ってない?』

というような、高額のオーディオのみを扱ってる店があった。

 そこへ行って、

『YAMAHAの新しいスピーカーも、試聴させてもらってきました』

と言う良く分かっている年取った店員さんに、色々質問した後、

『今度のSoavoは、レフィーネ・アネーロに、置いてもらえそうですか?』

と、聞いたんだ。

「そあぼって、その2本で、40万円のスピーカ-の名前?」

 そう。そうしたら、

『ここには、置きません』

と、言われたんだ。

 だめ押しに、

『今、まだ、NS-1000Mがあったら、ここに置きますか?』

と聞いたら、ニヤーっと、笑ったけど、答えなかった。

 それで、スピーカーは、2本で、178,500円のもので、

『ゴー』

ということになったんだ。

「それで、正解だった、というのは、どういうことなの? YAMAHAが、その後、もっと良いものを出してきたの?」

 そうなるよね。そうなったんだよ。

「えっ?、いつの話?」

 これは、麻友さんと、ほとんど同時進行だったんだ。

「同時進行って、いつが?」

 2016年だから、麻友さんにとっくに会って、さらに1回入院もした後のことだけど、1月2日に、鎌倉のねくすとのメンバーで一緒だった人のひとりから、メールをもらった。

「太郎さんって、よくそういう昔の知り合いって、いるわね」

 麻友さんなんて、ゴッソリ連れてきそうじゃない。

「そうなったらどうしようか、頭のいたい問題なのよ」

「それで、どんなやり取りしたの?」

『禿げてデブのおじさんになっちゃった。僕には、もう彼女はできない』

なんて、向こうが、しょげてたから、

『私なんて、42歳から入院して、それから、43歳で、去年彼女作っているんだから、まだまだだぞっ』

って、励ましたんだ。

「どんなこと、書くの?」


 余り、自分の容姿は気にしすぎないように。

 私が、上手く行った理由は、本当は、分かりません。

 ただ、今までの女の人と違ったのは、私が、常に全力だということです。

 面白そうなことが見つかったけど、次の機会まで取っておこう。などということをせず、あの人には、その日のうちに連絡して、伝えています。

 この全力投球が、あの人の心を打ったのかも知れません。

 好きな人が、今、居ないなら、慌てることはありませんが、私のこのアドヴァイス、重要かも知れませんよ。

というくらい。

「太郎さん。これ、今打つのに、何秒かかった?」

 打ってない。

「えっ、太郎さんがそんなに音声認識ソフトを使いこなしてるなんて情報は、入ってないわよ」

 あっ、そういうことじゃない。私は、まだ、音声入力なんて、できない。

 これ、前のメールのだから、コピペしたんだよ。

「あれっ、太郎さんのメールって、コピペした部分かなりあるのかしら?」

 そんなことないの、毎日のように読んでて、知ってるくせに。

「知らないわよ。!」

 えっ?

「だって、私達、メールも、禁止になってるじゃない」

 そうだった。ゴメン。頭が、話を起伏があるようにしようと、面白がって、突っついてるみたいだ。

「その瞬間なのよ。うまく突っつけた。という瞬間に、ドーパミンが、ドバーッと、出てるんじゃない?」

 あっ、そのアイディア、今日の(本当は昨日。2017年10月7日の)夕方16時頃、新聞買いに行ったとき、考えていたものだ。

ドーパミンが、沢山出ると、妄想とか起こるんでしょ。普通の人は、そんなに、出ないのよ」

 でも、あの、

『上手く行った!』

という瞬間って、発見したときとかで、大切な気がするけどな。

「そうなのよ。だから、本当は、他の人達も、太郎さんが発見するみたいに、発見もしたいのよ」

「余りにも、そういうことを要求されすぎて、薬物に、手を出した人なんかもいるんじゃない?」

 はっ!

「どうしたの?」

 今日のこのメール(本当は、ブログ)、もしかして、その薬物に、麻友さんが、手を出しそうになってることを、教えるためだったとか?

「ちょっと、止まりなさい」

 本当に、これ以上、書いても、麻友さんには、読む暇あるわけないね。

 本当は、この後に、父に、お金を返した後、母が、11月23日と言ったら、誕生日の頃じゃない、と思い出して、誕生日にもらった、『時代』のCDを返してきたんだ。という話が、あるんだ。

 これだよ。

時代-Time goes around-

時代-Time goes around-

「それで?」

 母から、戻ってきてしまったあの『時代 Time goes around』のCDの中で、母が好きだといっていたのが、『ローリング』だったから、あのCDをかけるのは、『ローリング』をかけることで、だから、取扱注意なんだ。このジャケットを、母の前で、CDかけようとするのは、麻友さんと私が、母が、『そういえば、息子が、統合失調症に、なって、おまけに、30万円以上盗む、なんてことも、したりして、迷惑かけて、ずっと病気のままだけど、綺麗なお嫁さんと、一緒になって、この頃、元気に回復してきた。なんとか、安心だね』と、安心できるくらいまで、仲良く暮らせてからだねって、ことだよ。取扱注意、の意味は、そういう事だったんだ。そのCDを、なぜ、これがダメだ、なんて言うには、母が、お誕生日にもらって喜んでいたのに、12月24日に返してきた。その理由。つまり、2006年4月1日から、2006年12月24日まで、私が、父のお金を盗んでいた、という話をしなきゃ、どうしようも、なかったんだ。

「太郎さんの、ブログで、今までは、その話、書いてなかったのよね。読めて、嬉しいわ」

 これで、今回渡しておくべき情報は、全部そろった。もう寝ないと、本当に、病気が再発する。

 今日は、ここまで。現在2017年10月8日17時37分である。おしまい。