現在2019年7月8日17時30分である。
「太郎さん。入院するようなことには、ならなかったのね。良かったわ」
予約は、13時10分からだったけど、12時40分くらいには、もう先生に会っていた。
先生が、
京野「前回の血液検査の結果は、こう出ています」
と、画面を、見せてくれた。
京野「前回同様、尿酸の値が、高いですね」
松田「ああ、痛風になるのですね」
松田「この Seg というのが、高いのは?」
京野「これは、白血球の中にあるものなのですが、松田さんは、白血球自体が少ないですから、問題は、ないでしょう」
京野「リチウムは良好で、きちんと薬を飲めてますね」
松田「はい」
松田「この血糖が、120というのは?」
京野「それは、食事の後だったから、高かったのでしょう」
松田「いや、前回は、先生に診てもらった後、食事をしたのです」
京野「でも、朝ご飯は、食べてきたでしょう。空腹時にこれでは、高すぎますが、そうでなければ、大丈夫です」
などのやり取りのあった後、私は、印刷して持って行っていた、前回の『「子どもの多様性を伸ばす。これからの本当の教育とは」に寄せて』の投稿を、取り出した。
「えっ、持って行っていたの?」
うん。
やっぱり、私も、少しでも、病気が良くなるように、行動したかったんだ。
それで、
松田「これは、誇大妄想的、と思われるのは、分かってるんです。私ひとりで、世界中の貧しい人を救うなんてことが、無理なのは、分かってますから」
松田「だから、これを読んで、先生が、『これは、誇大妄想ではない』と言ってくれることを、期待しているのでは、ないのです」
松田「そうなんですが、私には、この誇大妄想的に見える文章が、どこにも間違いを見つけられないように、論理のギャップなく書けている気がするのです。だから、これは、実現できるのではないかと」
京野「これは、何日くらいかけて、書いたのですか?」
松田「4日間です。ここに、日付があります」
京野「あっ7月4日、最近ですね」
京野「気分が高揚するようなことは、ありましたか?」
松田「ブログは、麻友さんへ向けての、ラヴレターですから、多少でも気分が高揚してなければ、書けません。普通に高揚しながら、書いています」
京野「徹夜して書いたりは、してない?」
松田「今度の薬になってから、21時頃薬を飲むと、22時には、目を開けていられないほどに、なるのです。だから、寝てます。ただ、眠った後、1時頃目が覚めて、お腹が空いたのかな? と、冷凍のスパゲティを食べたりすると、また寝られます」
京野「便秘止めは、大丈夫ですか?」
松田「ひと月の間には、お腹が痛くなることもあるのですが、それでも、出ますし、少し下痢気味ですから、便秘止めを飲む必要は、ありません」
京野「どうして、便秘してたのが、大丈夫になったんでしょうねえ」
松田「薬が減ってますから。まず、セロクエルが、減ってますし、リスパダールはなくなりました」
京野「それはそうですが、他に理由と考えられるものは?」
松田「これ、あの、麻友さんが、コマーシャルをやっているので、ヤクルトを、ヤクルトさんから買って、毎日飲んでるんです」
京野「ヤクルトレディから?」
松田「はい。乳酸菌が入っているそうで」
京野「そうだったら、奇跡ですね」
松田「アハハ」
京野「まゆゆノートは?」
松田「ああ、これです」
京野「61冊目。ひと月前から、増えてないですね。神がかり的になって、たくさん書いたりは、してないんですね」
松田「ノートが進んでないから、私の病気が良くなってるとは、必ずしも言えないのですが、一番最近のは、2019年7月8日9時32分54秒、つまり今朝ですね。麻友さんにそのブログ記事のURLをツイートしたので、麻友さんがこの記事を読んだと(アクセス解析で、信号が出たと)、ここに13%、つまり2回見たと、書き取っていますね」
京野「じゃあ、薬は、同じままで、いいですね」
松田「はい」
京野「この記事は、後で、読ませてもらって、良いですか?」
松田「もちろんです」
京野「お母様から見られていて、特に、異常はないですか?」
母「私の目には、確かに、かなり、落ち着いているように、見えるのですが」
京野「では、次回は、8月7日で」
松田「ありがとう、ございました」
13時には、診察は終わった。
診察が終わって、食堂へ昼食を食べに行って、母に話した。
私「昔良く、『夜更かしして、何やってたんだ?』って、お父さんやお母さんに聞かれて、太郎がなかなか答えられなかったでしょう。あれは、フルニトラゼパムで、記憶が飛んでたからなんだって分かった」
母「フルニトラゼパム?」
(母は、フルニトラゼパムの商品名が、サイレースで、横浜市立みなと赤十字病院に入院する何年も前から、前の医師から処方されていたことを、知らない)
私「フルニトラゼパムだよ。アメリカに持ち込めない。記憶が飛ぶから、女の人を暴行するのにも、使われるんだ」
母「それ、女の人にって、毎回言うの、やめなさい」
この母の反応を見ていて、私は、気付いた。
私が、大きな問題を、全力で解こうとするとき、必ず、普通の人に取ってはどうでも良いように見える、性の問題が、一枚咬んでくる。
前回の投稿でも、なぜいきなり結弦が、最後のところで、あのようなことを持ち出す必要があるのか、疑問に思われた人も、多かったと思う。なぜ、もっと上品に書けないのか?
あれは、私の潜在意識が、書かせたのだ。と、帰り道、気付いた。
なぜなのか?
この問題は、私が、女の人に振られ続けていることの、最も根源的な原因の一つだったのだと、私は、今日やっと気付いた。
世の中には、ポルノと呼ばれる文学や、映画や、マンガや、写真、などが、かなりある。
この、『かなり』という言葉が、何パーセントくらいなのかは、ここでは、問題にしないことにする。
何パーセントなのかは、今、どうでもいいのだ。
ところで、ポルノとは、ポルノグラフィーの略だが、どういう意味だろう。
電子辞書で、日本大百科全書(ニッポニカ)を引くと、
『人間の性または性的興奮の誘発を目的とする小説、絵画、映画、写真などの総称で、略してポルノともいい、伝統的な好色文学とは区別して現代的、西洋的なものについていうことが多い』
とある。つまり、自慰(オナニー、マスターベーション)したいとき、見たり、読んだりするものなのだ。
「えっ、太郎さん。何を、そんなに、当たり前なことを、仰々しく、書いてるの?」
いや、私、今日まで、知らなかったんだ。
「知らないって、何を?」
女の人も、男の人も、快楽に耽る切っ掛けがないと、自慰できなくて、発散したいとき、嫌々でも、ポルノみたいなものに、頼らなければ、ならない人が、多いんだってこと。
「えっ、じゃあ、太郎さんは、切っ掛けって、どうやって、作ってるの?」
いつでも、作れるんだ。
京都大学にいたとき、今ではクローン病になっちゃった、X指定の親友と、数学が学年で2番目にできたあの男の人のふたりが、下宿に来たとき、そもそも、なぜ、X指定の親友と呼ぶことになったかの理由の、『X指定』っていうアダルトゲームを、やったんだよ。
もちろん、私は、とっくにクリアしてあったんだけど、ふたりにやらせてあげたんだ。
その内容を、ここに書く必要は、今ないのだが、そのときの私を、X指定の親友は、観察してたんだよね。
さて、それから、半年ほど経って、またふたりが、遊びに来たとき、数学が学年で2番目にできた男の人の方が、ちょっと、愚痴を言ったんだよね。
そうしたら、X指定の親友が、
『ファンタジーで燃えられる人は、いいよなあ』
って、私のことを、言ったんだよ。
言われてすぐは、何を言われたのか、分からなかったんだけど、『ファンタジー』って、『空想』でしょ。つまり、私が、何もなくても、空想だけで、性的に燃えられる、ということに、X指定の親友は、半年前の観察で、気付いたんだよ。
「太郎さん。何もなくって、じゃあ、どうするの?」
これはね、私の経験上、同じ空想を、2回以上使うことは、できないんだ。
「2回使うって?」
例えば、そうだなー。じゃあ、例えば、空想上だけど、本物の麻友さんが、椅子の後ろへ来て、
『昨日は、七夕だったのに、来てあげなくて、寂しかったでしょう』
って、言って、そっと近付く、・・・
と、ここから、その後の麻友さんの肉体を思い浮かべながら、自慰をして、成功したとすると、この同じ空想で、もう一回やることは、できない。何かを変化させないと、絶対途中で、萎えちゃうんだ。
「太郎さん。私に、恥ずかしい思いをさせてるところを、思い浮かべてるのね。もう、私、太郎さんの顔、見たくなくなっちゃうわ」
「えっ、でも、太郎さんは、ポルノみたいなもの、まったく必要としないの?」
うん。
「でも、『私の本棚』っていうリンク開くと、下の方に、アダルトビデオが・・・」
それ、なんで、買ってあるんだと思う?
「見たかったからじゃないの?」
見たいだけなら、レンタルすればいいじゃん。2回は使えないんだから。
「じゃあ、なんで、買ってあるの?」
全部、文献として、保存してあるんだ。
「文献って、参考文献?」
そう。
だから、私、アダルトビデオを、レンタルしたことないんだ。
後で、このビデオで、こう描かれてたって、持ち出せるように。
「どういうとき、持ち出すのよ」
例えば、絞り込みで、条件を指定で、映画を選ぶと、左から2番目に、
『夫の目の前で犯されて』というビデオがある。
「ああ、あるわね。プッ、レビューまで書いてある」
そのビデオなんで買ったと思う?
「そそられたんでしょ」
違うんだよ。芥川龍之介の『藪の中』を、映像化したのかな? って、思って、買ったんだ。
「芥川龍之介の『藪の中』って、そんな話なの?」
うん。
「それじゃ、当てが外れるわけよ。太郎さん、女の人の裸の写真の見方も間違えてるし、どこで狂ったの?」
それが、今日、分かったんだよ。
麻友さんは、性交の映像を見たのは、何歳くらいのとき?
「えっ、だって私、処女なのよ。ないわ」
私も、完全な物を見たことはない。
だけど、良く、ドラマなんかで、それっぽいことをしているのを、キラキラのフィルターかけて、
『今、ふたりはやってますよ』
みたいに、写すことあるじゃない。
「女の人が、うっとりしてるようなのとか? そういうのなら、あるわね。そもそも私は、『いつかこの雨がやむ日まで』で、濡れ場も演じてますからね」
そう。
ここで、眠くなり、21時28分から、今日(2019年7月9日4時まで、寝た)。再開する。
ここで、ちょっと、想像力を発揮して欲しいんだけどね。私が、小学校6年生か、中学1年くらいの頃、つまり、1983年か1984年の頃、学校から帰ってくると、子供だから、テレヴィつけるのは、当然だよね。
そうすると、『水戸黄門』とか、やってるわけ。
そういうのは、『奥様劇場』とかいう枠で、やってるんだ。『ライオン奥様劇場』などとは、違うよ。
私が、昨日、やっと気付いたのは、あの『奥様劇場』というものが、何のために放送されていたか? ということ。
「それは、色々な意味、例えば勧善懲悪とか、あるんでしょうけど、今太郎さんが、言いたいのは、主婦の奥様方が、家事が終わって、ご主人も会社で、子供もまだ帰ってこない時間に、『奥様劇場』で、切っ掛けをもらって、ひとりで肉体的な快楽を楽しむというためのものであった、ということなんでしょ」
そう。いつも通り、冴えてる。
「ただ、太郎さんが、これを言うためだけに、ここまで5,000文字も書いてきたはずないわね」
うん。
実は、私の心の中に、思春期の初めから、トラウマが、あったんだな、と気付いたんだ。
それが、女の人に振られ続けていた原因にもなっていたんだなと。
「でも、『水戸黄門』で、トラウマには、ならないでしょう」
それは、当然。
実は、『奥様劇場』では、恋愛ドラマもあったんだ。
大人向けなんだろうけど、人間の性交というのは、どうやってやるのだろう、というのに、興味のあった私は、そういう、ちょっと背伸びしなければならないドラマも見ていた。
「お母様、許してくれたの?」
いや、こっそり見てたんだ。
「でも、さっき、『キラキラのフィルターかけて』って、言ってたように、全部は写さないでしょう」
もちろん、そう。
だけど、想像で、そこは補っていたんだ。
ただ、昨日、『私の潜在意識が、書かせたのだ。と、帰り道、気付いた』という、私の心の中の傷というのは、そういうドラマから、被っていたんだ。
「どういうドラマだと、トラウマになると思うの?」
私が、小学校6年生か、中学1年で、見たドラマで、簡単にストーリーを話すと、
ある病院の医師と看護婦が、つき合っている。
医者は、ストレスの多い仕事だから、帰って来るなり、看護婦のことを押し倒して、そこからキラキラのフィルターのシーンが30秒くらい。
さて、ある日、その医者は、他の女の人を、家に連れ込み、またキラキラのフィルターのシーン。
『このことが、看護婦さんの方に知られたら、当然、恋人関係は終わるだろうな』と、当時の私は、思っている。
ところが、数日後、医者が、看護婦さんを、また押し倒している。
だが、看護婦さんが、ベッドで、他の女の人のイヤリングを見つける。
『これで、ふたりは別れるのだな』と思っていたら、その看護婦さんは、
『シーツを、新しいものに、して下さい』
と、言うのだ。
『そんな、シーツの問題だけでなく、お互いの信頼関係が、壊れているのに、どうして、関係が続けられるんだ』
と、当時の私は、思った。
このドラマ。35年近く経っているのに、思い出せるということが、私に影響を与えていた何よりの証拠だ。
「具体的に、どういう被害を、被ったの?」
私は、このドラマを見て、女の人と男の人が、そういう行為をすると、何か特別なことが起こって、ふたりが、強く結びつくのではないかと思った。
「それで?」
だから、実験したかったんだよ。
「つまり、性交をしたかったのね」
まあそう。
「でも、一時お金もあって、風俗店に行くことだって、できたでしょうに」
お金で買った性交じゃ、だめだったんだよ。
私は、お互いに本当に愛し合ったふたりが、セックスしたとき、どうなるのかを、知りたかったのだから。
例えば、麻友さんは生まれてなかったけど、1988年公開のアメリカ映画『ワーキング・ガール』のふたりのような。
淀川長治さんのワーキング・ガールの解説
日曜洋画劇場 / ワーキング・ガール
一つ言っておくと、この映画の主題歌『ステップ・バイ・ステップ』は、アカデミー主題歌賞を受賞。島田歌穂さんが、カヴァーしているほどの、名曲だ。
「だから、太郎さん。好きになった女の人に、他の男の人と寝ていいだのなんだのとか、誤解されるようなことを、言ってたの? 太郎さんは、好きになった女の人と、実験したかったのね。でも、それは、伝わらないわ。太郎さんみたいなこと考える人、いないもの。どんなに最初は、愛し合ってたって、どうせ冷めて、飽きるわ。太郎さんだって、自分で言ってるじゃない、同じ空想で、2回以上はできないって」
麻友さん。以前にアン・フーパーの『ビューティフル・ラブ』という本の話をしたけど、あの本に何が書いてあったかというと、このエイズなどの時代に、新しい出会いを求めて、多くの人と性交渉を持たなくても、ひとりの人と、色んな試みをして、いつまでもフレッシュにつき合っていけるには、どうしたらいいか? という問いに対するセラピストの解答が、書いてあったんだ。
「でも、太郎さん。私が、やらせてあげて、1回やったら、歯止めがきかなくなって、一気に、女性遍歴に出るんじゃないかしら? 千人斬りとか」
今年の3月まで、父母は、私にスマホを持たせたら、ゲームやLINEやクレジット機能を、際限なく使って、他に何もできなくなるのではないかと、心配していた。だが、3月26日、ふたを開けて見ると、クレジットカード機能で買ったのは、プラネタリウムアプリ600円だけ。ゲームは一切やってないし、LINEもアカウントは取得したけど、使ってない。結局、私が関心があるのは、数学と物理学と、そして、麻友さんだけなんだよね。
「でも、太郎さんって、そんなに想像力があるとは、思えないのに、どうして、私の肉体を想像できたりするの?」
やっぱり、相手の人の気持ちを、分かってるからだと思う。
本当に肉体を想像して感じるなんて、できるわけないよ。
「それを、聞いて、安心した。太郎さん、病巣の膿だって、どこにあるのか突き止めたら、摘出できるんじゃないかしら?」
それを、期待してる。
あの『奥様劇場』のドラマは、一種のポルノだったんだ。レディースコミックなどで、この女の人、可哀想、なんていうのがあっても、それは、読んでいる人が、悲劇のお姫様になって、『私、むごいことされてる』、と思って、心が燃え上がっている(こういうときは、萌え上がっていると書くのかも知れないが)状態になって、快楽を味わうためのものなのだから。
「すごいわね。太郎さんの頭は、『あれは、そうだったんだ』、と分かった瞬間、サーッと整理されて、この7,600字を越える投稿が、書けるのですもの」
問題が解けるときって、そうだよ。あれは、ポルノだったんだ、と思った瞬間、だったら、筋が滅茶苦茶で、あの看護婦さんが、どんな屈辱を味わったのかなあ、という想像を強調して、見ている女の人に、催させるのが目的だったんだとすれば、全部分かるな、と思う。
「でも、普通の人は、問題が、解決しても、こんなレポートは、書かない」
いや、こういうものは、書くべきなんだよ。
私、今まで、本当に発見したものはないけど、再発見でも、とにかく、自分がひとつのことを達成した、というときは、詳細なレポートを書くようにしてきた。
これは、やっぱり、他の人に説明しようとしないと、人間の頭は、自己中心的な働きしかしてくれないからなんだ。
「じゃあ、自分のために、説明するのね?」
いつも話している、物理学のナンバー2のニールス・ボーアは、アルバート・アインシュタインに分かってもらえれば、満足したんだって。
そして、量子力学を作った、ヴェルナー・ハイゼンベルグは、師のニールス・ボーアに分かってもらえれば、満足だったんだって。
「私、太郎さんの理論なんて、分からないわよ」
いや、いいんだ。麻友さんが、こうして、読んでくれてるのが、私の支えなんだ。
「ひとつ、問題をクリアしたわね。そこで、ひとつ、私からの提案を、受け入れてみない?」
どんな提案だい?
「太郎さんって、経験もないのもあって、エッチな話するのが、下手なのよ。だから、せっかくいい話をして、みんなが聞き入ってるのに、それを台無しにするようなことを、言っちゃうことが、結構あるのよ。前回の投稿みたいにね」
まあ、それは、認めざるを得ないな。
「だから、当分の間、最初から、エッチな話をするって宣言して書き始めた場合を除いて、セックスのことを、書かないという決心を、してみない?」
そりゃー、大好きな麻友さんからまで、そんなこと言われたら、受諾しないわけには、いかないな。
「いいわね。約束するわね」
約束するよ。
「忘れないように、私のポスターに、書いておいたら?」
いや、さすがにそんなこと、しなくても、忘れない。
それに、麻友さんのポスターに、
『エッチなことは、書かない』
なんて、書くのは、私の美学が、許さない。
「うん。それなら、いい。美学のない男の人なんかに、身を許すなんて、それこそ、私の美学に反するわ」
じゃあ、これで、この投稿は、完成だね。
「前回の投稿を、京野先生に、見せたからこそ、この投稿が、生まれたのよね。やっぱり、太郎さんに取って、このブログは、重要なものね」
この生き甲斐みたいなものが、無料でできているということを通して、やっぱり、今の社会は、私が子供だった頃とは違うんだな、と強く感じるよ。
「お金から、仮想通貨。そして、暗号の無効化。本当に、金銭に関して、不平等がなくなったら、例えそのとき、他の人と結婚してても、私、太郎さんのところへ行って、キスしてあげるわ」
これが、私達の、投稿の終わらせ方だよね。
「じゃあ、バイバイ」
バイバイ。
現在2019年7月9日12時03分である。おしまい。