現在2019年6月25日16時17分である。
「あっ、デート。3カ月ぶりくらいね」
モーツァルトは、ベートーヴェンに比べて、聴いている回数が圧倒的に少ないから、書きにくいんだよ。
「『ハフナー』っていう交響曲は、聴いたことないわね」
後期6大交響曲の、1曲目。
「えっ、それって、変じゃない? モーツァルトは、交響曲を41番まで書いている。35,36,37,38,39,40,41じゃ、7曲のはずじゃない」
そう。誰でもそう思う。
でも、実際に、『後期6大交響曲』というセットを買うと、第37番というのはない。
「第37番って、ないの?」
うん。本当は、20世紀の初頭までは、モーツァルトの交響曲第37番ト長調K.444というのが、あったんだけど、研究者って凄いことやるんだねぇ、筆跡鑑定をやって、従来37番と思われていたものが、ヨハン・ミヒャエル・ハイドン作曲の交響曲に、モーツァルトが、序奏だけ書き加えたものだと、判明させたんだ。
「えっ、筆跡鑑定って、あの頃は、羽ペンで書いてるのよね。いくらでも、調べられるわね。でも、立証も難しいはずね」
うん。名の通った人が、発表したから、定説になった。
あの有名なのは、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンだよ。ヨハン・ミヒャエル・ハイドンというのは、その弟なんだ。
「作曲家が兄弟で現れるなんて」
まあ、今と違って、著作権とか、うるさいことを言われない時代だったから、他の作曲家の曲を真似して、作曲するなんてことは、いくらしても良かったんだよね。
「おおらかな、時代ね。そういう時代の方が、良いものが生まれるのかしら?」
こうだから、良い、というものではない。良いものは、いつの時代にでも、生まれうる。
ただ、その生まれたものが、残るのは、やっぱり、自由な時代の方が、可能性が高いよね。
「じゃあ、『ハフナー』を、聴かせてよ」
小澤征爾指揮 水戸室内管弦楽団 モーツァルト交響曲第35番ニ長調K.385『ハフナー』
モーツァルト: 交響曲第35番「ハフナー」 - 小澤征爾: Mito Chamber Orchestra
「小澤征爾指揮なのね」
日本で、ここまで有名になった指揮者は、やっぱり小澤征爾だよね。
「いつもの、太郎さんとこの曲の、馴れ初めは? またオープンテープ?」
いや、ここまでマニアックな曲は、母と父のコレクションにも、なかったんだ。
我が家に、CDプレーヤーが、来たのは、中学3年生のとき。私が、ルパン三世の『ドロボウ交響曲を鳴らせ』を見て、オープンテープを探して、『英雄』を聴き始め、ラジオをエアチェックしたり、レコードに針を落とし始めた頃のことだ。
フルトヴェングラーという指揮者が凄いから、その指揮者のウィーンフィルを振った演奏を、聴きたいと思っていた。
父は、いつものことで、私に、CDプレーヤーを、検討するように、言ってきた。
こういうとき、父は、予算を言わないんだよね。
「じゃあ、太郎さん。もの凄く良いものを、選んだ?」
選んだ、というより、CDの構造とか、動作原理とか、あの頃は、PCM方式しか、なかったんだけど、それが、1年に1回位しか、誤り補完回路を使わなくて良いくらい、CDのピックアップというものは、精巧にできてる、とか、そういうことを、調べたわけ。
私は、Technicsのあるプレーヤーが、性能的に、一番優れていると、結論を出して、父に報告した。
値段も、5万円くらいで、十分買えるはずだった。
それで、家族で、当時鶴見駅のそばにあった、日進へ、買いに行くことになった。
夕方、日進へ行ったのだが、Technicsの肝心のプレーヤーが、売り切れだったのだ。
誰が見ても、明らかに性能が良かったので、皆が買ったのだろう。
ひとまず、食事をすることになり、中華料理か何かを食べ、どれにしようかと、話し合った。
私は、性能としては、SONYのディスクマンでも、十分音が良いと、言った。
だが、オーディオセットに、ディスクマンじゃなあ、とも思っていた。
父は、私が調べたことなどから、よっぽど外れの品を選ばない限り、CDプレーヤーは、どれでも大丈夫だな、と思ったようだった。
それで、もうCDプレーヤーを買ったような気持ちで、父がレコードショップに入った。
『どれでも、買ってやるぞ』
みたいに、言われたので、私は、当然、発売されたばかりの、フルトヴェングラーの『英雄』(当時はCDは高かったので、1986年で消費税もないのに、3,500円した)を選び、母が、お琴の『春の海』を聴きたいと言ったので、その2枚を買った。
それで、日進へ行って、定価が49,800円で、お店が39,800円にすると言った、YAMAHAのプレーヤーを、買ってきた。
実は、この話は、今まで誰にも話したことがないのだが、家に帰ると、私が、フルトヴェングラーのCDなどを見ている間に、父が、輸送時にピックアップ部を固定しておく、ボルトを、抜いていたのだ。
今のCDプレーヤーは、性能が良いから、こんなピックアップ部を固定したりしなくても大丈夫なのだが、当時は、デリケートなものだったのだ。
さて、私は、取扱い説明書を読み、CDプレーヤーを、発泡スチロールから、外そうとした。
サンドイッチのように、なってたので、両側の発泡スチロールが外れた途端、プレーヤーは、下に落ちた。
私が、輸送用ボルトを、抜こうとしたら、もう抜いてある。
『あれっ、今のショック、大丈夫だったのかな?』
と、心配になりながら、オーディオセットにつなぐ。
父が、『春の海』のCDを、持ってきたので、ファーストリスニングは、宮城道雄の『春の海』。
宮城道雄『春の海』
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一応、ちゃんと、鳴っている。音飛びもない。
CDプレーヤーって、かなり頑丈なのかな、という気持ちと、これがいつまでもつかな、という気持ちのまま、使い続けたが、少なくとも、私が高校3年生になった、3年後くらいまでは、きちんと、鳴ってくれた。
本当に、父が、発泡スチロールから出す前に輸送用ボルトを抜いていたことを知った瞬間は、壊れたかな? と、生きた心地しなかった。
「太郎さん。CDプレーヤーひとつ取っても、秘密がいっぱいあるのね」
そりゃまあ、人生には、色んなことある。
「でも、太郎さんが、こんな風に、何でも、ブログに書いちゃうから、私、太郎さんに、うっかり近付けないのよ。秘密を守れないと、困る場合が、あるのよ。この商売の場合、特に」
そうねえ。
でも、麻友さんとおつきあいするのと、引き替えだったら、ブログ書くの、やめてもいいけどね。
麻友さんは、それくらいの影響力持ってるから。
それに、麻友さんに読んで欲しくて、これ書いてるんだから、麻友さんとおつきあいするようになって、しゃべっちゃったら、書く必要なくなって、ブログなんて、やめちゃうよ。
「そうは言うけど、太郎さん、数学のために、これ書いてるんじゃないの?」
ブログやってる人って、結局、寂しいんだよ。だから、本物のガールフレンドが、できたら、こんなものおさらばだと思う。
「じゃあ、あの膨大な数学の記事は?」
誰かに、今は特に麻友さんに、読んで欲しいから。
読んで欲しいのは、寂しいからなんだよ。
「太郎さん。その気持ちに正直になって。日本中に、何千人もの、私だけを見つめている男の子達がいるの。私が、太郎さんとくっついちゃったら、その男の子達は、どういう思いがするか、今の太郎さんだったら、分かるでしょう。そういう男の子達を、どうすればいいのかしら?」
麻友さんの気持ちは、私も、分かりすぎるくらい分かる。
ただ、線を一本引くべきだね。
「どういう線?」
麻友さん以外の女の子に、推し替えできる人と、麻友さんじゃなきゃ、絶対ダメ、という人の間だよ。
「そんな線、引けるのかしら?」
はっきり言っちゃうなら、曽野綾子が、良いことを、言ってる。
愛の定義を私はこういうふうに考える。
その人のために死ねるか、どうか、ということである。
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「えっ、『私のために、死ねますか』って、聞くの?」
それで、気楽に、
『死ねません』
なんていう男の人は、麻友さんが何やっても、傷付きやしないよ。
「もし、
『死ねます』
って、言われたら?」
その男の人は、まゆゆ親衛隊の一員として、線の内側に、入れてあげれば良い。
「でも、何千人もいるのよ、コアなファンが」
はっきり言って、
『死ねます』
と、真面目に答えるファンは、そんなに多くないと思う。
100人を、上回るとは、思えない。
「そんなことない。千人以上いると思うわ」
麻友さん。分かってるはずだけどな。AKB48にいたときから、W3M∞に変わったとき、どれくらい、ファンが減ったか。
その後も、W3M∞の会員数は、横ばいのはずだ。
「じゃあ、取り敢えず、私のために、死ねるという男の人が、100人以下としましょう。それで、どうするの?」
100人といったら、小学校や中学校の2クラス分の人数なんだよね。
これくらいだと、麻友さんの目が行き届くんだ。
まず、ここまで、愛の対象を、絞ってから、今後どうしていったら良いかを、その100人と麻友さんと私で、本音で話し合って、決めていくと良いのではないかな?
もしかしたら、その100人の中に、私より魅力的な、男の人がいるかも知れない。
そうだったら、私は、身を引こう。
「今の言葉、本当でしょうね」
私は、麻友さんに、心配させるような言葉遣いはしない。大丈夫だ。
「太郎さんは、どういう展開を、想定してるの?」
私が、想像もしなかったアイディアに出会うことを、期待している。
「また、アイディア」
だって、私は、今年48歳になるおじさん。一方、麻友さんのファンのほとんどは、20歳から30歳くらいの、若者だ。
20歳、年が離れたら、考えていること、まるっきり違うと思うんだ。
ファンとか、恋愛とか、恋人とか、デートとか、結婚とか、そういうものの概念が、全然違うんじゃないか、と思うんだ。
例えば、初めて女性が書いた、心理小説と言われている、
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という短編小説は、発表された当時は、斬新だったのかも知れないが、パソコン、スマホ、メールのある現在、もうこんな結末は、結末ではない。
ちょっと、訳が硬いので(内親王とかいう言葉遣いをする)、最近の訳にあたった方が良いかも知れないけど、結末に期待するのでなく、途中のやりとりを、楽しむには良い。
私は、30歳の頃、図書館で、毎回10ページずつ、20回に分けて、読んだ。
結末はつまらなくても、過程が面白い話というのは、結構ある。
「太郎さん、私にどうして欲しいの?」
こうして欲しい、なんていう簡単なものじゃないんだよ。
前から、論じてるように、『サヨナラ、えなりくん』の村ちゃんのように、麻友さんをそばで応援する大切な味方になりたいんだよね。村ちゃんよりもっと、おしゃべりだけど。
「私、太郎さんが、諦めてくれるまで、本命の男の人との関係を、オープンにできないで、いるんだけど」
麻友さんが、幸せになるなら、麻友さんとつき合うのを、諦めてもいいけど。でも、1回は、デートしたかったな。
「なんか、『ハフナー』から、離れちゃったけど」
この後、『ハフナー』のCDを買う話が、あるんだけど、今日は、もう眠いから、次回にまわそう。
「じゃあ、太郎さんは、今の時代の結婚を越えた新しい結婚を、私としたいわけなのね」
民主主義というのは、それぞれの人が、色んな意見を出すというのが、本質なんだ。
もっと良い、結婚というものを、追求したい。
「でも、太郎さんは、私と、初体験したいんでしょ」
それは、どうしようもない欲求だ。
そうでなければ、男の人ではない。
「正直で、よろしい。じゃあ、お休み」
お休み。
現在2019年6月25日21時55分である。おしまい。