現在2015年3月7日13時21分である。
昨日は、2015年2月16日以来、3週間ぶりで、トントン工房へ行ってきた。
そこの職員さんは、みんな素晴らしい人で、私が、絶対の信頼を置いている。
前回入院する直前、お医者さんが、
「住居が、移りましたから、作業所を変えますか?」
と、聞いた。
「いえ、今のところに行きます。」
と言った。
私の母が、
「この子は、そこの職員さんに、交際を申し込んだことがあるんです。その相手の方は、他の作業所に移って行かれたそうなんですけど、ちょっと心配で。」
と言った。
「その人とは、もう会わないんですか?」
と、お医者さんが聞いた。
私は、
「その人とは、会えないんですが、その後、もう一人、交際を申し込んだ女の人がいます。」
と、応えた。
母は慌てて、
「えっ、まだ他にもいらっしゃるの。」
と言い、お医者さんは、
「その人に会いたいから、あの作業所へ行きたいのですか?」
と聞いた。
私は、全部話すことになった。
「その2人目の人にも、交際を断られたんです。だから、その人につきまとうことはありません。ただ、その作業所が良いところだ、というのは、その女の人が証明したんです。」
これを聞いて、母は、
「行かせない方が、良いのではないでしょうか。」
と言った。だが、私はその間に携帯を取り出し、語を続けた。
「2012年3月16日に、お弁当を作っている時の炊飯器のガスのホースが焦げていたことがあったんです。食事を作っちゃった後他の人が気が付いて、所長さんに報告したんです。それで、所長さんが、『すぐに新しいガスのホースを手配しましょう。明日から、使えるように。』と言ったんです。そこへ、その、私が後で交際を申し込んだ女の職員さんが来たんです。所長さんが、『このホースが焦げていて、・・・』って言いかけたら、『あっ、私、今朝気付いたんです。』って言ったんです。所長さんは、『えっ、じゃ私達、知っていて使っちゃってたってこと?』って言ったんです。それを見ていて、私は、『あの職員さんが、自然に、本当のことを言える、この職場って、素晴らしいな。』って思ったんです。私が、あの作業所へ行きたいのは、そういうところだからなんです。」
これを聞いて、お医者さんは、
「大丈夫なんじゃないですか。」
と言った。そして、その次の日、私は入院したのだった。
入院中、母が持ってきてくれた、トントン工房の連絡の紙で、その職員さんが、結婚されたことを知った。
「私、交際している人がいるので。」
という言葉が、本当のことだったことが分かって、私のその人への気持ちはさらに、良い印象になった。
私は、男子校だった男の人の多くのように、女の人を偏った見方をする、ということがない。ずっと共学だったから、どんなときも、自然に見ている。だから、その職場で、昨日その人に会ったときも、おかしな感情を持つことはなかった。
さて、15時半頃、トントン工房を出て、新逗子駅へ向かった。駅に着いて、ホームへ上がろうとしていたら、本屋さんが見えた。
時間はまだあるから、ちょっとのぞくことにした。
本屋さんの本なんて、いつも見ているから、初めての本屋さんへ行っても、どこにどんな本があるかは分かる。さすがに、司書の妹のように、分類法まで知らないが、見当は付く。
そして、昨日は、次の本を書架から取り出した。
『AKB48白熱論争』
なぜ、この本を取り出したかというと、AKB48にも興味があったが、それよりも何よりも、この、
『小林よしのり』
という人を、私が評価していたからだった。
なぜ、その人を評価しているかというと、2012年に、逗子で、信太正道(しだ まさみち)という人の、
「最後の特攻隊員」
という講演会を聞いたとき、終わった後、色んな人が、その特攻隊員の生き残りの人に色んな質問をしているのを辛抱強く待ち、全員が終わった後、
「おかしなことを言うようですが、戦争で、民間人が死ぬと、すごく問題になりますよね。でも、私は、民間人も兵士も、死ぬのが恐いのは、同じだと思うんです。だから、民間人が死んだっていうのは、おかしいと思うんですけど、どう思われますか。」
と聞いたのだ。
それに対し、その人は、
「『戦争論』という本に、小林よしのりが、ちゃんと書いている。ちゃんと書いているのは、小林よしのりだけだ。」
と教えてくれたのだ。
『戦争論』
私は、その本を図書館で借りた。
それは、マンガだった。だが、マンガなのだが、吹き出しに言葉が書いてあるだけではないのだ。
余白にびっしり文字が書いてある。だから、普通のマンガのように、サラサラとは読めない。ものすごく読むのが大変なのである。読むのに、何ヶ月もかかった。
私は、その人の、もう廃刊になっている、
『わしズム』
という雑誌も見た。
たいしたものだ、と思ったので、名前を覚えていたのだ。
『AKB48白熱論争』
では、その小林よしのりが、AKB48をすごく好きになったのに、同じ話題を共有してくれる人が少ないと、嘆いていたのだった。そして、AKB48のすごさを語り、それを通して、世界のあり方を書こうとしているのだ。
AKB48
このグループが、一世を風靡するようになってから、私は、その魅力を調べていた。
最初に名前を覚えたのは、ファンの間では無名の、岩田華怜(いわた かれん)という女の子だった。
なぜ、その子だったかというと、東日本大震災の後、NHKで、
「華怜の復興カレンダー、被災地の今を伝えます。」
という1分の番組を、長いこと流していたからだ。
私は、滅多に寄付なんてしない人間なのだが、CDが手に入るということで、その女の子のCDを買った。
これである。
だが、それには、AKB48のグループでの歌は入っていなかった。
それで、TSUTAYAで、
というCDとDVDの組になったものを借りてきて、映像を見た後、音声をブルーレイ・レコーダーに取り込んだ。
なぜ、そちらも買わなかったのかというと、これから、いくらでも新しいものが現れてくるだろうから、それを全部買うわけにはいかない、と思ったからだ。
さて、そのAKB48のCDは、どうだったのか。
『スカート、ひらり』
という歌を、気に入った。
「女の子には、スカート、ひらり、ひるがえし、走りたくなる時がある。」
で、導入される、ものすごく前向きな歌。
これは、良いと思った。
歌詞だけでなく、曲が良くなければ、認めない私だから、当然、メロディーも良かった。
『AKB48白熱論争』
を読みながら、この歌を思い出し、
『スカート』
というものは、女の人しか穿けないものなと思った。古い本だが、上野千鶴子の
『スカートの下の劇場』
なんていう本も開いたことのある私は、今回の入院中のことも、思い出していた。
横浜市立みなと赤十字病院では、看護婦も看護士も全員がズボンを穿いていた。
私は、入院してすぐ、ナースセンターのガラス越しに見ていて、15人くらいいる中に、1人だけ、スカートを穿いていて、素肌の見える女の人がいるのに気付いた。
その後も何日も見ていて、時々2人になることを発見した。
それから、しばらくして、その人が私のところへ、医療費のことを説明しに来たとき、色々なことを聞いた後、
「病棟でスカートを穿いていて、素肌が見えるのは、この服装の人だけなんですよね。」
と話した。
「これは、事務の人間の制服なんです。」
と、応えてきたので、
「2人いらっしゃることも、ありますよね。」
と聞くと、
「会計の人も、同じような服装です。」
と、教えてくれた。
それで、
「スカートめくり、なんていうものがあったように、女の人の素肌が見えると嬉しいんですよね、男の人にとって。」
と話した。
こういうことをしゃべっても、それが、全然いやらしくならないのは、私の女の人を見る目が、そういう行為を思い浮かべないからだ。イエス様が、心に姦淫を犯している、というような見方を、私はしない。いや、出来ないのだ。だって、実際にやったことがないんだもの。アダルト・ヴィデオを見ても、それを、本物の女の人の上に重ねることは出来ない。
だから、私の女の人を見る目は、自然なのだ。
私は、その事務の女の人に、プレゼントとして、
「コーディネートは、後ろをorとすると、コーディネーターですが、coodinateは、数学では、(2,3)や(0.5,3.6)みたいな座標のことなんです。ちょっと覚えておいて下さいね。」
というものを差し上げたのだった。
私は、いつも、私からしか受け取れないプレゼントを、渡すようにしている。
スカートの下にほんのチラッと素肌が見えるだけで、ほっとするほど、精神科病棟というところは、完全な管理の下に置かれていたのである。
みんなが、つまらない、つまらない、というのも、無理なかった。
だが、そういうところから出てきても、私は、トントン工房へ行って、以前交際を申し込んだ女の人に、何かしようなどとは思わない。
私は、女の人もまた、弱い存在だ、ということを知っているから。
『スカート、ひらり』
は、そんな女の子への応援歌。
素敵な歌だと思う。
今日は、ここまで。
現在2015年3月7日16時07分である。おしまい。