現在2020年6月13日20時54分である。
麻友「宇宙の外へ、出られるの?」
私「いや、そこまで凄くないけど、数学という宇宙を、外へ出て、眺めたような気分になったんだ」
麻友「どんな感じ?」
私「ちょっと、難しい言葉の連続だけど、『2020年6月4日からの約束事』という投稿で書いた、直観主義的集合論というものの理解が進んで、『あーっ、数学って、外から見ると、こうなってたんだ』みたいな感覚に、浸ったんだ」
直観主義的集合論で、証明できることは、すべてZFC(普通の集合論)で、証明できるのです。
一方、ZFCで証明できるけど、直観主義的集合論で、証明できないことがあります。
まず、あることが、直観主義的集合論で、証明できれば、ZFCでも証明できるのだから、問題は、ありません。
問題なのは、ZFCで、証明できたんだけど、直観主義的集合論で証明できるかどうか、分からない場合です。
特に、直観主義的集合論で、証明できないようだ。となったとき、その、『直観主義的集合論では、証明できない』ということを、証明することが、大変な問題なのです。
直観主義的集合論という理論は、ほとんどすべて、この『ZFCでは証明できるけど、直観主義的集合論では、証明できない』問題を、見つけることに、すべてを捧げているのだと、分かりました。
では、なぜ、そんなことに、心血を、注ぐの? という疑問が、湧きますね。
それは、数学自体(これは、通常、ZFCを、指します)の無矛盾性を、証明したいからなのです。
数学全体が矛盾すれば、直観主義的集合論も、矛盾するのではないか? (これは、予想です)
対偶を取ると、直観主義的集合論が、無矛盾なら、数学全体も、無矛盾である。 (これは、予想です)
さて、直観主義的集合論では、その名の通り、直観がかなりの確率で、当たる。
直観主義的集合論は、数学の一部なのだから、矛盾しないということが、証明という言葉の定義をちょっとずらすことで、証明できるのではないか? (これは、予想です)
以上の予想の元、直観主義的集合論の無矛盾性を証明し、数学全体も、無矛盾だと、証明したい。
そのために、直観主義的集合論という理論は、『『ZFCでは証明できるけど、直観主義的集合論では、証明できない』問題を、見つけ(そして、それが証明できないと証明す)ることに、すべてを捧げているのだ』と、言えるでしょう。
私「これが、数学という宇宙から出て、外から眺めて感じたことだった。人間が、すべてを捧げるには、理由があるんだよね、必ず」
麻友「今夜も、よく眠れそうね」
私「おやすみ」
麻友「おやすみ」
現在2020年6月13日22時32分である。おしまい。