現在2019年4月15日20時51分である。
一週間近く、ブログを、更新できなかったね。
「入院しそうに、なってたの?」
いや、そこまで深刻なことでは、なかったんだけど、実家の無線LANを、つないであげにいったり、『ホーキング&エリス』のゼミがあったり、ガラケーだったのがスマホになって、色々覚えることがあったりと、雑用があったんだよね。
「寝るのが、遅くなったりは、してない?」
それがね、今回入院してから新しく処方された、オランザピン10mgという薬が、もの凄い催眠作用があるみたいで、21時ちょっと前に飲むと、22時頃には、もの凄く眠くなるんだ。
「太郎さんの場合、眠れなかったのが、一番の症状だったのだから、良かったわね」
それじゃ、シミュレート始めよう。
「お願いするわ」
麻友父「娘と出会う前、君は、将来に対して、どんなヴィジョンを、持っていたのかね?」
私は、ヴィジョンを、持つこと自体、意味がないと思っていました。
一年浪人してとはいえ、京都大学理学部に合格し、クラスの友達から、
『松田、お前は将来凄いことしてくれると、期待してるぞ』
などと言われるだけの才能を持っていて、順風満帆の人生を送っていたのに、精神に異常をきたし、作業所のようなところでしか働けないほどに、才能はメチャメチャになり、毎日眠さとの戦いで、もう、人生は、積極的に生きていくのは、不可能に思えました。
父は、そういう私にも働かせようとしましたが、私からすれば、父が20年後くらいに死に、遺産を家族で分配し、私の受けつぐ分をもらって、生きられるところまで、生きようと、思っていました。
麻友父「何か、積極的に、働こうとは、思わなかったのかね?」
大分以前に、麻友さんにお見せしたのですが、職業適性検査というものを受けたこともありました。
結果は、得意のはずの数理的技能でさえ、平均以下、それ以外の技能は、遙かに平均を下回っていました。
麻友母「その検査は、いつ頃、受けられたんですか?」
9年前くらいです。
麻友母「じゃあ、太郎さんには、生きていく道筋は、なかったのですね?」
そういうものでもないんです。小学校の子供に、
『君、生きて行かれるかなあ?』
と、聞いたら、ほとんどの子は、
『どうして、生きて行かれないの?』
と、答えるでしょう。
私も、そういう気持ちだったんです。
『私は、生きて行かれて当然』
ということです。
麻友母「太郎さんは、お金のことで、どうしようもなく苦労されたことはない?」
本当に、今夜食べるものもない、というような、貧乏は、味わったことはありません。
麻友母「麻友も、そこまでは、味わったことはないけど、このカップルが、社会に堪えられるかしらね?」
「お母さん、太郎さんは、障害者にも、こんなことができるよ、と、目印を付けようとしているの」
麻友母「なるほどね」
麻友さん、今日は、ここまでで、眠くなったので、一旦中断するよ。
「分かったわ」
おやすみ。
「おやすみ」
現在2019年4月15日21時50分である。おしまい。