現在2020年12月28日6時14分である。(この投稿は、ほぼ4498文字)
麻友「昨日は、前半で、証明したはずのことが、後半、覆っちゃったわね」
私「本当に、研究をしているということだ」
結弦「一昨日、後で証明するけど、『二重否定』を、認めると、『排中律』が、成り立つって言ってたけど、証明は、後回しにしたままだ」
私「そうだったな。まず、古典論理での、『排中律(はいちゅうりつ)』を、確認しよう」
結弦「任意の、 について、
だね」
私「今、良いこと言ったね。『任意の』なんだよ。特定の、 ではなく、任意の で、
が、成り立つなんだ」
若菜「意味は、 が、真であるか、 が、真であるか。つまり、『 が、真であるか、または、偽であるか、どちらかが、成り立つ』ということですね」
麻友「直観主義論理でも、意図していることは、同じなんじゃない? を確認する方法を持っているか、 を確認する方法を持っている」
私「そうなんだけどね、 を確認する方法を持っているならいいんだけど、 を確認する方法を持っていない場合、問題が生じる。そもそも、私達が、排中律が、成り立つと思うのは、 が、成り立たないなら、直ちに が成り立つと、思っているからだ。だから、『 を確認する方法を持っていない』のなら、そのまますぐに、『 を確認する方法を持っている』と、言えなければいけない。でも、特定の についてなら、そういうことも言えるかも知れないが、 は、確認できるとは、限らない」
若菜「『』とは、『 を確認する方法が与えられれば、その方法をもとにしてあらゆることを導く方法を作る方法を持っている』でした。つまり、 が成り立たない世界なんですね。そこに、 を持ち込むと、あらゆることが証明できるような、とんでもないことになる。だから、 の世界では、 は、成り立たないんだ。と言ってるわけですけど、すべての、 で、 が確認できないなら、 が確認できる(つまり、 を確認する方法が与えられれば、その方法をもとにしてあらゆることを導く方法を作る方法を持っている)とは、言えないかも、ですね」
私「私が戦っている敵の場合で言えば、リーマンゼータ関数 の での厳密値、 が、超越数だと予想して、証明しようとしている。だが、まだ証明できていない。だから、『 が、超越数』というのは、確認する方法が、まだない。しかし、だからと言って、『 が、超越数ではない』(つまり、 が超越数だということを確認する方法が与えられれば、その方法をもとにしてあらゆることを導く方法を作る方法を持っている)ということを、確認できたことには、ならない。神様なら、最終的に、『 が、超越数』か、『 が、超越数ではない』なのか、知っているだろうけど、私には、そんなことは、(まだ)できない。だから、排中律が、成り立っているとは、言えないんだ」
若菜「おっと、一気に具体的になりましたね。こういう具体例を、出してくれると、分かるんですけどね」
私「具体例で理解するというのは、数学では、非常に重要。そうなんだけど、直面している問題で、自分で、具体例を作れるようになっていないと、数学の冒険では、行き詰まる。自力で道を切り開けなければ、冒険ではない」
結弦「でも、数学に通暁しているお父さんと違って、僕達は、持っている具体例が、遥かに少ない。お父さんに紹介してもらわなければ、どんなものが具体例としてあるかも、知らない」
私「それはまあ、そうだな」
若菜「話を戻して、直観主義論理では、排中律は、成り立たない。そうすると、古典論理で、排中律が、証明できれば、古典論理の方が、明らかに、直観主義論理より強いということになりますね」
私「証明するぞ。
定理 排中律
証明
が、 に至る演繹図になっている。すべての仮定が落ちているので、は、 の定理である。
証明終
どうだ」
麻友「うっそ、こんな完璧な証明が、存在するの?」
私「本当は、実数の存在なんかも、こうやって、全部の仮定が落ちた、演繹図が、存在するはず」
麻友「太郎さんは、実数の存在については、こういう証明までは、してない?」
私「悪戦苦闘中」
若菜「お父さん、気が狂うわけです。こんな仮定が全部落ちた、実数の存在定理なんて、人間の手で書けるはず、ありません」
私「ただ、ブルバキは、丁寧に読んでいくと、全部の仮定が落ちた、証明を、読者が書けるように、きちんと説明しているんだ」
結弦「ブルバキって、お父さんのために、書いてたのかもね」
若菜「どこで、使うのかなあって、丁寧に見ていきましたが、一番最後で、『二重否定』推論使ってますね」
麻友「どこどこ?」
若菜「最後、
です」
麻友「ああ、本当だ。これがあるから、排中律を証明できたんだ」
結弦「もうひとつ、宿題があったよね。ブルバキのS4.を、証明すること」
私「それは、明日にしよう」
若菜「今日は、通院だったんですか?」
私「最近は、比較的調子が良いと、話してきた」
麻友「京野先生に会って、何か得られるものがあった?」
私「『みなと赤十字病院は、新型コロナウイルスの患者を受け入れているのですか?』と聞いたら、『ガンガン、受け入れています』とのことだった」
麻友「それで?」
私「今、いくつか、計画を立てている。まず、新型コロナウイルスが、冗談だと思っていたけど、お医者さん達も、マジに、戦っているように、思えてきた。沈みつつあるタイタニックから、16kmの距離にいたにもかかわらず、惨事が起こっていることに気付かず、タイタニックの乗員を救助しに行かなかったカリフォルニアン。一方、91kmの距離から全速力で、救助に向かったのに、翌朝までかかってしまったカルパシア。私が、カリフォルニアンだったとしたら、自然科学の良心などとは、到底言えなくなる。そこで、中座している『細胞の分子生物学』の再開を、本気でやらなければと、思っている。ただ、分子生物学だけでは、私は、楽しめない。数学もやりたい。『微分・積分入門』、『数Ⅲ方式ガロアの理論』、『現代論理学』と、麻友さんに説明したいことは、いくつもある。その中で、高校レヴェルであり、数学で絶対必要な微分積分を、まず片付けよう。これは、3カ月くらいで、終わるはずだ。次にその勢いで、ガロアを1年くらいで、終わらせよう。最後に『現代論理学』を、第Ⅱ章まで、3カ月くらいでやれば、1年半で、ブルバキが読めるところまで来る」
麻友「太郎さんは、ブルバキを、読みたいの?」
私「うん」
麻友「じゃあ、今すぐ、ブルバキを、始めなさいよ。あのとき、ブルバキを始めていたらなあ、なんていう後悔をしたくないでしょ」
若菜「ブルバキだって、温かいんでしょ。私達に、それを、説明してよ」
私「そういう手もあるか、丁寧に説明すれば、分かるかな? ただやっぱり、『現代論理学』の第Ⅱ章までは、必要だろうけど」
結弦「じゃあ、『細胞の分子生物学』とブルバキ『数学原論』と『現代論理学』か。楽しみにしているよ」
Theorie des Ensembles (Elements de Mathematique)
- 作者:Bourbaki, N.
- 発売日: 2009/02/22
- メディア: ペーパーバック
私「挑戦してみるよ。じゃあ、今晩は、おやすみ」
若菜・結弦「おやすみなさーい」
麻友「おやすみ」
現在2020年12月28日22時48分である。おしまい。