第5章 何が子供を伸ばすか
真面目で立派な父だったが、弱点が一つだけあった。それは、東大に劣等感を持っていたことだった。
父は学生時代、東大を目指していたのだが、及第せず、一年浪人したが、やはり駄目で、慶応工学部に入学したのだった。
父はこのことを非常に悔やんでいたようで、東大に対し、劣等感を抱き続けていた。
私はこのことが頭にあったので、東大と同レヴェルの京大を受験したのであった。
京大に通った時は、父の30年来の宿願を果たしてあげられた、というので嬉しかった。
だが、ここに至って問題が生じた。
父は、高校までは、最高レヴェルの学校に通っていたが、大学では、東大京大のような、一流の大学ではなく、慶応大学という、2流の大学だったために、大学生を育てる、ということに関しては、最高レヴェルではなかったのだ。
東大へ行っていたお父さんの子供が、東大に受かると、
「やっぱり遺伝なのね。」
という声を聞くことが多いが、これは間違っていると思う。遺伝だけではないのだ。東大へ行っていたお父さんというのは、子供の育て方が違うのだ。
東大生全員が天才だ、などと私は言うつもりはない。そうではないのだ。
だが、東大や京大へ行くと、本当に、どうしてこんな人が世の中にはいるのだろう、と思うような人が何人もいるのだ。そういう人に触れて卒業した卒業生は、やっぱり考え方からして違うのである。
お父さんが東大京大でない家でも、その違いを研究すれば、息子さんや娘さんを東大京大に行かせてあげられるかも知れない。
この場はそれを論ずる場ではないので、ここまでにしておくが。
大学生を育てることに関して、最高レヴェルでなかった、というのが災いして、父は、私が大学で、色々なことを吸収し、また一方で、それまで小学校から高校までで教わってきたことを、一度全部吐き出して、もう一度全部再構成する。ということをしているのを見ていられなかったのだ。
私には、先日書いた、平行線の公理に例えた、男女間の関係を考え直さなければならない、という問題があった。これを解こうとする私に、父と母は邪魔ばかりしたのだ。
この邪魔を乗り越えて、それでも、私のやり方を貫いたのが、結局無理を生んだのだろう。
私は、暗示で示そうとしたり、陰でごそごそやるのは、一切受け付けなかった。それでは、次の世代に模範が示せないからだった。こういう私の気持ちをくみ取れず、父や母も悩んだようなのだが、父と母が考え出したのは、早いところこの子を自立させてしまって、自分で考えさせよう。というものだった。
何という平凡な発想だろう。経済的に自立させてやって、社会の風に当たれば、目も覚めるだろうとは。
私にとって一番大切なのは、明日の科学をになうことであり、次の世代に模範を示すことだったのに。
子供を自立させる、というのは大切なことであろう。人間何時かは自立するものだ。だが、その自立させるべき時、というのは、ボーイ・フレンドやガール・フレンドが出来た時、と考えるのは余りにも時代錯誤だ。結局私の場合、つまらないところで、自立、自立、と父母がせき立てたので、これは一体何を意味しているのだろう、と思った。
今の時代、子供はかなり過保護に育てられているので、自立をする、というのはなかなか難しい問題である。これについては私は模範解答は持っていないので、ここではこれ以上触れることが出来ない。
だが、私の父母が、時期を誤ったのは事実であった。
子供の才能を伸ばそうという時、どこまで子供の才能を信じてあげられるか。これは、その子の父親と母親の器量が試される時である。