読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。

卒業研究のための面接

 現在2007年6月10日23時28分です。

 昨日、千葉の幕張にある放送大学の本部まで、卒業研究の最初の打ち合わせのために行ってきました。

 先生は、以前にも書きましたが、生井澤 寛(なまいざわ ひろし)先生。ご専門は、超流動などの絶対零度付近での量子的振る舞いだそうですが、私のために、一般相対性理論をテーマにやってもらうことになりました。

 最初の打ち合わせに行ったところ、もう一人、先生に見てもらう学生が来ていらして、初めは3人で、簡単なゼミのようなことをやりました。
 一番嬉しかったのは、この先生も、私が今までに出会った、素晴らしい先生、例えば、上野健爾先生や、佐々木節先生のように、非常に教育熱心な先生だったことです。

 放送大学の先生というのは、他の大学を退官されたようなかなりお年を召した先生が多くて、生井澤先生も、かなりのお歳のようでした。70歳にはまだなっていないかも知れませんが、60歳は過ぎていらっしゃるようでした。

 でも、若い人達とも交流しているので、気持ちは若くていらっしゃって、今後半年間が、楽しみです。

 ただ、お年を召していらっしゃるため、ちょっと考え方などが、古いのではないかな、と感じられることもありました。

 例えば、このインターネットの時代に、メールでは、余り連絡を取り合わず、手紙で書いてきて欲しい、というようなことをおっしゃって、これはちょっと大変かな、とも思いました。

 もう一つびっくりしたのが、大学の先生というのが、もの凄く忙しい職業なのだな、ということでした。

 学生のための授業の準備のために、徹夜で大学に泊まり込み、用意をしたりしなければならないとか。

 もちろん、企業に勤めている人も、実情は同じなのでしょうが、大学の先生というのもその例外に漏れないのだな、と感じました。

 やっぱり私が、物理学者になるのは無理なのかなあ、なんて感じました。

 そういう良い先生に巡り会ったのですから、この機会に、私のライフワークの小学生にも物理学が分かるような本の一部でも書き上げて、先生に見ていただきたいと思いました。

 大学の先生が、みんながみんな、しっかりした先生でないのは、分かっているのですが、私は、先生には恵まれるようで、今回もきちんとした先生に出会えました。

 しかし、研究テーマの方のことでは、分かりきっていたことですが、余りにも、大きなテーマ過ぎることを指摘され、6月末までに、具体的に一つテーマを決めて、A4一枚にまとめていらっしゃい、と言われました。

 当初は、例えば一般相対性理論が我々の生活にどう使われているか、という例として、GPSの計算のために、地球の上空を飛ぶ、人工衛星で、時間が進むと言うことを取り上げたらどうか、などと言われ、GPSなんていう調べ始めたらブラックボックスのいっぱいあるものを相手にするのは嫌だなあ、なんて思って悩んでいました。

 一晩考えて、GPSにこだわらなくても、

「リンゴが木から落ちる」

と言うことだけでも、一般相対性理論の効果なのだ。ということに気付き、これだって、具体的なテーマとして、追求できるな、と感じました。

 リンク集の「私の論文の生原稿」で、公開していた、書きかけの論文は、少し、修正しなくてはなりませんが、私のやりたいことが、出来そうだ、という感触をもてたので、少し安心しました。

 先生は、

「頭を柔らかくしておかないと駄目だよ。」

と、おっしゃって、色々と臨機応変に取り組むことを大切だと強調されたのですが、私としても、自分のやりたくないことをテーマとするのは、地獄を見るのが分かっているので、何とか、自分のやりたいことであって、それでいて、半年で出来て、少しは、社会に役に立つことをする、という方向で、テーマを考えているつもりです。

 でも、一般の社会の人というのが、余りにも、数学や物理を知らなさすぎる、ということを、もう一人いた学生の人から、指摘され、私としても、少し落ち込みました。

 例えば、ピタゴラスの定理を知っていれば、特殊相対性理論の初歩は、理解できるのですが、一般の社会の人というのは、その、ピタゴラスの定理すら、おぼつかない、ということを指摘されました。

 なぜ斜辺の長さが他の2辺の長さから、求められるのか、分からない人もいるそうで、そういう人は、証明を読んでも、それで分かった、という気になれないのだ。というように教わりました。

 そういわれてみれば、私立大学の国文科へ行った私の妹も、ピタゴラスの定理は、分かっていなかったというのを思い出しました。

 私が、京都大学理学部という、とんでもなく数学や物理の出来る人達の中にいたために、数学や物理の分からない人の気持ちというのが、ほとんど理解できないのだな。と、改めて思い知らされました。

 私が例え、小学生でも分かる一般相対性理論の本だ、と言って、本を出版できたとしても、実際には、ほとんどの大人にも、理解できないものになってしまう可能性があるのだ、というのは、私にとっては、辛い現実でした。

 結局、私が苦労して書いても、それは、一部の数学少年、物理少年にとっての救いの書にはなっても、それ以上にはならないのだな。と思いました。

 まあそれでも良いか、とも、感じ始めた、今日この頃です。

 世の中には、色んな人がいるのだから、すべての人を救うことは出来ないのだ。それよりも、私の出来る最大限のことをすることに、徹した方がよいのでしょう。

 大学を中退してからは、ほとんど他の人と、物理の議論をすることもなく、一人で勉強してきたので、この機会に少しは、社会の他の人達の空気に触れられるのを有り難いことだと受け取ることにしました。

 それにしても、この世界には数学のわからない人が、本当に多くいるものなのだなあ、と言うのが昨日の大きなショックでした。そんなにみんな落ちこぼれているの? 日本の未来のためには、そんなことでは駄目なんだけどなあ。

 どうしたらいいか、途方に暮れながら、今日の投稿を終わります。

 現在2007年6月11日0時45分です。おしまい。