相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

先週の水曜日のクローズアップ現代

 現在2012年10月10日21時34分である。

 一昨日、京都大学山中伸弥先生が、日本人としては2人目となる、ノーベル医学・生理学賞を受賞されたので、今日のクローズアップ現代は、山中先生へのインタビューだった。

 6月以来ブログを更新していなかったのだが、久しぶりに書こうという気になったのは、この山中先生のニュースに触発されてのものではない。

 そもそも、小柴先生のノーベル物理学賞のときなど、

「先生の研究は、何の役に立つのですか」

と尋ねても、

「さあ、役にはたたんでしょうなぁ。」

なんていう答えが返ってきて、国谷さんも苦労していたが、今回のiPS細胞の話は、すぐさま役に立つ話だったので、インタビューはかみ合っていた。見ている人たちも、面白かったのではないか。

 そんなニュースで持ちきりになっているのを見て、私は、秘かに喜んでいた。

 実は、丁度先週の水曜日のクローズアップ現代で、伊藤穣一先生という人のインタビューがあり、多くの人の目が、伊藤先生の方に向いてしまったのではないかな、と思われ、余り競争する人が増えると困るな、と思っていたからであった。

 本当のことを言うと、私は、先週のクローズアップ現代を見終わってすぐ、伊藤穣一先生という人にメールを送りたいと思ったのだった。それは、先生のやっていることが、本当に、面白そうなことであり、また、私がその場に居合わせたら、もっと、面白くできるのではないか、という思いがあったからである。

 先生は、インタビューの最後に、自分の研究所に、300人の先生を呼べると言っていた。これに、応募したいと思ったのである。

 だが、私には、今すぐメールを書く人は、他にも多いのではないか、と思えた。私が、メールを書きたいと思ったくらいだから、日本中から、

「私を雇ってください。」

と言う、メールが殺到するのは目に見えている。

 ここは、すぐにメールを書いて、やる気のあるところを見せるより、1週間くらい時間をおいた方がよいのではないか、と思ったのである。

 伊藤穣一先生にしても、殺到してきたメールの山を秘書の人に手伝ってはもらうかも知れないけど、整理して、本当に、的確な人を選ぶのは、大変な作業だろう。だから、1週間くらいして、メールの山が収まった頃に、私からのメールが行った方が、ゆっくり見ることが出来るのではないか、と、一計を案じたのである。

 ただ、私としても、MITのメディアラボに先生の1人として雇ってもらうには、障害がたくさんあることは身に染みて感じていた。

 まず、ディスカッションが仕事の職場だから、英語が流暢に話せなければならない。英検3級の私には、高すぎるほどの壁である。

 だが、これは、まだ解決不可能な壁ではないと思えた。貯金をはたいて、それを全部、YMCAの英会話スクールでの授業にあてれば、1年後に、10月から、雇ってもらうまでに、ディスカッションできるくらいに、話せるようになるのではないか、と思えた。これは、国文科だった妹が、会社に入った後、YMCAに入って、一番下のクラスから始めて、最後には、ひとりで、イギリスへ行けるほどになったのを見ていたからである。

 やる気さえあれば、語学は、なんとかなるだろう。私は、そう考えて次に進んだ。

 次なる壁は、私が、統合失調症という障害を抱えているという隠しようのないものすごいハンディキャップである。  統合失調症というのは、白血病やバセドー病と並んで、治癒という状態になることのない病気であり、今の私のように、緩解(かんかい)という状態、つまり、薬を飲んでいれば、よほどのことがない限り再発はしない、というところまでしか持って行かれない病気であるということなのである。

 脳の働きを抑える薬を飲んでいるのだから、疲れやすい、調子を崩しやすい。

 障害者として、1月7万円も障害年金をもらえる位なのだから、反対に言えば、他の人のようには、絶対働けない、ということを宣告されているようなものだ。

 私の場合、2009年に再発した原因は、失恋だったことがわかっているのだが、アメリカで、また失恋して、再発したら、もう目も当てられない。

 第一、アメリカへ行ったら、薬はどうやって手に入れたらよいのか。2月に1回、母に、主治医から薬を受け取って、送ってもらうのか。? 危険薬物と、間違われたりしないのか。

 統合失調症という壁はこのように、私の生活の一番身近などうしようもなく高い壁なのである。

 だが、私は楽天的な人間である。最近の何十年かの、障害者をもっと社会で受け入れようとする多くの取り組みなどを見ていて、私が、障害をクローズで、アメリカに行ったら、絶対再発するだろうが、障害をオープンにして、初めから、そういうことを加味した働き方をしたら、以前の8年半働いた会社のように、何とか続くのではないか。そう励まされるような、雑誌の記事や、テレヴィの番組をいくつも、最近見た。

 どうせ、統合失調症になっちゃって暗い人生を送る可能性が高いのなら、思い切って、目の前の楽しそうなことに飛び込んでみようよ、と、思ったのである。


 ここまでは、語学の壁と、病気の壁について、書いてきた。だが、もう一つ、学問の壁、という大きな壁があるのだ。

 伊藤穣一先生という人は、大学中退ではあるが、様々な実体験を買われて、ラボの所長になられたのだろうが、そこで働く、先生達には、やっぱり、大学の博士号とかをとった人や、それに匹敵する何らかの業績を残していることが、要求されるだろう。

 私は、18年前に京都大学理学部を中退した後、勉強はしてきたが、オリジナルな成果というものは、ほとんどない。アーベルの計算の遊びについて、初めて正しい答えを出したというものがあるだけだ。

 それに、一人で勉強していたので、まだまだ勉強したりないことは、山のようにある。とても、博士号レヴェルではない。

 私が、この18年で何を本当にできたのか、というと、数学という学問が、全く無の所から、しっかりと強固に組み上げられている、ということを、全部たどったことであり、数学を使ったり、新しい分野に入ったときに、何の不安もなく、それを吸収して行かれる、という状態になった、ということと、物理学の各分野のつながりを知り、ほんのわずか、知識を得た、ということである。

 こんなことで、MITのラボで、働くなんてことが出来るのだろうか。

 しかし私は、働けるか働けないか、ということより、MITのようなところで、頭の切れる人たちと、刺激を与え合うというような、そんな環境に、自分を置きたいのである。


 もし、伊藤穣一先生に認められて、ラボの研究員になったら、まず何をしたいか。

 伊藤先生から、課題を与えられたら、それをやることになるのだろうが、そうでなければ、次のようなことをやりたいと思っている。

 最近は、コンピューターというものが、生活の必需品になっている。だが、そのコンピューターの中身、というものは、ほとんどの人は知らない。昔の科学少年は、目に見える、抵抗や、トランジスターを使って、ラジオを作ったりして、メカというものに1から触れて行かれたのだが、今の科学少年には、コンピューターのCPUというものは、ブラックボックスになってしまっている。これでは、科学の成長が危ない。

 私は、自分で、CPUというものを作れるようになるところまで、勉強して、それを、小学生にも分かるように噛み砕いて、小学生が、CPUを作れるようになれるように一つのゲームを作りたい。

 ストーリーとか、キャラクターとか、音楽とか、ゲームの本体は、それぞれの専門家にやってもらう。私一人で抱え込まないで、みんなで学習して、それを持ち寄って、一つのゲームにしたいと思っているのである。


 私は以前、アップルのスティーブ・ジョブズが、最後に作りたかったものは何だろう、と考えたことがあった。その結論は、

ドラえもん

である。世界中の子供達、ひとりひとりに、ドラえもんをプレゼントする。

 現代では、日本では、子供達がひとりひとり携帯を持っている。これを進化させて、世界中の子供達が、遊びや学習や悩み事の相談のために、ドラえもんを持つ時代が来るのではないかと思っている。

 ドラえもんの秘密道具の中で、既に実用化されているようなものもちらほら見えてきている。マンガの上では、ドラえもん誕生は、100年後だが、私が今、40歳。80歳まで生きられるとして、後40年以内に、ドラえもんを作ること。

 MITにいたら、そんなことも可能になるのではないか、と思えてきてならないのである。

 こういう風に、どんなことをやりたいか、ということを審査基準として、博士号を取っていなくとも、ラボのメンバーに加えてもらえることができたら、と夢は広がるのである。


 日本では、年齢制限があって、研究者にはなれない。でも、厳しいという点では同じだが、アメリカなら、年齢制限なく、受け入れてもらえる。そう、助言してくれたのは、京都大学基礎物理学研究所の佐々木節先生だった。

 アメリカへ行ってマサチューセッツ工科大学で働く。そんな途方もないことを、統合失調症の障害者は考えてはいけないのだろうか。?

 現在2012年10月11日00時36分である。おしまい。