相対性理論を学びたい人のために

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ベートーヴェン交響曲第9番(その2)

 現在2018年1月2日14時45分である。

 新年おめでとう。

「太郎さん。新年おめでとう」

 大晦日の日、どうなるのか知らなかったけど、『CDTVスペシャル』をブルーレイに予約して、眠ったんだ。

「太郎さんって、良く気付くわよね」

 それが、心が通じ合っているということなんじゃない?

「心が通じ合っているのなら、デートを再開して」

 分かった。


 あの体操の先生の思い出を、もう少し書いておこう。

 夏休み明けの2学期の成績で、私は、それまでと同じく、体操で、10段階評価で、3を取る。

「それは、当たり前のことなの?」

 運動神経ゼロの私の場合、誰が見ても、3でおかしくはない。

 だが、横浜翠嵐高校という学校は、10段階評価で、5が1つでもあったら、落ちる。と言われていた。

 だから、体操の先生は、

『この生徒の評価を、もう少し上げられないか?』

と、他の先生達から、つるし上げを食ってしまったのだ。

 だが、体操の先生は、上げるわけには、いかなかったのだ。

「どうして? そういう成績の改ざんって、結構行われているものなのじゃない?」

 実は、私は、体育の実技のみならず、保健体育の保健のペーパーテストでも、平均以下だったんだ。

「あっ、分かった。タイムが縮むことと、タイムが伸びることの違いも分かってない太郎さんだもの、当たり前ね」

 そういうこと。

 だから、高校受験の内申に大きく影響する、中学3年生の2学期の保健体育の成績も、10段階評価で3だった。

 私が合格するかどうか、はらはらしていた先生も多かっただろう。

 そんな思いも吹き飛ばすかのように、私は、県立高校の入試問題で、数学と理科で満点を取り、横浜翠嵐高校に合格した。


「完全に、実力なの?」

 実は、一つだけ、ちょんぼしている。

 美術の成績が、悪かったのね。

「分かる。太郎さんの絵を見てれば」

 それで、『英雄』のレポートとは別に、中学3年の夏休みに絵を描くことにしたんだ。

「描いたの?」

 母が、

『ちょっと、描いてあげるわ』

と言って、筆を持って点描画で果物を描いたら、私には、

『これに、自分が手を加えたら、見られなくなる』

と、分かって、そのまま提出したんだ。

「先生は、何て?」

 すごい大作、と言って、校内に貼り出されてしまった。

「成績は、上がった?」

 美術の成績が、1段階上がった。

「それを、ちょんぼと言ってるのね」

 そう。


「そういえば、レポートを書いて、音楽の成績は、上がったの?」

 うん。1段階上がった。

 あの『英雄』の講演が、リハーサルなしだったことの証拠は、もう一つある。

 私の講演が、終わった後、あの音楽の先生が、マイクを持って、講評を述べたのね。

 そのとき、

『この『英雄』っていう曲の英雄は、ナポレオンのことなんだけど、この曲はナポレオンには、献呈されなかったのよね。ナポレオンが、戦いに負けちゃったからだったのかも知れないけど』

と、言ったのだ。

「えっ、皇帝になっちゃったからでしょ」

 そうなんだけどね、私は、先生に恥をかかせてはいけないと思って、つっこまなかったんだ。

「ナポレオンが、皇帝になったから、献辞を破ったというのは、みんな知ってると思うけど」

 今にして思うと、先生は、私に、つっこませて、私がこの曲のことをよく調べている、とみんなに印象付けたかったのだろうと思う。

「ああ、そういうことか」

 ただ、私くらいに、『英雄』を調べてくるとね、ベートーヴェンがなぜナポレオンに献呈しなかったかは、本当は、謎なんだよね。

「どういうこと?」

 前にも話したけど、ベートーヴェンって思いの外、俗っぽい。耳が聴こえなくなってきてるのを、他の人達に知られて、『ベートーヴェンは、もうだめだ』と言われるのを恐れて、社会から遠ざかったりする。

 意外ともっと俗っぽい理由があって、献呈し損ねちゃったのかも知れない。


「太郎さんのレポートの講演の話は、終わったわ。でも、『英雄』のレポートに、第9の良さが分からなかったのが表れているというのは?」

 うん。先生方に、お礼を書きたかった気持ちは、満足した。第9の話を書こう。

 私は、先生へ提出する日の前日、第4楽章の最後の音の評価を書いていて、次のように書いた。



『最後に終小節の音の長さについて、触れておこう(P.48・譜例 参照)。この音は4分音符になっているが、フェルマータをかけるなどして、もう少し長くした方がいいのではないかと、私は考えている。実際、セルをのぞく5人の指揮者は、長さこそ違うが皆、楽譜以上にこの音を伸ばしている。セルのように惜しげもなくスパッとこの音を切られてしまうと、この曲がまだ完全に終わっていないように思えて、なんとも名残り惜しいような気持ちになる。

 あるいは、ベートーヴェンはこれを望んだのかもしれない。最高にもり上がったその頂点で曲を打ち切り、聴いているものに、「エロイカはこれで終わったのではない、まだこれ以上のものがあるが、それを全て公開することは出来ない。なぜなら、エロイカには限りがなく先があるからだ」と、伝えようとしたのではないだろうか。』

ベートーヴェン交響曲第3番『英雄』~6人の指揮者による演奏の違いに対する考察~』(P.47~P.49より)



 ここの、最後の、『エロイカは、まだ終わっていない』という解釈は、実は、第9の最後で、オーケストラが突っ走ることについて、宇野功芳が書いていたものを、そのままもらったものなんだ。

「つまり、太郎さんは、『英雄』と第9は、並び得る。と、言いたかったのね」

 そういうことだね。

「じゃあ、これで、第9が、敵だと思うのは、止まったの?」

 ずっと、敵だった。と、言ったでしょ。それから、何十年も敵だった。

「えっ、太郎さん。第9の良さが、分からないの?」


 フルトヴェングラーバイロイトが、音が悪いのが原因ではないか? と、疑ったこともあった。

「それで?」

 当時、音質がピカイチと評判の、

オトマール・スウィトナー指揮/ベルリン・シュターツカペレ ベートーヴェン交響曲第9番

を、買ったこともある。

 映像が、ないからかと、第9のレーザーディスクも買った。今では、DVDも持ってる。

レナード・バーンスタインウィーンフィル ベートーヴェン交響曲第9番 [DVD]

ベートーヴェン:交響曲第1・8・9番 [DVD]

ベートーヴェン:交響曲第1・8・9番 [DVD]


「分かった。太郎さん。なまで聴いてみるといいわ」

 残念でした。2人の親友と1回ずつ計2回、暮れにコンサートに足を運んだ。

「嫌いなら、もう聴くのやめたら?」

 ベートーヴェンなのにかい?

ベートーヴェンって、太郎さん、そんなにベートーヴェン、好きなの?」

 安野光雅の『読書画録』という本の、『モオツアルト』の項の最後、そこまでずっと、モーツァルトを褒めてきた安野が、


モーツァルトはとても好きだ。大天才であることを認めない人もいない。だが私はまだ、ベートーベンの信者であることを捨てるわけにはいかない。』

安野光雅『読書画録』(講談社文庫)P.140より)


読書画録 (講談社文庫)

読書画録 (講談社文庫)

と書く。

 モーツァルトもいい。バッハもいい。ドヴォルザークもいい。

 でも、やっぱり音楽は、ベートーヴェンだよ。


「第9の超名演を聴いていながら、良さが分からない太郎さんなんて、偏屈じじいよ」

 ところがねぇ。その偏屈じじいの心を溶かした人がいるんだよ。

「えっ、冷戦は終結してるの?」

 2011年4月5日、秋葉原石丸電気で買った1枚のCDが、一気に雪解けを起こしたんだ。

「私の最初の写真集が出た頃だわ」

 そう。

 実は、音質も映像も、関係なかったんだ。

 フルトヴェングラーを超える、この演奏を聴けば、

『第9って良い曲だなあ』

と、思えたんだ。

「誰の演奏?」

 トスカニーニの1952年のモノラル録音を、日本ビクターの技術陣が、丁寧にリマスタリングして、XRCD24シリーズの1枚として、復活させたものだ。

 アルトゥール・トスカニーニ/NBC交響楽団 ベートーヴェン交響曲第9番

ベートヴェン:交響曲第9番「合唱」(XRCD)

ベートヴェン:交響曲第9番「合唱」(XRCD)


「わーっ、これが、太郎さんの『感情をなくした』心に響いたのねぇ。私の写真集より、こっちの方がお似合いよ」

 麻友さんと出会う、4年前、『英雄』と第9は、和解した。

 そして今、やっと、2人のデートで、聴くことができた。

 この貴重な第9のCDを、麻友さんが、買う必要はないよ。

「もうすぐ、結婚するからね」

 そう。

「太郎さん。釣った魚には、えさをくれないの?」

 また、デートには、連れていくさ。

 そもそも、大公トリオにも、連れて行ってないし、モーツァルトは、これからだ。

「やったー。今日は、ありがとう」

『幸せとは、こういうことさ』

という模範を作ろう。じゃあ、今日は、バイバイ。

「バイバイ」

 現在2018年1月2日17時57分である。おしまい。