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相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。

障害者支援施設の初日でした

 現在2008年4月25日0時28分です。

 今日というか、昨日は、1月頃から申し込んであった、就労移行支援というもの凄い名の下に、障害者の就労のために活動を行っている施設に通う、初日でした。

 最近感じたことですが、このブログは、統合失調症鬱病などの精神を病んでいる人が、かなり読んでいるようなので、そういう人達に情報を伝えるためにも、どういうものなのかを少しきちんと書いてみようと思う。

 インターネットで、「ねくすと」と検索すると東京の練馬の施設が引っ掛かるのですが、私が行くことになったのは、同じ「ねくすと」という名前ですが、鎌倉にある、「とらいむ」というやはり障害者のための団体が去年から始めた精神障害者のための活動を行っているところである。

 実は私は初日から、遅刻して行ってしまった。

 というのも、今年の1月に仕事を辞めて以来、中途半端な身分になってしまい、何か数学の本を1冊読み終えられるくらいの時間があったのに、次に何が始まるか分からないので、どうも踏み出せない、というような状態で、非常に精神的に病んでいた。

 SEGの横浜校、エデュカの募集に応募して、試験問題を解いたり面接を受けたりしていた頃は、まだ、やることが目の前にあったのだが、その後、採用してもらえず、本当は、4月2日から「ねくすと」は始まっているのに、横浜市からの障害者が色々な施設を利用するとき、援助のお金がどれくらい出るかを示す、「介護給付費等 支給決定通知書」というものが、4月18日まで送られてこなかったので、私は何もすることがなかったのだ。

 もちろん、音楽を聴いたり、数学や物理学の本を読んだりしてはいけないという人などはいないから、そういうことはできる環境にあったのだが、精神的に不安定なときは、何をやってもうまくいかず、段々自信を失い、これ以上生きていても、何も良いことはないのではないか?なんて、考え始めていた。

 生活のリズムも狂い、夜遅くや、朝まで起きていて、それから薬を飲んで布団に入り、昼間ずっと寝ていて、日が暮れてから、目が覚め、「今日ももう終わったのか」なんて、惨めな気持ちになり、パソコンを開いて、ブログを書こうかと思っても、頭の中で、いくつも想いが去来するのに、一向に考えがまとまらず、ただぼんやりと時間が流れていく、という状態だった。

 4月2日から始まっていれば、ここまで落ち込むこともなかっただろうと思うのだが、その後の2週間は本当に、辛い状態だった。

 よく、引きこもりとかニートとか呼ばれている人がいるが、ああいう人達は何をしているのだろうと、普通の人は不思議だろう。ここにその謎を解くヒントがある。私の状態がそれに近かったのだから。

 まず、何をしているのか、という問いに対する答えは、「ほとんどの時間寝ている。」というものである。

 そんなに長い時間人間は寝ていられないだろう。と普通の人は思うだろうが、こういう人間は、ぐっすりは眠っていないのだ。ただ、トロトロと夢とうつつのあいだを行ったり来たりしながら、ひたすら布団の中にいるのである。

 ではいつ食事をするのか。まず3食食べるということはない。大体1日1食ぐらいを夜遅く食べ、そして、ちょっとテレヴィの深夜番組などを見たりして、何時間か経つと、また布団にはいるのである。

 こんなことの繰り返しをしていると、段々胃も小さくなり、たくさん食べなくてもそんなに空腹ではなくなるのだ。

 単調な暮らしをしているので頭も使わないので、ボケ老人のように頭の回転も遅くなる。難しいことは考えられない。

 働いていて、仕事が忙しくて、辛い思いをしている人も社会には多いだろうが、そういう人には、自分の家族や子供がいて、その人達のために、働かざるを得なくて、働いている。ある意味で大変だろうと苦労をねぎらう言葉もかけたくなるが、その一方で、養わなければならない家族もなく、また、精神に障害があったりして、結婚して家族をもてるほどの能力もない人が、仕事を失って、引きこもりとかになると、本当に見る影もないのだ。誰にも同情されず、また同情にも値せず、自分でもそれが分かっている。こうなると、人間は、立ち直るのが容易ではない。

 そして、そんな人が多くいる社会、というのは、治安も悪くなるし、本当は、健全な状態ではないのだ。

 障害者に、障害年金を税金から払うのは、一所懸命働いている人から見れば、腹の立つことかも知れないが、障害年金で、家賃を払い、生活費だけをわずかな仕事をして、稼いで、何とか引きこもりになったりせず、社会貢献して、生きていってもらっている方が、障害者が犯罪を犯したりせず、少しでも健全な社会になるという点では、賢明な道なのである。

 これはある意味で逆説である。だが、どちらが賢明な道かといったら、障害者を切り捨てるより、障害者をかろうじて生かしておく方が、社会にとっては良いのである。

 そして、そういう障害者のための施設で働く人という新しい雇用も生まれる。

 こういう風に、社会を治めるというのは、何が本当に懸命な方法なのか、という点で、難しいことなのである。単純な頭の人間が、表面だけ見ていたのでは、氷山の水面上の部分しか見えないのである。

 と、ここまで書いてきて、どうも話が大きくなりすぎて、まとめられなくなってしまったので、今日は尻切れトンボだが、ここまでで終わりにする。

 明日は遅刻しないぞ。

 現在2008年4月25日1時25分です。おしまい。