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我が父に捧ぐ9

第9章 東大へ行けなかった父へ

 

 私の父が、石頭になってしまったのには、可哀想な部分もあるのだ。生まれつき、手のひらと足の裏の皮が、非常に堅くなってしまうという病気を持っていて、そのために色んな場面で苦労したらしい。

 

 そして、そのことは直ちに、男女の交わりをする時、相手の女性を優しく抱いてあげることが出来ない、ということになってしまうのだ。

 

 恐らく若き日の父は相当悩んだに違いない。そして、仕方なく、なるべく「性」のことは考えず、とにかく必死で勉強して、早く仕事に就き、お金を貯めて、そんな自分でも良い、といってくれる女の人と、結婚しようと考えたのだろう。

 

 石頭ではあったかも知れないが、3人の子供を育て上げ、決して壊れることのない深い絆で結ばれた家族を築き上げたのだから、立派な父親だったといえるだろう。

 

 だが、言わせてもらうなら、お父さんが東大へ行かれなかったのは、恐らく性の問題を見ないようにして逃げ切ろうとしたからだと思う。東大京大へ来るぐらいの人は、ちゃんとそういうことも真剣に考えた人なんだよ。もちろんそうでない人も入ってくる、でもそんなのはすぐ化けの皮がはがれちゃうんだよ。

 

 なぜ、頭が柔らかい方がいいかは、次の例に現れている。

 

 

 私は小学校4年生の時、社会科の時間に、漁業の200海里問題に関して、先生が次のような質問をしたのを覚えている。

 

 世界の海をそれぞれの国に割り当てる時、一つの国に、たくさんずつ割り当てるのと、少しずつ割り当てるのと、どちらがよいと思う?

 

というものだった。

 

 単純だった私は、一つの国にたくさん割り当てた方がよいと答えた。

 

 そうしたら、先生は、

 

「果たしてそうかな?一つ一つの国には少しずつ割り当てた方が、どこの国にも属さない海が多くなって、本当は、それぞれの国が魚を捕れる部分は多くなるんだよ。」

 

と、答えたのだった。これは、逆説のようなもので、この世界の真実を物語っているのだ。

 

 一人一人の男の人や女の人が、誰か特定の人だけしか相手にしない、というのより、それぞれの人が、より多くの人と交われた方が、人間関係は、より自由で、楽しいものになるのである。