相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。

この世界の本当の姿は?5

 現在2018年4月3日18時12分である。

「本当に、書いてきたんですね」

 うん。約束通りね。

「あれっ、私の口調が違う」

 気付いたね。

『がん消滅の罠』

見たんだよ。そして、麻友さんの口調を研究したんだ。

 本来なら、『本当に、書いてきたわね』と、いつもなら書いていたところだ。

 でも、麻友さんの声を、忠実に再現すると、『本当に、書いてきたんですね』と、言いそうだと、思ってね。

「本当に、私を、お嫁にするつもりなんですか」

 その問題だけどね、いつも話しているトントンで、本音を話したんだ。

「太郎さんの本音って、聞かせてもらえませんか」

 以前、『ストーカーの心理』という投稿で、



「太郎さんは、私と結婚したいの?子供が欲しいの?」

 どっちでもない。

 AKB48を卒業した後の麻友さんと、こういう話を、仲良く話せるようになりたいだけなんだ。

「太郎さんが言ってることは、一貫してるわね。信じて良さそうね」



と書いたのは、本心なんだ。

 私は、麻友さんと、友達になって、私にしか作れない、数学の教材を、一緒に作りたいだけなんだ。

「友達で、いいんですか」

 一緒に、教材を作っているうちに、本当に波長の合う人だと分かって、お互い引かれ合ったのなら、結婚ということもあり得るけど、最初から結婚ありき、というのは、周囲からも反対されるし、お互い窮屈になりすぎると思う。

「太郎さんにとって、私じゃなきゃならない理由は、何なんですか?」

 私、前から話しているように、こんなに女の人、好きになったことないんだ。

 クロイツェルソナタの女の人の写真も、卒業アルバムにあるのだけで、満足してたし、分子生物学の女の人も、写真撮らせてもらったことなかった。

 私の携帯の待ち受けは、最初は、母だったし、その後、姪の赤ちゃんの時の写真だったし、その次は、姪と甥の写真だった。

 携帯の待ち受けに、好きな女の人の写真を入れたことなんて、なかったんだ。

「それが、今は、私の写真なんですね」

 そう。

「私が、美人だからですか?」

 私、イングリット・バーグマンオードリー・ヘップバーンの方が、麻友さんより美人だと思うんだ。

 だけど、バーグマンの笑顔とヘップバーンの笑顔と麻友さんの笑顔を比べたら、麻友さんが、圧倒的に1番だと思う。

「そんなに褒めちゃって、いいんですか? 今後、他の女の人を好きになられたとき、その方をどう褒めるんですか?」

 麻友さんより美人はいないから、万が一他の人を好きになった場合には、ブログのこの部分を見せて、

『あなたを、好きになったのは、顔でではないんです』

と、言うしかない。

「太郎さんって、平気で、女の人を、傷つけるんですね」

 傷つけるつもりはなかったんだけど、傷つけてたら、ごめんなさい。

「太郎さんは、私と、数学の教材を作りたい。どれくらい、本気なんですか?」

 私達、実際、このブログとドラえもんのブログで、少し作っているじゃない。

「そうね。だったら、私がいなくても、作れるんですね」

 私は、予備校の衛星授業とか、放送大学の授業のように、麻友さんと動画を作りたいんだ。私が、数学の先生、麻友さんが、聞き手として。

「太郎さんは、そういう形で、私のそばへ、来たいんですね」

 結局、私の頭脳によると、麻友さんのそばに行ける、最も可能性の高い方法は、それだとはじき出されたわけだ。

「私が、何を恐れているか、太郎さんは全然、気付いてくれないんですね」

 えっ、何を恐れてるの?

「それを、私の口から言わせるのですか?」

 思ってても、言ってくれなきゃ分からない。

「太郎さんが、私のそばへ来て、一緒に動画を作って、何本も作るのでしょう? そして、24本とか作って、太郎さんが、満足しちゃって、『麻友さん。本当にありがとう。私、好きな女の人と、こんなに長い間一緒にいられたことなかった。本当に、嬉しかった。感謝しているよ。じゃあ、またいつか』と言って、永遠に私の前から去ってしまう日が、来ることをです」

 麻友さん。それは、取り越し苦労だよ。

 私を、そばに呼ぶ前から、そんなこと心配してたら、麻友さんの人生に、なーんにも起こらないよ。

「面白い授業を、本当に作れるのですか?」

 麻友さんが、私のブログを、4月の7日に3年になるほど、見続けているというのが、何よりの証明じゃないか。

 そうだ。今日(2018年4月4日)は、私が麻友さんを見初めて、3年経った日だ。

 3年経っても、私の麻友さんへの気持ちは、色あせてない。

「太郎さんが、先生で、大丈夫なのかしら?」

 当たり前の授業なら、予備校の先生の方が上手いはずだよ。麻友さんと私は、私達にしかできない授業をやった方がいい。

「太郎さんらしさって、何ですか?」

 歴史的な必然性を重要視する授業。

「体のない数学を作れないか? とかですか?」

 分かってるじゃん。

「でも、それは、大学レヴェルでは、ありませんか?」

 はっきり言って、高校までの数学は、他の先生が、いっぱい良い授業作ってるんだ。

 だから、大学レヴェルの授業を作った方がいい。

「私、分かりません」

 麻友さんが、分かるかどうかが、授業の程度のバロメーターになる。

「太郎さんの世界観によると、あらゆることが、可能なんですよね。そういう前回の投稿をした理由は、まだ教わってませんでした」

 初等関数のノートの続きね。じゃあ、始めよう。

「今回は、最初から読んでいいのですか?」

 最初から読んでいいよ。

「じゃあ、始めてください」



 初等関数のノート

 2018.3.12 7:00頃


 この宇宙では、その人がいる世界は、その人独特だ。

 だから、結局、私がこの文章を書いて、私の今いる世界の周囲の人を救えたと思っても、それは、私が今いる世界の方で、私から見て、世界中の人が救われただけだ。この宇宙には、すべての可能性が書き上げられているのだから、今日の今(2018年3月12日7時57分16秒)に、私がこの文章を書けず、世界が全面核戦争に現実に陥るという世界も、可能性としてあるというだけでなく、本当にあるのだ。

 そのため、自分自身の操縦を誤れば、あなたは、そういう世界を通る。つまり、体験するかも知れない。

 私の体験した世界では、2018年に核戦争は起こらず、北朝鮮の問題も解決し、中東の問題も解決し、戦争がなくなり、周囲の人もそれを同じように感じているはずだ、となっていたとしよう。

 ところが、あなたは、そうでない世界、つまり2018年に核戦争の起こる世界の方を歩んでしまうかも知れない。

 私には、あなたを操縦することはできないから、あなたが、そちらの世界に行ってしまったら、救ってあげることはできない。

 だって、あなたの世界では、あなたの周囲に、この文章を書いた、松田太郎という人間が、いないのだもの。

 結局、他の人を救うというのは、自己満足に過ぎない。


 では、なぜ私は、これを書くのか?

 それは、私の中学生の時からの実験のためである。


 私は中学の時、

『人間は、本当に、自分のためにならなくても、他の人のために、何かを、献身的にするものだろうか? 打算やずるい考えを全く持たないで、そんなことをできる人がいるだろうか?』

と思った。

 そう思ったのは、中学の国語の授業で、森鷗外の『最後の一句』を読んだからである。あの、『もとより「マルチリウム」という洋語も知らず、また当時の辞書には献身という訳語もなかったので』という言葉のある話である。

 疑問に思った私は、友達や先生に聞いても納得できる答えが得られそうになかったので、

『じゃあ、自分で実験してみよう』

と、思ったのである。

 それ以来、私は、他人のために何かをしたとき、

『今、自分の中に、この人に感謝されようとか、後でお礼をもらおうとか、そういう気持ちがあったかな?』

と、チェックするようになった。

 そうして、月日は流れ、30年以上、実験してきて、その実験結果を分析してみると、人間が本当に、誰かのために自分を顧みず何かをする、というのは、次の場合だけである。

 例えば、電車に乗っていて、隣に座っている人が、手袋を落としたとする。咄嗟に、

『あっ、落とした』

と、思って無意識に拾ってあげる。

 この、どうしようもない衝動で人を助けた場合以外には、邪念が入る。

 マザー・テレサのような人はどうだろうと、聞かれたら、あの人には、目の前で死んでいく人に、何もしないではいられない、という衝動があったのだろうと、答えられる。

『じゃあ、お前はどうなのか?』

と聞かれたら、私は高校3年の頃に恋をした頃から、

『邪念を持たずに献身的に、他の人のために何かをする』

というのを、諦めたのだ。

『自分のためかも知れないが、他の誰かも喜ぶのなら、それをやったっていいじゃないか。これからは、そう思って社会と向き合おう』

と、思うことにしたのだ。

 そうして、28年間。私が、その人に良かれと思ってしたことが、その人のためにならなかったこともあるが、私にとってそれは、

『自分のためだったのだから』

と、思い直すことで解消し、その人が喜べば、

『2人以上が、喜んだのだから、良かったな』

と、思うことで、幸せな気分になる。という生活を送ってきた。

 だから、今、この文章を書くのも、半分は私のためである。

 それでも、心のどこかに、私がこれを書いたことで、それが、他の世界を生きてしまっている人にも、何らかの形で伝わり、その人を救う一助になったらいいな、という思いがあるから、やっぱり私は書かずにいられないのである。

 あなたも幸せになってくれなきゃ、私は本当には幸せになれないのである。

 私とは、そういう我が儘な人間なのだ。

 幸せになるって、大変だけど、本当に良いものだよ。

 一緒に幸せになろうよ

 あなたが、同意してくれるのを、待っているよ。


 2018.3.12 9:53:09


 書き上げて、私は、半年ぶりくらいで、北上田君のテレホンカードを取り出して、眺めた。

 あなたにも、見せてあげよう。

f:id:PASTORALE:20180313101936j:plain




 以上、初等関数のノートより。




「えっ、あの、ノートの中の、『あなた』というのは、私では、ありませんよね」

 もちろん。麻友さんのことじゃないよ。

 私の文章を読んでいる人のことだよ。

「太郎さん、実験嫌いと言いながら、こんな実験してたんですね」

 何年も前に、もう結果は分かってたけどね。

「北上田敦さんのテレホンカード持ってるって、本当だったんですね。でも、使ってある」

 精神科に最初に入院したときに、使っちゃったんじゃないかな。

「太郎さんに取って、北上田さんを、生き返らせるのは、見果てぬ夢?」

 馬鹿言っちゃいけない。それは、日本語使い間違えているよ。『見果てぬ夢』というのは、かなわない夢という意味なんだ。北上田君は、生き返らせられる。

「良い方法がある?」

 最近少し進んだ。

「どんなのですか?」

 これは、トントンでの会話を思い出していて得られたアイディアなんだけど、人間の体を再生するとき、凍った状態で、体をつくり、最後に一気に解凍して、生き返らせる、という方法は、どうかと思ったんだ。

「それで、血液が、巡るのですか?」

 ちょっと、簡単には、行かないかも知れないけど、ひとつのアイディアには、違いない。

「私、『がん消滅の罠』以外でも、いっぱいしゃべっているのですけど」

 うん。他の口調でも、しゃべらせてあげる。

 今日は、ここまでだな。

「太郎さんから、数学の動画を作るというオファーがあったと思って良いのですね」

 オファー出した。

「物理学の動画は、考えてないのですか?」

 物理学はね、『相対論への招待』で、麻友さんが、本当に相対論が分かったと思ったら、それから麻友さんの方から、オファーちょうだい。

「あれは、まだ未完ですよね」

 ローレンツ変換というものが、分かるところまで、招待するつもりだよ。

「待ってます」

 じゃ、バイバイ。

「バイバイ」

 現在2018年4月4日18時03分である。おしまい。