現在2007年9月24日17時29分です。
最近私は、朝、目が覚めた時、寝起きを良くするために面白い本を読むことにした。
その第1冊目が、米原万里著「打ちのめされるようなすごい本」(文藝春秋)である。
主にこの人の書いた書評が集められているのだが、毎日一冊分ずつ読んでいるので、進度はのろい。
でも、面白いことは確かであり、また、毎日のように必ず一つ位辞書を引かないと意味の分からない熟語が出てくるので、私の勉強にもなる。
それで、今日のところでは、題名に書いた、ノ木偏に歳を書いた字が出てきたのだが、これが読めない。そういうわけで、得意のタッチパネル式の電子辞書で、指で字を書いて検索した。
何と、スーパー大辞林では検索結果はゼロで、日本史事典で引っ掛かった。
「穢多」は、「えた」と読むのだ。こんなATOKの辞書にも入っていない字にまで、ふりがなをふらないとは・・・
「えた」なら、小学校で江戸時代の歴史で習った。士農工商の更に下に「えた・非人」という階級があったのを覚えている。
ところで、今日これを取り上げたのは、この字が読めなかったからではない。
あの、「ターヘル・アナトミア」を訳した杉田玄白や前野良沢は、本に書いてあることを確かめるために、実際に解剖をやったのだそうだが、実は、本人達は見ていただけで、えたの老人が、執刀したのだそうだ。「解体新書」の原典にあたると、そう書いてあるらしい。
うーん。当時は、えたの人などを使って、手を汚す仕事をしていたのか。
原典にあたることの重要さを改めて知ると同時に、身分差別、部落問題についても考えさせられた朝だった。
今日はここまで。
現在2007年9月24日17時52分です。おしまい。