相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。

小さな発見(4年半後に出した結論)

 現在2012年11月2日11時22分である。

 今日は、4年半前に気付いた小さな発見について、あれから何度もどっちだったのだろうと考えていて、やっと最近考えがまとまったことについて書こうと思う。

 それは、このブログで、私の顔写真の上にある記事検索窓に「小さな発見」と入れると引っかかってくるアーベルの手紙にある日付について新しい解釈を見つけたという話の事である。

 以前からこのブログを見ている人以外は、その引っかかってくる記事の中で、「小さな発見」という題を持つ3つの記事を読んでほしい。記事の順番とブログでの表示の順番が逆なので、注意してほしい。

 そこで、私は、アーベルが伝えたかった日時は、30秒のついている方が、より事実に近いのではないか、と書いた。だが、あの後考えていて、当時「秒」を表示する時計がなかったとすると、アーベルも普段の生活で秒まで意識する生活を送っていなかったのではないかと気付いた。

 それで、今さらだが、

√6064321219
≒1823+7/12+2/12×30
+16/12×30×24+45/12×30×24×60
+0/12×30×24×60×60
=1823年7月2日16時45分

というものを私の結論として主張することにしたい。


 後もう一つ、私が自分の主張をするとき、はっきりと書かなかったために、私の結論が疑われる要素が残っていたので書いておきたい。

 それは、

アーリルド・ストゥーブハウグ著「アーベルとその時代」(丸善出版

アーベルとその時代
アーベルとその時代
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という本で、アーベルの問題の手紙の中で、


 劇場体験についてアーベルはこう書いている。「二つの喜劇の公演がありました。両方とも見ました。二つ目のほうは、ブーという非難やシーという野次が起きました」。コペンハーゲンの劇場は、七月十五日に再開された。ニルス・ヘンリックがこの手紙で報告している二つの上演は、七月十五日と二十二日のものだったにちがいない。次の公演は七月二十九日までなかった。(以下省略)


 「アーベルとその時代」309ページより引用



と十五日と二十二日と読めることが書いてあると主張していることである。これを読んだ人は、私が7月2日だと主張するのを間違いだと思うだろう。

 しかし、実はもう一つあるアーベルの伝記、

O.オア著「アーベルの生涯」(東京図書)

アーベルの生涯―数学に燃える青春の彷徨
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を見ると、68ページの「コペンハーゲンの数学者」という節に入る直前に、




 ニールス・ヘンリックは、そこで愉快な時を過ごしたことは確かである。「七月一日に、レーゲンセンは五十才の誕生日を祝いました。ぼくも参加しました。われわれは、がんばって八百本のブドー酒を飲みました。二つのコメディが演ぜられ、僕は両方とも見ました。あとの方の劇はつまらないものでした」


「アーベルの生涯」68ページより引用


とあり、七月一日にも演劇があったことがわかるので、ストゥーブハウグさんの七月十五日と二十二日という見解は事実と異なるかも知れないと、分かるのである。

 ただ、この「アーベルの生涯」では、69ページに、



 アーベルは、次の手紙で、ホルンボエに次のような日付けを付して、数学の小さないたずらをした。
コペンハーゲン√6064321219(少数以下も計算に入れる)」



「アーベルの生涯」69ページより引用

とあって、「次の手紙」というのが、七月一日の事を書いた手紙の次の手紙という意味を持っているように受け取られかねない。

 この混乱は、「アーベルの生涯」で、手紙の話が節を改めて書いてあって(すなわち、「コペンハーゲンの数学者」という節に改まっていて)、節が変わってから一つ前の手紙に戻って話が書いてあるということに気付けば、解消される。

 それを証明するには、さらにもう一つのアーベルの伝記、


C.A.ビエルクネス著「わが数学者アーベル-その生涯と発見-」(現代数学社
わが数学者アーベル―その生涯と発見

と、見比べる必要がある。

 まず、上の「アーベルの生涯」では、「コペンハーゲンの数学者」という節で、



 「ここの科学者は、ノルウェーではまったくの野蛮が支配していると思っています。そうではないことを説明するために、全力をあげています」。


「アーベルの生涯」68ページより引用


とあって、その後に、


 アーベルは、次の手紙で、ホルンボエに次のような日付けを付して、数学の小さないたずらをした。
コペンハーゲン√6064321219(少数以下も計算に入れる)」


「アーベルの生涯」69ページより引用


とあって、その手紙の内容として以下に抜粋するようなことが書かれている。


「ぼくの観察したことについて報告しましょう。ここでは、数学は盛んだとは言えません。ぼくには、なにかしら見込みのありそうな人物を、学生の中から嗅ぎ出すことがまだできません。(以下省略)」


「アーベルの生涯」69ページより引用


 これを頭に入れた上で、「わが数学者アーベル」を読むと、まず、


「ここの科学者たちは、ノルウェーには未開人しかいないと信じています。ぼくは全力をつくしてその反対であることを彼らに証明するために論戦しています。」

「わが数学者アーベル」9ページ9行目から引用


とあり、そのページの下の方に


 1823年6月24日付の、あるいは手紙の冒頭に書かれた通りでは、「√6064321219(少数をも考えに入れる)年の-ホルンボエによってこの下に書かれた計算によると、1823,567=1823年6月24日付の-ホルンボエ宛てのつぎの手紙の中で、今度はアーベルは自分の学習と研究の詳細に触れています。コペンハーゲンでは数学はそれほど盛んではないこと、「学生たちの中で少々はしっかりした者をまだ見つけ出す」ことが出来ないことを嘆いています。


「わが数学者アーベル」9ページ21行目から引用


と、書かれていて、私が述べたとおり節が変わってから一つ前の手紙に戻って話が書いてあるということが証明される。

 長い引用にお付き合いくださりありがとう。


 以上の、非常に込み入った日時の問題になっているために、今まで、私の主張した時刻が定説になるのが妨げられていたものと思われる。


 これで、私の主張に曇りは一点もなくなった。

 改めて書いておくと、

√6064321219
≒1823+7/12+2/12×30
+16/12×30×24+45/12×30×24×60
+0/12×30×24×60×60
=1823年7月2日16時45分

というのが、正解のようである。私はいつも自分の主張に保留をつけ続けることにしているので、ここでも、絶対とは言わないが、恐らくこれが、事実だったのだろう。

 今日はここまで。

 現在2012年11月09日12時12分である。おしまい。

 注記

 2012年12月29日17時57分補足した。