現在2008年1月28日2時20分です。
久しぶりの投稿である。
今日は、統合失調症の障害者であることをオープンにして、障害者の人達に混じって、働くことを目的として、職業訓練を始めようとしていることについて、書こうと思う。
以前、父の紹介で入った会社では、障害者であることをオープンにして入ったものの、周りの人は皆、健常者であり、私に親切にしてはくれたものの、私には、周りの人に迷惑をかけている、という思いが消えなかった。
今回は、初めから、障害者に混じって働くことを目指しており、そういう意味で、心底安心して、働けるのではないかな、と思っている。
職業訓練自体が、4月から始まるということもあり、まだ、時間的に余裕があるのだが、将来の就職先のことなどを調べていたら、聴覚障害者の人も混じる可能性があることが分かった。
これは、まったく予期していなかったことなのだが、これを見て、人生無駄になることはないものだな、と思った。
というのは、私は大学時代、ふとしたことから見ることになった、テレヴィ・ドラマで、耳の聞こえない人の使う、手話というものに興味を持ち、手話の勉強をしたことがあった。
丸山浩路(まるやま こうじ)という、その道の第一人者の書いた、「百万人の手話教室」という本を、大学の図書館から借りてきて、結構真面目に、手話の勉強をした。
今でも、あいうえおの50音や、数字とか、「電車」という手話とか、「大丈夫?」なんていう手話は、覚えている。
今度の職場に、耳の聞こえない人がいるのなら、そういう人と、積極的にコミュニケーション出来るように、もう1度、手話を勉強し直してみようかと思った。
まったくゼロから始めるのと違い、ほんの少しでも、以前勉強してあるものを学ぶ、というのは、楽なものである。
どんなものにも、それに特有の落とし穴とか、初学者がつまづくもの、というものがあるものである。そういうものが、一度勉強してあると、分かっているので、回避できる。
大学の時は、ガール・フレンドが出来た時、その相手が、耳が聞こえない可能性もあるのだから、なんていう不純な動機から始めた勉強だったが、人生何事も、無駄になることなんてないんだなと、改めて感じた。
そもそも、私が統合失調症となったのも、必ずしも、悪いことではないのかも知れないのだ。
見かけは、色んな制約が出来てしまい、まだ、物理学者になれない、なんてことになっているが、あのまま大学に残って、学者になったとしても、必ずしも幸せな未来が待っていたかどうかは分からない。
研究者の世界は、厳しいものであり、結果が出せなかったら、職を得るのも難しい。いつまでも、非常勤講師で終わったかも知れない。
そして、非常勤講師でも、忙しくて、自分の勉強したいことを勉強できたかどうかは怪しい。
その点、病気になって、遠回りはしているが、私は今、自分の勉強したいことに、充分時間を割けている。これは、幸せなことだ。
このブログの読者諸君も、人生に無駄なことなんてない。今の人生を幸せだ、と思って、見直してみる、ということは、意味のあることだと思う。
今日はここまで。
現在2008年1月28日3時07分です。おしまい。