相対性理論を学びたい人のために

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神のようなタイミング

 現在2019年7月16日9時53分である。

 『『数学』というゲーム』進行中だけど、今、録画してあった、今日の『なつぞら』(第92話)観て、すっごく面白かったので、短い文章だけど投稿。

 まず、何と言っても、9分目ぐらいに、神地航也君が、遅刻してきて、『徹夜して、これだけ原画を描いてきたんです』って言って、描いてきたものを提出したお陰で、一気に暗くなりかけていた雰囲気が、明るく変わったところで、麻友さんが、

「神のようなタイミング」

と言う。

 麻友さん自身、神のようなタイミングで、それを言っている。


 その後は、坂場さんと、なつに、持って行かれているけど、脇役として、十分役割を果たしたと言える。


 その後、


坂場「カワイイものは、大好きです」

なつ「真剣な顔で、言わないで下さい」


 東京大学文学部哲学科卒業の坂場さんが、十勝農業高校卒業の一歳年下のなつに、言われている。

 これは、ある意味、京都大学理学部、数学科、物理学科、中退の私が、通信制の高校『トライ式高等学院』卒業の麻友さんに、


私「麻友さんのこと、可愛いから、大好きです」

麻友「真剣な顔で、言わないで下さい」


と、言われたようなものだな。


 もうひとつ、ジャズが好きな弟に教わった話を、紹介。

 もちろん、映画『グレーン・ミラー物語』や、映画『ベニーグッドマン物語』は、私も、観たことがあるのだが、弟は、今日の話にあった、あの頃の『モダン・ジャズ』である、コルトレーンなども、聴いていた。コルトレーンが加わって、バンドで、演奏を録音していたとき、その曲を作曲した人(名前は弟に聞いたが、忘れてしまった)が、もちろんベースか何か、弾いてるんだけど、曲のある部分で、サックス(かな?)のコルトレーンが、作曲通り吹き始めていないと思って、小さい声で、

コルトレーン

と、呼びかける。その数小節後で、コルトレーンが、吹き始めるのだが、元の楽譜を見てみると、コルトレーンの方が、正しいことが、分かる。作曲者の方が、間違っていた。

 その、

コルトレーン

という声が、入っているCDも、レンタルで借りてきて、弟は、聴かせてくれた。


「太郎さん。クラシックだけじゃないんじゃない」

 だけど、クラシック以外では、『語れる』というほどのものはない。

「太郎さん、古い。でも、人それぞれのはずだった。太郎さんの、音楽の分かっていない人の音楽講義のデート。14回も、続いているのは、私も楽しんでいるから。こんな、自由なクラシック鑑賞が、あっていいんだと」

 そう。

 そして、人類の歴史100万年前か200万年前からの2,000,000年との比では、モーツァルトが生まれた1756年から現在2019年までの、263年と、AKB48が生まれた2005年から現在までの14年とでは、大した差ではない。

 一方、楽譜という表記法ができてから、今まで、1000年くらい、多くの人に、心の安らぎや、やる気を与え続けてきた、モーツァルトや、あるいはベートーヴェンは、時代が変わっても残っていくだろう。

 それが、クラシックだ(英語の辞書で、classic と引いてみたことがあるかい? 第一番目の意味は、『〈文学・美術・映画・音楽作品などが〉第一級の、最高水準の』という意味なんだよ)。


 それから、今日の『なつぞら』では、『おもちゃ』という言葉も出てくる。

 私が7月13日の『『数学』というゲーム』で、『もう(数学を)おもちゃにすることにしたんだ』と書いていたから、『なつぞら』と、シンクロときめきしているみたい。

 まあ、社会では、普通に『おもちゃ』という言葉は、使われるから、珍しいことではないし、3日でドラマ撮れるはずないから、私のブログ見てドラマが進行しているはずないんだけど。


 それから、私が、反応したのは、坂場さんの

『世界の表も裏も、描けるような、現実を越えた現実を見せられる、それを丸ごと、子供達に体験させることのできるようなアニメーターです』

という言葉がある。

 実は、私、世界の裏、あるいは、社会の裏というものが、良く分かっていない。

 例えば、暴力団とか、戦争で儲ける死の商人とか、マンガだったら、『ゴルゴ13(サーティーン)』?

「ちょっと、待って、太郎さんは、何歳のとき、『ゴルゴ13』を、読んだ?」

 小学校5,6年生くらい。

「どうして、分かるの?」

 私の母方の祖父と祖母が、成田に住んでいた頃、あの戦時中パイロットだった、おじいちゃんだよ。あの祖父が、成田に行くと、そばの耳の聞こえない人、つまり聾(ろう)の人が、やっている床屋さんに連れて行って、

『じゃあ、終わったら、帰っておいでね』

と、帰って行くんだ。

 それで、お客さんを待っている間、『釣りバカ日誌』とか『ゴルゴ13』とかそれ以外にも、いくつかのマンガを、読んでたからなんだ。

「それで、どうなった?」

 『センコー(先公)』なんていう汚い言葉も、覚えた。

「どうして、それが、小学校のときだと、確信持って言えるの?」

 小学校の卒業アルバムの外装。

 担任の先生が、

『絵の具で、描いて下さい』

と言った。

 だけど、私は、絵が下手なので、色鉛筆で、長い時間かけて、私にしては、かなり気合いの入った、綺麗な絵を描いた。

 題名は、『私の趣味』としたいと言ったら、それでは、卒業アルバムの題に相応しくないと言われ、『6年間』とした。

 鉄道とか、昆虫とか、トカゲとか、釣り、などの、私の好きなものの、絵だった。

 それを、提出したとき、担任の先生が、

『色鉛筆、駄目なんだよ』

と言った。

 印刷業者が、色鉛筆じゃ駄目だ、なんて言うはずないと思ったけど、

『じゃあ、描き直します』

と言って、家へ帰ってきたけど、腹が立ってしょうが無い。

 母の前で、

『あのセンコー、許さねー』

と、言った。

 こんな汚い言葉を使ったのは、私の人生でも、数えるほど。

 でも、働きに出ていない母だからこそ、そこにいたというのは、重要なことだと思う。


 私は、下書きもせずに、絵の具で、バーッと描いたから、もの凄いひどい絵になって、泣く泣く次の日、提出した。

 ああ、あのとき、描き直しさせられたのは、私が、小学校5,6年生で、『ゴルゴ13』を読んであったという証明をするためだったんだな。

「でも、『ゴルゴ13』に、センコーなんて言うところ、あるのかしら?」

 いや、センコーは、雑誌のマンガで、不良の学生が、先生に向かって言う言葉だったんだ。

「覚えてるの?」

 おぼろげながら、そこで、知ったのは、覚えている。

「太郎さんが、このブログなどで、あのときの『『数学』というゲーム』の投稿で、なんて、引用できるのは、その記憶力のお陰?」

 全部なんて覚えてない。左の上にある、記事を検索、で、思い出せる限りの言葉を入れて、検索して、見つけている。

「それで、見つけられる?」

 だって、自分の書いたものだからね。

「まあ、そうか」


「それで、社会の裏とは、どういうものか、『なつぞら』で、描け、と言うの?」

 少なくとも、なつが、『社会の裏』というものを、理解してないと、描けないだろ。

「なつは、空襲に遭い、母親も失い、父親を、兵隊で、失っている。そして、孤児として働きながら、苦労して育った。十分、社会の裏を、味わっているじゃない」

 でも、なつにとって、それは、辛く生きてきた人生ではない。お兄ちゃんとお姉ちゃんが、会いに向かっているのに、立ち去らなければならない、千遥(ちはる)なら、少しは、分かっているかも知れないけど、なつは、社会の裏なんて知らないと思う。

「えー、あそこまで、残酷に描いても、なつが、社会の裏を分かってないと、言うの?」

 私と、同じようなもんだよ。憶測はできても、自分の身で、感じてない。

 これでは、社会の裏を、アニメーションで、描けない。

「そんなこと、言われたって、どうすれば、いいのよ? 太郎さん、精神障害で1番重い、統合失調症という障害を負ってて、お金を稼げないから、大好きな私をめとることもできないという拷問をされてて、まだ、社会の裏を知らない、なんて言うの?」

 だって、こういう会話が成立しているという意味で、私は、幸せのそばにいるということじゃないか。

と、ヒートアップしたけど、なんか、最近、『なつぞら』に『半分、青い。』みたいだ、という批判も、あるんだって?

 二番煎じだと思われない、新しいものを、描ききってね。


 一方、初めて、岡田斗司夫さんのこれも見たけど、

岡田斗司夫さんの動画
『なつぞら』よ、アニメを舐めるな!本物の高畑勲なら、魔女の正体を●●にする

専門家が見ると、色々分かるんだね。


 以上のことを、伝えたかったんだ。岡田斗司夫さんの動画は、30分位前に、見たばっかりだけど。

「太郎さんって、厳しいのね。私は、一女優よ」

 私だって、一視聴者だ。

 そんなに、気にするなって。

「ありがとう。じゃあ、バイバイ」

 バイバイ。

 現在2019年7月16日16時32分である。おしまい。