現在2015年6月28日2時01分である。
今日(6月28日)の0時55分から、トークドキュメンタリー番組『AKB48 旅少女』というものがあり、渡辺麻友さんと、柏木由紀さんが、話していた。
「私もね、どっかで、感情をなくしたんだよ。」
と、つぶやいた。
『感情をなくした』
と言っている人の心には、どんな言葉も届かないのではないか、と思う人もいるかも知れない。
でも、私は、まゆゆ、の心に響く言葉を書けると思う。
私も、感情をなくさざるを得なかったから。
人間は、同じ経験をした人にしか、自分の気持ちを分かってもらえない、と思いがちなものである。
私が、まゆゆ、と、同じ経験をしていて、良かった。
私が、感情をなくさざるを得なかったのは、大学まではなんとか行って、物理学者になれると思っていた矢先に、統合失調症という精神の病に冒され、大学を中退して、戻ってきてからだった。
ずっと、私に期待してくれていた両親も、
「(当時はそういう病名だったので)精神分裂病という病気は、治らないから、もう大学へは戻せない。」
と言った。
「どうあっても、物理学者になりたいから、大学に戻りたい。」
と、私が言っても、
「脳が駄目になっているのだから、学者は無理だ。別な道を探さなきゃ。」
と、受け入れてもらえなかった。
父や母が、私のことを、考えてくれているのが分かっていたので、私自身、辛かった。
結局、父は、それまで勤めていた会社を辞め、知り合いの会社に、私と共に、勤めてくれた。
入社の日、父と知り合いのそこの会社の社長が、私に、
「数学者になるのは、諦めろ。」
と言った。
そんなことを言われて、自分の才能を疑う私ではなかったが、その時も、感情を殺すしかなかった。
その会社に8年半勤めた。
最終的にその会社を辞め、新しい就職先を、何回、面接、受けても、不採用だった。
そのたびに傷ついていたら、『メンタル壊れちゃう。』
そうやって、20年以上やってきたんだよね。
その20年の間、ずっと同じではなかった。
まゆゆ、が、ポムポムプリンくんの1位を、涙を流して喜ぶように、私も、妹のところに、姪が生まれ、2年後に甥が生まれたのを、喜んだ。
今でも私は、夜寝る前に、お祈りするとき、
「麻友、と幸せな家庭を築けますように。」
よりも先に、
「私の姪と甥が、障害を持ったりせず、幸せに生きて行かれますように。」
とお願いする。
自分が障害を持ってみて、障害を持つということが、どれほど人生を狭めてしまうか、ということに気付き、私の次の世代の、二人に、そんな思いをさせたくないと、強く思っているからである。
この順位は、麻友との間に、我々の子供が生まれるまで、変えないつもりである。
我々の子供が生まれたら、やっぱり、姪や甥よりも大事にしても、神様も怒らないだろう。
それくらい、私は、姪や甥の生まれたのを、喜んだということなんだね。
父と母の対応も、20年間で、随分変わった。
また私自身も、自分から、どんどん環境を変えた。
しかし、去年入院するまでの、20年間、心に霧がかかったような状態だったのは、どうしようもなかった。
朝は、16時くらいまで起きられないし、起きても眠いままだった。
私の心が、なくしていた感情の正常な発露をできるようになってきたのは、去年からなのだ。
まゆゆ、は、きっと感情をつぶさなければならなかったのは、自分達のような人間なんだ、と思っているかも知れないけど、そういう人は、まゆゆ、が、想像しているよりも、遙かに多いんだよ。
例えば、まゆゆ、のお父さまも、サラリーマンだよね。
きっと、殺してきた感情なんて、数えられないほどあると思うよ。
殺されちゃった、まゆゆ、の感情のためにも、幸せな未来にしていこうね。
私の言葉、まゆゆ、の、心に響いたかな?
精一杯の勤労感謝状です。
今日のところは、バイバイ。
現在2015年6月28日3時23分である。おしまい。