現在2007年8月28日5時48分です。
昨晩の23時頃から、今朝の5時半くらいまでかけて、
向田和子著「向田邦子の恋文」(新潮社)
という本を読んだ。
読まなければいけない理由は何もなかった。また、この本も買ったばかりだった、というわけではなかった。
そもそも、この本は母が買った本であり、母が読み終わったし、邪魔だから、と言って捨てようとしていたのを、間一髪私の家に避難させた本だった。
そういう本は何冊もある。
父や母は、私のように、「読んだ本をもとにして、何か書こう」、というような気がないので、文献を平気で捨ててしまうのだ。
私より遙かに読書量はあるから、当然捨てられる本もたくさんあるのだ。
そこで私は、捨てられそうになっている本で、良さそうな本は、どんどん私の家に持ってきているのである。
「向田邦子の恋文」
も、その一冊だった。
以前、「姉の恋文」という題で、テレヴィ・ドラマ化、されたことがあり、母が、その時、
「この人は、好きだったカメラマンの人がいたんだけど、その人には奥さんがいて、理由は知らないけど、どうしても離婚届に判を押さなかったから、そのカメラマンとは、結婚できなかったのよね。」
と、話してくれたのだった。
私はそのテレヴィ・ドラマを見ていない。母のために録画してあげただけである。
それから、5年以上経つ。
本を私の家に避難させたのはそのすぐ後だから、この本が私のものになってからも、5年以上経つことになる。
まず読んでみてストレートに
「面白かったか?」
「イエス!」
これは即答できる。確かに、35歳にもなっているから、やっとこういう本の良さが理解できるのかも知れないが、ある意味、女子中学生くらいが読んだって、面白いと思う。男子中学生には、私のように、女性の生き方に興味を持っている人には面白いかも知れないが、大部分には面白くないだろう。
なぜ昨晩徹夜までして読んだのか。
それは、開いて数ページ読んだところで、
「これは面白い。」
と、気付いて、
「途中で読むのを止めたら、多分その先を読むのは、ずっと先のことになってしまって、後悔するだろうな。」
と、感じたからだった。
向田邦子(むこうだくにこ)というひと。この人の文学作品を、私は一つしか知らない。
「思い出トランプ」という短篇集の中の、「花の名前」という話である。
以前NHKで、この短編が朗読されているのを聞いたことがあり、それから、10年位経ってから、やっぱり母に捨てられそうになっていた、「思い出トランプ」を助け出し、「花の名前」だけ読んだのだった。
私は国文科ではないということもあり、また、人間関係というものが良く分かっていない、ということもあるので、小説にしろ、エッセイにしろ、それを評価できるほどには、文学に通じてはいない。
ただ、「面白かった。」か「面白くなかった。」か、という位のことしか分からない。
そういう目で見た時、「花の名前」は、結構面白い短編だった。
その思いがあった上で、「向田邦子の恋文」を読んでみて、この人は、こんなにすごい人だったのか。と、驚かされた。
人それぞれ、色々な生き方があるだろうが、いつも周りの人達に気を遣い、しかも、気を遣っている、ということを感じさせない人。
そんな人になるのは大変だが、彼女はそういう人だった。
人の心の良く分からない、私には、彼女のようなことは到底出来ないが、少しずつでも、そんな人間に近づいていくこと、これは、私にとっての、永遠の課題である。
感情のきめ細やかさ、と、逞しく生きていくだけの生命力、これを兼ね備えた人間だけが、本当に優しい人間になれる。
向田邦子という人、もう少し、長生きして欲しかった。
余計なことを書かず、今日はこれで終わりとしよう。
現在2007年8月28日7時12分です。おしまい。