現在2019年3月2日16時50分である。
「(その2)を作るほど、書くことがあるの?」
私は、学生時代、そんなに、マンガを読んだり、アニメを見たり、した方では、なかった。
『吉野弘さん亡くなってたのか(その3)』でも、書いたように、友達から借りたり、本屋で立ち読みしたり、ということが、多かった。
それでも、『ドラえもん』は、10冊くらいは、買ってもらっていたのは、覚えている。
手塚治虫のマンガで、有名な、『リボンの騎士』は、ずっと気になっていた、マンガだった。
「ああ、強い女の人、好きなのよね」
そうなんだ。
ジュラルミンとかナイロンとか、名前が面白いのもあって、見たかったのだが、結局、高校を卒業した後、浪人しているとき、広島で、『リボンの騎士』の最終回を、見たのを、覚えている。
「高校卒業後まで、続いた恋なのね」
茶化すなよ、いい話なんだから。
「それで、なぜ手塚治虫を、『てづかおさむし』って、読むって、知ってたの?」
これは、私が、人生を二重に生きていることと、関係している。
京都から戻ってきて、最初、一応数学の本は、読めた。
しかし、入り組んだ妄想が、ずっと続いていた。
お医者さんは、電気ショック療法を用いるか、薬でショックを与えるしかないと、判断した。
結局、薬で、ほとんど何も考えられないくらい、ベロベロに酔ったみたいにして、私の頭を、リセットした。
このリセットで、妄想が、消えたのではなく、私は、何が正しくて、何が正しくないのか、分からなくなったのだった。
妹や弟が、私が小さい頃カセットテープに編集した、『テレビの歌』というテープをかけてくれた。
『今、何やってるの?』
と聞いたら、
『テープを、送ってるの』
という返事が、戻ってきたので、
『私のカセットテープから、情報を取り出し、新しい情報を加えて、隣の宇宙へ、テレポーテーションで、送っているのだろう。全宇宙を、良い方向に向かわせるには、こうするしかなかったのだな』
と、感じて凄く嬉しくて、
『テープを、送ってるのか、それはいいや』
とニコニコ笑っていた。
弟たちにしてみれば、なぜ私が、そんなに喜んでいるのか、分からなかったはずだ。
私は、日本語の会話でさえ、こういう風に通じないのであるから、本などは、読めるはず、なかった。
それで、
『じゃあ、マンガなら、読めるんじゃないか?』
ということで、図書館から、マンガを借りてきた。
水野英子『ファイヤー!』
というマンガで、愛蔵版だったから、1冊で、おしまいだった。
それが、読めたので、気をよくして、次に借りてきたのが、
藤子不二雄『マンガ道』(1~3)
であり、この中で、後の藤子不二雄になる、藤本弘と安孫子素雄が、偶然出会った少年の持っていたマンガで、
『てづかおさむしって、誰だろう?』
と、首をひねる部分がある。
『てづかおさむし』というのは、昆虫好きの手塚治虫が、玉虫厨子(たまむしのずし)のあの綺麗な玉虫の色に魅せられて、採用した、ペンネームだそうである。
「玉虫って?」
ああ、知らないか。
これだよ。
「ああ、これなら、知ってる」
それで、手塚治虫が、いつから、『てづかおさむ』になったかは、私は、知らない。
でも、確か、小学校5年生の頃、教科書に、手塚治虫の書いた文章が載ってた様な、記憶が、かすかにある。
家の辞書に、パラパラマンガを、びっしりと書いて楽しんでたら、お父さまに怒られて、全部消させられた話が、私には、面白かった。
これくらいの根性がないと、一流にはなれないのだな、と子供ながらに思った。
「太郎さんでも、手塚治虫が、一流というのを、認めてはいたのね」
手塚治虫の『鉄腕アトム』のアトムの体型が、人間に近いのは、手塚治虫が、医学部卒で、医学の心得があったからであり、レオナルド・ダ・ビンチみたいだ、という話は、その頃から、聞いていたからだ。
「パラパラマンガから、アニメーションにつながっていくのね」
私のアニメーション体験は、『ドラえもん』『オバケのQ太郎』『パーマン』『コンバトラーV』『ボルテス5』『闘将ダイモス』『ダイターン3』『花の子ルンルン』『キャンディキャンディ』『アタックNo.1』『ベルサイユのばら』と、小学校にいる間だけでも、かなりの数に上る。
ただ、『ドラえもんのび太の恐竜』などの映画を、観に行ったことは、なかった。
長編のアニメーションを、最初に意識して見たのは、やっぱり『風の谷のナウシカ』だろうと思う。
「太郎さんの頃って、まだ、『天空の城ラピュタ』が、できる前でしょ。スタジオジブリと共に、成長したって、どんな感じ?」
いや、スタジオジブリ云々よりね、ナウシカが、素晴らしかったんだよ。
京都大学に入って、男の人の多い世界で、『ナウシカ』の話をすると、
『『ナウシカ』とか『ラピュタ』とか『トトロ』って、ロリコンみたいじゃん』
という返答が、返ってくる。
『じゃあ、どれならいいの?』
と聞くと、
『『紅の豚』は、宮崎もやっと大人の映画を作れるようになったなと思った』
という答えが、返ってくる。
「太郎さんは、23歳下の私に、真面目に恋している、という時点で、ロリコンなんでしょうけど、そもそも、ロリコンって、なぜ悪いの?」
それは、私が思うに、普通、40代や50代の男の人は、10代や20代の女の人に、もてない。だから、若い女の人にもてている中年男性は、他の中年男性から見ると、妬ましい。それで、若い女の人と上手く行っている男の人をけなす言葉として、『ロリコン』という言葉が、生まれたんだと思う。
「あー、なるほどね。妬ましいのか。そもそも、ロリコンという言葉の由来は?」
ウラジーミル・ナボコフ(1899-1977)の代表作、中年性倒錯者の美少女への愛を描く長編小説『ロリータ』(1955)から、ロリータ・コンプレックスとなりロリコン。
が、名前の由来。結局、若い女の人にもてたい、中年男の、ひがみの表れだよ。
「それを、そう言い切れる太郎さんも、すごいけど、『ナウシカ』は、たいした作品よね」
私は、『風立ちぬ』を観るまで、宮崎は、『ナウシカ』を、越えられていないと、思ってきた。
「『ナウシカ』本当に、好きだったのね」
人が、誰か、または、何か、を好きになるのに、本当は、理由なんて、いらないと思う。
前に、小林りんさんに、調べさせよう、なんて言って、
『シリウスに向かって飛べ』
という言葉の意味を、説明したように、私は、この映画から、非常に多くのメッセージを受け取ったのだ。
小林りんさんは、ある意味、私に取って、ナウシカの様に思える人であり、あのとき、『2人の素敵な女の人』と書いたように、渡辺麻友さんも、私に取って、ナウシカなんだよ。
「そんな。私、ナウシカには、なれないわよ」
大丈夫。そう言っている時点で、ナウシカになれてるから。
「もう。このブログ、読まないわよ」
さて、『風の谷のナウシカ』は、テレヴィで放映されたのを、録画して兄弟3人で、観た。
3人が、それぞれに、影響を受けた。
それからしばらくして、『E.T.』が、上映されるということになった。
「あれ?『E.T.』は、『ナウシカ』の前じゃない?」
その分析は正しいけど、私が言っていることも、正しい。
1982年、私が4年生だったお正月の映画として、『E.T.』は、来た。
父に連れて行ってもらって、私だけが観た。
余りに感動した私は、E.T.のぬいぐるみを欲しいといい、3クラスある大きさの、一番大きいのを、欲しいといった。確か、4,500円だったと思うが、妹と弟が、当時は鶴見にあったダイエーで、他の子達に謝りながら、一匹連れてきてくれた。
「ブログのプロフィールの写真は、それなのね」
女の人でも、小学校の時から、かわいがってきたぬいぐるみを、47歳にもなって、一緒に寝てるなんて、なかなかないだろうと思う。
「太郎さんが、人や物を大切にする。ということを、物語っているというのね」
私は、さすがにゴミは、捨てるけど、本を捨てなければならないときは、古本屋に持っていくなど、なんとかして、再利用を考える。
衣服は、母が、『これは、もう駄目』と言って、捨てるけど、自分から捨てたりは、まずしない。
「そうすると、太郎さんの女の人のコレクションが、できちゃうわね。あっ、もうできてるか」
言われるまで、気付かなかったけど、私の好きになった女の人のコレクションか。あまり、そういう捉え方は、したくないな。2頭身のキャラクターのコレクションじゃあるまいし。
「そう応えてくれて、ほっとした。私は太郎さんの特別な人、太郎さんは私の特別な人、だものね」
『E.T.』は、当時は、DVDもブルーレイもないから、1986年に、もう一回映画館にかかったんだ。その時、母がうちの子と、その友達も連れて、川崎まで、観に行ったんだ。ところが、日にちを間違えていて、まだ上映が、始まってなかったんだ。川崎駅まで戻ってきて、切符も買って、入ってから、母が、
『『ラピュタ』ってのやってる。これ見ない?』
と、言い出して、がっかりしてた子供達も大喜びで、観に行ったんだ。
これが、劇場でのジブリ初体験。
だから、『ナウシカ』より後に『E.T.』が来ても、おかしくないんだ。
さて、もうひとつのことを書いて、今日は、終わりにする。
私が大学に受かったばかりの頃、クロイツェルソナタの女の人を追いかけていたわけだが、父と母が、
『お前は、人の気持ちが、分かってない』
と言っていた。
これは、父や母の方が、分かってなかったのだ。
父や母は、私が、クロイツェルソナタの女の人と、結婚したがっているのだろうと思っていたから、向こうが、ほんの一時のボーイフレンドとしようとしているのに、気付いてないと、言っていたのだが、私の方も、一時のガールフレンドで、良いと思っていたのだから、お互い様だったのだ。
だが、
『人の気持ちが分かってない』
と言われれば、
『どうすれば、分かる?』
と、聞くことになる。
それに対し、父母は、
『小説を読めばいい』
としか、言えなかった。
大学入学後、私は、小説も読んだが、それによって、急に、人の心が、分かるようになったとは、思えなかった。
クロイツェルソナタの女の人とは、入学した年の12月頃まで引きずったが、どうすることも、できなかった。
結局、二人とも、初体験を、してみたい、という簡単なことを、ちゃんと言わなかったために、迷路に迷い込んで、しまったのだ。
それに、向こうは、処女ではなかったので、変なプライドにこだわって、上手く行くかもしれなかった恋愛を、台無しにしたのだった。
さて、病気を発病して戻ってきて、ゼロに近いところから、築き直している途中、2008年4月から、鎌倉に当時あった、ねくすと、という就労移行支援の施設に、2年間お世話になった。
そのとき、就労のための、色々な訓練をしてもらった。
それぞれが、自分が、どんなことを、悩んでいるか、という問題提起をする場面があった。
そのとき、
『僕は、人の心が、分からないと言われるんだけど、どうすればいいんでしょうね』
と言った人が、いたんだ。
その人は、秋葉原の近くの風俗店に、時々行ってるので、女の人に不自由してはいないと、はっきりそれまでに、明言していた。
また、同じねくすとのメンバーの女の人に向かって、
『あなたは、そんなに美人なのに、どうして職探しなんてしてるんだ』
と言ったりして、ちょっと問題ありなのは、明白だった。
メンバーそれぞれが、こうしたら良いんじゃないかと、提案してあげた。
私は、
・『あしたのジョー』などのマンガを読む
・ジブリなどのアニメを見る
・小説を読む
・朝の連続テレビ小説を、副音声で、目の見えない人のための状況説明を出しながら見る
と、挙げた。
そうしたら、他のメンバーの人から、
『この人には、それは、難し過ぎる』
と、言われてしまった。
『これで、難しいとしたら、どんな方法が、あるんだ』
と、言いかけて、先ほどの女の人に対する言葉を思い出し、それ以上、言えなかった。
この社会には、色んな人がいる。
麻友さんのファンにも、色んな人が、いるだろう。
ただ、ファンでいてもらえるだけなら、それはそれで、立派な関係だ。
でも、私には、想像することもできない思考回路の人もいる。
この事実を、話すことで、今日の投稿を、終わろうと思う。
「太郎さん。全力出したわね」
あー、疲れた。
「ドラマに、生かすわ」
じゃあね。ばいばい。
「ばいばい」
現在2019年3月2日21時02分である。おしまい。