相対性理論を学びたい人のために

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我が父に捧ぐ8

 第8章 性欲の現れ

 

 私が京大に入学したばかりの頃、一度父母は私を精神科へ連れて行っていた。その時、精神科の先生が、

 

「以前にも一人、こういう分からない人間が来て、ズーッと分からず、結局退学していったよ。」

 

と、話していた。何が分からないのだろうか、と、私はずっと気になっていた。

 

 それについても結論が出た。

 

 それは、人間大人になると、何らかの形で性欲を発散させないと、段々と精神がむしばまれてきて、仕事も勉強もうまくいかなくなる。ということなのである。性欲というのは、何もあの女の人と寝たい、という気持ちが抑えられなくなる、という形で現れるものばかりではないのだ。

 

 夜眠れない、とか、仕事に集中できないとか、おしっこがでにくくなる、なんて言うのも、性欲の表れなのだ。

 

 これは人間が動物である以上仕方のないことだ。

 

 この性欲は、何らかの形で、晴らさないと、いつまでたっても消えない。

 

 以前大学にいた頃、私の母が、わざわざ速達で、

 

「お前を悩ませているのは、性欲なのです。それをなんとかしなければなりません。」

 

と言ってきたので、

 

「売春婦でも雇えと言うことですか?そんなことにはもったいなくてお金を使えませんよ。」

 

と、返事したことがあった。

 

 後で母に、どう言うつもりだ、と言ったところ。夏目漱石がお寺のお坊さんに、

 

「もしあなたのような職業の人が、性欲に悩まされた時はどうするのですか?」と、尋ねたそうなのである。そうすると、そのお坊さんは、

 

「一所懸命お経を読みます。」

 

と、答えたそうであり、漱石は、「安心しました。」と言ったそうである。

 

 だが、私は、人間はこれでは済まないと思う。確かにお寺のお坊さんとか、教会の神父さんのような、ある意味では決まり切ったことをしている人なら、一所懸命お経を読んだり、聖書を読んだりして、一時の気の迷いは晴らせるだろう。だが、頭に上から落ちかかってくる雲のような、鬱陶しさというものは、それでは晴らせないのだ。

 

 やっぱり異性と近づかないと、これは処理できないものなのである。

 

 つまり、物理学や数学で要求されるような頭の冴えというものは、男女が交わっている時でないと、得られないのである。これは私自身の経験からも納得できることである。

 

 京都大学理学部というところに行く人というのは、本当に頭も良く賢いか、あるいは私のように、気違いのような人であるか、どちらかなのだ。それが、この文章の端々から見受けられることだろう。気違いは気違いでも、京都大学理学部の気違いというのは、やっぱり何か違うと思うかい。

 

 私の文章は、今後京都大学理学部に入ってくる人の中から、もう統合失調症を出さないように、大切にお医者さんにも読んでもらわなければならないかな?