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吉野弘さん亡くなってたのか(その2)

 現在2018年5月21日21時07分である。

「あら、随分前の話題だけど」

 そうなんだけどね、麻友さんの気持ちがこちらに向いている、ということが、はっきりした以上、きちんと話しておかなければ、ならないんだ。

「後で、私だけに、ちょちょっと話すだけでは、駄目なの?」

 そういうことをすると、麻友さんが、後で、弱みを握られて、ゆすられたりしかねない。

「そんな、恐ろしいことなの?」

 いや、恐ろしいことじゃないけど、恥ずかしいことだから、

『麻友さんのご主人の秘密、知ってますよ。世間に言いふらしますよ。嫌だったら、これだけの額を、用意して下さい』

などという人間も、現れるかも知れない。

「太郎さん、そんなことまで、想定してるの?」

 麻友さんは、宝塚の影響で、『清く正しく美しく』なんだろ。それは、綺麗な面だけ見せるということではないはずだ。

 隙のない生き方をするということでもある。

「太郎さんは、あの恥ずかしい話を、全部公開しちゃっていいの?」

 私は、このことが後になって取り返しの付かないことになる方が怖い。

「じゃあ、話して」


 まず、本来あの『吉野弘さん亡くなってたのか』という投稿は、あんなに長くなるはずではなかった。

 あの素敵な詩を、紹介するだけだったのだ。

「そうよね。そういう感じだった」

 ところが、あの記事を書く何日も前から、麻友さんへの記事を書いてなくて、書き始めたら思いがいっぱいになった。

 そこで、書きたいことを、断片的に、どんどん書き始めてしまった。

「あっ、それで、後からつなぎ合わせたみたいな文章になっちゃったの?」

 そうなんだ。

 しかも、薬を飲まずに、十何時間も書いていたので、段々疲れて頭の働きが悪くなって、思っていることを、うまく書けなくなった。

「『これ以上丁寧に書けない』とか、太郎さんらしくないこと書いてたものね」

 あの投稿では、途中から二つの重要なことを書こうとし始めてしまった。

「二つって?」

 一つは、あのとき麻友さんも、

『妹さんの弁護、始めるつもり?』

と、気付いたように、妹のことを書き始めていた。

 しかし、私の妹の一家のことは、麻友さんと、それほど深い関係があるわけではなく、このブログで論じても、意味のないことだ。

 一方、二つ目は、私が、親のお金に手を付けた、という問題で、こちらは麻友さんと私にとって、直接関係のあることだ。

「でも、あのとき、太郎さん、かなり詳細に話してくれたわ」

 いや、あのときは、書き切れなかったことが、いくつもあるんだよ。

 例えば、私は、今、3日に1回、2,000円ずつ母から受け取って生活しているけど、なぜこんなおかしな取り決めになっているのか、というのは、あの文章だけでは分からない。

「それを、私に、話してくれるの?」

 麻友さんが、本気で、私を好いてくれているのに、このまましらを切るわけにも行かない。

 しかもこれは、私が19歳(1991年)、つまり今の麻友さんの年齢よりも若いときからのことに関係しているんだ。

「えっ、お父様のお金に手を付けたこととは、関係ないの?」

 15年後に、父のお金に手を付けることになった、遠因ではある。

「人間の過去には、色んなことがあるのね」

 せっかく一度、『吉野弘さん亡くなってたのか』という投稿をしているのだから、これを補いながら、説明していこう。

「分かったわ」



 まず、私が、前の晩、薬を飲んでなかったというところから始まる。




 この記事は、5月21日にここまで書いたまま、下書きとして保存されていた。

 他の優先順位が上の記事を投稿しきったので、これに加筆し、投稿しようと思う。

 現在2018年6月28日14時57分である。それでは、再開する。

「太郎さん。どうして、この記事を投稿する気になったの?」

 昨日、駅ビルのCIALのくまざわ書店に行ったとき、いつもの習慣で、小林りんさんに以前勧められた、『日経ビジネス』という雑誌を、立ち読みしたんだ。

「ああ、『量子テレポーテーションは、大丈夫?』のときのかわいい赤ちゃんの手の表紙の雑誌ね」

 良く覚えてるね。

「今、太郎さんのブログの『記事を検索』窓に、『ませんか』って入れて、検索したのよ。すぐ見つかったわ」

 なるほどね。

「それで、『日経ビジネス』に、何が書いてあったの?」

 障害年金の認定方法が変わって、今年から障害年金をもらえなくなる人が、全国で1,000人以上いる。ということが、書いてあったんだ。

「えっ、太郎さんも、もらえなくなるの?」

 私は、当分もらえるだろうけど、その記事の一番言いたかったことは、障害が軽くなってきたから、障害年金を減らすとか、働けるようになってきたから、障害年金を減らすというのは、間違っている。ということだったんだ。

「あれっ、じゃあ、どうすればいいというの?」

 要するに、その人が、どれくらい、経済的に困窮しているかで、障害年金を渡すかどうか、判定すればいい、と書いてあったんだ。

「太郎さん、その話を、お母様にした?」

 話したよ。

「なんだって?」

『障害者を、身内に抱えている家族も大変なんですから、障害年金減らされたりしたら、困りますよ』

と、言ってた。

「当然よね。太郎さんが、私と結婚して、私が、高額稼いでいるから、太郎さんが、障害年金止められたりしたら、夫婦生活送れなくなるものね」

 ちょっと、待った。

 今麻友さんが、言ったような事態は、実際には起こらないけど、世の中の結婚している障害者のほとんどは、経済的に自分を養い切れていないよ。

「そんなこと言ったって」

 いや、そもそもの、お金を稼いで、生きていかなければいけない、という発想自体が、もう破綻してるんだよ。

 麻友さんだって、自民党の『高度プロフェッショナル制度』というものが、働くということと、生きるということとの間の、バランスを取り損なったものだと気付いているでしょう。

 もう、人間は、通貨などという発想から、脱却しなければ、ならないんだ。

「『日経ビジネス』読んで、いつもの『お金をなくす』という考えの根拠が、またひとつ増えたのね」

 くまざわ書店では、『SWEET』(7月号)も、見たよ。

 わざわざいうのは、今回の麻友さんの写真、私の麻友さんのイメージを、そのまま写したようで、すごく良かったから。

 あまり、お化粧が濃いいのは、好感持てないんだよね。

 ただ、本当は、どれも、麻友さんなんだから、好き嫌いいうのも、変なんだけど。

「あれが、太郎さんの好みの私なのね。覚えておくわ」

 でも、町で、めがねかけずに、あの顔の麻友さん連れて歩くってことは、外国でしかできないんだろうなあ。残念。


「ところで、『日経ビジネス』の記事で、何を話したかったの? 何か言いたいことがあったんでしょ。お金をなくすの他に」

 私が、なぜ天才になれたか? なぜ弟は、普通になったか? という話だよ。

「お金のことに関しても、太郎さんが天才だ。という話は、聞いてないわよ」

 実は、父母は、私に対しても、お金に関して厳しくしつけたんだ。

「大学から帰ってきた後のこと?」

 違う。小学校1年生のときだな。

「どうして、そんなに、限定できるの?」

 小学校に入った、というんで、おばあちゃんが、ピカピカ光る百円玉を1個、くれたんだ。

 当時、母方の祖父母は、南武線の宿河原に住んでいた。すぐ後に、祖父が成田空港へ仕事先が変わり、成田のおじいちゃん、おばあちゃん、となるが、当時は、長尾のおじいちゃん、おばあちゃんだった。

 私が、まだ渋谷の美竹町の社宅にいた頃だから、小学校1年生の3学期にはなってない。

 今では、『パフ―』なんて吹きながら、お豆腐屋さんが来ることはなくなったが、当時(1978年)は、社宅にお豆腐屋さんが、お豆腐やお揚げを売りに来ていた。

 夕方、社宅の中の誰だったかの家で、遊んでいたとき、いつもの『パフ―』が、聴こえた。

 それで、私が、そこの家のお母様に、

『お豆腐、買ってきてあげましょうか?』

と言った。

『じゃあ』

ということで、20円受け取った。

 これが、20円であったから、今、このいきさつを、思い出せるんだなあ。

 私は、20円を握りしめて、自転車に乗って、お豆腐屋さんを、追いかけた。

 でも、お豆腐屋さん、行っちゃって、いなかったんだよ。

「じゃあ、スーパーへ、買いに行ったの?」

 まだ、お金で、何か買うなんてこと、ほとんど知らない頃だよ。

 その家へ、戻ったんだよ。

 だけどね、気付いたら、10円、なくなっちゃってたんだよ。

 10円玉ひとつしか、手に残ってなかったんだ。

「どうしたの?」

 その家のお母様に、

『お豆腐屋さんに、会えなかったんです。そして、気付いたら、10円落としちゃったみたいなんです。ごめんなさい』

って言ったら、

『じゃあ、いいわよ』

と、言われたんだ。

「一件落着。太郎さんだって、10円取ったわけじゃ、ないんでしょ」

 一件落着じゃないんだ。

 この話を、家に帰って、母にしたら、

『それじゃ、太郎が、10円なくしたんだから、弁償しなきゃならないわよ』

と言われた。

『『じゃあ、いいわよ』と、言われたんだよ』

と言っても、許されず、

『春に、おばあちゃんから、100円もらってたわよね』

と言われた。

 あのピカピカの100円である。

『お母さんが、その100円を、50円玉1個と、10円玉5個にくずしてあげますから、それで、10円渡しに行きなさい』

と言われた。

 私は、あのピカピカの100円玉が、ピカピカしていない50円玉や10円玉になるのが、残念で残念で、泣いていたが、泣いたからと言って許されず、ぐちゃぐちゃの顔のまま、そこの家の前まで母に伴われて行って、

『なくした10円です』

と、返した。

 向こうの家でも、びっくりして、

『このおもちゃ、10円なんですけど、あげましょうか?』

と、言ってくれたりしたが、

『大丈夫です』

と言って、辞した。


 これが、ある意味、私のお金というものの扱い方の原点である。

「太郎さん。ちゃんと、教育されているんじゃない。どうして、あんなお金についての、変な考え方するようになったの?」

 変じゃないんだよ。

「でも、お父様のお金を盗んだりしたり、お金をなくそうとしたり、やっぱり、変よ」

 うん。麻友さんが、お豆腐買いに行って落とした10円を弁償することを教わった人が、やっぱりお金という概念はなくそうというようになるまでを、納得するか、納得できなくても、受け入れるわ、と言わなければ、結婚して一緒の家計を営むことは、できないんだろうな。

 この社会で、同じ土俵で戦えないはずの健常者と障害者が、同じお金という仕組みで生きているということ自体、絶対どこかに矛盾が生じるのは、当然なんだ。

 麻友さんは、中学3年生かトライ式高等学院の数学で、背理法という証明法を習っただろうか。

 あることが成り立つということを証明するために、そのあることが成り立たないと仮定して、矛盾が導かれることを証明し、そこで矛盾が導かれたのは、先ほどのあることが成り立たないとしたのが間違っていたからであるとして、そのあることは、やっぱり成り立つということが証明された、とする証明法だ。


 これに当てはめてみよう。

 今、私が健常者とまともに渡り合って生きられるということを、証明したいと麻友さんが考えたとする。

 そこで、私が健常者とまともに渡り合えるということを証明するために、それが仮に成り立たないとする。

 健常者とまともに渡り合えないのだから、私は、障害者だ。

 その上で、矛盾を、探すことになる。

 矛盾を見つけなければ、私が、健常者とまともに渡り合えるということを、証明できないのだから、一所懸命探すだろうが、その矛盾を見つけるということイコール『同じ土俵で戦えないはずの健常者と障害者が、同じお金という仕組みで生きていること自体、絶対どこかに矛盾が生じるのは、当然なんだ』で言っている矛盾を見つけたことになるのだ。

 要するに、お金という概念が、矛盾を含んでいるということです。


「なんか、うさんくさい議論ね」

 さすが、特待生。

 麻友さんには、ウソをつかない約束だったね。

 上の背理法の説明は本当だけど、『これに当てはめてみよう。・・・要するに、お金という概念が、矛盾を含んでいるということです。』の『・・・』の部分は、論理的に正しくない詭弁です。

「どうして、詭弁なんか、・・・ああ、太郎さんが、強調したかったことなのね」

 この投稿の続きは、(その3)にすることにして、一旦投稿しようか。もう5,498文字になってる。

「そうね。でも、太郎さんの中に、お金というものの本当のトリセツがあるのが、確認できたのが、今日の収穫だわ」

 次回は、ドラえもんのブログに書くかも知れない。

「それよりも、本当に静岡まで来られるの? またお父様のお金に手を出すとかしない?」

 ここ数日で、入院したりすると、チケット代を7月5日とかに用意できない可能性もあるけど、入院しない限り、代金は稼げる。

 麻友さんに、会うために、お金盗んだりしたら、もう会えなくなっちゃうよ。

 大丈夫。

 TOKYO DOME CITY HALL も、なんとかします。

「静岡まで、新幹線で、往復1万円超えるけど」

 東海道線で、2時間半で、往復5,180円。あれっ、そうか、遠距離だから、往復切符にすると、安くなるかも。

 このアイディア、ありがとう。麻友さん。

「フフッ、ちょっと、役だったわね」

 じゃあ、夕食だから。

「バイバイ」

 バイバイ。

 現在2018年6月28日18時25分である。おしまい。