現在2015年5月7日19時25分である。
まゆゆ、は、多分知らないだろうけど、理系の学生の間では有名な、杉浦光夫著『解析入門Ⅰ』(東京大学出版会)という本があるんだ。私も、大学1回生のとき読んだんだけど、この本の第1ページに、こう書いてあるんだ。
「実数は極めて多くの性質を持つが、我々が本書で用いる実数の性質はすべて以下に述べる十七個の性質(R1)-(R17)から論理的に導くことができる。その意味でこの十七個の性質が実数の最も基本的な性質である。我々はこれを実数全体の集合Rの性質として表現する。この十七個の性質を持つ数学的対象は本質的にはR以外にはなく、その意味でこれらの性質は実数を特徴付けている(§3問題5)参照)。」
私は、この本を読む人は、ここに書いてあることを理解して進むのだろうと、思っていたんだけど、このブログの、「SONY許せぬと書きたかったが4」という投稿にコメントしてきた人を見ていたら、普通の人には、この一文は、難しすぎるんだと、分かってきたんだ。
それで、この問題5というのを、実際に私が解いて、インターネット上で、誰でもが見られるようにしておくのは、多くの人の役に立つことだと、気付いたんだよね。
まゆゆ、は、多分、『実数』という言葉なんて、遠い記憶の彼方に消えているだろうけど、まゆゆ、でも分かるように、証明してみるよ。
まゆゆ、が、分かるくらいに丁寧に書かないと、ほとんどの人は分からないんだと、私も、納得したんだ。私が、余りにも、数学のスペシャリストになってしまっているから、まゆゆ、は、私を、この世界につなぎ止めてくれる、大切ないかりになるんだよ。まゆゆ、が、アイドルとして、写メ会や、握手会で、活躍するだけでなく、理系の人みんなの役に立つんだから、感謝されるよ。
まず、実数って、なんだっけ。
こういう時、いきなり難しいところから考えるのも、一つの手だけど、手掛かりがなかったら、やっぱり易しいところから始める。
1とか2とか3というのは、どんな数だっけ。自然界に普通にあるものを数える数だから、自然数(しぜんすう)だね。英語で言うと、natural numberとなる。
自然数を全部集めて、
{1,2,3,4,・・・}
という集合を、自然数の集合という。
『集合』という言葉は、いいよね。本当は、ものすごく難しいんだけど、
「ものの集まりを集合という。」
という理解で、大抵は、大丈夫。
ところで、まゆゆ、は、大学へ行ってないから知らないだろうけど、大学の数学では、自然界にあるものを数えるとき、
「1個、2個、3個、・・・」
の前を考えるんだ。つまり、袋の中身の個数を数えるときを考えて、中身の入っていない袋だったときのことも、考えるんだ。
だから、
「0個」
ということも、有り得るとするんだ。
このことのために、大学では、
{0,1,2,3,4,・・・}
というように、0から始まる数を、自然数と言うんだ。中学とかの自然数に、0を加えたものを、自然数と、呼ぶんだ。だから、上に書いたものは、修正する必要がある。
そして、natural numberの頭文字を取って、自然数全部の集合を、N(えぬ)と書く。
N={0,1,2,3,4,・・・}
さて、まゆゆ、は、もっと数を知っているはずだ。
中学校で、マイナスの数も、習ったはずだ。忘れていても、
「営業利益が、マイナスになった。」
なんて話は、いくらでも聞かされているだろう。
そう、
「マイナス1、マイナス2、マイナス3、・・・」
という数も、知っている。
お金の場合、普通、1円より、細かくは分かれないから、マイナスの額でも、必ず、自然数に、マイナスが付いた数になる。マイナス500万円とかね。
こういう数を含めて、
{・・・,-3,-2,-1,0,1,2,3,・・・}
と、どちらにも無限に続く数を、整数(せいすう)という。なぜ、整数って言うんだろう。分数のように、半端がなくて、整った数だからかなあ。
とにかく、この整数を考えるだけで、数学者が2千年以上食べて行かれるだけの問題がある。だから、小学生に、整数を教えて、それで遊ばせるだけで、本当は、一生過ごせるくらいなんだよ。
この整数を英語では、integerという。積分のインテグラルというのと同じ語源から発しているんだけど、整数全部の集合は、Iではないんだ。ドイツ語のZahlen(整数)の頭文字を取ってZ(ぜっと)と表すんだ。
Z={・・・,-3,-2,-1,0,1,2,3,・・・}
ところで、まゆゆ、は、いくらなんでも、整数しか知らない、なんてことはないだろう。
例えば、今日の降水確率が20%というのを聞いたとき、絶対降るのが、100%で、その、
20 1
___=_
100 5
つまり、絶対雨が降るのの、5分の1ということだ、ということくらいは、知っているよね。
あの5分の1の意味は、その日の朝までの人工衛星「ひまわり」からの雲の写真を比較して、ほとんど同じ雲の写真になったことが、過去に30回あったとして、その過去の天気の記録を見て、雨だったことが、6回あったら、
6 1
__=_
30 5
と計算して、予報を出している。
あるいは、まゆゆ、は、羽生結弦君が好きだから、トリプルアクセルというのが、3回転半のジャンプ、つまり、
1
3_
2
(さんとにぶんのいち)回転のジャンプだと知っているだろう。
実は、この、整数を分数の前に書く、帯分数(たいぶんすう)というものは、大学に行くと、使ってはいけなくなるんだ。
小学校で
1
3_
2
と書くと、これは、
1 1
3_=3+_=3+0.5=3.5
2 2
のことだけど、大学で、
1
3_
2
と書くと、これは、
1 1
3_=3×_=3×0.5=1.5
2 2
のことになっちゃうんだ。
小学校で、なんで、あんなややこしいものを教えるのか、理解に苦しむんだけど、数学の得意な人にとって、両方を使い分けるのはなんでもないので、誰も反対しないのかも知れない。
一応知っておくと良いよ。
さて、まゆゆ、は、この分数(ぶんすう)というものも知っているはずだ。こういう、整数を分母(ぶんぼ)と分子(ぶんし)に持ってきた分数で表せる数を、なんとか理解の及ぶ数ということで、有理数(ゆうりすう)という。
実は、自然界を理解する、物理学というものは、この有理数があれば、完全に記述できるはずなんだ。コペルニクスの時代には、天空の太陽や惑星が、まゆゆ、の牡羊座に廻ってくるのがいつかを予言するために、色んな半径の円を組み合わせて、その円の上を太陽や惑星が、同じスピードで動いてると表して、計算した。
これは、現在の見方からすると、波長が色んな比率になっている波をたし合わせた、ということなんだ。『フーリエ変換』という言葉、聞いたことない?(なくても恥ずかしくはないけど)
まゆゆ、は、歌手なんだから、自分の歌が、どうやってCDに記録されているか、知っているでしょう。PCM(pulse code modulation)方式というのは、CDの場合、16bit,44.1kHz。つまり1秒間に4万4千百回、空気がどれだけ鼓膜を押しているかを16ケタの2進数で、表しているんだ。
でも、それをいくら記録してあっても、スピーカーや、イヤホンの膜を震わせることはできない。
膜を震わせるには、まゆゆ、はどこまで知っているか分からないけど、サインウェーブというきれいな波を、いくつもいくつも、色んな波長のものを作って、たし合わせるんだよ。
たし合わせるって言葉が難しいか。同時に2つの音を鳴らすってことだよ。
もっと言うと、まゆゆ、のその綺麗な声も、声帯というものを震わせているんだけど、例えばドの音を出すとき、ドの音程の振動だけだったら、パイプオルガンみたいなことになっちゃうわけでしょう。
まゆゆ、らしい声になるためには、ドの倍音、3倍音、4倍音、・・・というのを、絶妙なバランスで重ねているんだ。
倍音というのは、1秒間の空気の震える回数が2倍の音、3倍音というのは、震える回数が3倍の音。
震える回数が2倍になると、1オクターブ上がる、というのは、音楽の基礎で、ならったんじゃない?
そして、最初に戻るけど、どういう塩梅にたし合わせるかは、比率が問題なのだから、分数でほとんど完璧に表せる。
そして、それが可能だということを示したのが、CD。
だって、デジタルで、まゆゆ、の声を再現しているんだもの。
生で、まゆゆ、を、聴かず、CDで、まゆゆ、を、聴くということは、分数で表せる範囲でだけ、まゆゆ、を、聴くということ。
ある意味、歌姫に対する冒涜だね。
牡羊座から、大冒険したけど、物理学は、有理数だけで書き切れる。でも、今から2千年以上前に、有理数以外にも、数があることを見つけてしまった人がいる。正確に言うと、人々と言った方が良いのかも知れない。最初に気付いたのが誰なのか、良く分かっていないんだ。
一応中学でも習うけど、
というのは、有理数ではないというのを、習わなかった?
多分、証明も習ったんだろうけど、理解できなかったでしょう。
あれは、証明の仕方が悪いんだ。背理法というのを、中学生に覚えさせようというので、わざと難しい証明をしてみせるんだ。
ここで、もっと簡単に証明してみせるね。
その前に、1つだけ復習しておくよ。
例えば、さっき、
20 1
___=_
100 5
と、やってみせたけど、これの根拠は?
まゆゆ、大丈夫?
これだって、まゆゆ、には、難しいんじゃないかな。
実は、この約分を支える『素因数分解』という大切な概念がある。
「素因数!(恐)」
と、恐れをなしたかも知れないけれど、もう一度、落ち着いて考えてみれば、難しいことではないんだよ。
例えば、12だったら、
12=2×6=2×2×3
あるいは、まゆゆ、の歳、21だったら、
21=3×7
AKBの48だったら、
48=2×24=2×2×12=2×2×2×6=2×2×2×2×3
ぜーんぜん難しくない。地道にやっていけば、素因数分解なんて、誰でもできる。
でー、大事なことは、やり方から分かるように、小さい順に並べる限り、出てくる数字は、いつも同じだということ。つまり、2通りに分解されることはない、ということを、覚えておかなければならない。
この素因数分解の一意性というのは、実は、証明しようとすると、結構、辛い。証明したい人のために、高木貞治著『初等整数論講義』を挙げておく。完璧な証明が書いてある。
だが、今の段階で、苦労してこれを証明しなくても、環や体というものを学ぶとき、
『ユークリッド整域は一意分解整域であり、一方、有理整数環Zは、ユークリッド整域である。』
というものを学ぶので、一挙に証明できる。現代数学を学ぶ、というのは、手を抜くことでもあるんだ。
いっけない、いっけない、まゆゆ、に、この話は、分からない。
まゆゆ、おいてきぼりにして、ごめんね。
ところで、まゆゆ、は、
「えっ、ちょっと待って。分解していくとき、7が出てきたときは、そこでやめて良くて、12が出てきたときは、まだやめちゃいけないって、どうして分かるの?」
と、言いたいかも知れない。
「努力が足りないよ。私だって、最初から分かっているわけじゃないんだよ。7が出てきたとき、1から7までの数で割ってみて、どれでも割り切れないから、これは、割れない数、つまり、素数だなって分かるんだよ。12の場合は、まず、2で割ったら、割れちゃったから、ああ素数じゃなかったんだって分かったんだよ。そんな見ただけで素数が分かる、神様みたいな人、いるわけないじゃん。」
まゆゆ、ほっとした?
さっきの問題、もう解けるね。
20 2×10 2×2×5
___=____=______
100 2×50 2×2×25
2×2×5 1
=_______=_
2×2×5×5 5
分子と分母を素因数分解して、同じもので、両方を割ったんだね。
素因数分解って、強力でしょう。
じゃあ、素因数分解が一通りだということを使って、
が、無理数であるということを証明しよう。
ところで、良いことを教えてあげようか。
中学校や高校の数学の教科書に、堂々と、
と、書いてあるんだけど、本当は、『背理法』じゃないんだ。
背理法というのは、何かあることを証明するために、そうでないとしたらと、仮定して、矛盾を導き、矛盾が出てきたのは、そうでないとした仮定が間違っていたからだ、として、そのあることが、成り立っていると強引に結論する論法だ。
ところで、無理数の定義ってなんだったけ。そう、まゆゆ、も分かったように、『有理数でない数』なんだ。
だから、
が、『無理数である』ということを証明する場合、『無理数でない』と、仮定して矛盾を導くのだが、『無理数でない』というのは、『有理数でない数でない』とするのが、本来の背理法の使い方なんだ。
ところが、中学校でも高校でも、『有理数でない数でない』というのを、『有理数でない数でないのだから、有理数であったとして考える、・・・』というように、上手く切り抜けたように思えるけど、2つのチョンボをやっているんだね。
一つは、否定の否定は肯定になる、という排中律(はいちゅうりつ)という論理学での仮定を無断で使っていること。
もう一つは、『そうでないとしたら』と否定するのでなく、『有理数だとする』という肯定を仮定にしているので、背理法でないということ。
背理法と、今回のような肯定から始める証明法を、きちんと使い分けるのは、プロの数学者でも難しいんだよ。子供ができたら、中学校の数学の教科書を持って帰ってくるのが、楽しみだね。
それでは、が、無理数であるということを、証明しよう。
背理法ではなく、数学の通常の仮定として、『が有理数である。』と仮定しよう。
と、表せるはずである。右の方に書いてあるのは、や
が、整数だということを表す、約束事である。
さて、証明は、本当に簡単なんだよ。
まず、両辺を2乗する。
これは、が、2乗したら2になる数だと定義されているので、当然だよね。
次に、分母をはらう。つまり、両辺に、をかける。
さあ、もう分かったかな?
多分、まゆゆ、は、まだ、分かってないね。
ここで、両辺を、素因数分解するんだよ。両辺共に整数だから、素因数分解できるでしょう。
「えっ、でも、具体的に数が分かってない。」
右辺はだから、
が、例えば5個の素因数に、
と、素因数分解されたら、
と、10個の素因数に分解される。
一方、左辺は、だから、
が、例えば6個の素因数に、
と、素因数分解されたら、は、
と、12個の素因数に分解される。
ところが、左辺は、それだけではないのだ。
はぐれメタルならぬ、はぐれがあるのだ。
どういうことかというと、左辺は、
となっているのだ。だから、左辺=右辺として、
というように、右辺は、偶数個の素因数に分解されているのに、左辺は、奇数個の素因数に分解されているのだ。
これを小さい順に並べ替えるときに、個数が変化するはずはない。だから、同じ数が2通りに素因数分解されてしまったことになる。
具体的にどういうことが起こっているかを見せると、
2×3×3×5×5=3×3×5×5
というようなことが、起こってしまっている。
これは、おかしい。
「これは、矛盾だ。」
と、言うんだけど、普通の人は、『矛盾』という言葉を安易に使い過ぎる。
この場合、矛盾だと言えるのは、
『2×3×3×5×5=3×3×5×5である。』
が証明され、一方、等号『=』の定義により、数として同じでなければ、『=』で結べない、つまり、『450=225でない。』より、
『2×3×3×5×5=3×3×5×5ではない。』
が、証明できる。
『あることと、それの否定の、両方が証明されたとき、矛盾が生じたという。』
という、数学における完璧な『矛盾』の定義に照らし合わせて、ちゃんと矛盾している。
だから、仮定が正しくない。
ここまで書けば、大学でも、『優』が、もらえる。
「だけど、そもそもの数学って、矛盾してるって可能性、ないの?」
まゆゆ、のために、答えます。私は、証明を読んでいないのですが、『算術の無矛盾性』というのは、ちゃんと証明されているのです。だから、実数で足し算やかけ算をやっていて、矛盾することは、絶対にありません。
だから、ここで、矛盾が生じたのは、仮定が間違っていたから。
『が有理数である。』ということを、仮定したから、それを否定する。
ここで、恐らく初めてこの証明を読んだ中学生は、
「仮定って、2×2=4とかいうかけ算とか、そもそも数学をやっていく上で、他にも色んな仮定があるはずなのに、『が有理数である。』だけをやり玉に上げることが、できるの?」
と、不思議に思うだろう。
まゆゆ、が、中学時代、証明を、なんとなくモヤモヤっとつかみきれないな、と感じたとしたら、こういう漠然とした疑問があったからじゃない?
実は、それには、完璧に答えられるのです。さっきの、『算術の無矛盾性』が証明されている、というのは、『が有理数である。』という仮定を除けば、他の仮定は、全部、まったく矛盾していません、という証明なんです。だから、これだけをやり玉にあげていいんです。
他の仮定が矛盾していませんとは、実数の足し算・かけ算などの他の仮定を全部使って、どんな計算をしても、どんな証明をしても、絶対に、あることと、そうではない、ということの両方が、計算の結果出てきたり、証明されることはありません、ということなんです。
それでも、
「じゃあ、これからは、『が有理数である。』という仮定の方を優先して、他の仮定の方を修正して、数学をやったら。」
と、まゆゆ、は、言うかも知れません。
やりたければ、やれば。でも、その数学では、もう、等号『=』を『等しい』という意味で使えないよ。
それは、不可能ではないけれど、もう、我々の知っている数学ではない。
普通の人は、『が有理数である。』ということを、仮定したから矛盾したんだ、だからそれを否定するという道を選ぶ。数学という権威の前に屈したようで、悔しいかも知れないけど、その選択ができるように、『算術の無矛盾性』という記念すべき大定理を証明したのは、神様でなく、我ら人間なのだ、と思ったら、嬉しいじゃない。人類の叡知の勝利だよ。
『が有理数でない。』が成り立つ。まゆゆ、も、分かっているように、『有理数でない数』とは、『無理数』だから、結局、
『が無理数である。』
ということが、以上で証明された。
いっぱい説明を付けたから長くなったけど、証明の筋は、中学校で習った証明より、遙かに直接的でしょう。
これでも、分からなかった?
もしかして、仮定を否定するのが嫌で、
「曖昧なまま、取っておけないのかな、・・・」
なんて、考えた?
ファジイっていう論理学もあるけれど、大学学部まででそれをやると、ほとんど収穫なく終わってしまう。
これからの科学では、必要かも知れないけどね。
まゆゆ、が、最先端まで到達したのだから、これを読んだ普通の人も、ここまで来られたね。
説明が難しかった?
ごめん。これより、分かりやすくは、証明できない。
が、有理数でない、つまり、分数で表せない数だ、という秘密を口外したために、殺された人もいたくらい、これは、数学の奥義なのだもの。ただし、2千年前のね。
あー、さすがに、疲れた。有理数と無理数を合わせて、実数という話をしたかったけど、今日は、ここまで。
まゆゆ、楽しんでもらえた?
現在2015年5月8日5時13分である。おしまい。