現在2021年5月25日20時22分である。(この投稿は、ほぼ3937文字)
麻友「昨日、途中で、中断って言ってたけど、その後、書いてこなかったわね」
私「私自身も、兵で、疲れちゃったんだ」
麻友「真由さんも、待ってたのに」
真由「松田さんの名刺というものは、拝見できないのでしょうか?」
私「実は、名刺と名の付くものは、全く持っていないのです」
真由「あっ、いえ。数学者で、物理学者と仰っているので、論文は、ないのかと」
私「アクセプトされた論文は、まったくないのです」
真由「1本も?」
私「はい」
真由「じゃあ、アクセプトされていない論文は、あるということですか?」
私「2014年に精神科に入院し、余りにも暇なので、全部、手で計算した、次の論文が、あることは、あります。
abstract
In my view, Abel dated a letter as 1823 in the following way.
because
Your view will accord with mine.
proof
Since Abel was born on 5 August 1802, so
is the predominant theory; Abel wrote the letter on the last day he was twenty years old.
However, disagrees with .
Let's see this problem from another angle.
This theory insists that Abel used the date explicitly in calculation,but disagrees with , too.
Although they could not measure seconds ordinarily in those days, yet Abel might carry a trick which I show below.
To conclude, I reached the next formulae.
The latest one is the elegant solution. So,
was the real calculation of Abel.
You may take this figures 3 August 1823 16:45, but I suppose the genius mathematician adopted explicit formulation.Thus,
is powerful insistence, I think.
以上です」
真由「えっ、これだけ? なんか19時頃から、手直ししていたのは?」
私「London Mathematical Society (ロンドン数学会)のBulletin に投稿したときの、 原稿を、はてなブログの書式に直すのに、時間がかかったのです」
真由「ロンドン数学会のブレティン!? 何でそんなところに、サブミットしたんですか。もっと、この論文を、アクセプトしてくれたかも知れない、論文誌だって、あったかも知れないのに」
私「自分でも、これが、数独を解いたくらいの成果でしかないことは、分かっているのですけどね」
真由「それと、英作文が、下手すぎます。こんな英文を書いていたら、どんな発見ができても、論文はアクセプトされませんよ」
麻友「これくらい、太郎さんをいじめてくれる、人が、現れてくれたなんて、溜飲が下がったわ」
若菜「お父さん、一応、英文の数学の論文書いていたのですね」
結弦「なんか、真空の透磁率の話に入る前に、21時52分になっちゃったな」
麻友「今日は、ポートに行ってきている。疲れたでしょ。それに、明日は、歯医者」
私「気を使ってくれて、ありがとう。この論文の話は、1度麻友さんに、話しておきたかったんだ」
若菜・結弦「おやすみなさーい」
真由「おやすみなさい」
真由「おやすみ」
私「おやすみ」
現在2021年5月25日21時58分である。おしまい。