現在2007年11月17日23時41分です。
昨晩は、本当にビックリさせられた。夜パソコンを開いたら、友人から次のようなメールが来ていたのである。
これが、私の親友達からのものだったら、何も心配しなかっただろう。ああ、もう音楽は余り聴かなくなったから、音楽の好きな私にあげようと思ったのだな、で済んだところである。
ところが、この友人というのは、私が2007年10月14日に、「古い友人から電話が」という題で投稿した記事の張本人の友人だったのである。
10年も音信不通だったのに、いきなり電話をかけてきて、メールのやりとりをしたい、と言ってきたので、
「何か、寂しくなるようなことがあったのかなあ?」
と、私は心配していた。
その後、メールのやりとりをしている時も、
「古いヴィデオテープを整理していたら、こんなのが出てきました。」
なんて言って、書いてきたり、私のブログがあることを知ると、私のブログを少しずつ読んで、色々と、思ったことを書いてくるようになった。
「やっぱり、寂しいんだなあ。」
と、私は心を痛めていた。だが、私としても、それほど親しい間ではないし、一度は、
「なぜ、10年ぶりに電話下さったのですか?」
と、聞いてみたが、それもそのままになって、大丈夫なのかなあと、気になっていた。
そこへ持ってきて、昨晩のメールである。
私は、これはてっきり、両親のどちらか、または両方が、亡くなっていて、孤独の中にいて、もう生きていることに意義を見出せなくなり、死のうと思い、自分の好きだった、バルトークのLPレコードやCDを私に託そうとしているのだ。と、思った。
それで、昨晩は疲れていたが、慌てて、
以下のようなメールを頂いたのですが、死のうとか思っているのですか? 私のブログを読んでいて、死にたくなりましたか?
あれは、かなり毒を含んだホームページなので、死にたくなっている時などは読まない方が良いです。どうしても読むのでしたら、私のブログの、リンク集のなかの「私の夢」というのをクリックして、それだけ読むことにしたら、いかがですか? 余り違わないかも知れませんが。
さしあたって、私としては、何もしてあげられませんが、私のブログの中には、明るい話題もあるのですよ。私の卒業論文の原稿なんて読んだことありますか? あの中では、生きている理由がある、ということを私なりに書いてあります。
とりあえず、今日はもう寝なければならないので、ここまでにします。
というメールを送った。そして、今朝起きてから、彼の家に電話をして、彼の母親に状態を聞こうと思った。
そうしたら、彼本人が出てきて、
「私は、死のうなんて思っていませんよ。今、返事を書いているところでした。」
なんて言う。
もちろん科学者として、この言葉だけで信じるはずがない。
「どうして、好きだった音楽聴かなくなっちゃったんですか?」
と、尋ねた。
「趣味が変わったんです。」
それぐらいでは納得しない。
「どういう趣味になったんですか?」
「本を読んでます。」
「どんな本ですか? 小説ですか?」
「もちろん知ってます。脳科学者の人ですよね。」
ここまで来ても、疑り深い私は、確証を得るまで追求する。
「茂木健一郎と言えば、日経サイエンスなんかにも記事がありますね。読んだことありますか?」
「いや、ありません。雑誌は余り読まないんです。」
「じゃあ、同じように脳の研究をしている、立花隆の本は読んだことありますか?」
「いや、ありません。でも、立花隆って、頭の良い人ですよね。」
ここまで来て、やっと私も、安心しだした。
「音楽は、また聴きたくなることもあるでしょうから、持っていらした方が良いですよ。私も、この病気になってすぐの頃は、余り音楽を聴かなかった時期がありました。でも、今は毎日CDやDVDを7枚位聴いているんですよ。」
「そうですか。じゃあ、持っていることにします。」
と、答えたので、やっと私の方も、誤解だったことを認め、
「これから仕事に行くので、メールは帰ってきてから読ませてもらいます。」
と言って、電話を切った。
私としては、親友というわけではないし、彼が自殺したから悲しい思いをする、というほどのこともなかった。ただ、やっぱり、10年ぶりに電話をしてきた、ということは、何か心境の変化があって、私を求めていたのだろうと思え、見過ごすことは出来なかったのだ。
私としても、自殺する人を止められるものならば、止めてあげたいと思う。どうしても自殺したいという人を、ひっぱたいてまで生きさせるほど、私のポリシーは強いものではないが、来るものは拒まず、くらいの気持ちはある。
とにかく、ほっとして、仕事に出かけた。
帰ってきてみると、彼から返事が来ていた。
なんて、メールに書いていらっしゃいましたが、私から言わせれば、あのメールを読んで、自殺を考えているんじゃないか? と思う方が当然ですよ。
第一、デイケアでつきあっていた頃から、10年近く経っているのにいきなり電話してきて、メールのやりとりをしたい、なんて言ってきた時から、
「何か、寂しくなるようなことがあったのかなあ。」
と、心配していたのに、そこへ持ってきて、あんなに好きだった音楽のLPやCDを全部差し上げますから、受け取って下さい、なんて言ってきたら、もう死ぬから、自分の大切なものを、誰かに託したい、と思っているんじゃないか? と、思うのは、当然の成り行きです。
確かに、あなたは、今かなり寂しいんじゃないですか? 考えることがいっぱいある、なんて言ってますが、あなたの身で考えなければならないことなんて、家庭を持っている人や、働いている人なんかと比べたら、遙かに少ないと思います。
もっと、リラックスして、音楽でも、聴き直してご覧なさい。中年になると、音楽を聴かなくなる。というのは、私の常識からは、外れます。私の祖父は、ベートーヴェンの第5が好きで、オープンテープに入れて、脳梗塞で倒れて死ぬまで、ずっと聴いていましたよ。だから、我が親戚一同では、おじいちゃんといえば、ジャジャジャジャーン というメロディを思い出すほどなんです。
携帯音楽プレーヤーを中年が聞かない。というのも、ハズレです。私のブログのリンク集のなかの、sukarabe’s easy living という人の、ブログを読んでご覧なさい。もう会社を定年退職する位の人ですが、iPodのようなものを持ち歩いてますし、携帯電話には、自分で弾いた曲を着メロとして登録して喜んでいます。
あなたは、統合失調症という病気のために、多くの人と接する機会が少なくなっているので、社会の常識というものが、余り身についていないのです。
今さら、常識をつけろとは言いませんが、ご自分が、かなり非常識な人間なんだ、ということを自覚した方が良いです。
私も、かなり非常識な人間で、以前いた会社を、どうしてもここで働きたくないから、と言って、社長に直接メールを書いて、その日のうちに辞めた、なんていうとんでもない人間ですが、それでも、社会の活動に参加しているので(親友も7人いますし、働いていますし、放送大学に通っています)、もう少しは、常識があります。いや、常識と言うより良識と言った方が良いのかも知れません。
あなたが今回送ってきたメールは、普通の人が読んだら、特急で返事を書き、次の日の朝電話するようなメールだったのですよ。
それが分からない、ということ自体が、社会の中でまともでないということなのです。
私のこのメールに書いてあることは、恐らく、私の、まともに働いている親友達が読んでも、納得するような内容だと思います。
少し、社会の活動に参加してみてはいかがですか?
貯金があるなら、放送大学に入ってみる、なんてのも良いかもしれません。もう少し、孤立しすぎている今の状態から、殻を破ってみられたらいかがでしょう。
渡る世間に鬼はなし、と言います。社会ってそんなに恐いところではありませんよ。
それじゃ、私も、論文を書かなければならないので、今日のところは、この辺で、引き上げることにします。
もっと、他人と、つきあってご覧なさい。それも、病気の人同士でなく、一般の、立派に働いている、社会人と、つきあってご覧なさい。
今、私にアドヴァイスできるのは、それだけです。