現在2008年1月9日6時13分です。
私は数日前まで、
「人生とは、例え5点差がついていて、9回の裏ツーアウトランナーなし、というところまで追い込まれていても、逆転できるものだ。」
と、考えていたし、自分の人生でも、そういうことをやってのけられる、と思っていた。
だが、人生では、どうしようもなく駄目になってしまうこともあるのだ。と、思わせられることに出会ってしまった。
新年の最初からこんな投稿をすることになってしまったのは、残念ではあるが、仕方がなかった。
私がこの投稿をするに至ったのは、私が、あるおじいさんに怪我を負わせてしまったからだった。
過失傷害ということになる。幸い、おじいさんが、生きておられたので、過失傷害致死には至らなかったが、もしかしたら、あのまま、おじいさんが、亡くなられていたかも知れなかった。
私の人生も、このまま終わりかも知れなかった。今こうやって、生きていて、この投稿を書いていられるのも、ある程度余裕が出てきたからだが、本当のところを言うと、余裕は無いのだ。
私にとって、今回の経験は、それ程に重いものだった。
正直言って、今後このブログを続けられるかどうかも、心許ない。
私は、結局父や母がいなければ、何も解決できなかったのだ。これからだって、どれだけ父や母に頼ることになるのか分からない。
いや、こんなことを言っていて良いわけはないのだ。父だって、もうそんなに長くはないのだ。
私は一体いつまで、父や母に、生きていてもらうつもりなのか。私が死ぬまでか。
しかし、親より先に死ぬのは最大の親不孝だ、とも聞いたことがある。そうなると、私が親をこの手で殺して、そのまま死ぬべきなのか。
ちょっと飛躍しすぎた。
だが、私にとって、これからの人生、どうやって、築いていったらいいのだろう。
まだ、今の段階では父も母も生きているし、少し考えすぎたが、私にとって、確かなものは何もないのであった。
私の論文が、ウォルフガング・エルンスト・パウリの学部時代の論文のように売れるくらい立派なものに仕上がっていたのなら、まだ、父も母も死ねただろう。
だが、実際には、論文は受け付けてもらえなかったものが一つと、完成していないものが一つあるだけだ。
結局、私の人生は、ここで終わりなのかも知れない。
9回の裏ツーアウトランナーなしの状態から、結局逆転できないまま終わるのかも知れない。
やはり、人生というのは、父のように、慎重に慎重に生きた人のためにあるのではないか。
私には、そう思えた。
私にとって、この世界は、私のためにあったのではなく、父を褒めてあげるためにあったのではないかと思えてならない。
父はノーベル賞も取らなかった。希望の大学にも行けなかった。だが、もし、これが映画であれば、アカデミー主演男優賞を受けるのは、父なのだと思う。
私は主人公ではないのだ。
今日はここまでとする。
現在2008年1月9日7時28分です。おしまい。