相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

偉大なるかなプロジェクトX

 現在2006年1月4日21時56分である。

 少し遅いですが、新年おめでとうございます。本当は、1月2日にはもう投稿しようと思っていたのです。でも、今年どうやって学問をやっていったらいいだろうと、悩んでしまって、書けなくなってしまったのです。

 

 今日、たった今、昨年の暮れの12月28日に放送された、プロジェクトXの最終回を録画してあったものを見ました。本当は、28日に最後に中島みゆきが歌うところだけ見たので、これはもう見なくてもいいや、と放ってあったのです。でも今日、せっかく録画してあるんだし、消す前に見てみようか、という気になったのです。

 以前に放映された話をふり返っている部分では、全部の話を知っていたので、それほど感動もしませんでしたが、最後に、最終回の特別ゲストとして、3人の人が招かれていました。その人達が、最後に一言ずつ、と言われていった言葉は、初めの二人のものは、それほど何とも思いませんでした。しかし3人目に、外科医の人のいった言葉に心をぐさりと刺されました。その人はこう言ったのです。

 

 「人生はみんな辛いものですよね。だから希望がなければいけないと思うんです。」

 

 これを聞いたときの私の反応は、「えっ、この人毎日辛い人生を送っているの?」という驚きと、ある意味尊敬する気持ちでした。

 私自身は「人生は辛いものだ。」なんて思っていない。正確に言うと、今私は幸せだ。

 

 確かに私の人生で、辛い時期もあった。転校生だからと言う理由でいじめられた、小学校の2,3年生の時。最悪のクラスにいて、毎日「明日嫌なことが起こりませんように。」と、神様にお祈りするようになった、中学2年生の時。大学に入り、さあこれからと言うときに、自分の学問に疑問を感じて悩んでいたとき。大学4回生の時、統合失調症という障害を被り、気が狂って、4回受けてやっと通った大学を中退して帰ってきてから、脳が駄目になったために何も出来ず、毎日鬱々と暮らしていたとき。

 確かに私はあの頃、もの凄く辛かった。今からもう一度あれを繰り返せと言われたら嫌だ。

 しかし今、私は十分幸せな人生を送っている。物理学者になることが出来ずにいるけれども、将来なれる可能性は十分にある。このブログを書いていること自体、諦めていない証拠だ。

 

 そんな私に、世の中の多くの人は、辛い人生を送っているんだ。ということを真っ正面からぶつけてきた、あの言葉は心に響いた。あの一言のためだけにも、今日1時間半見てきて良かったと思った。

 

 プロジェクトXは、最終回まで、その真価を失わなかった。偉大な番組としてここで最後を飾れたのは、良かったと思う。拍手を送りたい。

 

 私は時々、自分の学問のやり方に疑問を持って、もっといいやり方があるのではないかと思う。それが見つかることもあれば、結局元に戻ることもある。しかし、今までの経験で言って、迷っているときの最大の助言は、浪人生だった1990年に代々木ゼミナールの全科生に入ったときの、英語の島本先生の言葉である。その先生はこう言った。

 

「英語が出来るようになりたかったら、一番大変な勉強をしなさい。」

 

 この言葉は英語に限らない。学問をやっていく上で、

「一番大変な勉強をする。」

ということ以上の王道はない。

 私にとって今一番やりたいことは、一般相対論的量子力学を作るために、特殊相対論的量子力学を学ぶことである。どうやったらこれが達成できるのか、というのは、大学入学以来私の頭を離れない問題だ。

 そして、近道をしようとして失敗するたびに私が感じるのが、やっぱり一番大変な勉強をすれば良かったというものだった。

 

 このブログで相対性理論を読んでいく本として選んだ本も、私には難しすぎた、と何度も後悔した。本文は普通だが、問題が難しすぎるのだ。少なくとも私には。

 だが、良く考えてみれば、それくらい歯ごたえのある本を読まなければ、人間は進歩しないのだと気付いた。本当に解けなくてどうしようもないのなら兎も角、色々手を尽くせば解ける問題である。これくらいの大変な勉強をしないでいては、一生かかっても、一般相対論的量子力学なんてつくれっこない。

 

 量子力学についても同じことが言える。現在では、数学的に厳密に場の量子論を理解できる本もある。数学をたいして勉強しないでいて、物理的直観だけで、すべて分かるなんて思っていては、新しい学問なんて作れやしない。もっと遠回りしなきゃ。

 

 そういうわけで、現代の数学を学ぶ上で絶対必要な概念である、群というものを自由に使えるようになるために、以前にも書いた、

矢ヶ部 巌(やかべ いわお)著 「数Ⅲ方式ガロアの理論」

現代数学社

を読んでいくことにした。この本はアマゾンでは絶版になっているが、池袋のジュンク堂書店や東京駅の八重洲ブックセンターにはまだあったから、大きな書店ならまだ残っているかも知れない。

 この本は私の愛読書ナンバー3なのだが、なぜそうなのか、ということなどは読んでいくとき書くことにしよう。今度こそ完璧にこの本を読み切るぞ!

 他にも今年から始めることがある。その一つは、ほぼ毎日、自分がどんな勉強をしたのかを夜寝る前に、携帯から、ブログに送っておくことにすることである。

 これにより、私のブログは常に新鮮になる。

 

 また、去年がアインシュタインの奇蹟の年から100年だったので、物理学辞典がみんな改訂版を出した。そこで、その中から、一番私の気に入った、培風館の辞典を買ってきて、読んでいくことにした。一冊の本だけ読んでいると、知識が偏るので、理論物理全般の最新の情報を、まんべんなく、常識として知っておこうと思ったのである。これには数学辞典を読んでいる、calcさんの影響が少なからずある。

 辞典は引くものであって、読むものではないという人もいるが、学問もある程度進むと、辞典を読む、しまいには、辞典を書くという域に達すると思う。ランダウ・リフシッツの教程は、その一つの姿だと思う。まずは物理学辞典からである。いずれランダウ・リフシッツは全部読破するつもりである。

 

 易しいこともやりたいので、物理の30講シリーズを全部読むことにした。他の本に書かれていないようなことが書かれていたりするので、このシリーズは前から読みたいと思っていた。しかしブログでは、どこまで進んだかだけ書くことにする。面白い話があったら、紹介するかも知れないが。

 

 それから、易しい演習をやっておかないと、難しくなってから苦労するので、岩波の、「例解 演習」シリーズを全部解くことにした。

 

 今まで挙げただけでも、かなりの量になる。これだけ毎日のようにやるのは大変である。普段は、基礎数学シリーズの微分積分と、物理30講の1講だけ、進めるくらいが関の山だろう。

 

 今日はプロジェクトXに始まって、大きくふくらんだ私の夢を語った。プロジェクトXに出てくる人の多くが言う言葉、「諦めたらおしまいですから」というのを胸に、自然科学の良心となるために、まずは数学と物理の出来る、科学者になることを目指します。

 

 現在2006年1月4日23時25分。おしまい。