現在2020年11月22日10時11分である。(この投稿は、ほぼ5512文字)
麻友「ちゃんと、寝た?」
私「22時頃寝たけど、0時37分に、目が覚めた。0時40分にセロクエル100mgを、飲む。布団に入ったけど眠れず0時54分にヤクルトを飲む。少しして眠れる。4時40分に、目が覚めた。朝食を食べようと思って、冷凍の担々麺を電子レンジにかけようとするが、また眠くなり、ベッドに入る。7時20分に、目が覚める。音楽でもかけようかと思って、前に話した、『渡辺麻友』のフォルダの『英雄』から始まるユーザープレイリストをかける。また眠くなり『英雄』まるまる1曲寝ていた。9時頃起きて、やっと食事。という感じ」
若菜「全部、覚えているんですか?」
私「起きるたびに、手帳にメモしてる」
結弦「だよねー」
麻友「それより、昨日の直観主義論理と、オープンソースの話、聞きたいわ」
私「まず、ちょっと復習すると、古典論理で、 が正しい、ということ、つまり、 が真である、と言っていた部分を、 を確認する方法を持っている、と読み替えるんだったね」
若菜「そうでしたね。それを、認めると、どうなるんですか?」
私「簡単なところから行って、 は、 を確認する方法と、 を確認する方法と、両方を持っている。となるね」
結弦「そうすると、 は、 を確認する方法と、 を確認する方法と、の少なくとも一方を持っている。となるのかな?」
私「そうだ」
麻友「なんだか、言葉の遊びのようだけど」
私「いや、これが、奥が深いんだ。例えば、 を、ピタゴラスの定理、つまり三平方の定理とし、 を、自然数の各桁の数字の和が、 で割れれば、その数は、 の倍数であるという定理としよう」
麻友「ちょっと。その『自然数の各桁の数字の和が、 で割れれば、その数は、 の倍数であるという定理』なんて、どうやって証明するか、忘れちゃったわよ」
私「おお、良いカモが、来たね。そうすると、麻友さんは、この『自然数の各桁の数字の和が、 で割れれば、その数は、 の倍数であるという定理』を、確認するすべを、持たないんだね」
麻友「失礼な。でも、忘れちゃったのよ」
私「そうだとするとね。まず、以前やったから、ピタゴラスの定理は、一応確認できてるということで、 は、確認できてる。ところが一方、 は、確認できていない。ということになる」
結弦「そうすると、『 は、 を確認する方法と、 を確認する方法と、両方を持っている』だったから、お母さんにとって、 を確認する方法は、ないということになるんだ」
若菜「『 は、 を確認する方法と、 を確認する方法との、少なくとも一方を持っている』だったから、 を確認する方法は、持っているわけですけど」
麻友「ちょっと、人をだしにして。あなたたちは、『 の倍数であるという定理』証明できるの?」
結弦「これは、恐らく、中学1年生くらいで、習うんじゃないかな。証明と言うほどじゃないけど。例えば、
は、
だよね。ここで、
だから、
となる。前の括弧の中は、 の倍数だから、必ず、 の倍数。結局、 が、 で割れるかどうかは、各桁の数字の和、 が、 で割れるかどうかにかかっている。今の場合、
だから、 は、 の倍数でないと分かる」
私「そうだな。こういう風に、直観主義論理というものでは、その人がどこまで数学を習得しているかにより、 や、 の成立するかどうか、つまり正しいかどうかが、違ってくる」
麻友「でも、そうだとすると、今まで確かめていなかったものが、確かめられるようになったということで、ある意味、偽だったものが真になるみたいなことが、起こるの?」
私「そうなんだよ。だから、絶対間違いである、 を、確認する方法を持っているか、今やっている、 を確認する方法を持っている、のどちらかとは、限らない。だから、 が、必ずしも成立しない」
麻友「必ずしも成立しない、ということは、成立することも、あるの?」
私「いいこと、聞いたね。あるんだ。例えば、 が、 だった場合、これは、必ず成立するだろう」
麻友「成立するって、言っていいのかしら?」
私「うん。いい感性している。そこまで、徹底的に追求してこそ、研究だ。だが、これは確かに、成立するんだ。麻友さんが、まだ、直観主義論理での、 の定義を、知らないから、疑問に思っているだけだ」
若菜「直観主義論理での、 は、どう定義するんですか?」
私「直観主義論理での、 は、『 を確認する方法が与えられたときに、その方法をもとにして、 を確認する方法を作る方法を持っている』と、定義される。これは、ややこしいから、すぐ後で、説明するが、差し当たって、 が、 になっている、上の、『』は、 を確認する方法が与えられたときに、その方法をもとにして、 を確認する方法を作る方法を持っている、が成り立つので、(大丈夫だよね。 を確認できれば、 を確認できるのは、当たり前だからね)必ず成立するんだよ」
結弦「だから、 は、成立するんだ。だから、 が、成立する場合も、あるんだ」
麻友「太郎さん、こんなひと言ひと言まで、チェックしながら、本を読んでいるの?」
私「ロジックの本は、それくらい注意していないと、分からなくなるんだ」
麻友「なんか、付いていくの、しんどい」
私「♪涙の後には、虹も出る」
麻友「何よ。『水戸黄門』?」
結弦「アハハ。もう『水戸黄門』なんて、放送されてないよ」
私「よくあんな、ワンパターンなもの、みんな観てたよなあ」
若菜「ところで、『 』は、良いとしても、『』の定義を、本当は、してないんじゃないですか?」
私「良く気付いたなあ。その通りだ。既に、使っているけど、実は、 は、『 を確認する方法が与えられれば、その方法をもとにして、矛盾を導く方法を持っている』とするんだ」
結弦「矛盾って?」
私「『 みたいなの」
結弦「それだったら、『』の定義に、『』を使っている」
私「えっ、あっ、そうか。これじゃ、循環論法か。矛盾って、・・・」
麻友「竹内さんの『直観主義的集合論』には、どう書いてあるの?」
私「これには、
竹内外史(たけうち がいし)『直観主義的集合論』(紀伊國屋書店)
『 で矛盾を表わすことにして は の略と考えることにします.即ち は“ を確認する方法があたえられればその方法をもとにして矛盾を導く方法をもっている”ということになります.』
と、p. vi に、書いてある」
麻友「ということは、矛盾という記号を、新しく、加えなければ、ならないんじゃない?」
私「今までは、否定は、
で、定義していたから、こんな問題は、起こらなかった」
麻友「太郎さん。11月10日に、アマゾンで2冊、紙の本を買ったでしょう。
林晋(はやし すすむ)『数理論理学』(コロナ社)
と、
を。分かっているんだから。でも、上の林晋(はやし すすむ)『数理論理学』は、『ルベーグ積分不可能な関数はないということの意味』という投稿で、『NK,NJについてこれだけビシッと書かれた日本語の本は他にないかも』と評されていたといってたくらいなんだから、役に立つんじゃない?」
若菜「お母さん。いっつも、お父さんのこと、見てるんだ」
麻友「恥ずかしいこと、しているときもね」
私「心の中も、見えるの?」
麻友「そこまで、見えたら、やってられないわね」
私「そこまで見てよ。そうすれば、私の麻友さんへの気持ちが、どういうものか、分かるのに」
結弦「ストップ。矛盾の記号、導入するの?」
私「今、思い付いたんだ。矛盾の記号、導入しなくていい。 と書いてあるとき、これを、『矛盾』と、仮に呼ぼう」
結弦「『』が、現れているけど。いいの?」
私「大丈夫。そして、『』とは、『 の省略形だと、定義する」
若菜「 の定義に、 が、現れていますが」
私「だって、 ならば というとき、・・・」
麻友「待って、まだ、私達は、『ならば』の矢印『』も、定義していないわ」
私「あー、これじゃ、今晩中に、終わらない」
若菜「明日、出直しますか?」
私「そうしよう」
麻友「太郎さんが、本当に、目の前で、気になったところを、全部チェックしながら、数学を作っているの、感じたわ」
若菜「完全に、数学、作っていますね」
結弦「明日も、楽しみだよ」
私「麻友さん。今日、週刊誌で、眞子様かな? 秋篠宮の娘が、借金抱えている小室さんと、結婚すると、宣言したとかいうの、読んだ。考えてみると、秋篠宮って、美智子様が『長幼の序というのがあるのに』と、嘆いたのに、結婚させてくれなかったら、皇族やめるぐらいのことを言って、紀子様と結婚した人だよね。娘に、同じことされるとはね。でも、これから、ひとつの教訓を得ました。前に話した、トントン工房の交通費の、母に渡してない借金27,148円、だけど、これ返さないと、麻友さん、『私が、払うの?』と、不愉快だよね。分かった。本のリスト、どんどん入れて、27,000円作るよ。148円は、袋に残ってるんだ」
麻友「数字に強い太郎さんが、なぜ、借金なんてことに、なるのよ。まったくもう」
私「お金にルーズになるのは、良くないね。例え、6年後に、お金という概念が、なくなるとしても」
麻友「じゃ、おやすみ」
若菜・結弦「おやすみなさーい」
私「おやすみ」
現在2020年11月22日21時49分である。おしまい。