現在2007年7月30日22時15分です。
今日は、私の母方の祖母の85歳の誕生日でした。
まだ35歳の若造の私には、戦争も生き延びた85歳の人の心境というのはとても想像しきれないのですが、すごいことだと思います。
インターネットはやらないので、私が引っ越した時、絵葉書で新しい住所を送ったら、新しい仕事がんばってね、と手紙を送ってきてくれました。
今日は久しぶりに電話して、
「お誕生日おめでとう。」
って、言いました。
「いつも覚えていてくれてありがとう。」
なんて、たわいもない会話を10分ほどしました。
おばあちゃんの孫に当たる私の従妹も、同じ今日、29歳になったので、そちらには携帯でメールを送っておきました。そちらは、赤ちゃんが生まれたばかりで、忙しいようで、まだ返事もしてきませんが、おばあちゃんの話では、元気にやっているようです。
おじいちゃんというのは私の場合、もう両方とも死んでしまっているのですが、この85歳になったおばあちゃんのご主人だった、おじいちゃんというのは、飛行機というものが、まだ非常に危険だった時代にパイロットを目指した人でした。
何でも、小学校で、
「将来何になりたいか?」
って、聞かれて、
「パイロット」
と言ったら、先生に、
「そんな危険な仕事を選んじゃ駄目だ。」
って、本気で怒られたとか。
それから15年ほどして、おじいちゃんは、本当にパイロットになり、その先生の家の上空を飛んだ時、とても気分が良かったそうです。
本当に飛行機が好きで、戦後は、パイロットではなく飛行機の整備士になりましたが、成田に住んでいて、いつも飛行機が飛んでいくのを眺めていたのです。
そのおじいちゃんの最初の孫で、本当にかわいがっていた、私が、物理学者を目指していたのに、大学で中退した姿を見る前に死んでいたのは、ある意味、幸せだったかも知れません。
今でもおじいちゃんの仏壇の前には、おじいちゃんが死んだ時私が作った、プラモデルのボーイング747が飛んでいます。
中島みゆきの「最後の女神」という歌に、
♪幼い日に見た夢を、思い出してみないか
という一節があります。
幼い日の夢。たいていの人はその夢を追い続けられるわけではない。でも、おじいちゃんはちゃんとその夢の通りにパイロットになり、定年になってから、おばあちゃんを連れて、世界旅行に行ったんだよね。
私も、まだ、諦めるべきではないのかなあ。おばあちゃんとしゃべっていて、親友達にも励まされた幼い日の夢をもう一度かみしめている私でした。
今日はここまで。
現在2007年7月30日22時53分です。