現在2018年4月15日13時03分である。
「この間は、お寿司買ってきたの?」
うん。買ってきて、家で食べた。
「家で食べるのは、当然じゃない?」
私、麻友さんのボーイフレンドになれるよう、生活を改革してるんだ。
「また、大げさに」
以前は、SEIYUで、お寿司を買ったりしたら、駅のそばの広場のベンチに腰掛けて、食べてくるのが普通だった。
「えっ、そんなこと、してたの?」
うん。
でも、
『あれ、渡辺麻友さんの、ボーイフレンドよ。こんなところで、お昼を食べてるなんてね』
という噂でも流れたら、麻友さんが、恥ずかしいだろうと思って、外で食べることは、極力避けるように、生活を改めたんだ。
「外で食べるなんて、そんなこと、しないでよ。本当に、私、有名人なんだから」
そうだね。気をつけるよ。
「ところで、『アメリ』の切符は、買えたのかしら?」
これ、苦労したんだよ。
まず、天王洲銀河劇場のチケットの購入は、クレジットカードでなければならなかった。
「ああ、またクレジットカード」
それで、ファンクラブのとき使った、クレジットカード番号を入れて、決済しようとしたら、オンラインショッピング専用パスワードを入れてください、と言われた。
そんなパスワードなんて覚えてないから、10通りくらい試したけど、全部違うと言われた。
そのときになって、はっと気付いて、ヘルプを押したら、今まで見たことがないパスワードの形式だ。
私は、そのパスワードを、まだ設定してなかったのだ。
それで、三菱UFJ銀行(今では、三菱東京UFJ銀行とは、言わないんだね)のホームページに行って、改めてパスワードを設定。
天王洲銀河劇場のチケットのページに戻った。
「S席は、買えなかったのでしょうね」
私、あることを、考えているんだ。
「どんなこと?」
A席でもいいから、2回、麻友さんを観に行こうと思っているんだ。
「太郎さんは、3月2日に退院しているから、4月15日の今日まで、一月半で、8,500円ためたのね。だとすると、6月までに、もう一回、8,500円ためることも、不可能ではない」
でしょう。
「だけど、もう、千秋楽の辺りは、完売してるかも」
まあ、だめだったら、次の『シティ・オブ・エンジェルズ』のための資金にする。
でも、私の勘では、『アメリ』を2回観られそうな気がする。
「1回目は、何日のチケットを取ったの?」
私、初日は、もう無理だろうと思ってたんだ。ところが、残席わずかだけど、残ってたんだ。
そこで、迷わず、初日(5月18日)の席を購入した。
「えっ、初日? それは、緊張するわねぇ」
思いっきり、緊張させてやろうと思った。
「顔が、引きつっちゃうわ」
3階からだと、オペラグラス使っても、麻友さんの美貌は、小さくなるだろうな。
「前から聞いてみたかったんだけど、数学の定理が、美しいというのと、女の人が、美しいというのは、同じ尺度で測っているの?」
どちらも、好ましい良いものだという意味で、美しいというのだから、似た概念であることには、違いないけど、美しい曲、例えばベートーヴェンの『田園』と、美しい絵画、例えばクロード・モネの『日傘をさす女』の2つの、どっちが美しいか? と言われても、比べようがないのと同じように、美しい数学の定理と、美しい女の人を、比べることは、できない。そういう意味では、違う尺度だ。
「私には、良く分からないんだけど、数学の定理が美しいって、どういうこと?」
これはねぇ、数学者が、それまでに勉強してきた、数学での経験によるところが、大きい。
だから、数学者と同じ過去を持っていない人には、理解できるはずがない。
「数学者は、どんな過去を、持っているの?」
現代の数学者なら、ほぼ全員が、次の3つのことは、経験しているということから、説明を始めよう。
2.5次方程式とアーベル,ガロア
3.オイラーの公式
「この3つは、全員経験してるの?」
まあ、数学者と自認する人なら、知ってて当然。
「この3つは、どう選ばれているの?」
数学には、大きく分けて、3つの部門がある。
代数学(だいすうがく)、幾何学(きかがく)、解析学(かいせきがく)だ。
上の3つは、それぞれの代表になっている。
「1番が、幾何学。方程式だから、2番が代数学。そうすると、3番が解析学ね」
良く分かった。
私もそうだけど、将来数学者になるような人は、中学で、平面上の幾何学、つまり、三角形の合同とか、平行線とか、同位角(どういかく)とか錯角(さっかく)などの言葉の使い方を習って、幾何学での証明を習ったとき、初めにちょっとだけのことを仮定しておいて、そこから証明をしていくことによって、色々な複雑な定理が得られるというのを、すごいなぁ、と感心するものだ。
そして、数学というもの全体も、このように、ちょっとだけのことを仮定しておいて、全部、証明で導けるようにできないものかな? と思う。
その、全部が導ける数学というものを想像すると、それはやっぱり見事なものと言えるだろう。
これを、美しいと感じない人は、やっぱり数学には向かないのだろうね。
私は、以前、
『バッハの平均律クラヴィーアの第一巻の第1番の前奏曲を聴いて、胸が高まらないような人は、クラシック音楽というものを聴く資格がないのだ』
と、書いてあるのを読んで、その通りだなと思った。
数学でも、同じだと思う。
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だが、数学は、幾何学だけではない。
幾何学で、つまずいても、挽回するチャンスはある。
中学で習うのは、幾何学だけではなかった。
2次方程式というものも、習う。
というような、ものだ。
これの解は?
「前も、やったわね。
だったと思うけど」
そうだね。
将来数学者になるような人なら、当然、3次方程式を解こうとするだろう。
だが、解けない。
人類が、16世紀まで解けなかった問題を、中学で解ける子供は、まずいない。
その子供は、文献をあさり、3次方程式のカルダノの解法、4次方程式のフェラリの解法を、知ることになる。
「3次方程式の決闘の話は、面白かったわね」
うん。『相対論への招待(その6)』で、話したね。
あの話には、続きがある。
「4次方程式の解法ね」
そう。
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5.4 4次方程式の解法
3次方程式の解法に凱歌を上げたイタリーでは4次方程式へと進んで行った.4次方程式の1番古い文献はアラビアにあるが,それは代数的に考えたものではない.代数的に考えた最初のものは1540年にコウが出した次の問題である.
“10を3つに分けて等比数列をなさしめ,かつ初めの2つの積が6となるようにせよ.”
3数を とすると
となるから
として を消去すれば
この4次方程式をコウは解けなかったので,カルダノに質問した.カルダノもすぐには解けないので弟子のフェラリ()に示したところ,フェラリは年少にもかかわらずこれを解いたのである.その方法は,まず両辺に を加えて
とし,さらに右辺を完全平方にするために
を加えて
①
とする.そして右辺が完全平方なるための条件として
研究者注
2次方程式の判別式
である。
注終わり
から を求めることを考えた.するとこれは について3次方程式であるから前述の方法で解ける.
よってその1つを として①に代入すれば右辺は完全平方となるから
となり,この2次方程式を解くことによって が求まる.
そしてこのフェラリの解法はカルダノの大著アルス・マグナの中で発表された.さてその次は5次方程式の番であるが,これは難問題であって,ルネッサンス時代ではもちろん,ヨーロッパ諸国の数学者がこぞって脳しょうを絞ってもついに解決できず,19世紀にはいるので,ここで述べることはできない.
以上、『代数学辞典 上』 代数学小史 より pp.1054~1055
「カルダノのお弟子さんが、4次方程式を解いたの。だとすると、カルダノを剽窃だけした悪者には、できないわね」
そうなんだ。弟子のお陰で、先生が得をするという話は、今後も科学の歴史で、何度も出てくる。
「ちょっと、ずるいわね」
科学への貢献という見地からは、どんな形にせよ、科学が進んだのならそれでいいんだ。
「フェラリの解法のポイントが、2次方程式の判別式なんて、勉強ってしておくものね」
自分の過去に知ってた知識で、新しい問題が解けたとき、人間はその知識に限りない愛着を感じるものだ。
それを、可愛らしい、または、美しい、とまで感じる人もいるだろう。
「数学が美しいと思う理由の話だったわね」
3次方程式、4次方程式の解法を、知った子供は、5次方程式が解けないという現実の前で、逡巡する。
『自分なら、5次方程式が解けるのではないか』
と、挑戦する。
だが、解けそうもない。
数学の歴史に目を通すと、アーベルという数学者に目がとまる。
あらゆる数学愛好家の憧れの的、アーベルである。
アーベルを、悪く言うことは、難しい。
アーベル好きの数学者は、非常に多いからだ。
「えっ、太郎さんの他にもいるの?」
いるどころではない。数学者が、アーベルについて書いたものは、ほとんどアーベルの肩を持ったものなのだ。
私が、46年間生きてきて、アーベルを悪く書いてあった記述は、一度きり。
「えっ、でも、あったんだ」
うん。
ガロアびいきの人で、
『ガロアのように、お墓がどこだったかわからなくなるようなのが、本当の大数学者で、アーベルのように、記念碑まで建てられているような人間は、恥ずかしい思いをしているべきだ』
と、確か『数学セミナー』に書いてあったように、記憶している。
「わー、すごいこと、書くものね。でも、それだけ、アーベルの名声は、すさまじいのね」
これは、アーベルの業績もさることながら、その人生が、あまりにも美しい悲劇になっていることが、原因なんだ。
「代数学辞典には、アーベルのことは、なんて?」
7.2 5次方程式の解法
ルネッサンス以来どうしても解けない代数学上の難問題があった.それは一般の5次方程式
①
を解くことである.4次方程式までは次つぎと比較的らくに解くことができたにもかかわらず,5次方程式が解けないということは実に不思議であった.
先にも述べたようにガウスは複素数の範囲内では,すべての方程式は根をもつことを証明した.したがって5次方程式もまた5つの根をもつことはたしかである.そこですべての数学者は5次方程式は解けるものと信じて,その根を求めることに努力していたから,ついに19世紀に至るまでこの問題を解決することができなかったのである.ところがノルウェーの無名の青年数学者アーベル()が,初めて
“5次方程式は代数的には解けない”
ということを証明したのであるから,これこそ驚天動地の大発見といわねばならぬ.一体それはどうしたわけであろうか.
しかしよく考えてみれば何も不思議はない.われわれは今まで方程式を解くとは何であるかを意識的にはっきりとつかんでいなかったのである.たとえば
②
の根は
であるという.しかしながら とは何かと反問されたならば,それは②の方程式を満足する値であるというよりほかなかろう.これで果たして解けたといってよいであろうか.何でも
という形になりさえすれば方程式が解けたというのならば,どんな方程式でも立ち所に解くことができる.例えば5次方程式①の解は
とすればよい. は一体何かと反問されれば,それは①の方程式を満足するという記号であると答えればよいではないか.ここではじめて
方程式が解けるとは何か?
という根本問題にぶつかるのである.
アーベルはまず方程式を解くという根本問題から考えて,次のような定義を下している.
定義
代数方程式の係数の間に,4則(加減乗除)と開方(平方根,立方根等)の演算を有限回ほどこすことによって
なる形に表わすことができた時に,この方程式は代数的に解けたという.
この定義によって①なる一般の5次方程式を解こうとするとついに不能になってしまうのである.このことの証明をやったのがアーベルである.しかしもちろん根は存在するのであるから,代数的方法によらず,3角関数等を使えば容易に解けることがある.
アーベルはその他彼の名を負うアーベル関数等の研究を完成して不朽の名を残し,年令わずかに27才で没している.
アーベルは1802年8月5日ノルウェーの首府クリスチャニア(今のオスロー)郊外の貧しい牧師の家に生まれた.フランス革命の余波は平和なスカンジナビア半島にまで波及して,彼は貧乏のドン底に落ちたが,かろうじて高等教育を受けることができた.その時ホルンボエという教師が赴任してきて,それまでアーベルの頭の中に眠っていた数学の非凡な才能をひき出してくれた.彼はそのおかげで学校の図書館でニュートン,ライプニッツ,オイラー,ラグランジュ,ガウス等の著書に親しみ,1820年高等学校教育を終える頃には恩師ホルンボエによって「非凡の天才,将来は偉大なる数学者」と折紙がつけられた.1820年クリスチャニア大学にはいってからは第2の恩師ハンステンの下で研究し,師の家へも出入りして親のような慈愛を受けた.そして第1回在外研究員としてヨーロッパに留学することとなった.
彼はそれまでに5次方程式の解法の不可能なることの研究を進めていて,それをまとめてコペンハーゲンの学士院に提出したが,認められなかった.そこで彼はさらに研究を続けて1824年に小冊子にして,自費出版し,後にガウスのもとにも送ったが,当時の学会からは注目されなかった.
ヨーロッパ留学中,彼はクレーレの雑誌に多くの論文をのせ,またパリー学士院にも独創的な論文を提出したが,それらはみな無視された.
1929年彼は病気で郷里に帰り,失意の身を横たえていた.その頃になってようやく彼の名声は高まり,ルジャンドルやポアッソン等の尽力によってストックホルム大学に招こうとしたが,彼はその知らせを見ずして,4月6日急逝したのである.
その後アーベル生誕100年祭は盛大に行われて,彼の生地オスローには彼の像が建てられた.そのとき数学者ミッターク・レーフレルは次の言葉を以て賞讃している.
「1829年1月6日は文化史上帝王の記念日にも優って記憶さるべきである.この日アーベルは病床にあって,彼の生涯の最高の思想をクレーレの雑誌にかいた.すなわちだ円関数の加法定理で,当時直ちにルジャンドルによって
“金鉄よりも久しきにたえる記念碑”
とよばれたが、アーベルの誕生より100年の今日においてもなお数学進歩の頂点とみなされている.」
以上、『代数学辞典 上』 代数学小史 より pp.1065~1067
「『金鉄よりも久しきにたえる記念碑』というのは、ここに書いてあったのね。Facebookの太郎さんの基本データの詳細情報にある好きな言葉は、これを読んだからなのね」
「それにしても、アーベルだけで、ずいぶん書いてあるわね」
たくさん書いてあるでしょう。
数学の王様のガウスよりたくさん書いてあるんだ。
「それだけ、業績が多いの?」
というより、笹部貞市郎さんが、アーベルを好きだったんでしょう。
「あっ、そうか。でも、これで読むと、ほとんど業績は認められていないようだけど、数学上の業績はどれくらいなの?」
それは、私には、評価できないほど、素晴らしいんだ。
まず、最後のところに書いてある、だ円関数の加法定理というものは、私はそれの一番簡単な場合しか、証明を読んでいない。
「太郎さんにも、まだ理解できていないほど、レヴェルの高いことをいっぱいやったのね」
そうなんだ。
だから、容易に想像できるように、アーベルのことを知った子供は、その後の人生で、数学を学べば学ぶほど、
『アーベルは、あの段階で、ここまで来ていたのか』
と、仰ぎ見ることとなる。
「それはいいとして、確か、『数Ⅲ方式 ガロアの理論』を紹介してくれたとき、婚約者がいなかった?」
実は、私は、高校時代、アーベルの伝記も読んだ。
これだ。
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アーベルは21歳の誕生日の頃、舞踏会でクリスチーヌ・ケンプという女の人と出会う。
麻友さんと私が裕福なのと反対に、クレリー(彼女のニックネーム)とアーベルは、どちらも貧乏だった。
「舞踏会に行くような人が?」
ここでいう舞踏会は、貴族の令嬢たちが行くような高級なものではなくて、庶民がちょっとした楽しみのためにやってるものだった。
「アーベル21歳ということは、その後、ヨーロッパへ留学するんじゃない。クレリーを置いてったの?」
お金がなかったから、仕方なかった。22歳のクリスマスに婚約したものの、23歳の秋、ベルリンへ向かうこととなる。
留学中、祖国ノルウェーに戻った後、数学の研究職に就けるよう、アーベルは何度も手紙を送るが、仕事に就けそうにない。
クレリーに、結婚は当分できないと伝えたので、がっかりしてしまう。
1826年、ウィーンへも行く。
「あれっ、1826年といったら、ベートーヴェンが、生きている」
そうなんだけどね。アーベルは、お芝居を観るのは好きだったんだけど、クラシック音楽には興味がなかったみたいなんだ。
アーベルの伝記のどこにも、ベートーヴェンのことが、書かれてない。
「あら、もったいない」
数学のメッカ、フランスへも行く。
パリで、あの高校の先生ホルンボエに、こんなことも書いている。
『ときどき、ぼくはパレ・ロワイヤルを訪ねる。フランス人たちは、ここを迷いの場所とも呼んでいる。そこには、夜の女がたくさんたむろしている。彼女たちは出しゃばりではない。聞こえるのは、ただ次の言葉だけだ。『一緒にいらっしゃいよ、ねえ』。ぼくは婚約しているので、一度も彼女たちに耳をかしたことはない。非常に美しい女たちもいるが、ぼくは誘惑されることなく、パレ・ロワイヤルを立ち去る』
「ホルンボエには、これ以外にも書いているの?」
アーベルは、ホームシックになってるんだ。だから、おびただしい数の手紙を書いている。
この手紙のお陰で、アーベルがいつ頃、どんなアイディアを持っていたかが、現在の数学者にも手に取るように分かるんだ。
「クレリーには、書いてあげてないの?」
書いてるんだけど、あまり返事が来なかったみたい。
「あらっ、離れるとどうしても、恋愛は駄目ね」
こんな逸話もある。
郵便馬車は、風のふきすさぶ寒い冬のさ中では、不健康な乗物である。しかし、事故を起こすことはたまにしかなかった。アーベルは、ミュンヘンに到着してまもなく、ボエックに宛てて次のように書いた。
「パリからの旅行は、非常にみすぼらしいものだった。ぼくは、乗合馬車でヴァランシェンヌを通って、ブリュッセルへと旅行した。馬車では、ぼくは、ダンサーと二人きりだった。大オペラのダンサーではなくて、非常に小さな劇場のダンサーだった。夜、彼女は危険な隣人と化した。彼女はもちろんぼくの腕の中に眠った。しかし、それだけだった。ぼくは、彼女とこの世の中の束の間の出来事についていろいろと話をした」
この乗合馬車の話を聞いて、どんな情景を思い浮かべる?
「嵐の中の馬車という点では、映画『アマデウス』の中の、コンスタンツェの乗ってる馬車ね」
そうだよね。モーツァルトとサリエリが、『レクイエム』の作曲をしていて、サリエリが、『分からない、分からない』というと、モーツァルトが、『ハーモニーだ』という。はっとして、サリエリが書き始める。『分かった それだけ?』というサリエリに、『まさか 弦がユニゾンで入る』と、モーツァルト。
あの口述筆記の部分は、あの映画の中で一番すごい部分だよね。
そして、作曲した部分の背景に、戻ってくるコンスタンツェの馬車が映る。
本当にすごい映画だ。
「あの映画の音楽は、ネヴィル・マリナーだったわね。エンドロールにかかっていた曲は、なんという曲だったのかしら?」
私は、30歳を過ぎてから知った。モーツァルトのピアノ協奏曲第20番の第2楽章だよ。
このピアノ協奏曲第20番の第1楽章には、ベートーヴェンのカデンツァというものが残されているんだ。
アーベルのことを知るだけで、数学のかなりの部分まで、精通することになる。
数学者には、アーベルの美しい悲劇を知るだけで、数学が美しいという印象が、植え付けられる。
「クレリーは、どうなったの?」
天才数学者は、婚約者を路頭に迷わせるようなことを、しなかった。
友人のケイルハウに手紙を書き、彼女を助けて欲しいと頼んだ。
ケイルハウは、一度もクレリーを見る前から、結婚を申し込んだ。
「美人だったのかしら?」
麻友さんのように、美人だと、『この人、本当に、私を愛しているのかしら』と、疑心暗鬼になっちゃうよね。
クレリーは、美人ではなかったんだ。
「じゃあ、どうなったの?」
二人は、本当に結婚し、仲むつまじく、暮らしましたとさ。
「それ、史実なんでしょうね」
本当だよ。
「アーベルは、最後まで、天才だったのね。太郎さんも、そこまでしてくれる?」
私は、麻友さんを置いて、死んだりしないよ。大丈夫。
「これが、5次方程式と、アーベル物語か。でも、もう一つ、ガロアの物語もあるんでしょう」
そう。26歳(厳密には、8月5日生まれで、4月6日没だから26歳なんだ)で死んだアーベルに対し、20歳で死んだガロアという数学者も、あらゆる数学者が知っているはずなんだ。
でも、その話は、次回にまわそう。もう、10,425字も書いているから、いったん投稿しよう。
「えっ、1万字越えてるの?」
数学が、美しいと思うに十分な、数学的経験のうち、幾何学、特に平面上の幾何学、これを、ユークリッド幾何学というんだけど、と、5次方程式のアーベルの物語まで、まず話した。
次回、ガロアの物語から話そう。
分かった。バイバイ。
「バイバイ」
現在2018年4月17日17時14分である。おしまい。