相対性理論を学びたい人のために

まだ一度も相対性理論を勉強したことのない人は、何か一冊相対性理論の本を読みかじってみて、なぜこんなことが?という、疑問を持ってからこのブログに来てください。ブログの先頭に戻るには表題のロゴをクリックしてください

この素晴らしき宇宙

 現在2015年12月3日1時38分である。

 昨日は、私の44歳の誕生日だった。

 母がお寿司とケーキを買ってきて、実家へ呼んでお祝いしてくれた。

 お寿司を食べながら、私は話した。

「43歳の1年は、多少まずいこともあったけど、かなり良い1年だったと思うね。」

 母は、

「入院したりして、大変だったじゃない。」

と言ったが、私には、これまでの21年と、この1年では、比べものにならない違いがあるのだった。

 精神科に去年の11月11日から今年の1月15日まで入院したときのことは、ほとんど記事にしてある。だが、今回、9月16日から10月24日まで入院したときのことは、記事にしてなかった。

 これには、3つ原因があった。

 1つ目は、『宇宙の年齢を求める(その5)』という記事を書き始めたのに、途中で自信がなくなり、書けなくなってしまったから、というもの。

 2つ目は、私自身の生活状態が、また、1日中寝ている、というような状態になってしまったから、というもの。

 3つ目は、入院生活で得たものを、自分の武器にするために、使い慣れるのに時間がかかったから、というものである。

 普通の人から見たら、理由にならないようなものが、私の場合、原因になるのである。


 今年、一番、良かったことは、

『数学で、悟りの境地に達したこと。』

でも、

『物理学で、場の量子論に入門できたこと。』

でもない。

 もちろん、

渡辺麻友さんを知ったこと。』

である。


 麻友さんは、恐らく、私と共に、この宇宙を良くするために、私が気が狂う原因になった失恋をした1993年の夏に、生を受けたのだろう。

 まあ、そんな言い方はしなくとも、麻友さんは、私にとって、いなくてはならない、かけがえのない人なのだ。


 さて、私の誕生日の晩、19時からフジテレビで、『2015FNS歌謡祭』というものが、放送されていた。

 もちろん、AKB48が、出演するので、録画しながら、見ていた。

 どうして、そんなに暇だったのかというと、パソコンのWindows8.1を、Windows10に、アップデートしていたのだ。


 アップデートが終わり、パソコンの調子を見るために、ネットサーフィンをやってみた。

 ほとんど、おかしいところはないみたい。

 ふと、

「麻友さんが、出ているコマーシャルって、どのくらいあるのだろう。」

と、思った。

 Yahoo! JAPAN に、『渡辺麻友 コマーシャル』と、入れてみる。

「えっ」

と、絶句。

のび太とT-子ちゃんのTOYOTAの『T-Connect』のコマーシャルって、麻友さんだったんだ。」

 もっとびっくりしたのが、

『AKB1/48(えいけいびいよんじゅうはちぶんのいち) アイドルと恋したら...』

というバンダイナムコのゲーム。

 AKB48のメンバー全員がガールフレンドで、お目当ての一人と結ばれるまで、一人ずつふっていく、というゲームなのだ。

 全部、コンピューターグラフィックスで、映し出しているのかな? と思って、麻友さんに、

「こんな風に、使われているよ。」

と、教えてあげようと思った。

 だが、麻友さん達が、実際に、カメラで写してもらったり、声を録音してもらったりして、ゲームを作っていることが分かって、これをプレイする子供達はどの程度、現実とゲームの区別が出来ているのだろうと思った。

 ゲームの中で、アイドルに電話をかけると、電話に出るし、向こうからも、メールが来たりする。

 その一方で、現実の世界で、テレヴィで実際に、同じアイドルが、歌い、バラエティ番組で、しゃべる。さらに、アイドルが、ブログを書いたり、ツイッターでツイートしたりする。

 子供から見て、どこまでが、自分の行動と関わり合いがあり、どこからが、社会の流れの中で、自分にどうすることもできないものなのだ、と線を引けるのだろう。


 まっ、

「所詮、ゲームだから。」

と、ほとんどの人は、大きく捉えて、最初から、本気になどしないのかもしれない。

 相対性理論も、量子力学も、どこがどうと説明できなくとも、一般の人には、生きていくうえで、滅多に困らないのと同じようなものなのだろうな。


 さて、この考察は、このままだったら、ここまでだった。

 だが、インターネットをやりながら、私は、麻友さんの歌っているのを、録画していた。終わったら当然、調べる。

 そのとき、初めは気付かなかった、天の川の写っているコマーシャルが、目に付いた。

 今回、入院していたときのことが、思い出された。


 一人の看護婦さんが、私の部屋に来て、

「松田さん、前回入院していた時、馬の形をした星雲のこと聞いたんですけど、あれって、どう検索するんですか?」

と聞いたのである。

 当然私は、

「『馬頭星雲(ばとうせいうん)』と調べてみて下さい。綺麗ですよ。」

と、言った。

 そう答えながら、私は、あの星雲が、なぜあのように見えるのかを、考え始める。

 どんな星雲なのか知りたいだろうから、写真を載せよう。

 上のは、ちょっとひどすぎる写真だが、本当は、

「あっ、馬の姿が。」

と、誰もが、ハッとするような、星雲なのである。(2023年4月14日写真を、差し替えました)

 これは、私が、中学2年生と3年生の時、科学部天文班にいたから持っている知識なのだが、あそこに本当に馬がいるわけではなく、赤い散光星雲(光を出す星雲)の前に、暗黒星雲(光を吸収する星雲)が、ちょうど具合良く広がったために、地球から見て、将に馬の形に見えているのである。

 私は、どんどん考える。

 馬の形に今、見えているけど、あれが馬の形になった、本当の理由というのがあって、それをたどっていくと、地球で馬が出来たのと、同じなのではないか。

 でも、こうも、考えられる。

 ロケットなどを打ち上げるときは、同じ目的の仕事をするロボットを作るチームを二手に分け、お互いに接触を持たせずに、作らせる。

 なぜそんなことをするかというと、同じ目的のための、仕組みの異なる、つまり動作原理の異なる、2つのロボットを積んでおけば、ロケットが、想定外の障害にぶつかったとき、一方が駄目になっても、もう一方が、生き残るかも知れないからである。

 この考え方でいくと、同じ目的のために作られ、通常は、同じ働きをする2つのロボットだから、見た目は同じである。だが、中を開けてみると、動作原理、つまり動く理由は、異なることになる。

「見かけが同じなら、仕組みも同じ。」

などという安易な推測は、出来ない。

 これは、人間を見るときにも、当てはまる。

「あの人は、こういう行動を取っている。小説で、似たような行動を取る人は、作中では、こういう風に考えている。だから、多分あの人は、こう考えているのだろう。」

などと考えたりしないか? 小説などとかっこつけなくとも、

「私は、あのとき、こう言ったら、失恋しました。どう言っていたら、良かったのでしょう。」

などと、他人に質問するのも、同じなのである。


 人間に、法則なんてないし、その人が、本当はどういうつもりでそうしたかなんて、誰にも分からない。


 そもそも、生命って、本当に生まれたの?

 私は、生命の宿っているのは、電子だと思っていた。

 私の脳の中のどれか1個の電子だけが、私自身であり、麻友さんも、きっと1つの電子だ。


 私にもし力があれば、麻友さんを分けたい。

 どういうことかというと、現代の最先端の技術を使えば、インクジェットプリンターのような、3次元プリンターがあって、麻友さんの体だけなら、コピーできるはずなのだ。だから、体を作って、顔や脳を作るところまでは、出来るはずなのだ。

 そっくり同じ麻友さんが、2人出来る。いや、ファンが40万人近くいるのなら、40万人作ればいい。

 だがしかし、肝腎の麻友さん自身の電子が、分けられない。


 私だけが、本当の心の入った、麻友さんをもらっちゃっていいの?


 物理学者というのは、とんでもないことを考えるんだよ。

 そもそも、仮定が間違っていない?

 私や麻友さんが電子だとして、話を進めているでしょ。

 それが、間違っていて、麻友さんが、光子だとしたら?


 いきなり、『光子』なんて言われて、「みつこ?」と思ってもしょうがない。

 これは、『光(ひかり)を伝える粒(つぶ)』で、『光子(こうし)』と呼びます。


 麻友さんや私の生命が、光の速さで真空中を伝わる粒、光子だとしたら。


 実は、春に麻友さんが倒れたとき、

量子力学を使えばテレポーテーションって本当に出来るんだ。』

と、ツイートしたけど、あれはトンデモ科学ではなく、

量子テレポーテーション

って、本当に実験が成功しているんだ。

 ただ、現在成功しているのは、光子1個を送ることのみ。

 でも、もし、人の心が、光子だとしたら、テレポーテーションできる。


 さて、もし麻友さんが、光子だとして、だったらどうなのか。

 麻友さんの心の光子を、40万の粒に分けて、さっきのプリンターで作った麻友さんのコピーに入れる。

 ファン全員が、本物の麻友さんと結婚できる。


 他のファンは、満足するかなあ。


 でも、麻友さんのお母さまやお父さまや私は、心配でしょうがない。

 他の人のところへ行った、もう一人の麻友さんは、ドメスティックバイオレンスになんかに会ってないだろうか?

 簡単に麻友さんを手に入れたファンの人は、麻友さんを大事にしないのではないだろうか?


 ふと、私は、立ち止まる。

 麻友さんは、光子なのか。死なないのか。


 人間は、死ぬという前提で、考えてきた。

 この仮定を検証してみたら?


 麻友さんが、死なないなら、ちょっとくらいひどいことされてもいいか。


 でも、麻友さんのお母さまやお父さまには、耐えられないよな。

 親ってそういうものでしょ。


 結局、麻友さんを分ける技術があっても、麻友さんをそんなに多くは分けられない。

 本当に、麻友さんが認めたファンにしか、麻友さんは、渡せない。


 残りの人達は、どうすればいいか。


 そもそもどうして恋愛は、二人でするの?


 私にとっては、小さい頃から謎なんだけど、高校時代読んだ、道徳の教科書には、

『男女が性に目覚めてくると、特定の一人の異性と二人だけになりたがります。』

と書いてあって、

「そうかなあ、私もそうなるだろうか。」

と不思議だった。


 私は、私とつき合っているときでも、私と結婚してからでも、麻友さんのファンが、麻友さんと寝たいといってきたら、麻友さんがオーケーなら、本当に寝てもいいと思っている。

「妊娠したらどうするの?」

と、言うかも知れないけど、きちんと体を管理していて、妊娠したな、と気付いたら、情が移る前に中絶すればいいんだよ。

「大切な赤ちゃんよ。」

と言うかも知れないけど、生命は死なない。光子が消えるわけではないから、という大切なことを思い出してよ。

「だって、命(いのち)を授かったのに。」

と言ったとしても、その命という概念が、宗教ですり込まれたもので、科学的じゃないんだよ。


 ここまできて、最初の馬頭星雲での問いに思い当たる。

 なぜ、あれは、馬の形をしているのか。


「生命は、光子である。」

という仮定に立つと、あの馬頭星雲のところの物質も全部生きていて、宇宙全体が、全部生きている粒子の集まりなのではないか。

 だから、地球上の馬と同じように、生き物として、暗黒星雲が動いたのじゃないか。


「馬の形をしているのは、あそこに生き物がいるからだ。」

 こう結論づけた私は、最初に質問した看護婦さんが、

「見ましたよ。」

と言ってきたとき、

「何色でしたか?」

と聞き、

「赤っぽかったような・・・。いくつもありました。」

と言われたとき、

「インターネットには、いくつも写真が上げられているでしょう。」

と応えた。そして、

「どうして、あんな風に見えるのですか?」

と言われたとき、

「赤い散光星雲の前に、暗黒星雲が広がっていると、考えられています。現在の科学では。」

と話した。そして、

「本当のところはわかりません。」

と、正直に話した。


 そのとき、私の頭にあったのは、あれは、ある人間によって綺麗に描かれた、『絵』なのではないか、という疑いだった。

 人間は死んだら、宇宙巡りの旅をすることが許されて、その旅というのは、小さい頃から学んだ宇宙についての真理が、本当は、太陽系だけで成り立っているものだった、と教えてもらうものなのではないか。

 馬頭星雲も、

「本当は、絵だったのだよ。」

と教わるのではないか。


 精神科に入院するということは、ある事実が正しいかどうか確かめる手段を一切奪われるということである。インターネットも携帯電話もないし、一人では外出もできない。

 実験したくても、長いものや、重いものは、危険だから、禁じられるし、そもそも、実験や、観測など、やっていられる環境ではない。

 結局、自分の知っていることと、手計算だけで、あらゆることを判断しなくてはならない。


「馬頭星雲は、絵だった。」

という、私にとってショッキングな仮説も、棄却して良いか迷った。

 そして、

「私が中学生のとき、何度も眺めた沢山の天体写真から判断して、あれが『絵』だなんてことは、有り得ないけどなあ。」

と、思いつつ仮説を否定できなかった。


 麻友さんの歌番組を見返していたときのコマーシャルは、『iPad Pro』のコマーシャルだった。

 写真を載せよう。

 これを見ていると、まるで、遠くの銀河の模様もペンで描けるような気がしてくる。

『AKB1/48 アイドルと恋したら...』

のゲームをやっていた子供達と、我々は、同じではないか。

「ちょっと、今日は、太陽が邪魔だから動かしちゃえ。」

的な発想になってくる。

 そういうこと、ある程度、可能なのじゃないか。

 世界の戦争をなくすには、

「みんなで、馬頭星雲、見に行きましょう。」

と呼びかけるだけでいいのじゃないか。

 そのとき、必要なのは、あれが、『絵』じゃない、と分かる、科学的な思考力であろう。

 あなたは、これだけで、できるという意見? それとも、他に何が必要?


 麻友さんは、こうして、また私に、アイディアをくれた。ありがとう。

 途中のとんでもない思考のジャンプは、物理学者が良くやるものですが、科学では必ず、後から検証します。

 中絶を認めるのは、本当に人の心が光子だと証明するか、麻友さんが、本当に心で納得しなければ、許されません。

 それが、『自然科学の良心』の教えることです。

 『どんなジャンプをしても良い。その代わり必ず証明してみせろ。』

 科学の鉄則です。これが一番、重要なことだよ。

 現在2015年12月3日8時26分である。おしまい。