相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。

誰だって正義には勝てない

 現在2010年3月30日21時26分である。

 今日書くことは、私としても、書こうかどうしようか、かなり迷ったことである。
 私が伝えたいことは、ここで書く具体的な例の方ではなく、行間ににじませた、「誰だって正義には勝てない」という考え方を諸君も頭に置いておいて欲しい、ということである。
 去年このブログを削除したときに消してしまっていて、まだ復活させていないことなのだが、私は、障害者の就労を支援する、ねくすと、という組織にお世話になっていた。それが、2年という期限付きのものだったために、私は、この3月に卒業することになった。
 そこで、最後の授業の時に、私が、2年間通ってみて、ここを改善したら、もっと良くなるだろうに、と思っていた点を、パワーポイントでの発表という形でスタッフの人達に伝えようと思った。
 その時のパワーポイントのファイルは、このブログのリンク集の私の論文の生原稿というのをクリックすると開かれる公開ファイルの中に、「ねくすとに望むもの.ppt」という形で保存してあるので、パワーポイントを持っている人は、見ることが出来る。

 その発表の中で、私は、ねくすとのプログラムの中で、清掃実習の時だけ、手を石鹸で洗った後ふくための紙タオルが用意されているのに、通常は、タオルが常備されていない点に触れ、一度でも、ウィルスなどの感染が起こってしまってからでは遅いので、紙タオルを常備して欲しい、というお願いをした。
 他にも、色々なお願いをしたのだが、この発表をし終わった後、パソコンの先生をしている、スタッフの方が、やや過敏な反応を示された。
「衛生面について、発表があったけど、言っておかなければならないと思うのね。」
と、前置きした後、
「幼稚園生でも、ハンカチとちり紙を持つというのは、常識なことなのね。手を綺麗にするということは、自分でするべきことなの。高級レストランへ行って、おしぼりは出てこないでしょ。紙タオルを用意するというのは、サービスであって、しなければならないことではない、ということを、言っておかなければならないと思います。」
と、話された。
 私が、この言葉を聞いて、感じたことは、
「スタッフの一人として、先生が言ったことは、もっともなことだな。」
ということだった。だが、そう感じつつ、同時に、
「私自身の言ったことが実現した方が、本当は、ねくすとのためになることなのだがな。」
とも感じていた。
 この時、私は脳裏に、まだ、大学生だった頃に読んだ、朝日新聞のあるコラムにあった言葉を思い出していた。
 それが、
「誰だって正義には勝てない。」
という言葉だった。
 社会の中には、正義を振りかざして、正論を押し通そうとする人がいる。だが、正義が必ずしも、多くの人にとって、生きやすいものとは、限らない。だから、多くの人は、正義ではなくても、ある程度の妥協をして生きている。そういう多くの人にとって、正義をとなえる人は、困りものなのだ。
 そして、正義を通そうとする人が、正論を述べたとき、正義には勝てないのだ。
 それを端的に表したのが、
「誰だって正義には勝てない。」
という言葉なのだ。
 ここまで書いてきて、私がなぜこの投稿をしようかどうか、迷った理由が浮かび上がってくる。
 それは、私のお願いの方が、正義を振りかざしたお願いだったのではないか、という疑念である。
 本当は、スタッフの方だって、紙タオルを常備した方が良いことは、分かっていたのではないか。ただ、やむなく、清掃実習の時だけ用意することにしていたのではないか、ということである。
 人間社会で、色々な人がいて、それぞれがある程度の妥協をして生きている。
 その中で、何か意見を述べるとき、自分が、正義を笠に着て、多くの人を生きにくくしているのではないか、ということを常に頭に置いておくという姿勢を持つことを、諸君も忘れないで欲しい。
 今日は、お説教になってしまって、申し訳ない。私の感じた一つのことを述べたまでである。
 今日はここまで。
 現在2010年3月30日22時32分である。おしまい。