相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。

もう一つの真実

 現在2010年10月24日0時01分である。

 2ヶ月ほど、更新していなかった。生活も荒廃し、勉強も、余り進んでいなかったので、書くことがなかったというのが、本音である。

 今日というか、昨日の、10月23日のNHKドラマスペシャルで、「てのひらのメモ」というのを見た。

 裁判員制度のことを扱ったドラマだったのだが、私には、登場する、母親と息子のことが、強く印象に残った。

 ドラマの内容とは、関係がないのだが、裁判員の一人の主婦とその息子の間で、次のようなやりとりがある。

 高校生の息子なのだが、その子が、母親の作ってくれていた、お弁当を捨てていたというのである。母親がやっと理由を聞き出すと、その理由はこういうことだった。

 母親が、学生時代の友人と電話で、たわいもない冗談話をしていて、

「息子が生まれてなかったら、私は、今頃、キャリアー・ウーマンになって、バリバリ働いていたわね。息子のために、それを全部なくしてしまったわ。」

というような、内容を、うっかりしゃべったのだ。それを息子が、偶然聞いていて、自分が生まれてきたのは、間違いだったのかと、思ってしまったのだった、ということだったのである。  家族の絆というのは、血は水よりも濃いなどというように、美化されることも多いが、必ずしも、そう堅いものとは限らない。

 私は、もし、病気をしていなければ、それほど父とも、母とも、問題なく、過ごせて行かれたと思う。だが、実際には私は、統合失調症を発病し、まともに働くことも出来ない状態になった。

 こうなってしまうと、私は、いい大人なのに、いつまでも、親と一緒に暮らしていくようなことが、起こってきてしまう。

 大学生や社会人になった人達は、ある程度分かると思うのだが、大きくなった子供が、親と一緒に暮らしていると、些細なことで、問題が起こってくる。これは、動物の本能の影響もあるのだと思う。子供は巣立っていかなければならないのだ。

 さて、私の場合、一緒に暮らしていたときの、トラブルは、数限りなかったが、私が、父の紹介で、町工場のようなところで、働くようになって、お金が、少し出来たので、一人暮らしを始めることが出来た。

 だが、この部分に関しても、私は、納得していたわけではなかった。私は、病気が良くなってきたところで、大学に戻って卒業し、大学院に進みたいと、思っていたのだ。

 だが、父母は、私にそうさせてはくれなかった。

 父母は、私がこの病気になったのは、私の生き方に原因があると思っていて、この病気になったのは、私が悪いのだ、と思っていたのだ。

 私は、仕方なく、父に従っていたが、不当な扱いを受けているとずっと思っていた。

 そして、もう一つ、私が不当な扱いを受けていると思っていたのは、私の稼いできたお金を、父母が管理していたことだった。

 父母は、私が大学時代、無駄遣いをしたと、決めつけていて、もう私には、お金の管理はさせない、と言ってきたのである。

 そのために、私は、交通費など、必要なものを、一つ一つ、申告して買わなければならなくなってしまった。

 だが、自由の好きな私が、こんなことを受け入れられるわけがなかった。私は、買いたいものは、自分の意志で決めて、自分の買おうと思ったときに買うのが当然と、思っていた。

 これを実行するためには、父母に、水増しした申告をして、お金を余分にもらって、買いたいものを買うしかなかった。

 「欲しいものを申告して、買えば良かったんじゃない。?」という人もいるかも知れないが、私が、正直に申告しても、本当に欲しいものは、通らなかったのである。

 その後、私は、もっと自分のお金が使いたくなって、私の父のお金が置いてあったところから、3回に分けて、計10万円盗むに至った。

 それから、1年ほどして、私は、お金を盗んだことを謝り、それまでに、取り戻していた、10万円を返した。

 しかし、父母はそれ以来、

「お前は、息子ではない。これからは客として来い。」

と言って、私から、実家の鍵を取り上げてしまった。


 こうまで書くと、私と父母は、ものすごい険悪な関係にあるように思えるだろう。

 実際、実家に帰って、父に、

「ただ今。」

と言っても、父は何も言わない。

 母とは普通にしゃべっているが、母も、心の底で、どこまで私を信頼しているのかは分からない。

 では、私はどうなのか。

 私は、私のお金を取り上げている、父母を、面倒なことをしてくれる人だ、と思っているが、父母は、私のために良かれと思って、してくれているのだろうと、信じている。ただ、やり方を間違っているのだ。

 私は、父と母を信じている。

「どうして、信じられるの?」

と質問されたら、私は2つのことを思い出す。

 なぜ、母を信じられるか。

 小さいときから、私は、母に、絵本を読んでもらって育ち、大学受験まで、いつも、支えの一つになってもらってきた。

 大学受験の頃、母が、私の陰で、ガールフレンドとの関係に何かやっているのではないか、と感じられたのが、統合失調症の症状だったのだと分かってからは、疑う理由はなくなった。


 母を信じられるのは、これまでの小さな積み重ねである。

 ではなぜ父を信じられるか。

 父のしてくれたことを思うとき、いつも、思い出す写真が1枚ある。

 江ノ島の、防波堤の上で、テトラポッドも何もない海の上に、父が手をまっすぐに差し出し、その手のひらの上に、1歳くらいの私が、なんの支えもなく、立っている写真なのである。

 母が撮った写真だが、常識ある人が考えれば、もし、子供がちょっとでふらっとして、バランスを崩したら、海に落ちてしまって、確実に死んでいるところである。

 なぜ、父を思うとき、この写真を思い出すかというと、父は、私が小さい頃、どこへ行くのでも、私を連れて行っていたと、母から聞かされたことがあるからだ。

 手のひらの上に立っていられるという、信頼関係で結びつけられた、親と子の絆を、この写真は表しているように、思えるのである。

 もう一つ、父のしてくれたことで、思い出すことがある。

 それは、私にはありがた迷惑だったのだが、父が、長年勤めた会社を辞めて、私のために、知り合いの人のやっている、町工場に私をアルバイトとして就職させて、サポートしてくれたことであった。

 私は私なりに、社会復帰のプログラムと取り組んでいて、ケア・サポーターの人と、進めていたのだが、それを、完全に壊して、町工場に、勤めさせたのは、私と、ちょっとコミュニケーション不足だった父の父なりの優しさだったのだろう。

 私が今日、ドラマで描きたかったであろう真実の他に、もう一つのの真実として、書きたかったことは、子供を、小さいときから、本当に、大切に、愛情を込めて、育てていれば、

「うちの親は、本当は、私を生みたくなかったのじゃないだろうか。」

などとは、間違っても思わない、ということである。

 少なくとも、私は、そういう幸せな家庭に育った。

 そんな幸せな家庭に育っておきながら、親のお金を盗んだり、これはまた別な話題なのだが、家族に来ているメールを勝手に読んだりしたのは、なぜなのかと、問われるかも知れない。

 寂しかったのである。

 家族の他の人達が、それぞれに、友人や結婚相手がいる中で、私だけが、メールをやりとりするのは、相手は一人か、二人。半年に1回位、というのが、とても、寂しかったのである。

 統合失調症になっていなければ、友人も、結婚相手も、見つかっていたかも知れないが、結局、今の生活では、本当の親友は、3人くらいであり、結婚も出来そうにない。

 もちろん、お金がほとんどなくても、本当に信じ合える女性に出会えれば、結婚が絶対出来ないということはないだろう。

 幸せな家庭に育った、私は、そんなことを考えつつ、今日の投稿を終えることにする。

 一番言いたかったことは、順風で進んで行っているときは、なんでもなく信じ合えているが、ひとたび逆風の環境になったとき、親子が信じ合えるのは、大切にしてきた、大切にされてきた、という思いの積み重ねなのである。

 今日はここまで。

 現在2010年10月24日2時45分である。おしまい。