現在2019年1月22日17時50分である。
ちょっと、ブランクが空いてしまったね。
「前回は、去年の12月16日よ」
ちょっと、気分が乗らなくて、書けなかったんだ。
「前回の投稿で宣言してたけど、『ブルバキとランダウ』のブログに、私達を登場させて、良いの?」
これは、かなり迷ったんだ。
私のブログを、他の人が、読んで、役立つ可能性も、考えた。
だが、読んで、役に立てられる人なら、麻友さん達が登場してても大丈夫だろうし、私としては、麻友さん達がいてくれた方が、書きやすい。
「もし、本当に、私に、振られたら?」
多分、そういうことには、ならないと思う。
「でも、現実に、太郎さんの『3年後まで、これがあったら、ケーキを買ってあげるから、一緒にクリスマスを祝おう』という約束は、破られたのよ。いい加減、諦めなさいよ」
諦める、というのには、色んな段階がある。
一生の間柄になるのを諦める。結婚するのを諦める。一時パートナーになるのすら諦める。キスすら諦める。1度会話するのすら諦める。
これらのうち、私が、最初に麻友さんに望んだのは、
『まゆゆと、会話する』
だった。
「でも、会ったら、今度はキス。それから結婚。・・・と、なっていくじゃない」
もし、そうなる2人なら、それで、いいんじゃない?
「ファンは、太郎さんだけじゃないの。太郎さん以外にも、良くしてくれる人は、何人もいるのよ」
そうだね。
まあ、麻友さんが、私以外の人と結婚しちゃって、その結婚相手の人が、麻友さんを登場させたブログを、もう書かないで欲しい、と言ったら、ブログは凍結しよう。
でも、その結婚相手の人が、架空の話だと明示した上で、麻友さんを登場させたブログを書き続けても良いと言ってくれたら、生きている限り、書き続けても良いね?
「それなら、良いわよ」
じゃあ、今日のところ、始めよう。
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第1章 微積分とは何か
人工衛星が自由に宇宙空間をかけめぐり,月はもとより,火星や金星でさえ,やがてその神秘のベールを脱ごうとしている.このすさまじいまでの急速な現代文化の進展に伴って,いままで高等な数学の部門と思われ,一般の人々には容易に理解しにくいと考えられていたいくつかのものが,高校や中学に引き下げられて,なんびともいちおうは知つておかねばならないきわめて常識的な事がらとして,新しく脚光を浴びてデビューしつつある.
そのなかでも,若いわれわれの心を揺さぶるのは,微分・積分の考えと,広いその応用であろう.微積分は,すでに現在,高校数学の中核として主要な地位を固めたばかりでなく,中学においても,その考え方がとり入れられて,教科書のところどころに,その片りんをみせ始めた.
近代文明は,微積分の発見から始まった,といってもいい過ぎでないほど果たした役割は大きく,しかもなお物質の極微の構造を探る素粒子論のようなせん端的な自然科学から,ありふれた日常の経済現象を解明しようとする社会科学に至るまで,その他もろもろの分野に欠くことのできない巨大な力として作用し,滲透し、駆使されつつある.
しかし,いくらか教室で微積分を学んだ者でも,「微積分についてどんなことを学んだか」と聞かれると,ほとんど何も答えられない者が多い.それは大部分の者が,微積分なるものの本質を学ばず,また教える側でも,教科書どおりの面白味のないさっぱりわけのわからない教え方であった罪に帰せられる.
また,微分や積分という言葉だけは知っているが,さてどんな計算をするのか,その理論をわかりやすくかみ砕いていうと,どんなことなのか,これは青少年ばかりか,一般の大人でさえ知りたいと強く望んでいることであろう.ところが,これまた大部分の者が失望して本を投げ出す.読んでもわからないことのみ多いから.本書は読者諸子の飢えを満たしたい.渇(かわ)きををいやしたい.きっとわかるし,必ず理解できるように思いきったやり方で,ハッキリした映像を刻みながら稿をすすめてゆくから,読者も決してあせらずに順を追って1歩1歩読んでいっていただきたい.そして,やはり紙と鉛筆を置いて,数式の部分がでてきたら,いっしょに計算をやっていただきたい.それが理解を早めるのにたいせつなことであるから.
たしかに「微積分とは何か」に対して,簡単に答えることは容易でないかも知れないが,つぎの§1.を完全に読み終わるころにはこの奇妙にみえる数学の本当の意味を,必ずなにほどか(あるいはおぼろげであっても)つかむことができると信ずる.
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ちょっと、長くなりすぎるので、ここで、ストップ。
結弦「ああ、これから、面白くなりそうだったのに」
若菜「そうねえ、これから、微分、積分、とは何か、話すところだったのにね」
これで、1ページと半分くらいなんだけど、私が高校1年生で、これを読んだときは、一気に5ページくらい読んだ記憶がある。
ただ、この後、一気に数式がどんどん出てきて、易しい本とはいうものの、結構躓きやすい。
「私、獲物見つけたわよ。
(p.1,l.6)
◯いちおうは知っておかねばならない
✕いちおうは知つておかねばならない
でしょ」
結弦「知って、知つてか」
若菜「お母さん、やった!」
ところで、結弦。この本が出版されたの、何年だった?
結弦「まえがきに1964年って、あったような」
じゃあ、若菜。人類が、月面に初めて立ったのは、何年?
若菜「えっ、アポロ計画ですか? アポロ11号って、カチャカチャ。1969年です」
実は、この本の第1章が、人工衛星や月の話から始まっているのは、このアポロ計画と無関係ではない。
ところで、アポロ11号が、何年に月へ行ったかを覚える良い方法がある。
1945年、第2次世界大戦が終わった。
ソ連とアメリカは、大陸間弾道弾で、原爆や水爆を、相手の首都に落とせるようになろうと、やっきになった。
先手を取ったのは、ソ連だった。終戦から10年ちょっとで、1957年世界初の人工衛星、スプートニク1号を打ち上げに成功させた。
慌てたのは、アメリカである。いつ、ワシントンDCに、水爆を落とされるか分からない。
そこで、1960年代に入って、時のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディが、1961年に、『この60年代の終わりまでに人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる』という国家目標を立てた。
それを、1960年代の最後の1969年に、達成したんだよ。
ただし、そのとき、ケネディは、暗殺されてしまっていたけどね。
結弦「終戦の40年代、スプートニクの50年代、アポロの60年代、なんだね。でも、火星や金星には、まだ人間は、行ってないね」
金星は、硫酸の雨が降ってる。火星は寒すぎるなど、簡単には行かない事情がある。
「そういう時代背景があっての、文章だったのね。また、次回を楽しみにしているわ」
じゃあ、解散。
「太郎さんの頃は、冷戦のさなかだったのね。面白い話が聞けたわ。ありがとう」
じゃあ、またね。
「おやすみ」
おやすみ。
現在2019年1月22日21時48分である。おしまい。