相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。

私にも女性の親友がいる

 現在2007年7月24日21時57分です。

 どうも最近肩の凝る話ばかり書いていたようなので、誰が読んでも毒にも薬にもならないが、少しは面白い話でも書いてみようか。

 私は以前何かの本で、

「女は自分を泣かせた男のことばかり覚えているが、男は自分を笑わせた女のことを良く覚えているものだ。」

という意味のことを読んだ覚えがある。これは、私はある意味自分の場合、真実だなと思うことが良くある。
 私は、以前にも、好きになった女性から色んなものをもらうようで、高校時代の好きだった女性からは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの素晴らしさを気付かせてもらった、なんて書いたことがあった。

 これは本当のことで、大学時代に好きになった女性は、私に分子生物学という、それまで私が名前もまともに発音できなかったような分野の面白さを教えてくれた。

 こう書くと、ファインマンのように、私にその女性が、分子生物学を一から教えてくれたようにきこえるが、そうではない。

 ただ、彼女が、医学部で、特に分子生物学というものに才能を発揮しているらしい、という話を人づてに聞いたので、私が、「細胞の分子生物学」という、この分野の代表的な教科書で、分子生物学というものを学び始め、こんなに面白い分野があったのか、と、勝手に驚いたと言うだけの話なのだ。

細胞の分子生物学

 もちろん、1回だけデートしたことがあるので、その時、彼女の口から、直に分子生物学の実験の話などを聞いたりはした。だが、デートは、1回きりだったので、後は私の独学だ。

 それからまた、彼女は、クリスチャンだ、という噂も聞いたので、キリスト教徒というのは、どういう考え方をするのだろう、と思って、新約聖書を全部読んでみた。


新約聖書―共同訳・全注 (講談社学術文庫 (318))

 これも、聖書が面白くなかったら、続かなかったのだろうが、私には、イエス様の言うこと、なす事がとても面白くて、非常に楽しんだ。彼女には、聖書を読んだ話しはしなかったので、そもそも彼女がクリスチャンだったのかどうかも今では怪しい。

 そうやって、好きになった女性から、色々なものをもらうのだが、結局は振られてしまったのだから、私にはそのもらったものしか残らない。

 だが、そのもらったもの、というのは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタにしても分子生物学にしても聖書にしても、私の心の糧になっている。

 ところが、ところがなのだ。その肝心の女性のことは、余り思い出せないのだ。

 私が、自分の感情をある程度理解するようになって、知ったことは、私は、ある女性を好きになると、その女性の顔を普段思い出せなくなる、という面白い現象があるのだ。

 だから最近では、あの女の子のこと好きになっちゃったんじゃないかな、と、心配なときは、家に帰ってから、その女の子の顔を思い出せるかどうかチェックするのだ。

 もし思い出せれば、好きになっていない。思い出せなければ、危険信号、というわけである。

 当分付き合う相手なんか出来ては困る今の状態では、そばにいる女の子を好きになっては困る。だから、フランスにいる諏訪内晶子のファンなんかやっているわけだが、残念ながら、諏訪内晶子の顔は思い出せてしまうのだ。本当には好きになっていない。こういうことが自分で分かってしまうというのも、辛いものなのだが、実際そうなのだからしょうがない。

 ところで、私は、自分が振られて、泣かされた女性のことは、名前は覚えているが、ほとんど思い出せない。二人の間に、全く楽しいときがなかったわけではないはずなのだが、私には思い出せないのだ。

 一方で、私を笑わせた女性。すなわち、私を好いてくれて、私のために良かれと思って、色々してくれた女性のことは、良く覚えているのである。

 私は高校1年の頃は恋はしなかったのだが、英語の発音の素晴らしいクラスメイトの女の子がいて、その女の子には、多少憧れていた。だがその女の子自身は私には何も感じてなかったので、私も恋心が芽生えなくて良かったと思っている。

 一方で、そのクラスの女の子の中で何人かは私を好いてくれていたようで、私が転校することになったときには、

「握手して」

と、二人くらいから言われてびっくりした。だが、私に何も言わなかったが、

「好きだったのよ。」

と、最後の一仕草ではっきりと分からせてくれた女の子がいた。男の人にとって、いつも、さりげなく側にいてくれた女の人から、こういうことをされると、

「ああ、そうだったんだな。」

と、もの凄く印象に残るものである。

 私には、何度かそういう経験がある。

 私自身は、好きになっていなかったために、せっかくの気持ちに応えてあげられなかったが、いつも私の側にいて、私を喜ばせてくれた女性というのは、決して忘れないものなのだ。

 私は高校3年の時は、例のピアノ・ソナタの女の子に夢中だったのだが、そんな私を知っていても、私の側にいてくれた女の子もいたのだ。

 転校した先の高校で、女の子3人のとても仲の良い人達がいた。私の側に良く来るので、その3人のなかの誰かが、私を好いてくれているのだろうな、と思っていたのだが、その3人の中で、本当に私を愛するというほどに好いてくれていたのが、誰だったのかは、卒業して大分経ってからのクラス会になるまで分からなかった。

 この女の子には、応えてあげられなかったが、京大へ行って、立派な学者になることを期待していてくれただろうに、こんなだらしないことになってしまった、私としては申し訳なかったが、昔好きだった人の消息を知ることが出来たら、それだけでも、女の人は嬉しいものかな、と思って、このブログのアドレスを年賀状に書いて送ったが、返事は来なかった。

 私としても、返事は期待していなかったので、もし、どこかで、私が、駄目になりながらも、必死に生きている姿を見ているのだとしたら、それで良かったのじゃないかな、と思っている。

 私が恋をしてからの話は随分書いたが、その前から、私を好いてくれていた女の人もいたのだ。

 私には、現在、親友と呼べる男性の友達が少しずつ増えて6人いる。大学時代の親友が二人。中学高校時代の親友が一人、小学校中学の親友が一人、病気になってから、リハビリに通っていた施設での親友が一人、幼稚園に入る前からの親友が一人いるのだ。

 その中で、小学校中学の親友が、最近の私の落ち込みぶりを見かねて、飲みに誘ってくれたのだ。私は偶然今誘ってくれたのかと思ったのだが、彼曰く「お前がちょっとへこんでるようだったから。」ということで、親友というものは、ちょっと私が、駄目になりかけると、分かるものらしい。

 彼は、小学校時代のクラスメイトだった女の人も一人誘ってくれていた。彼女ももう結婚しているんだ。ということだったので、私はすっかり安心していた。

 高校時代のピアノ・ソナタの女の子に失恋して感じやすくなっていた私は、その時、この小学校時代の女の人が私を好いてくれていたんだな、と、気付いたのだった。何も言わなかったが小学校の頃から、ずっと私を好いてくれていたのか、と思って、思わず涙が出たのを覚えている。

 これはその女の人を喜ばそうとか、そういうことを考えてのものではなく、私はその時、本当に感じやすくなっていて、思わず涙が出るほどだったのである。

 年賀状のやりとりはしていたので、大学に入ってから、例の親友と3人で会うことになった。

 私は、

「自分が彼女を好きになるだろうか?」

と、半信半疑だった。だが、結果としては、彼女は私の中で思い出せなくなる女性にはならなかったのだ。私は好きにはならなかったのである。

 もちろん、学校が近くて、しばらく付き合ったりしたら、あるいは感情も変わったかも知れないが、1,2度会っただけで、フィーリングが合うという感じにはならなかったのだ。

 そして、その後私は前述の分子生物学の女の人に心が傾いていったので、小学校のときの女の人のことは、私にとって、友達以上にはならなかったのだ。

 彼女は彼女なりに心を砕いたのだろうが、私には、彼女がもう無理と悟ったような手紙を出してきたので、これが、彼女なりの幕の引き方なのだな。と感じて、思い出の中にそっと、残しておくことにした。

 次の年年賀状で、彼女が、八重洲ブックセンターに就職しました。と言ってきたとき、私は返事を書いたものかどうか躊躇した。そして、彼女への義理も立てて、その年、私は、年賀状をもらった人の誰に対しても、返事を書かなかった。彼女だけに出さない、というのは、私の中で許せなかったのである。

 しかし運命というものは皮肉なもので、この年、私は統合失調症を発病し、ほとんどあらゆるものを失った。もしこの年、それ以外の友人達に年賀状を出していれば、次の年、ほとんどの人が、年賀状をくれていたはずだった。だから、名簿などが無くなっても、他の多くの先生や友人とは、年賀状をやりとりし続けたのだろう。

 だが、全く一通も私は年賀状を出さなかったので、次の年は、誰も、私には年賀状もくれなかったし、私がそんな重い病気になった、ということすら、知らなかったのである。

 だが、私は彼女を恨んではいなかった。年賀状を、誰にも出したくなかったのは、私の心の問題だったし、それが私なりのけじめの付け方だったのだ。

 その後、インターネットで苦労して見つけたり、昔の実家の方に年賀状を出したりして、やっと今、私は、6人もの男性の親友と、1人の女性の親友とに囲まれるようになったのである。

 八重洲ブックセンターに就職したんだ、と、言うので、東京駅の八重洲ブックセンターに行くときは、いつもドキドキしていたことは否定しない。彼女が、売り場販売員なのかどうかも知らないから、会う確率は低いだろう、とは、思いながらも、小学校の時から私を好いてくれていた女性がいるのだ、と思うと、やっぱり、ドキドキするのは仕方のないことだった。

 だが、八重洲ブックセンターには20回以上行ったが、彼女に会うことはなかったので、もう結婚して、辞めちゃったのかな。と、思っていた。

 しかし、昨日聞いたら、今でも働いているそうなのだ。ただ、私は、数学や物理の本を見るために、3階に行くが、彼女は2階のカウンターにいたというだけのことだったのである。

 彼女が結婚していなかったら、私としても、色々気を揉むことになったのだろうが、一応結婚しているようなので、ロマンスは生まれなかった。

 ただ、私が大失敗したのは、彼女が、もう私を好いてはいないのだろう、と早合点して、私の高校時代や大学時代の失恋の話をしてしまったことだ。

 大学に入ってから会ったときも、彼女には、高校時代の失恋の話はしなかった。彼女が私を好いているから、と思ったからだった。

 だが、今回は、私を励まそうというだけで集まってくれたんだ、と思ったので、彼女の前で、私の2回の大失恋の話をしてしまったのだ。

 まさか、彼女をあれほど傷つけるとは思っていなかった。

「女は、自分を泣かせた男のことばかり覚えている」

というのは本当だったのだ。私は、例えピアノ・ソナタの女の人や、分子生物学の女の人が、

「その後大失恋したのよ。」

と言ったとしても、もう今更胸をえぐられるようなことはない。

 と言うより、失恋したとき、十分に苦しんでいるのだ。私の場合、一度など自殺しようか、と思ったほど、悩み苦しんでいるのだ。だから、それから何年も経ってしまうと、もう、それは過去の思い出でしかないのだ。

 だが、女性は違うらしい。自分の泣かされた男のことはいつまでも覚えていて、そして、いつかその人が自分の方を向いてくれることを、いつまでも待っているのだ。

 と、ここまで書いたら、彼女からメールが来て、そんなことないよ。と言ってきたので、私としても、この後どう続けて良いのか分からなくなってしまったのだが、小学校5年6年を通じて、私の側にいて、私を笑わせた彼女は、私の言う法則によれば、私の中で、いつまでも生き続ける女性なのである。

 クラシック評論家の宇野功芳が、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101を語るとき、ちょっと創作もあるのではないか、と思うほど思い入れたっぷりに書くのだが、この曲の献呈された「ドロテア・チェチリア夫人」というのは、恋も多くまた人と衝突することも多かったベートーヴェンが、ただ一人、生涯にわたって、温かい友情を貫いた女性だった。

 この曲は3楽章からなるのだが、ウィルヘルム・バックハウスのCDでは、第3楽章で、冒頭の彼女の面影が回想される部分で、曲番を付け替えている。この部分を聴くとき、私は、いつも、私を楽しませてくれた、優しい女性達の思い出に思いを馳せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ全集

 女性達というのは、悪いことでもしない限り、大概、優しい。ましてや、私を好いてくれた女性というのが、私の心にいつまでも温かい思い出として残るのは、当然のような気もする。

 向こうは36歳になっていて、私は12月になるまで35歳だが、私がベートーヴェンの作品101の境地に達するのはまだ、少し早いかも知れない。でも、私も、素敵な女性の親友を一人持てた、というのは、少し自慢したいくらいのことである。

 今日はちょっと、話が前後して、良く事情を飲み込めていない人以外、理解不能だったかも知れないが、私の幸せな女性経験の一端を語ったと言うことになろう。

 今日はここまで。

 現在2007年7月25日1時01分です。おしまい。