現在2015年7月11日21時44分である。
昨日の投稿で触れたとおり、前橋汀子さんのコンサートの日だった。
コンサートは、14時からだったから、8時1分に起きた私には、十分な時間があった。
今までだったら、もう一度あのCDを聴いて、予習したかも知れなかった。
だが、今年の私は、違った。
そんなことをしたら、コンサートが台無しになることが、分かっていたのだ。
以前、「SONY許せぬと書きたかったが2」という投稿で書いたように、前橋さんの弾く曲を、余りにもCDで聴きすぎていると、脳にそれが残ってしまい、コンサート会場で、生で聴いているのに、CDで聴いているような音に、聴こえてしまうのだ。
私は、朝から、まったく音楽をかけず、テレヴィもつけないで、食事をして、その後、インターネットで、また、前橋さんのことを読んでいた。
「ヨーゼフ・シゲティに会うよりも前に、ダヴィッド・オイストラフに会っていたのか。」
「ソ連に行きたくて、中学校1年のときから、ロシア語を勉強し始めたなんて、物理学を志すために、小学校6年の終わりに、相対性理論の本を買ってもらった私と、同じ年頃だな。」
「ソ連から戻ってきて、その後、アメリカへ行ったと聞いていたけど、本当はソ連から病気で帰ってきて、ソ連へ戻るつもりだったのに、出会いがあって、アメリカに行ったんだったのか。」
と、発見があった。
「小野アンナのご主人の小野俊一は、物理学者ではなく、動物学者だぞ。」
「今振り返ってみて、私のこの留学が実現した影には、数え切れないたくさんの人たちの力と助けと思いがあったのだということがわかりました。」
という一文において、肝腎な、「おかげ」という文字に誤りがある。正しくは、
「留学が実現した陰には、」
だ。
と、2つの誤りも見つけた。
そして、ふと、
「前橋さんに、メッセージを持って行こう。」
と気付いた。
今の人なら、スマートフォンに音声を録音して、SDメモリに転送して、SDチップを渡そうと思うだろうが、相手は、私の母親の世代の人であるし、そんなもの、却って渡せない。
私は当然紙にシャープペンシルで書くことにした。
シャワーを浴びた後、前橋さんの思い出の中で、
アメリカ
ヨーロッパ
の順に、巡ってきて、一番ソ連が、懐かしいだろうと思い、私にしか書けない、ソ連の話を書こうと思った。
だが、便箋なんてものはなかった。私が、貧しい生活を送っているというのは、本当のことで、白い紙一枚、なかったのである。
どうしようか考えた末に、私が、横浜市立みなと赤十字病院に、入院していた時、研究ノート第1号になった、「1から始める数学 可算級善良超フィルターの存在定理」という30枚60ページのノートの最後の1枚を使うことにした。
サラサラッと書き、上にページ番号が、「59,60」と手書きしてあるが、消さずにそのまま、あのCDのケースに収め、向かった。
財布の中に、8円しか残らなかった、などと書いているのは、全部、冗談なわけではないのである。コンビニエンスストアで、便箋を買うのも、大変なのであるから。
さて、前置きが長くなったが、会場に着き、27列31番の席に座った。かなり後ろである。
「大丈夫かなあ。」
と思っていたが、前橋さんが出てきて、弾き始めた途端、
「音響、素晴らしい。」
と思った。
これは、朝から、音楽を聴かないようにしていて、脳に変な反応が起こらないようにしていたのも、大きいと思う。
目の前で、弾いている、というのが、良く分かった。
前橋さんの状態は、かなり良かったのだと、思う。
音符を弾き飛ばしたり、音が違うところもあったが、それは、ライブだったからしょうがない。
だが、聴いていて、私は、満足していなかった。
あんなに、
「すごい、すごい。」
と言っていたが、本当に、
「ものすごい。」
と言えるか?
ソナタ第1番
パルティータ第1番
ときて
ソナタ第2番
まできたとき、本当にすごくなった。
ソナタ第2番 第2楽章
は、ヴァイオリンが鳴っているというより、前橋さんの体そのものが、楽器になっているように聴こえた。
次に、
パルティータ第3番
を弾いた。これの
第1楽章 前奏曲
は、諏訪内晶子さんの演奏もあるし、グリューミォー,シェリング,シゲティ,クレーメル,千住真理子,エネスコなど、色んな演奏を聴いたことがあるが、それらと比べても、かなり良かった。
そして、とうとう、
This is my country, Japan.
で、弾いてもらう、
第5楽章
第6楽章
良かったけど、
「これで、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を勝ち取れるかな?」
ちょっと疑問だった。
ここで、25分間の休憩だった。
私は、持って行っていた、シャープペンシルで、アンケート用紙を、ほとんど埋めた。
休憩が終わって、
ソナタ第3番
パルティータ第2番
休憩が終わった後の方が、演奏が冴えていた。
だが、私は、まだ、満足していなかった。
最後の曲、
パルティータ第2番 第5楽章
冴えている。10分経っても、音符一つ飛ばしていない。
生演奏で、ぶっつづけ15分の曲で、1つもミスをしないなんて、なかなかない。
12分経ったとき、私は、1つ賭けをすることにした。
「もし、前橋さんが、今日の演奏で、シャコンヌに関し、一音も間違えなかったら、ノーベル・レクチャーで、シャコンヌを、弾いてもらおうか。」
どうだったか。
映画『炎のランナー』のアルティメット・エディションにだけ入っている、日本語吹き替えで、素晴らしい言葉が流れる。
「アンディ、あいつやったなあ!」
「うん?何と言ったかね?」
「あいつ、勝ったんだよ!」
前橋さんは、今日、シャコンヌに関し、一音も、間違わなかった。
正確なだけでなく、CDよりもすごいくらいの名演奏だった。
こんなことを書けるのは、前橋さんのCDだけで、1,000回以上。他のヴァイオリニストも含めると、1,300回くらい、この曲を聴いているからなのだ。
もう、これ以上、書きたくなくなった。
余計なもの付け加えたくない。
ここまで。
現在2015年7月11日23時35分である。おしまい。