現在2020年12月24日20時21分である。
私「メリークリスマス。麻友さん」
麻友「メリークリスマス、太郎さん」
私「今日は、ふたりで過ごそうよ。子供達は呼ばずに」
麻友「太郎さん。ひとつ提案があるの。今、新型コロナウイルスの影響で、知らない人と、しゃべることを、極度に制限されているじゃない」
私「確かにそうだけど」
麻友「だから、最初のデートは、オンラインで、やらない?」
私「デート、つまり、date は、日付と時間を決めて会うから、date なんだけど、オンラインでも、会っている気分になるの?」
麻友「私達は、模範的な恋愛をするのよ。コロナ禍で、男女がどうやってデートをするべきか、示せなくて、どうするのよ」
私「そうすると、Skype で、チャットか、Zoom を使うのかな?」
麻友「太郎さん。小林りんさんの、Hatch Edu で、初めて、Zoom 使ったけど、回線が、3G LTE とかで、全然動画にならなかったと、言ってたわね。この間の、『朝物理』は、どうだったの?」
私「一応、動画にはなった。だけど、ちょっと不安定だったけれどもね」
麻友「太郎さん。Zoom のこととか、全然、勉強してないでしょ。自分から、誰かを、Zoom に呼ぶとか、できないんじゃない?」
私「確かにそれは、無理かも」
麻友「『無理かも』じゃなくて、勉強しなさいよ。私とデートするためだったら、本気になるんじゃない?」
私「ちょっと、時間を、1週間ほど、ちょうだい。勉強してみる」
麻友「いつもながら、素直なのは、美徳よね」
私「クリスマスイヴだって、数学進めるよ」
麻友「数学の推論で、『』だけが、まだ推論のパターンを、見つけてなかった」
私「まず、『 導入』とか言わず、私が、『準背理法(じゅんはいりほう)』と呼んでいる、
が、ある。これがほぼ、『』の定義みたいなものだな」
麻友「 が、成り立つならば、矛盾が生じるとき、 は、成り立たないとして良いということね。それ以外にも、『』 を規定するものが、あるの?」
私「ある。『 除去』とか言わず、私が、『片方否定』と呼んでいる次の推論がある
だ」
麻友「 または、 のどちらかが、成り立っていて、そのうちの、 が、成り立たないことが、分かったら、当然、 のほうが、成り立つでしょうと。あれっ、でも、直観主義論理では、成り立つ、成り立たないでなく、それを、確認する方法を、持ってる、じゃ、なかった?」
私「直観主義論理は、取り敢えず置いといて、古典論理を、究める」
麻友「あらそうなの。じゃあ、真偽表が、使えるのね」
私「厳密には、真偽表は、意味を知るのには分かり易いけど、この一連の推論パターンによって、論理記号の使い方を定めるだけで、真偽表に書かれている真偽と同じようなものが、導かれるようになっている。そういう意味で、形式的な、構文論と、真偽表などで意味を考える、意味論が、同値であるという論理学の定理が、『現代論理学』においても、証明されている」
安井邦夫(やすい くにお)『現代論理学』(世界思想社)
麻友「太郎さんは、推論のパターンは、13個だと言っていた。『 導入』『 除去』『 除去』『 導入-仮定除去』『 導入』『 除去』まで、昨日やって、今日、『準背理法』と、『片方否定』をやって、8個まで、来た。後の5個は?」
私「残りの5つのうち、4つは、ときどき出てきた、『任意の』という意味の『』と、存在するという意味の『』という記号の、導入と、除去の推論パターンが、それぞれ1つずつ有って、それで、4つなんだ。だけど、麻友さんはまだ、『』と『』を勉強するには、数学の経験が、乏しすぎる。このエニとイグジストの出て来る論理学を、述語論理学というのだけ、今日は覚えていって欲しい」
麻友「今までのは?」
私「命題論理学というんだ」
麻友「命題論理学か。それで、残りの5つの、最後の1個は?」
私「そこが、ハイライトなんだ。まず古典論理では、『』 の最後の性質は、『二重否定』と、私が呼んでいる、
という推論なんだ」
麻友「否定の否定は、肯定ね。当然、否定の記号は、そういう性質を持っていなければね」
私「ところで、私がやっと理解し始めた、直観主義論理では、これは、成り立たない」
麻友「どうするの?」
私「先日、リンク集の中の、NKsummary.pdf に間違いがあったと言ったけど、ここで、修正を宣言しよう。以後、あのファイルは、書き換える」
麻友「どの部分?」
私「最後のところだけど、ちょっと長いよ。もうすでに、少し改訂したけど、
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直観主義論理とは
章の冒頭で、否定の否定が、肯定にならないという論理があると、書いた。それが、直観主義論理というものを用いた、構成的数学と呼ばれるものを築くとき、役に立つとも書いた。
本章を読んできて、私達の論理(それは、古典論理と呼ばれる) (エヌケーまたは、ドイツ語式に、エヌカーと呼ばれる)と、直観主義論理 (エヌジェイまたは、ドイツ語式に、エヌヨットと呼ばれる) とは、何が違うのだろうと、知りたい人もあるだろう。
そもそも、なぜ否定の否定が肯定にならないのか?
それは、私達のいう での命題は、真(正しい)か、偽(正しくない)かが、定まるものであったのに対し、直観主義論理では、『Aが正しい』とは、『Aを確認する方法をもっている』ということなのである。
と での推論図の違いは、二重否定の推論、
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定義(推論図IX.二重否定)(にじゅうひてい)
否定の否定は、肯定であるということである。
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を、
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定義(推論図NJ-IX.否定除去)(ひていじょきょ)
の否定が成り立つ、つまり が成り立たないことを確認する方法を持っているということは、 がもし成り立つことが証明されるならば、それから矛盾が導けるという推論である。
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に、置き換えることである。
これは、強い推論のように見えるが、実は、直観主義論理では、『』自体が、『』 と定義されているので、何も言っていないのと、同じなのである。だから、我が は で証明できることを、すべて証明できる。逆に、 で証明できて で証明できないことは、ある。例えば、二重否定を使って証明した、背理法とか、排中律などである。
二重否定推論自体を、他の12個の推論図を組み合わせて表せない以上、 は、 より弱いのである。本当に弱いのかは、推論図を組み合わせることを、何通りか試せば、分かってくることである。
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ここまでのなかで、麻友さん達に、否定の記号の定義に否定の記号を使っていて、循環論法だと、指摘された。
定義(推論図NJ-IX.否定除去)(ひていじょきょ)
の否定が成り立つ、つまり が成り立たないことを確認する方法を持っているということは、 がもし成り立つことが証明されるならば、それから矛盾が導けるという推論である。
の、ところだ。『』 が、 だと言っている。『』を使わずに定義しなければならないよね。そこで、考えたんだけど、 という矛盾でなく、任意の、 にしてしまったらってね」
麻友「そうすると、どうなるの?」
定義(推論図NJ-IX.否定除去)(ひていじょきょ)
となる」
麻友「それで、上手く行くの?」
私「今のところ、問題は、見つかってない」
麻友「太郎さん。面白い話だけど、もう23時28分よ。寝た方がいいわ」
私「直観主義論理の話、かなり長くなってるね」
麻友「それじゃ、2人だけのクリスマスイヴだったわね。おやすみ」
私「おやすみ」
現在2020年12月24日23時32分である。おしまい。