現在2013年8月27日22時49分である。
ブルバキの解説を宣言してから、どの程度本文を写そうかと、考えてきた。
ブルバキの日本語版では、最初に
読者への注意
というのがあり、数学原論での約束事が3ページにわたって、精密に書かれている。
そして、その次に
第1章を読むための注意
という訳者による解説がある。これは、ブルバキが、余りに抽象的に記号を導入していくので、その意味を解説したものである。これが、4ページにわたってある。
その次に、
序
として、
ギリシャ人以来、数学とはすなわち証明である。
という一文から始まる、数学というもののあり方についての記述が8ページにわたってある。
この8ページにわたる序文で言いたいことの要旨が最後の一文にあるので引用する。
要するに、数学は存続すべく運命づけられたもの、そしてこの荘厳な建造物の本質的な部分が突如現れた矛盾によって崩れ去るのを見ることは絶対にあるまい、と我々は信ずる;とはいえ、われわれは、この意見が経験以外の何ものかの上に根拠をおいていると主張するものではない。それでは不十分である、と或る人々は言うであろう。しかし、25世紀にわたって数学者はいつもその誤りを正し、それにより彼等の科学は貧しくはならず、むしろ豊かになるのを見てきた;このことが、彼等に落ちついた気持で未来に直面する力を与えているのである。
以上が、序文の一番言いたかったことである。
ブルバキの不安と自信を如実に物語っているものといえよう。
そして、ここから、第1章が始まるのである。
とても今までのところを全部書いてから、本文に入るのでは、挫折するのは目に見えている。
そこで、ここまでのところは、飛ばすことにする。
本文に入ってから、必要があれば、戻ることにする。
今日は遅くなってしまったので、本文に入るのは、次回にする。
現在2013年8月27日23時46分である。おしまい。